壁の向こう側と壁のこちら側。

  いつからそんな言葉ができたのかは知らない。

  でも、それは僕の生まれた時にはすでにあって、さらに昔からあったらしい。

  そして、僕は生まれた時から、こちら側で生きている。

  太陽というものさえ見たことの無い生活だから。

  生きているという言い方さえも合っているか分からないけれども。

 

 

  僕達は、確かにここに居る。

  でも、居ないのだろう。

  だって、向こう側のほうが偉いんだから。

 

  何が違うの?

 

 

  僕らにだって、心って言う機関が、あるんですよ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  真っ白い壁の向こうへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  10772NAOが今日、消えた。

「ねぇ、ナオどこに行ったか知ってる?」

  僕は隣の壁に話しかける。

「あぁ、事故って、肺がイカレタんだとよ」

  ということは、ナオちゃんはお役に立てたということか。

「私も早くどうにかなってくれないかしら」

  反対側の壁から会話に参加してきたのは、ユウさんだ。

「この場所で死ぬのも悪くは無いけど、どうせなら生まれてきた意味ってのを感じてみたいわね」

  僕が住んでいる東京管轄−3号の中では一番年上だ。

  ユウさんはもう50年近くここで待機状態らしい。

  さすがに50歳にもなると、体調管理は大変らしくて、毎日ランニングマシーンで失神しそうになるまで走り続けている。

「それならいっその事死んでくれたほうがいい気もするけどな」

  最初に話しかけた壁のほうからまた返答が。

  こっちはタケシさん。

「どうしようもないほどになって死んだら、俺たちが代わりに外に出られる可能性も有るんだからな」

「んー、『タケシ』の親なら確かに有り得ない事も無いわね」

  はぁ、と一回ため息をついて、言葉を続ける。

「でも『私』の方は有り得ないわね。もう歳だし、代わりになったってすぐ死ぬわ。それに、何より夫が代わりの存在を嫌ってるからね」

「そう言えばそうだったな。ま、どっちにしたって、俺達の人格は薬で無くなる訳だが」

  そこで、一旦話は途切れた。

「ねぇ、ナオちゃんは帰ってくると思う?」

  少し、間が開いて、

「そうだな、まず間違いない。若いから、まだまだ必要になることはあるだろうからな」

「そうね、『彼女』の親のことだもの。心配しなくてもナオは帰ってくるわ」

  そうして、また僕たちは無言になった。

  僕は知っている。

  そしてみんな知っている。

  帰ってきたナオちゃんは、もう僕たちのことなど覚えていないことを。

 

 

 

 

「さぁ、今日も体調管理がんばりましょう」

  目の前の真っ白い扉が開いて、僕らは真っ白い部屋から真っ白い大部屋に出た。

  そうして、少し汚れた服を脱いで、真っ白い服に着替えた。

  『僕』は年的にも筋力がまだまだ幼いので、筋力に関しては楽が出来る。

  それに比べて、『タケシさん』は格闘技の選手らしく、タケシさんは毎日他の人たちとは比べ物にならないほどの体調管理をこなしている。

  『ユウさん』は筋力は歳だからいらないものの、体力が落ちると病気の元になるし役に立たなくなってしまうので、今日もランニングに付きっ切りだ。

  することがない僕は、この時間の後の食事を楽しみに思いながら、ナオちゃんが帰ってきてくれることを願っていた。

  ナオちゃんと話すことが、この時間の楽しみだったから。

 

 

 

  食事の時間。

  一切の有害な物の入っていない、低カロリーの四角く硬いモノ。

  これが僕らの食事だ。

  硬いものを食べられるようになった瞬間から、歯がなくなるまで、僕らはこれを食べ続ける。

  朝、昼、晩。

  一日三食。

  お腹に入った感触を味わいながら、僕はそれを20分かけてゆっくり食べた。

 

  もう食事も終わりかけていたその時。

「7537YUU、起立」

  部屋の順番通りに座っているから、隣のユウさんが立ち上がった。

「7537YUU、ここです」

  ユウさんは立ち上がって、姿勢を正して動かない。

  でも、隣に居た僕はわかった。

  ユウさんは、少し嬉しそうだった。

「よし、こっちに来い。その他のものはいつも通りだ」

  ユウさんは少しこっちを見てにこりと笑った後、一歩一歩確かめるようにゆっくりと歩いて行った。

「願いがかなって良かったな」

  隣に居たタケシさんがそう言うと、

「頑張って生きるもんだね」

  なんて、笑顔で帰ってきた。

  ユウさんは、係りの人に連れられて、真っ白い扉から出て行った。

  見送って、ふとさっきまで居た場所を見ると、一個だけ『食事』が残っていた。

  それを僕は周りを見渡してから、ぎゅっと掴んだ。

  入れる袋なんてないから、僕はそれを握り続けた。

  ずっと、握り続けた。

 

