「リンゴ剥くのて意外にむずいねんなぁ……」

「ほらぁ、ちゃんと練習してきぃって言ったやろ〜? も〜、うちのリンゴたちがぁ……」

  ベッドの上で笑いながら、皮なのか実なのか分からない事になっているリンゴを剥く俺に文句を言ってくる彼女。

「ちゃうねん。やっぱ見舞い品言うたらメロンやろ?
 せやから俺はメロン剥くん練習してきとったわけや。なのに、や。なんでメロン無いかなぁ」

「メロンは剥かんやろ」

 ん〜…確かにあれは『切る』やな……。またやってもた……。

「ちっとは彼女みたいな事言ったらどうやねん。そろそろ泣くぞ」

「じゃあ彼氏みたいなこと一つはしたらどないなん?」

  剥き終わったリンゴを皿にのせ、そのうちの一つをフォークで差し彼女の口に近付ける。

「はい、彼氏らしい事。口開けぇ」

「ん、ありがと。でも、それってどっちかって言うと彼女らしい思うで」

  リンゴ頬張りながらまたいちゃもんつけてくるし。ホンマに〜……

「むっちゃうまいで。一個食べてみ? ほら、あ〜ん」

  軽く不機嫌な顔をしていると、さっき俺がやったようにリンゴを近付けてきた。少し恥ずかしがりながらそのリンゴを口の中に入れる。

「うっま!」

「やろ!? にしても『あ〜ん』ってされて顔赤するなんて……おもろいわぁ」

「っ! この……!」

  ふざけて怒ったときにいつもしていたくすぐり。それをしようとした。が、ためらう。
 彼女の体につけられた自由を奪う細長い管。半袖の腕から見えるいくつもの注射の痕。
 そして、何よりも、つい最近まで元気に走り回っていた姿からは想像できない、細く、自由に動かなくなった脚。

「……あ〜、やめやめ。やっぱお前と付き合お思うとホンマ体力いるわ」

  椅子にドンっと座りなおす。それを見た彼女の顔が少し沈んだ気がした。

「へへっ。……ゴメンな。うち、こんなんになってもて……」

「気にすんなや。俺はこういうか弱い彼女の方が好きや。これからもずぅっと一緒に笑ってすごそな、約束やで?
 なーんて言ってくれた、付き合って最初の頃はこう、おしとやかやったのに。その後の誰かさんといえばそりゃもうすごかったからなぁ……」

  腕を組んでうんうんと昔の事を思い出すふりをする。そんな俺に拳の雨が降ってきた。

「この甲斐性無しはそんなことを言いよるかぁ!」

「そ、それがアカンゆうてんのやろが〜!」

  椅子から立ち上がってベッドから遠ざかればこの雨からは逃げることは容易にできる。
 でも、それはしなかった。少しでも明るくいて欲しいから。
 窓に映る景色をバックに落ち着いて少し怒りながらも笑う彼女を見ると、いつに無く綺麗に見えた。
 外から差す木漏れ日が彼女を照らす。彼女が窓から空を見上げる。
 椅子から立ち上がり、身をのりだして彼女の顔の隣に自分の顔を持っていく。同じ景色を見たかった。
 そんな俺を横目に見て笑い、そして向かい合って、額をくっつけて今度は笑いあう。
 すると、彼女が目を瞑った。

「……。まじで?」

「女の子に言わせんなっ」

  一度開いて俺の目をじっと見てくる真っ黒な瞳。俺はまた少し恥ずかしがる。

「わかったから目ぇ瞑れ」

  にっと笑った後また目を瞑った。軽く深呼吸した後、「まだぁ?」と文句を言おうとした口を塞ぐ。
 心臓を口移してしまいそうなほど緊張していた。
 ゆっくりと顔を離し、互いに見つめ合う。二人の顔が自然とほころび、笑いあった。

今度は二人で顔を赤くして――

 

約束

 

  病院までの長い上り坂。降りずに自転車をこぎ続ける。制服のズボンが汗でべた付く。
 顔を上げると病院の後ろから差す赤い光が目に痛かった。

  自動ドアが開き、涼しい空気が後ろに通り抜けた。
 まっすぐ進んで、受付を通るときに顔見知りになった看護婦さんに挨拶をして階段を上る。
 最後の一段を上り、息を整え、彼女の病室に向かおうとすると突然誰かに名前を呼ばれた。
 声のしたほうに顔を向けると、医者……院長さんがこっちこっちと、手を動かしていた。
 なんやろ……と思いながら軽く一礼をした後、少し駆け足で院長さんの元へと向かった。

