………イヤだ。

  また、目の前で人が死んでいくのはイヤだ。

 

  ヤクは、マホゥの力無い腕をそっと床に下ろし、その場に立ち上がった。

「……ヤ、ヤク……?」

  彼女は首を持ち上げる事さえできないのか、上目使いで彼の顔を見る。

  その状況を、奥歯を噛み砕きながら彼は見下ろした。

 

  何に怒っているのか。

  彼女を助けられない自分か。

  否。

  卵を使って薬を作った彼女にか。

  否。

 

  この家にはありもしない、卵を使ったと言った、彼女に。

「何で、そんな嘘を……?」

  その言葉に、彼女は目線を下げる。
 なにか、いけない事をしているところを親に見つかった子供みたいに。

「………逃げるんですか」

  と、彼は言った。

「逃げれると、思ってるんですか……っ!」

  ぶつっ、と。

  握り締めた手のひらから血が。

  床に落ちたそれを眺めながら、彼女は薄く笑う。

「逃げるんじゃ……ない……。私は……もう……償ったもの……。だから、今度は自分だけ助かった罪を……償うのよ……」

  そう語る彼女は、どこか、幸せを帯びているようにさえ見えた。

  しかし、その返答に用意されたその言葉は、

「いいえ。マホゥさんは罪なんか償ってません」

  ぐさりと、彼女の心に刺さった。

「え……なん、で……そんなこと言うの……?」

  今にも消え入りそうな声。

  喉の振動によって作られるそれは、喉の振動さえ許さない筋肉によって潰されかけていた。

「だって」

  先ほどは彼女を突き刺したその声は、

「最初から、罪なんて、背負っていませんから」

  同じ声とは思えないほどに、優しくて。

 

「さぁ、マホゥさん。飲みましょう。あなたはまだ、仕事が残ってます」

  水と、薬を、ゆっくりと彼女に流し込む。

  彼女の作った薬はいつも即効性がウリだ。
 なので、今回だって、すぐに効いてくれるはず。問題は、この薬に耐えられる程の、体力が残っているか、だ。

  咳き込んで、一度飲み込んだ薬がもう一度口の中に。

  それを、何度も何度も、子をあやす母のように。

「ほら、僕を預かったからには、一人前の後継者に育ててくださいよ」

 

 

  そうして、彼女は、束の間の眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

「ヤク……?」

  目覚めた彼女は彼の名を。

 

 

「あ、起きましたか」

  それに対するいつもの返答。

 

 

「どうしたんですか?」

   この台詞を言うのはやはり彼で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんにちは。さて、早速ですが病状は?」

  その後、彼自身も薬師になる。

  いや、も、と言う表現は正しくないか。

  現在、彼女は既に違う方法で人を救おうと研究を繰り返していたのだから。

 

「……なるほど。スミマセンが、これはまだ薬のできていない病気ですね」

 

  自らの作った薬によって命を繋ぎとめたマホゥは、昔のように歩き回る事ができなくなっていた。

  薬を処方するのが遅すぎたためである。そして、歩くどころか、全身に軽い麻痺状態を後遺症に残してしまったのである。

  この状態では、細かい作業を必要とする薬師は無理だと、違う方法での治療に手を出したのだ。

 

「あ、いえ。助からない、というわけではないんですよ。……しかし、まだきっちりと確立できていない分野でして……」

 

  そうして、二人は小さな丘に、二人の家を作った。

  診療所、という言葉はまだできていないこの頃、おそらくは始めての試みだろう。

  患者は何かおかしい事があれば、自らの足でここに赴き、病状を報告する。

  そして、ここでそれに対する薬をもらう。ここで、既に現代に通ずるものがあるのは、奇跡なのかもしれない。

 

「はい、それでも良いんですね。分かりました、それではこちらへ」

 

  彼は、今回来た患者を奥の部屋へと。

  そこに居たのは、相変わらず、本を読み漁っている彼女の姿が。

 

「マホゥさん。患者ですよ。運が良いというか、運が悪いというか……とりあえず最近完成したばっかりの奴で効く筈です」

 

  患者は少し心配そうな顔をヤクに向けた。

  それも仕方が無い。連れて入ったこの部屋は、いかにも何かが出そうな、いや、マホゥ自身がその出そうな何かに見えたのかもしれない。

  そんな彼女は、ヤクの声を聞くと、ゆっくりと椅子を回してこちらに顔を向ける。

  その顔は、なんと言えば良いか……おもしろいおもちゃお与えられた子供、とでも言えば良いのか。

 

「大丈夫、こっちに座って。すぐ終わりますから」

 

  彼女の顔を見たとたんに怯えて逃げてしまいそうな患者を部屋の中心にまで連れて行く。

  そこにあった椅子に座らせて、自分自身はその場から離れた。

  唯一の心のよりどころのヤクが離れた事により、患者は今にも泣き出しそうな顔を。

  逃げ出したいのかもしれないが、足が言う事をきかないらしい。ガクガクと震えて、脳からの指示に首を振っているようにさえ見えた。

 

「じゃあ、始めるわよ」

 

  彼女の声に、恐怖心がさらに累積される。

  普通に聞けば、優しい部類に入るはずのその声は、今の状況で、どう聞けば悪魔の声に聞こえずにすむのか。

  下を向いて、諦めに近い患者の目に飛び込んできたのは、床に画かれた無数の模様と幾千もの文字。

  その不気味さ文に表すこともできず、患者も声に出すことさえできず。

 

 

  患者が最後に見たのもは、瞑った目の奥に焼きつくほどの、眩しい光だった―――

 

 

 

「はい、お疲れ様」

  ヤクの声が患者の頭に響く。

  ゆっくりと目を覚ました患者は、自分が無事な事に安堵を覚えると同時に、不思議さも感じていた。

「病気は、無事に治りましたよ。あ、お代は良いです。研究に参加してくれたってコトで」

  頭上にクエスチョンをつけながら、患者は診療所から出ていった。

「マホゥさーん、怖いからああいう顔するのやめましょうよぉ」

「何言ってるの。折角来てくれたんだからナイスな笑顔で迎えてるってのに、怖いとは何事かっ」

  そう言って、二人は笑いあう。

  こうやって、特に二人で何をするでもなく、いつもどおりの関係で二人はこの時代を生ききるのだった。

 

 

 

 

  そんなこんなで、新たな治療方法は確立してゆく。

  しかし、今の世にそれは既に無い。無いというか、できないのだ。

  昔にあって、今に無いモノ。それが必要なのだが……それが何かは分からない。既に無いのだから。

 

「そうだ、今回の治療方法、名前は何に?」

「ん、昔のにはヤクの名前をつけたから……」

 

  まぁそれが何かは関係が無い。しかし、確かにあったのだ。

  証拠? ああ、あるとも。

 

「今度は、私の名前をつけようかな。  『マホゥ』 ってね」

 

  そう、『魔法』という名前よって受け継がれているではないか。

 

  遠い昔の遠いところで作られたその言葉は、

 

  遠い未来のこんなところにまで――――

 

 

 

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