都心から遠く離れた街の片隅の路地裏の先。

 そこに、少し変わった小さな写真屋がありました。

 変わった、と言っても、見た目は普通の写真屋ですけどね。

 そして今から話すのはその写真屋のある一日のお話。

 あ、そうそう。

 そこのお客達は皆、入るなり口をそろえてこう言うのでした。

 

 

    想い出と簪

 

 

 

「想い出を、撮ってもらえますか?」

  昼過ぎ。

  腹も膨れ、ひと眠りしようとしていたところにお客さんがやってきた。

    椅子から上半身を起こして見てみれば、柔らかい声質に似つかわしい、一人の女性、と言うには少し歳をとっているか。
若いころはとても綺麗だったんだろう。いや、綺麗と言うよりは、かわいらしい、の方があってるか。
立ち上がり一礼をした後、忘れていた「いらっしゃいませ」を言ってから、その椅子へと彼女を導いた。
ゆっくりと、確かめるように腰を下ろして隣に荷物を置いた彼女は、一度、深呼吸をした。
古い、木造建築のこの店の匂いが懐かしいのか、彼女はその息を、ゆっくりと惜しみながらはいていった。

「店、気に入ってもらえましたか?」

     はき終わったのを確認して、お茶を差し出す。少し照れたような笑みを残して、彼女はそれを受け取った。
そして、彼女がそれを飲んでいる間に、カメラをセットする。
前、撮ったのは80程度の男性だった。それ以来だから、ちょうどひと月ぶりか。
ほこりを手で払っていると、彼女は周りを見渡していた。
多分、なにをして良いのか分からないから、と、壁に掛けてある写真が気になったから、だろう。

「皆さん、良い顔をしていらっしゃるでしょう」

   そう言って笑いかけると、彼女はやはり、ゆっくりとこちらを振り返り、ええ、と返した。

    手にとってどうぞ、と言うと、彼女は立ち上がって、壁へと歩き出した。
広いとはいえない部屋の壁に、少なくて淋しいと言う感じはないが、別に多すぎて小気味が悪いといった訳でもない写真たち。
あ、そういえばひと月前に撮った写真は飾ってなかったな。また飾らないと。
彼女が手を伸ばして届く範囲の写真を手にとり、それを眺める姿が少し、淋しげに見えた気がした。

「その写真は大体一年前のですね。写したのは右にいる男性が20の頃でしたか。本当は40で、20年前の片思い相手とのツーショット。
最近はそういうのが多いですね」

「いえいえ、私のもありがちな話ですよ」

    カメラの準備ができたので、もう一度椅子に座るように言って、自分は向かい合うようにカメラを構えて座る。
覗きこんで位置を調整し、シャッターボタンを押し、それを押したままにカメラ越しに話しかけた。

「さ、それではあなたの想い出、聞かせていただいてもよろしいですか?」

 

 

「こんにちは、隆吉さん」

「ああ、今日も来てくれたんだ。こんにちは、りっちゃん」

  『今日も』が示すとおり、私は毎日のように隆吉さんの家にお邪魔していた。
 縁側に座っていた隆吉さんの隣に腰を降ろして足をたたむ。
 庭には服を脱ぎ終わった桜の木が、肌寒そうに枝を震わせていた。

「今日はちょっと肌寒いね」

「ああ、そうだね。こんなに日差しは強いのに」

  見上げると、日の光が目の奥をじんと痛めつけた。
 その桜の枝の間からちらちらと見え隠れするそれは、本当に眩しすぎるぐらいだった。

「平和、ってのはこういうことなのかもね」

「そうね、こういうことなんだろうね」

   時は1945年 5月。

「あのね、りっちゃん」

「なぁに?」

「俺、赤紙がきちゃった」

   第二次世界大戦。

 

  足を患っていた隆吉さんは、今までそこには行かなくてすんでいた。
 でも、行けないのならと、勉学に励んでいたのがいけなかった。
 どこか、息子が徴兵された家が嫉妬や逆恨みでもしたのか、隆吉さんは軍医として徴兵されてしまったのだ。

  そう、めでたい事なのだ。とても。

 

「いってらっしゃい」

「お国のために頑張ってね」

「ありがとうございます」

  隆吉さんが兵隊さんの格好をしてお礼をしている。その隣にいる、私。
 私たちは、後4ヶ月もすれば結婚する予定だった。その縁でか、彼の隣を彼のご両親から預けられた。
 普段なら、とても嬉しいことなのだが、今日はどうにも世界中のどこよりもここが一番居たくない場所だった。

  世間体で、にこにこと、さもおめでたそうに一言残してゆく近所の方々。
 その中に、本当に嬉しく思っている、国に隆吉さんの事を報告した人がいるのかもしれない。
 そう思うと、誰もかれもが私たちを笑っているように思えて、胸が苦しかった。
 切ない、なんてものじゃない。もう、押さえ切れないほどの苛立ちを両手で押さえるので必死なのだ。
 両手を放したら、胸から何かが突き破って出てきそう。そんな痛みが、苦しみが、私を襲っていた。