「今から言う事は、君の彼女の両親からも許可を貰っている。というより、君には知っていてもらいたいとの事だ」

  明かりが消えていて、レントゲンを透かすための明かりだけがある薄暗い部屋。
 そこにあった背もたれのある医者用の椅子に院長が座って、背もたれのない、丸い形の椅子に俺が座って一息ついた後、
 突然院長が切り出してきた。

「……彼女の足は、もうすぐ完全に動かなくなる」

「……………。え?」

  言葉が出なかった。言いたい事はたくさんあった。でも、全部乾いた喉に張りついた。

「このレントゲンを見てく…………」

  目の前にいる男が何か喋っている。うるさい。今俺は考え事をしてるんや。黙ってくれ。
 今、なんて言ってた? 足が、動かなくなる? 何言ってんだ。前、院長自身が俺達に言ったんや。
 リハビリをちゃんとすれば歩けるようになるよって。だから、俺達は……なのになんで……何で!!

「何でや!」

  気がついたら俺は目の前の男の胸座を掴んで、叫んでいた。

「何言ってんねん!? 治るって言ってやないか! 歩けるようになるて! それが、完全に動かなくなるだぁ!?」

 男は胸座をつかまれたことには動じなかったが、オレの言葉から顔をそらした。

「嘘やろ? 嘘って言えや!」

  顔をそらしたまま、顔はどんどんと険しく、眉間に何重ものしわを寄せた。
 しわが増えるごとに、俺の希望が否定されている気がした。

「嘘って……言ってくれ……。お願いやから、言って…下さい……」

  体中の力が抜けて男の胸を、掴んでいた手が滑り落ちていく。
 それと同時に俺の体も崩れ落ちた。男は無言のまま机に体を向けた。

「彼女は……知ってるんですか……?」

  少し――どれくらい経ったか分からないが自分の意志とは全く違う弱々しい声で訊いた。
 院長は机に向かったまま、無言で首を横に振った。それを確認した後、ゆっくりと立上がり、部屋から出ていった。

  ドアの前でいつもの顔を作る。両手で、両頬を二回叩いて気合を入れた後、『よっしゃ!』と心の中で、更に気合を加えた。
 いつになく緊張してドアノブに手をかけた。その手は、音を立てて震えていた。

「おーす。死んでへんか〜? 高校からの直行便で来ましたでぇ」

  部屋のドアを開けての第一声。彼女は外を見ていたのか、振り返って一瞬嬉しそうな顔をした後、
 さっきの言葉に対してのツッコミを入れるべくむっとした顔になる。

「あ〜……。なんか今病原菌が入ってきたから、うちもう無理やわ……」

  ベッドに寝転がってむこう側を向き、布団を頭まですっぽりとかぶりながら言ってきた。

「無理とか言うなや〜。ほらほら、顔見せんかいな」

  ベッドの横まで歩いて、そばにある椅子に座る。そんな俺を彼女は、
 かぶった布団から不思議そうな表情をした顔だけを覗かせてきた。

「……どないしたん? いつもみたいになんかボケたりツッコんだりせぇへんの?」

「そないに毎日毎日新鮮なボケをご提供できますかいな」

「……まぁええわ。せや! なぁなぁ、聞いて! 今日な、おもろいことあってんよ!
 あんなぁ、今日庭におったら、えっちゃんがな……あ、えっちゃんっちゅうのはこれくらいの身長の………」

  うんうん、と作業のように頷きながら、意識は彼女の脚に向いていた。表情をころころと変える顔。大げさすぎるくらいに動いている腕。
 これだけ色々なところが自由に動いているのに、動こうとする意志さえ感じる事ができない脚。
 ベッドの上に横たわる、真っ白なシーツに包まれた二本の棒。
 なんで……なんでこいつがこんな目にあわなあかんのや……

