目が勝手に閉じていってしまう。

  力を逆に入れても、すでにそんな力も残っていないのか、言うことを聞く気が無いのか。

  でも、その閉じかけた瞳の先に、確かに、見えた気がしたんだ。

  そう、ずっと文句を言ってやりたかった。

  最後なんだ、言わしてくれないか?

 

「『会いたかった』と未練を持ったら会えないなんて……酷過ぎやしないかい? なぁ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

水平上下

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  あぁ――……

  後、右足でも、左足だろうと、一歩前に出せば。

  全部、終わり。

  

  もう慣れた街の喧騒も、随分前に慣れてしまった周りの陰口。

  見て見ぬフリする元友達も、すでに僕を見てない両親も。

  ――そして、それを日常として受け止めてしまった僕自身も。

 

  見えないし聞こえないし、存在しなくなる。

 

  最高だ。

 

 

  波飛沫が僕を手招きしているようにさえ見えてしまう。

  死ぬのは怖くない。

  死んでしまえば、怖いなんて感情もなくなるわけだし。

  何で怖いのかもわからない。

  だって。

  未練なんてものが、僕にはアリエナイんだから。

 

  潮風が髪をなびかせながら、体を押す。

  それに後押しされるように僕は少し考えて、利き足の右足で踏み切ろうかと思ったとき。

  「ねぇねぇ。死ぬの?」

  突然そんな声が聴こえた。

  後ろを振り向くと、そこには一人の女の人が。

「あ、やっぱ死ぬんだ。今流行? の、ジサツってやつでしょ。最近そういう人ばっかりなんだよねぇ」

  はぁ、なんてため息をつく彼女。

  一体何なんだろう。

  僕よりも少し年上な感じはするけど、そんなことでこんな偉そうに話しかけられる筋合いも無い。

  何より、いつからこんなところにいたんだろう。

「若者ー。死んじゃぁいかんよ。大志を抱かないと。いやぁ、あの演説は意味がわからなかった。なんせ英語だもの」

  意味わからないって英語だからかよー! なんて自分で突っ込みを入れながら本気で笑っている姿は、僕から見ても……痛い。

  そんな彼女を見ながらこの人の理由を考えた。

  ここは俗に言う、自殺の名所ってやつだ。

  名所になる理由なんて知らないけど、(死にやすい、なんて理由なわけないし)そこにいるということは、彼女も自殺願望があったってことだろうか。

  そして、やっぱり踏み切れずに戻ろうとしたところで僕を見つけて――

  なんだ。躊躇した人が、まだ死のうとしてる人を救ったフリして自分を救おうとしてるだけか。

  そう思うと……なんだろう。

  妙に粘っこい笑いがこみ上げてきた。

「……そういうあんたも、死にたかった口じゃないのか?」

  そう言った瞬間、彼女は抱え続けていた腹を解放して、すっと僕を見据えた。

  ――何でだろう。

  僕は、少し、それが嬉しいと感じてしまった。

「自分で自分を殺すこともできないような人に、大志なんて抱けないよ。英雄って奴らは得てして自己犠牲したがりの自殺願望の塊なんだから」

  もっと、この人を怒らしてみたい。

  怒らし続けたい。

  そうすれば……

「あの人たちはいいよな。死ぬことがカッコいいんだから。死ぬ場所を与えられて、そしてそこで死ねば皆から称えられ悲しまれ」

  僕は話し続ける。

  その間は、彼女は僕を見続ける。

  そう、見てくれる。

  怒りという感情を持ってして、彼女は僕を透かすことも無ければ、僕に何かを重ねることなく。

  ――死ぬ前くらい、いい思いしたっていいよな。

「僕だってどうせ死ぬならそんな死に方が良かったさ。道路に飛び出た子供助けて死ぬとかさ。あれはいいなぁ。でも、都合よくそんなことって起こらないもんだね」

  そこまで僕は息継ぎも惜しんで話し続けた。

  彼女は、こんな僕をどう見てるんだろうか。

  可哀相と、哀れんでいるのか。

  馬鹿な奴と、呆れているのか。

 

「そ、ね」

  少し間があって、彼女は口を開いた。

「ホント、死ぬってすーんばらしいコトだと思うわ。うん」

  予想外な言葉に少し脚気に取られつつも、彼女の表情が始めの時に戻っていることに気づいた。

「つらいことも、痛いことも、その『点』を通り過ぎれば終わり。おーわり。なーんだって無くなる。そう、何もね。
 無くなったコトさえ気づかない。気づけない。今まで生きてたときには当然のように感じていたものだって、感じることのできなかったものだって。
 築いてきたもの、してきたもの、考えてきたもの、全部がね、その一瞬でポイ」