  でも、隆吉さんの隣にいる以上、泣き出すことも、怒り出す事もできやしない。愚痴さえ言えない。

  隆吉さんは私がそんなことを考えているのを知ってか知らずか、いつもとは程遠い笑顔を貼り付けていた。
 普段から、そういう、嘘の類を嫌う、というか素のままでいる彼が自らの意志でしているのだ。
 生半可な意志じゃないってコトぐらい、私にはすぐに分かる。何年一緒にいたと思ってるんだ。
 そして、もう、それは、何年間もくっついたままの本の紙みたいに思えた。
 無理やりにはがすと、下の紙まで持っていってしまい、取り返しのつかない事になる。
 

  そんな彼を間近で見せられていると

  行かないで、って言葉なんて

  言えるはずも無かった。

 

 

  出発日。

  彼は一人だけ兵隊さんの格好をして汽車に乗った。
 他の男達は、とっくの昔に出ていって、箱に入ったり、手紙になったり、お守りになったりして帰ってきていたから、
 隆吉さん以外に見送る人が誰もいないんだ。

  ここのどこかにいるかもしれない、隆吉さんのことを報告した人に、見送りに来ている人の数を見せてやりたい。
 こんなに大事にされてる人なんだぞって。
 こんなに立派な人なんだぞって。
 こんなにみんなに愛されてる人なんだぞって。
 こんなに、私が愛してる人なんだぞ、って。
 

  でもね。

「いってらっしゃい。お国のために頑張ってね」

  なんて言葉しか私の口からは出ないの。

  笑顔を貼り付けた誰かと同じ言葉しか、私の口からは出ない。

  なにを言って良いのか分からないんだもの。

  誰か、教えてください。

  この人を死なせないための言葉を。

「りっちゃん」

  ふと、顔を上げる。

  そこには、いつもの、私の大好きな隆吉さんがいた。
 そして、差し出されていた右手には、一つのかんざし
 それを手にとって、もう一度隆吉さんに顔を向ける。

「それね、僕がりっちゃんと結婚するときにあげようと思って持ってたんだ」

  でもね。彼は続ける。

「渡せないかもしれないから、今渡しとくね」

  そして、汽車は静かに走り出した。

「でね、その時に写真を撮るのが、僕の夢だったんだ」

  だんだんと、汽車は速度を上げてゆく。私が走るよりも、速くなってゆく。

  私は、こんなに遅かったのか。もっと運動しとけばよかった。靴も、脱いでくればよかった。

  そしたら、別れの挨拶ぐらい、言えたかもしれないのに。

 

 

「写真、撮りましょうね。一緒に、撮りましょうね、って、言いたかったんですけどねぇ」

  そう言った彼女の声は、わずかに震えていた。

  かく言う僕も、実はちょっと震えていた。でもそれは、ちょっと違う感動に。
 でも、それを出す風も無く、僕はさもめんどくさそうに話を切り出した。

「はぁ……。フィルムが一枚無駄になっちゃいましたよ」

  彼女は、え? とでも言いたそうな顔をこちらに向けて、戸惑っているように見える。
 それを無視した振りをして、僕はおもむろに歩き出し、タンスの引き出しから一枚の写真を取り出した。

「うん。やっぱり、こっちの方が写りが良いや」

  取り出したのは、一ヶ月前に撮った、80程の男性の写真。この写真は、まだ壁に飾ってなかった。

「焼き増しした方が良いでしょうね」

  彼女はまだ話をつかめていないようだ。まぁ、そういう風に僕が話しているからなのだが。
 手に持ったまま、彼女には見えないようにしている写真。

「ということで。ネガ、取りに行ってもらえますかね。僕はここ離れるわけにはいかないんで」

  言って、住所と名前をメモ用紙に書きなぐって、それを勢いよく破って彼女に渡した。

  それを見た瞬間は、やっぱり怪訝そうな顔つきだったけど、名前を見たのだろう。
 彼女は涙をこらえるのに必死そうに見えた。

「それでは――」

「はい。ありがとうございました」

  メモを片手に店を出て行く彼女の背中には、今までの俯いた雰囲気は全く無かった。
 まるで、隆吉さんの乗った汽車を追いかけるように、彼女は元気よく去っていった。

「ホントはネガなんて無いけど、焼き増しは頼みにこないでしょ」

  写真を壁に飾るために、僕は額縁を買いに外に出た。

 さて、次は一体どんな想い出を撮るんだろうなぁ。

「あ、お金もらってないや……」

 

 

  一ヶ月前にとった写真。
 写真の男性の隣には、綺麗、と言うよりはかわいらしい女性。
 そしてその髪には、その女性を綺麗にさせる、美しい簪が。

  裏に書かれた、想い出の年は、幸せそうな二人の名前と共に。

 

  1945年 9月  隆吉。りつ。

 

 

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