「……お〜い。なんか返事しぃやぁ。ちょっと今日おかしいでぇ?」

  俺を心配しての一言なんだろうけど、俺の事をちゃんと分かってくれてないような気がした。
 彼女が、院長と話した内容なんて、分かるはず無いのに。

「あ……。い、いやいやいや! 何でもございませんよ? ささ、続けて続けて」

「もー終わった! ホンマにどないしたん!? 可愛い彼女の話ぐらい聞いたってええんちゃう?」

「せやな、可愛いかどうかは置いといても人の話はちゃんと聞かなな。悪い悪い」

  そう言うと彼女の顔が少し明るくなった。

「や〜っと、ボケてくれたなぁ。安心や。なんか考え事あるなら言ってぇやぁ?」

「大丈夫や。ちょっと病原菌がうつっただけや」

「病原菌て……うちか」

「違うんか? てっきりそうとばかり思てたわ」

  はぁ、と溜息をついて上目使い――といっても睨んでるわけだが、それで俺を見てきた後、もうええわ。
 と漫才の終わりを告げる台詞を言った。そして彼女は言葉を続けた。

「ほな、そろそろリハビリしよ? なんか最近、リハビリしてんのに立てる時間どんどんみじかなってる気ぃするからなぁ。
 今日はちょっと気合入れなな!」

  ベッドから手を伸ばし、車椅子を自分の横に持ってきて、そしてそれに移ろうとした。
 でももし、今日彼女が立てないところを見せられたら、これからも変わらずここに来れる
 自信が無くなってしまう。そんな気がした。

「あ〜、あのさ、今日はリハビリせぇへん方がええ思うで? ほら、最近時間みじかなってる言うたやろ?
 多分それは疲れが溜まっとんのや。やから今日はお休みや」

  彼女から車椅子を奪い取るように引き離し、ベッドから歩かないと届かない距離まで離した。
 そして、引き離すときに彼女は車椅子を掴んでいた手を離せず、ベッドから落ちてしまった。

「なにすんの!? も〜、そないにいきなり引っ張らんでもええやないの……」

  彼女は意外に怒ってはいなく、俺は心の中で心底安心していた。
 ……でも、代わりに院長の言っていた台詞の重さを思い知らされる事にはなった。

「あれ……。足に、力が、は、入らへん……。手伝ってくれん?」

  彼女は座り込んでいた床から両手をベッドにしがみつかせて上がろうとしていた。
 しかし、両の足が今までとは違って動かないのだ。少し前まではこれくらいならできたはずなのに、だ。
 オレの不安をわざわざ証明してみせているようで院長の言葉が何度も俺の頭の中を木霊した。
 それを振り払いたかった、が、目の前にいる彼女を見ると、ずっと昔から繰り返してきた覚えごとの様に、頭からは消える事が無かった。
 彼女と目が合い、あ、と意識を取り戻し、彼女を抱え込んでベッドに座らせた。
 座った後、彼女は曲がっている脚を、手を使って伸ばした。そんな動作が、何故かとても腹立たしかった。

  その後も他愛無いバカな話をした。できるだけ普段通り。と意識して。


  ほな明日ね。おう、じゃな。といつもの言葉を交わして部屋から出た。
 大丈夫。完璧な笑顔で返事をできた――はずだ。


  後ろ手にドアを閉めた後、ドアにもたれ掛かりながらその場に座り込んだ。
 嘘をついた。昔、彼女との約束で、お互い嘘つくんは禁止! と言う事になっていたので、久しぶりに言った。
 でも……ついて良い嘘と悪い嘘があるなら、これはついていい嘘だと思う。そう思った。思う事にした。

  それにしても、何も知らない彼女の、その何気ない一言一言が――痛かった……

  階段を下りるときに院長の部屋が目に入った。淡い期待が俺の頭をよぎった。
 もう一回、ちゃんと聞いてみよ……

「あの……ホンマのホンマに彼女の脚は動かなくなるんですか? 手術とかじゃ無理なんですか?
 えっと、なんか必要なら俺の体のなんか使ってもらってもええんです。
 なにか、万に一つでも、もう一度立てるようになることはできないんでしょうか?」

  前と同じように薄暗い部屋に、前と同じように座った。でも、今度は俺から切り出した。
 そして両膝に置いた手に体重をかけて身を乗り出すと、院長は真っ直ぐ俺の目を見てきた。

「残念ながら、今の医療の技術ではどの国に行っても無理なんだよ……。
 少しでも希望が残っているなら私達、医者はあんな事は言わないよ……。すまないね……」

  そうですか……失礼します。と言った時、俺の両手は膝から血が出るほどに強く握り締められ、小刻みに震えていた。
 不思議と……ショックは少なかった。どこかで、『もう無理だ。どうせ他人事だ』何て思っている自分に苛立った。
 鼓動と同じ早さの膝の痛みだけが俺を正気で保たせてくれた。

 


「お〜す! 今日も来てやっ……」

  目の前に広がる光景に、意識を全て持っていかれた。いつも彼女の足を包んでいる白いシーツは真っ赤に染まっている。
 床やベッドにもそれは飛び散っていた。視線を彼女の方へと持っていくと、手には赤く染まった果物ナイフが握られていた。
 外を見ていた彼女は、俺が入ってきたことに気づき、頬にシーツと同じ色を付けた顔で無機質に笑った。

