“笑顔”がくれた勇気


 2005年11月20日。

 日本陸上界に、新たな物語が生まれました。

 「
東京国際女子マラソン」。

 高橋尚子が奇跡的な復活を遂げたレースのことです。


 アテネ五輪出場がかかった2003年の東京国際女子マラソン。

 ショッキングだったあの失速の翌日に書いた自分の日記を、改めて
読み返してみました。


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2003年11月17日
「 敗者がくれた勇気 」

  昨日の東京国際女子マラソン。
 あの高橋尚子が出場した。

 おそらく99%の人が、高橋がこのレースでアテネ五輪出場を
決めるものと思っていたはず。

 長い海外での合宿を終えた高橋に、死角は見当たらない。
 誰もが、そう思っていたはず。


 しかし、高橋は負けた。
 言い方を変えると、
勝てなかった

 きっと、勝つためのレースをすれば、足への負担も軽く、
あそこまで苦しまずに済んだはず。

 でも、高橋と小出監督は、高橋だから辿り着けるであろう、
もっと上のレベルを目指していた。

 そして、「アテネ五輪出場」という目的からいえば、それは
裏目に出た。


 レース後のインタビュー。
 高橋の第一声は
「がっかりさせてごめんなさい」
 それも、笑顔でだった。

 高橋が負けた。 高橋でも負ける。
 そんな現実に声もなかったスタンドが、湧いた。


 極限まで絞り込んだ長期の海外合宿。
 世界でただひとり、高橋だけが持てる五輪連覇への思い。
 そして、勝って当たり前、という空気。


 
2着という結果が、いちばん悔しく、いちばんつらいはずの
高橋の笑顔には、しかし、文字通り全力で走り抜いた人にだけ
感じられる、かすかな満足感さえ漂っていた。


 きっと、このままで終わりはしない。
 高橋はもっともっと速く、強くなる。


 
あの笑顔は、敗者・高橋がくれた勇気だった。

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 あの時、
 「きっとこのままで終わりはしない」
 と、書いたけれど、その後の高橋を襲った数々のアクシデントや
退路を断つ!という感じの、小出監督からの独立とチームQ結成。

 そして、レース直前に発覚した右脚3カ所の筋膜炎。

 2年前の失速の再現となってしまうのではないか?という心配が
あったけれど、35キロ過ぎでの勝負を、というよりランナー人生を
掛けたラストスパート。

 過去見たことのない必死さが、サングラスをかけた高橋の姿から
感じられた気がする。


 そして、2年前に歩くように登った坂を、

 
「あの坂には負けたくなかった。自分自身との闘いだった」

 と、2位以下を一気に突き放す力走。

 
 シドニー五輪を再現するように、両手を広げてゴールに飛び込んだ
高橋を出迎える「チームQ」のスタッフたち。

 小さな歓喜の輪の中心には、ひときわ小さい高橋の姿があった。

 
「玉手箱に入っていたのは
  止まっていた時間が、また動き出しそうです」



 そして、スタンドと全国に向けた優勝インタビュー。

 
「暗闇にいた私が、夢を持つことで充実した1日1日を過ごす
 ことができた

  2年という時間は長かったけれど、時間は誰にでも平等。
  今悩んでいる人も、もう二度と来ない時間を充実したものに
 してください!」
 
 「みんながいたおかげで帰って来れた。
  3年後(北京五輪)に向けて、今日がまたスタートです!」



 長い長い暗闇を抜け、因縁の大会での見事な復活。

 敗者・高橋の笑顔から2年。

 
勝者となった笑顔の高橋に、やはり月桂冠はよく似合う。

 

        

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