 

 

 

「聞いたか?」

  数日後、タケシさんが話しかけてきた。

「何がですか?」

「ユウ、処分行きだったらしいな」

  処分。

  それは、用済みになった『僕たち』を廃棄することだ。

  『ユウさん』のご主人は、僕たちの存在に否定的だった。

  そして、『ユウさん』に対して、ずっと説得をしていたと、ユウさん本人から聞いた事がある。

  ご主人からしてみれば、自分の願いがかなって、喜ばしいことなのだろう。

  でも、その願いがかなった瞬間、ユウさんの50数年の人生は、あっけなく幕を閉じた。

  処分と知った時のユウさんは、一体なにを考えたのだろうか。

  唯一の願いを、生きる意味を否定された瞬間、一体なにを考えたのだろうか。

  今までの人生を思い出したのか。

  ご主人を恨んだのか。

  それとも、何も思わなかったんだろうか。

  そんなこと、いくら考えたって、分かるはずもなかった。

 

 

 

 

 

 

  そうして、僕は繰り返しを過ごしている。

  タケシさんは、体調管理中に目を怪我してしまい、その日の食事からもう見ていない。

  僕の隣には今誰も居ない。

  そして、僕もいつか居なくなる。

  どういう死に方かはわからない。

  でも、いつか居なくなる。

  僕たちだって、壁の向こうで過ごしているあなた達と、なんら変わりない、『人』という種族のはずだった。

  何がどうなって、僕らは壁のこちら側で過ごしているのかは知らない。

  でも、世界がそうなっているんだから、それが正しいんだろう。

  その日部屋に帰ってみると、ユウさんの『形見』になってしまったアレは、元から無かったかのように消えていた。

 

 

 

  増えては、減り、減っては、増える。

  そのなか、僕はまだここに居る。

  怪我も、視力も、内臓も、何もかもが完璧な僕は、怪我をし、視力も落ち、内蔵も脂肪だらけになっている壁の向こうに住む僕よりも、下に住む。

  壁の向こうとこちら側が入れ替わりなんかしたら、全員が『処分』だろう。

  なんで、僕達は生きているのか。

  そんなこと考えたことが無かった。

  そして、考えようとして、やめた。

  僕らは生きているのではない。

  生産、養殖されている。

  傷一つ無い肢体を、健康そのものの内臓を、大切に育てる為のイレモノ。

  そう、習った。

  だから、そうなのだ。

  それが、全てなのだ。

 

 

 

 

 

  そして数日が経った。

  部屋で座っていると、隣の方から音がした。

  なんだろうかと思っていると、壁が二回、音を立てた。

「13945NAOです。よろしくお願いします」

  ナオちゃんが帰ってきたみたいだ。

  でも、僕の知っている、10772NAOとは別物の。

  少し間を開けて、僕は壁を二回叩いた。

「はじめまして」

「よろしくお願いします」

  こうして、ユウさんの部屋には、ナオが入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――、起立」

  僕だ。

  その場で立つ。

「よし、こっちに来い。その他のものはいつも通りだ」

  僕はナオに向かってバイバイと手を振った。

  ナオもそれに対して同じように手を振った。

  僕はそれを見て、歩き出す。

 

  一歩歩くたびに、僕は死というものに近づく。

  不思議なものだ。

  あそこに行けば、自分はなんにせよ死ぬ。

  それが分かっているというのに、何故僕は戸惑うことなく歩けるのか。

  そこに向えるのか。

  でも、その理由を見つけ出すには、あまりにも短すぎる距離でした。

 

 

  係りの人が僕を連れて歩き出す。

  後ろを振り向くと、ナオが僕の残した食事を、いや、形見を握っていた。

  意味が無いことを知っているのに、何故か僕は少しだけ、ほんの少しだけ嬉しかった。

  真っ白い扉が開く。

  僕はそこに向かって歩き出す。

  死というものに向かって。

  処分か、代わりか。

  なんだって、いいさ。

  開いたままの扉を眺めながら、歩き、そして、

 

 

――僕は、何のために。

 

 

 

  あぁ、これが、太陽なんだ――……

  

 

 

――生まれてきたのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

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