男は目で恋をする。

女は耳で恋をする。

なんて格言をどこかで聞いたことがある。

でも、

そうなると

僕は女ってことになっちゃうんですけど………

 

 

 

『録音中』

 

 

 

  文化祭当日。

  演劇部の晴れ舞台の日にもかかわらず、僕は一人部室に残っていた。

「はぁ………。仕方ない……か……」

  何故こうなったかと言うと、まぁあれですよ。主役の女の子が風邪で声が出なくなっちゃったんですよ。
 代役立てるにも人がいないし、何より台詞を覚えられない。

  ってことで今、こうなってるわけです。

  仕方ないけど、やっぱり悔しいよな……
 誰も悪くなんて無い。健康管理、とか言いそうだけど、そんなの誰だってしてるに決まってる。
 それでもひいちゃったんだ。それはもう運が無かったとして諦めるしかない。
 でも、それが、こう、文化祭に、来ちゃうとは………

  もう一度、これでもかと言うほどに長い溜息。
 誰もいなくなった演劇部の部室で、椅子に座って窓の外を眺める。
 露店が賑やかだ。おいしそうな白い煙がここまで昇ってくる。
 気落ちしてても意味ないし……何か食べに行こうかな………
 高校生活最後の文化祭だ。折角だし、楽しまないともったいないよね。

  立ち上がろうとしたその瞬間。
 廊下側のドアが音を立てて突然開いた。

「うわっ! 人がいたの!? …………あああぁぁぁぁああ! まぁいいや! ちょっとかくまって!」

  見たことも無い彼女は、長い髪をなびかせて後ろ手にドアを閉めた。

  そして何事かも告げずに部室に入り込むと、ロッカーに入って黙り込んだ。

  それからほんの少しして、慌しい足音が追いかけてきたと思ったら、これまたドアを音を立てて開けて、覗き込んできた男一人。

「すみませんが、ここに女の子が来ませんでしたか? 探してるんですが……」

  何故だろうか、僕はとっさに、でも自然に、最初からそう言おうと決めてたみたいに。

「いえ、誰も来てませんよ? 慌しい足音ならさっきこの教室を通り過ぎていきましたけど」

「そうですか……。失礼しました」

  と、今度は静かにドアを閉め、大きな足音はだんだんと遠くになっていった。

 

「………もう……大丈夫?」

「うん。大丈夫だよ」

  それでもまだ信用できないのか、ゆっくりとロッカーを開いて顔をのぞかせ、辺りに目を走らせている。
 少しして、大丈夫だと確認し終わったのだろう。ロッカーから完全に出て、体を伸ばした。
 ふるふると震える体が、他人なのにとても気持ちよさそうに思えた。
 同い年くらいかな。文化祭だし、他校から来てもおかしくないし。さっきの人は親とかかな? ちょっと違う感じがするけど……

「んーーー……っ! ぷはぁ。助かったぁぁ……。あ、君、ありがとね。助けてくれて」

  彼女は突然思い出したかのように僕に振り返り、頭を下げる。
 あ、意外に礼儀正しいのかな。

「いえいえ。どういたしまして」

  と、僕も体をしっかりと向けて頭を下げた。
 頭を上げると、彼女は部室の中を興味深そうにじろじろと眺めていた。

「ね、ね。ここ、演劇部かなにか?」

「そのまさに演劇部だよ」

  へー、と興味あるのか無いのかよく分からない返事をし、彼女の目は僕の前にある台本へと移った。

「あ、そっか。文化祭だもんね。今日晴れ舞台なんだ。いつからいつから? 見に行きたいんだけど」

  気にしないようにしていたところをズバリと突かれ、軽く気落ちしてしまったけど、彼女に悪気は無いので怒りは出てこない。

「はは……それがさ、主役の女の子が風邪で声が出なくなっちゃってさ。中止になっちゃったんだ」

  彼女は口に手を当てて少し大げさに驚いた後、ばつが悪そうな笑顔で謝った。
 気にしないで、と言って、もう一度窓の外を見下ろすと、やっぱりそこには白い煙がおいしそうだった。

「…………」

  沈黙の続く中、時々聞こえる、パラパラ、という聞きなれた音。
 なんだろうか、と振り向く前に、それが何かは分かっていた。

「それをするはずだったんだけど……。来年に後輩に頑張ってもらうとするよ」

  台本を結構速いスピードで捲っていく。でも、速すぎるとかそういうわけじゃなく、なんて言ったら良いのかな……
 演劇やってる人にとっては一番いいスピードとでも言えば良いのかな……
 じっくり読みすぎて時間を無駄にすることもなく、速すぎて何も覚えていないわけじゃない。
 そんな速さ。この子、演劇やってるのかな……?