  くくっ、と顔を歪めて皮肉っぽく笑う。

  何だこいつ。

  よく、わからない。

「『死ぬ』というのは、誰からも忘れられたコトを言うの、だから私はあなたのことを忘れないわ」

  両手を合わせて、前かがみのまま目を潤ませる。

  多分、死に逝く人の手を取っているシーンを真似ているのだろう。

「なんて言って。忘れていく人たちを私は沢山見てきた。仕事、家事、遊び、友達、恋人。そんなのに頭の容量使い切って、要らない物から捨てていくのね。
 時々思い出して、覚えている気になるの。思い出すっていう行動が、忘れていることを前提にしか有り得ないってことを知らないのよ、あいつら」

  はぁ、なんて溜息をつく。

  一体何なんだ。

  今まで見たことも無いタイプの人間だ。

  タイプ、というか、思考か。

  何なんだろうか……なんて言えばいいのか。

  まだ良くわからない。

  ただ、自分の中にある、相手を良くわかりたいという感情が、久しぶりな気がして、少し気持ち悪かった。

  そんなことを考えているのがばれたのか、関係ないのか。

  彼女は言葉を止め、少しにこりと笑った。

  今まで生きてきた中で、僕の心臓を一番跳ね上げた瞬間だった。

「この世で言う、天使、もしくは死神とか……信じる?」

「は……?」

「それとは少し違うけど……そうだな……『死』ってのが、行動、行為じゃなくって『物』だって言ったら……信じれる?」

  意味がわからない。

  例えば、とか言ってくれれば少しは分かるものなのかもしれないが。

  そんなこと考えたことあるわけ無いだろう。

  死んだことなんて、無いんだから。

「そうよねぇ……意味わからないか。今まで分かった人なんていないしね。はぁー……なんで私もそんなこと話すんだろね? ははっ」

  ズキリ。

  と、確かに聴こえた。

  今、分かった。

  彼女、僕と同じだ。

  誰からも見られていない。

  誰からも相手してもらえていない。

  自分は一人だと諦めていて。

  それでいて誰かに分かって欲しくって。

  気づいて欲しくって。

  心の奥底から大声出して。

  誰にも聞える筈なんて無いのに、皆が気づいてくれないとやっぱり諦めて。

「私はね、あんた達の世界で言う『死』ってやつ。自己紹介で、始めましてー! 死でーす! ヨロシクネ☆ なんて言えばいいのかな? どう? 怖い?」

  多分、普通の人がこんなこと聞いたら、頭おかしい人としか思わない。

  でも、不思議だ。

  僕は、すんなりとそれが、『そうなのだ』と受け入れることができてしまった。

  それは……僕と彼女があまりにも……

「私が、あんた達を連れてくの。死後の世界ってとこに。ただし、条件あり。未練が無かった人のみね。
 未練が残っちゃうと、私とは違う部署のもんが未練解決して上へ連れてってくれる。『死』とはかけ離れた世界にね。ま、あれのほうが幸せだからいいとは思うけど。
 んで、未練無いのって自殺者くらいなのよね。いつ死ぬか分からないから未練が残るけど、自殺する人って、死ぬとき分かるし、何より――」

  そう、全てに諦めてるから。

「あんた、このご時世珍しいわよ? 最近の自殺する人って結構この世を恨みながら死ぬから、仕返ししてやりたいとか思いながら死ぬのにさ。
 あんたには何も無い。何も。怖いくらいに」

  彼女が僕を見る。

  僕は彼女を見る。

  それだけで、なぜだか心が軽くなる気がする。

「『死』さんに怖がってもらえるとは、光栄です。んで、僕も少しは怖がったほうがいいのか? 誰かを恨んだほうがいいのか?」

「違う」

  いきなりの切り返しに少し驚く。

  でも、そんなことは表情に出さずに、彼女の話に耳を傾ける。

  そう。

  少しでも彼女のことを、知りたいから。

「ねぇ、あんた。生きてみようとは思わない?」

  そして、その言葉に、僕は意外にも感情を波立たせることは無かった。

  何でだろう……

  今はまだそれには気づかなかった。

「死はね、誰からも忘れられること。私という存在を考えずに行動として考えるならばそれは本当にそうだと思う。
 それを考えた人、本当に死について考えた人なんだろうね。それで死んでなきゃいいけど」