「あ、来てくれたん? ありがとうな。そうそう、見て? この足な、何しても痛くないんよ? すごいやろ? うち、スーパーマンになってんよ?」

  彼女の声を聞いた俺は、はっと我に返って駆け出した。入り口から、彼女の元への短い距離を全力で走った。
 乾いてくっついていた上下の唇を力いっぱいに引き離した。

「な……なにしてんねん! こんなんしたら、歩けへんようになってまうやろ!?」

  彼女の頬を両手で持って大声で叫ぶ。そんな俺に彼女は表情を変えずに言った。

「嘘ついたらあかんよ? 約束やろ? うち、聞いてもてん。昨日の院長と話。
 トイレ行こと思て出てみたら、院長の部屋入るとこ見えたから、何話すんやろ?
 って思て聞いてもてん。怒らんとって。盗み聞きやけど、怒らんとって」

 頬を持ったままの俺を見上げて謝ってくる。謝る顔は入ってきたときから変わらなかった。

「なんで……。何でこんなこと……」

「だって、うち、そんなつよぉないもん。もう、うち笑えそうにないんよ。笑おうしてみたけど、やっぱ無理やった。
 来てくれて嬉しいのに……笑えへん。ずっと笑って過ごせへん、約束守れへん」

「そんなん俺も破ったやろ!! 嘘ついたやろ!? そんなけの事でこんなんすんな!」

「そんなけの事……。うちは……そうは思ってへんよ……」

彼女の台詞に返事ができなかった。何でだろうか……。何も……言えなかった。

その沈黙の中、突然ドアが開いて誰かが入ってきた。

「今の騒ぎは一体な――」

  入ってきたのは院長。この状況を見て少しして、俺を腕で横に突き飛ばし、彼女に触りはじめた。
 ナースコールを押して、大声で何かを言っている。

  看護婦や、医者達がたくさん入ってきた。移動用のベッドも入ってきて、彼女はそれに乗せられて何処かへ連れて行かれた。
 それを俺はずっと横で座り込んで見ていた。
 両手には、頬についていた赤がつき、乾いて色が濃くなっていた。

 

 

  蝉の鳴き声が騒がしく鳴り響く病院の中庭。その鳴き声に負けないように少し大きな声で俺達は話していた。

「は〜、ホンマあの時はびびってんで? 今やからこうして普通に話せるけど。……普通でもないな。やっぱまだちょっと恐いなぁ」

  車椅子に座る彼女に、隣で地べたに座り込みながら話しかける。

「ん〜……。今日は気持ちええなぁ。こない暖かいと眠なってくるな。
 最近、接待で夜寝んのめっちゃ遅いねん。ちょっと昼寝しぃへん? どうする? ……イヤか〜。まぁお前がそう言うならしゃぁ無いな」

  立ち上がって、ズボンに付いた土を叩き落とす。次に手に付いた土を払って、車椅子の後ろに回って押し始めた。

「そうそう、明日は仕事も休みやしずっと一緒におれんで。嬉しいか? ん、せやろ。嬉しいやろ。ほなもうちょっと嬉しそうな顔してみよか」

  彼女の顔を覗き込んで、こうや、と俺が笑ってみせる。

「……できんか? なら無理すんな。ちょっとずつや。ちょっとずつ進んでいこ」

  車椅子を押しながら、あの事件後、歩けなくなる事、ナイフで両足を刺した事、
 それを知った両親がショックのあまり自殺未遂をした事……。
 色々な事が重なって一緒に喋ったり、笑ったり、悲しんだりできなくなってしまった彼女。
 それでも俺は話しかける。何度も何度も話しかける。

「俺らはまだまだ若いんやから。時間は数え切れんほどあるんや。な」

  空を見上げて、太陽のまぶしさに目を細める。下を向くと彼女も空を見上げていた。

  車椅子を押すのを止めて、座り込んで彼女の顔の隣に自分の顔を持っていった。同じ景色を見たかった。

 

  そんな彼女を横目に見て笑い、そして向かい合って、額をくっつけてみる。
 目を瞑らない彼女にそっと、昔にしたそれをする。自分でしておいて、照れる俺が体を起こして笑う。

 

 

――いや、笑いあったんだ。

 

 

 

 

  なぁ? そうだよな。

  これからも、ずぅっと――……

 

 

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