「……………、ダメだよ………」

「え? なんて?」

  ポツリと呟いたその声に反応できず、情けない声を出してしまった。
 でも、それに返ってきたのは思いもよらない元気な声。

「こんな面白いの、自分でやらなくちゃダメだよ!!」

  彼女は台本持った手ごと机に叩きつけて、身を乗り出して主張した。
 それに気押しされて窓にもたれかかるように逃げる僕だけど、それにもさらに詰め寄る彼女。

「そ、そうは言っても……。主役の子が風邪なんだって……」

  思い出したみたいだ。あ、と口にして、乗り出した体を元に戻した。
 そして、手を顎に置いて、まさに考えるポーズをとった後、これまたまさに思いついたポーズで、グーの右手をパーの左手にぽんと乗せた。

  彼女は、一歩後ずさり、くるりと後ろを向いた後わざとらしい咳をし、大きく息を吸った。

「何故この世は身分などという意味の無い物が、ここまで人の自由を奪うのでしょうか……」

  ブルブルッと、体中が震えるのを自覚した。
 何だ、この感じ……。すごいとか、そんな言葉じゃ収まりきらない。
 なんて言えば良いんだろう……。あー! 思いつかない! めっちゃすごい! それでいいや!

  それに、後ろを向いて顔を見れないと言うのに、彼女の声だけでその表情が頭にダイレクトに浮かんで来た事にも驚きを隠せない。
 いや、浮かぶなんて生易しいものじゃない。もう、見える、のレベルだと思う。

  それらの感激に声も出せないでいると、彼女もう一度体を捻ってこちらに向けて、にこっと笑った。
 そして、もう一度僕に詰め寄る。

  相も変わらず、外には白い煙が舞っていたけど、それに興味を持っていかれる事はもう無かった。

「主役の声、私に任せてみる気、無い?」

 

 

 

 

「何故この世は身分などという意味の無い物が、ここまで人の自由を奪うのでしょうか……」

  風邪で声の出ないはずの主役の女の子が美しい声で僕に語りかける。

  いや、実際は違うんだけど、間近で見ててもそう思えるほどだ。はたから見たら微塵も疑いを持たないだろう。
 皆のモチベーションは最高だ。やはり恐ろしく上手い人がいるとそれに引っ張られて自分も、となるものみたいだ。なんて名前だったかな? 初めて経験した。

  彼女が舞台裏から主役の口にあわせてアフレコをする。  それだけ?  とか思うかもしれない。
 でも、実際にやってみれば分かると思うけど、演劇は動き回る。だから顔の位置も変わる。よって彼女からは口が見えないことも起きるのだ。
 それでも、彼女はまるで口が見えているかのように、いや、むしろ彼女が口を動かしているみたいにぴたりと合わせてくる。
 そんなのを見せられたら、誰だって頑張らないわけにはいかない。しかもその台詞の読み方が半端ないんだ。
 気持ちいいくらいに心に響く。言葉ってのはこんなに良いものだったのか、って、きっと誰だって思うに決まってる。

  こんなに、演劇が、話す事が、声を出すことが楽しくって、しかも汗だくになるほど一生懸命になれる事だったなんて!

  演劇をやりきったつもりでいたけど、そんなこと誰にも言わなくて良かったって少し安心する。
 言葉には、こんなにも、まだまだ知らない世界が広がってる。一体、どれだけの人間がそれに気づく事ができるのか。
 僕達、ここにいる人間は最高に幸せものだ。気づけた事に感謝ってか。

  暗幕を下ろして背景を変える。
 僕も主役の子も舞台裏に入って休憩を取った。
 そうしていると、彼女がこっちに来て水を渡してくれた。

「ありがと」

「いえいえ。どう? 私の腕も中々のもんでしょ? ん、口かな?」

  笑いあって、汗を拭きながら水を飲んだ。
 その時、隣に座っていた主役が、俯いて息を荒げていた。

「大丈夫? とりあえず水、飲みなよ。休憩ちょっと長めに取ろうか。みんな、ちょっと背景ゆっくり目でいいよ」

  と言ったところで、どさ、と重い音が舞台裏に響いた。
 そちらに振り向くとその子は椅子から床へと倒れこんでいた。

「………おい! 大丈夫か!? 返事、できるか!?」

  そんな必死の呼びかけにも荒い息が返ってくるだけ。
 首元に手をやると、火傷するかと思ったほどの熱さが僕の手に返事をした。

「……っ! 誰か! 保健室に! 早く!」

 

 