  少し笑って、もう一度彼女は『顔』を見せる。

「『死』ってやつなんだから当たり前かも知んないけどさ。私は……ずっと『死』んでた。
 立って、歩いて、時を過ごす。それだけ見れば私は生きてるように見えるのかもしれない。
 でもね、私は誰にも覚えてもらってなんかいない。忘れられるなんて言うことじゃなく。私を知った人は皆、そう」

  死んで、しまうから――

 

 

 

「――だから、僕に、生きろって……?」

  そう言うと、彼女は一度頷いた。

「今までは、誰にそう言ったって、皆死んだ。だって、皆この世に愛想尽かしてんだもん。
 突然ぽっと出てきたような女が数分話したところで、その人の何年かもの意思には敵わない。
 だから……諦めてた。ずっと、もうこれからも私は一人で、そして『死』んでるんだって。
 でもね――」

  彼女は僕の目を見る。

  その視線と僕の視線を絡めて、じっと待つ。

  彼女の言いたいことは分かっている。

  でも、その言葉を彼女から聞いて、安心したい、なんていう気持ちが僕の口を閉じさせた。

「あんたなら、叶えてくれるかも、って。なんかそう思えた」

  その笑顔に、僕はさっきの新記録を旧記録に塗り替えた。

  多分。彼女も僕と同じことを感じているんだろう。

  僕と、彼女があまりにも似すぎていて。

  そしてそれを嬉しく思っている。

  そう。

  心から、泣き出しそうなほどに。

 

  遠い昔に、泣き方なんて忘れたと思ってたのに……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「分かった、死ぬのは止めるとします」

  と、顔を上げる。

  そこには

「……そ、か」

  もう、誰もいなかった。

  最初から誰もいなかったみたいに。

  草木は潮風に負けないようにうまい具合に体を揺らして立っている。

  彼女の立っていた部分の草は、少しだけ折れ曲がっていて。

 

  飛沫上がる崖を背にする。

  もう、彼女には会えない。

  生きたいと願ってしまったから。

  死のうとして、出会って、そして僕は生きることにした。

  そして、その選択は生きながらにして、彼女とはもう会えないということ。

  でも、それは見ることができないと言うことであって、死んでしまったわけではなく。

  もしかすると、僕のすぐ後ろでまだ泣いているのかもしれないし。

  クサイ台詞にはなるが、彼女は生きているんだ。

  僕の心の中で、僕が忘れない限り。

  そして僕は忘れることは無い。

 

  だって、好きな人を忘れるコトなんて、できるはず無いだろうに。

 

  でも、ただ単に『好き』とはちょっと違う。

  自分でもよく分からないけど、そう感じちゃったんだから仕方がない。

  

 

 

 

  もしも、最後に会えるのなら文句の一つ位言ってやろうか。

  人を好きにさせて生きたいと願わせるなんて、卑怯じゃないか、って。

 

  それでも彼女は笑うんだろう。

  そして、その笑顔を見るたびに僕は記録を塗り替えて。

 

  今日一番の風が頬を打つ。

  潮の香りを多量に含んだそれは、僕の記憶に深く刻まれる。

  ここにある全てのものが、彼女のいた証拠になって、そして僕の記憶になる。

  彼らも、僕らのことを覚えてくれてるのかな?

  そうなれば、彼女の人生も捨てたもんじゃない。

 

 

  さぁ、今頃遺書なんてものを見つけて珍しく親が慌てているかもしれない。

  それを笑ってやるところから僕の新しい人生ってのを始めてみようか。

 

 

  うん。

  大丈夫。

  僕は頑張れる。

 

 

  死ぬためにあった右足は、今、生きるために一歩を踏みしめた。

  その勢いを無くさないように歩き続けた。

  一度でも止まったら、もう一度歩き出すことができなくなりそうな気がしたから。

 

  それでも、僕はやっぱり一度振り返った。

  よく見ると、本来僕がいたはずの崖下の海は、遠く水平線にしか見えなくなっていた。

  視線を数千キロメートル手前に持ってきて、僕は手を振った。

 

「また、会おうなー」

 

  そう。

 

  僕が死ぬ、その時に。

 

 

 

  絶対に叶うことの無い恋。

  バッドエンドしかありえないストーリー。

 

  それでも、僕は歩き続ける。

  右足が、それを望んだから。

  彼女が、それを望んでいるから。

  そして、

  自身が、それを望んでやまないから。

 

 

「ふぅ……どうせなら、早死したいもんだな」

 

 

  さぁ、未練が残らないように死ぬために、生きてみようか。

 

 

 

 

 

 

 

 

  やっぱり、右足から歩き出す僕に、彼女が笑った気がしたのは――――うん。

 

  きっと、そうなんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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