「………どうする……」

  あの子は保健室に運び終わって、応急処置を施したので、保険の先生に任せておけば後は大丈夫だと思う。
 でも、問題はそれにとどまらない。そうだ、主役がいなくなったのでは演劇が話にならない。
 すでに10分は経ってしまっている。さっきから暗幕の向こう側からざわつきが聞こえる。
 今さら、中止なんて言えば、どんなブーイングを貰うか分からない。
 それだけですめば良いけど、来年からの文化祭に影響するかもしれないのが怖い。
 後輩達に迷惑はかけられない。でも……一体どうすれば……

「ねぇ」

  突然、抱えていた頭の上から呼びかけられた。
 頭を上げると、彼女が目の前に立っていた。胸には、台本を抱えて。

「台詞、暗記したよ」

  その言葉の意味を理解するのに、数瞬使ってしまった。
 そして、理解したとたん、僕は飛び上がるほどの喜びを覚えた。

「……任せても……いい?」

  その言葉に彼女は満面の笑みを浮かべ、力強く頷いた。

 

 

  暗幕が上がっていく。
 向こう側から、やっとか、とか、まだあったんだ、とか、色々と文句が聞こえてくる。
 それは、仕方の無い事。その口全部塞いで、拍手に変えるくらいの劇を見せれば良いだけのこと。
 そう思って、自分自身に激を入れた。

  客に背中を向け、僕に横顔を見せる彼女。背中を見せる事ははっきり言って失礼になるのだけど、そこは僕の考えだ。
 まず、主役の子が変わった事を気づかせないため。衣装さえ着せれば、彼女はさっきまで演じていた子とそこまで大差ないようにできる。
 そして、僕としては実はもう一つの方を狙っていたんだけど……。上手くいくかな……

「くそっ……! 敵兵がそこまで……! ……先に、逃げてください。後から追いつきます。僕を、信じてください」

  まず、僕が台詞を。
 そして、彼女がゆっくりとこちらを向く。客には横顔だけしか見えない。この程度ならばれる事も無いだろう。
 彼女はゆっくりと息を吸い込み、少し、溜める。そして、軽く笑みを残し、喉を絞った。

「……また、会いましょう……ね……」

  その一言に、一体何人の人が心を奪われたのだろうか。
 言われた僕自身が、本当に、圧倒されて、思わず、目から一粒。

  もう会えないと、どちらも分かっている。それでも、彼女は言う。また会いましょう、と。
 多分、みんな感じているはずだ。彼女がどう感じているのか。表面の笑顔と、裏に込められた悲しみの顔が。

  彼女は別段素晴らしい演劇らしい動きをしたわけじゃない。というか、動いていない。
 それなのに……目に見えるほどのこの印象的な声はなんなんだろう……。
 これを、狙っていた。言葉の素晴らしさだけで客を圧倒する。これが僕の狙いだった。
 声は、聞くものじゃなくて、聴いて、見て、感じるものなんだって。もしかすると匂いもあって、味もあるのかもしれない。
 五感――きっと、第六感だって。全てで感じる事のできる、唯一のものなんじゃないのか。

――本当に、もう、そんな素晴らしい言葉を使って表そうとしても、言葉が見つからない。

  少しして、次は僕が話す番だと思い出した僕は、今の感動を心に込めたまま、そしてさらにその感動を乗せて、台詞を、いや、僕の想いを。

「ああ……、また……」

  その言葉に、彼女はまた薄く笑い、背を向けて舞台裏へと消えていった。

  その後、敵兵に扮した部員がなだれ込むと同時に暗幕が下りてくる。
 僕の足が敵の足に飲まれ、僕の持っていた剣が落ちると同時に、暗幕も降りきった。

  すかさず、ナレーションが入る。
 もちろん、声だけなら彼女の独壇場だ。
 ナレーションというか、彼女のその後、みたいなものを話し、そして、そのまま舞台はエンディングへと。

  彼の名が刻まれた墓の前で眠るように座り続ける彼女。
 そして、最後に、一言。

「あぁ、やっと……、迎えに来てくれたのですね―――……」

  そして、暗幕が降り、彼女は墓をベッドにするように、倒れこみ、それを確認できるかできないかのところで、閉幕。

 

 

  少し、間があった。

  でも、その時間さえも、僕等にとっては賞賛に感じ取れた。

  だって、本当にそうなのだから。

  みんなで舞台裏で手を取り合って喜び合う。
 でも、そこに彼女の姿は、見当たらなかった。

  満席の会場からの惜しみない拍手の中、僕はただ、彼女を探し続けていた。

  体育館の裏口。
 劇に出る前の服装に着替えていた彼女は裏口のドアを開いて出て行こうとしているところだった。

「ま、待って……!」

  とっさにそれだけを口にした僕。次に言う言葉なんて考えてもいなかった。
 でも、その言葉のおかげで、彼女は僕の存在を知って、足を止めてくれた。

  その間に彼女に駆け寄って、荒い息を整えた。

「もう……行くんだ……」

「うん……。マネ……、あ、あの追いかけてきてた男の人、私のマネージャーなんだけどさ。さすがにこれ以上本業の声優サボりすぎるとやばいからね……」

  そう言って、何か返事があると思って、僕の顔を覗いていた。

  うっすらとは気づいていた。彼女が普通の、一般の高校生とかじゃないことぐらい。

  僕達と一緒に劇をすることはもう無いってことぐらい。

  僕が、どれだけ頑張ったって、届かない、身分の違うところにいるってことぐらい。

  それでも、やっぱり僕には突然な気がして、声を出すことが、できなかった。

  それに気がついてか、彼女は少し淋しそうな笑みを残して、ドアを開けた。

 

「……また、会いましょう……ね……」

 

 

 

  彼女のその声が、僕の頭に何度も何度も木霊した。

  それが木霊するたびに、僕の心は痛めつけられた。

  もう……泣き出してしまうぐらいに。

 

 

  こうして、僕達3年生の、一世一代の演劇は、幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

「監督、この主役の声の子なんですけど………よくオッケーもらえましたね」

「はは、ちょっとした知り合いでね。昔、会ったことがあるんだ」

  へー、と羨ましそうに頷いたアシスタントに笑いかけ、僕も腰を上げる。
 なんと言うか……あの時の演劇以来、声というものの魅力に嵌まってしまったみたいで、
 それを最大限に引き出せる作品を作り出す事に生きがいを見つけ出してしまった。
 そのおかげで、今、僕はこの仕事についている。
 成果あってか、僕の作品は心に響く、とか、言葉が頭に語りかけてくる、とか、内容云々より、言葉の素晴らしさを評価される事が多い。

  高校を卒業した僕は、皆の反対を押し切って映画関係の専門学校に入った。
 そしてその専門学校での卒業作品が評価されて、俗に言うエリートコース、というものを歩ませてもらっている。
 まぁ、努力に勝る才能なしってやつですよ。

  最初から他の人達とは違った作品を作り続けていたけれど、それが顕著に出始めたのが少し有名になってから。
 おかげで異端児扱いされて、一時期はつぶされそうにもなったけど、今となってはそれもいい経験だった。
 なんだかんだで、2年制の専門学校を卒業し、その道を突き進んだおかげで、22という若さで一流の仲間入りを果せたわけだ。
 ………自分で言うのも変な話だけど。

  でもやっぱりそれだけじゃ飽き足らず、監督という権限使って、自分も声優をしていたりする。
 まぁ、それも何気に成功を収め、僕が作った作品以外の声優も頼まれるほどになった。
 むしろ、声優家業の方が有名になってきたぐらいだ。

 

  今日からアフレコを開始するこの作品。
 僕が今までの中で一番良い、と自信を持って言える作品に仕上がった。

  だからこそ。

  今回の作品には―――

 

「やっ」

  後ろから、景気よく肩を叩かれる。
 その声で、振り向く前から、誰で、どんな顔をしているか、全て分かる。

  ずっと、聴きたかったこの声。

  ずっと、感じたかったこの声。

  それが、今、目の前にある。

「や、久しぶり」

  振り返り、先ほど見えたものと全く同じものが目に飛び込んでくる。
 どれだけこの瞬間を待っていただろう。本当に……言葉じゃ表せない。

  お互い、何を話すわけでもないのに、笑いあって、それだけで幸せな気分なったりして。

  遠くから、監督ー、とアシスタントが呼ぶ声が聞こえる。
 もうそろそろアフレコ開始時間みたいだ。

  彼女の方を向いて、行こうか、と言って、進もうとした時。

 

「やっと……、迎えに来てくれたんだね―――……」

 

  前を向いているから、彼女の顔は見えないけれど。

 

  きっと、絶対彼女は満面の笑みでその言葉を。

 

  それに僕も満面の笑みで返事をする。

 

  僕も恥かしいから彼女の顔を見れないけど。

 

  今度は、諦めたりしないから。

 

  そんな言葉を、想いを精一杯込めて。

 

  きっと、絶対伝わってるはず。

 

 

 

  だって、僕らは言葉を伝える事だけにはいつだって一生懸命なんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さ、行きましょうか。お姫様」

「ええ、今度はしっかり守ってくださいよ? 騎士殿」

 

 

 

 

 

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