一度手を出しゃ大人になれぬ。

 二度手を出しゃ病苦も忘れる。

 三度手を出しゃ……


 一体どうなるのか、そんなコト、気にしたことも無かった。

 当たり前だ。そんなものが実際にあるはずが無いんだから。

 でも、俺はそれを気にせざるを得なくなる。

 全く持って――不幸な話だ。


















 無限にも思えた。

 そんな竹が、月の光を遮る。

 全くといっていいほどに光の差し込まないこの竹林は、それはもう格好の肝試しスポットになる。

「予想以上だな、これは……」

 今や命綱と言っていい懐中電灯の光。

 それがなんともか細く弱い。

 これが自分の命を守るものだと考えると、えらく頼りない。

 というか、これは流石に弱々しすぎやしないか。

「あ、え。うそ」

 切れた。

 命綱。

 とたん、目の前に集まるは黒。

 竹の青々しさなんてまるで冗談だったかのように、それは目の前に広がった。

 とてもじゃないが、これは歩けない。

 いや、とてもじゃないなんてことはない、とても歩けない。

 とりあえず目が慣れるまではじっとしておこう。

 そう思って、目を閉じて腰を下ろす。

 そうして数十秒は経ったか、本当に少しだけの月明かりを頼りに、俺の目は竹を映した。

 これなら、戻るくらいはできそうだ……。



 迂闊だった。

 目を瞑るんじゃなかった。

 ついでに楽しいこととか想像するんじゃなかった。

 どっちが戻る方向だ……。

 完全に。

 迷った。




 それでも、歩き出さないことには何も始まらない。

 こういう時はじっとして助けを待つほうがいいとは言うが、そんなことをしているほど余裕も無かった。

 あぁ、そうだ。携帯が……うん、圏外だ。

 肝試しスポットであるここが、携帯が普通に繋がるだなんて、そんなイメージぶっ壊しなようなことはないか。

 そう、だからこそ、俺は戻らなければいけないんだ。自身の足で。





 手を切ったりもした。

 竹と言うのは、案外ささくれがあるものなんだと知った。


 足を挫いたりもした。

 この暗闇で足元が見えるはずも無い。



 一歩、また一歩と歩を進める。

 正直どの程度進んだのかなんて分かるはずもない。

 何処に向かってるかさえ分かってない状況なんだ、そんなものが分かるはずもない。



 一歩、また一歩と歩を進める。

 真っ直ぐ進んでいるのか。

 もしかして同じ所を回っているだけなんじゃ? そんな感覚に襲われる同じ景色。


 一歩、また一歩と歩を進める。

 どの位歩いていたのか、もう日が昇る頃なんだろうか。

 疲れ果てて、精神的にももう精魂尽きたと思った。

 そんな時だった。

 明かりを、見つけたのは。





 戻ってこれた。

 最初はそう思った。

 挫いた足を忘れ、血の出る指も忘れ。

 走った、それの元へと。

 その間の記憶が飛ぶほどに。



「で、お前は誰だ?」

 明かりの正体。

 それは懐中電灯の明かりでも、電灯の光でも、もちろん幻なんかでもなく。

 焚き火の炎であり、そしてそれをくべる一人の少女だった。

「え、あの、えと、迷った……んです」

「こんな丑三つ時に、人間一人でか、何してるんだか」

 呆れたように、というか呆れたんだろう。

 わざとらしく溜息を吐いて、俺を横目でちらりと見やる。 

「懐中電灯の電池が切れてしまって、あぁ、肝試しをしてたんで……」

「懐中電灯? なんだそれ? というか肝試し?」

 その瞬間、焚き火の炎が燃え盛った。

「そうか、お前、あいつの使いか」

 いや、そうじゃない。

 焚き火じゃない。

「ただの人間に見えるが、確かにここらの奴とは少し違うように感じる」

 彼女が、燃えていた。

 背中に、炎の翼を生やして。

「さて、二人で来られた時は負けてしまったけど、一人相手なら……」

 まるで、昔、本で読んだ。

「さぁ、勝負をしようか」

 不死鳥のように、彼女は燃えた。


 燃え盛る少女。

 それに見とれたかのように動けなかった俺。

 そして俺の視界は赤く染まっていった――。














 俺は寝ていたのか。

 夢で見ていたらしい光景を思い出しながら、あれが本当なら死んでいたよな、なんて笑う。

 そして起きようと思い、体を起こす……はずが。

「いっ……てえええ!」

 全身に走ったのは鋭い痛み。

 何が起こったのかが全くわからないうちに、俺はまた布団へと体を倒すこととなった。

「何してるんだ……。無理せずに寝とけ寝とけ」

 声の方に顔を向けると、そこには夢で見た少女が。

 反射的に、俺は身を縮めた。

 それを見た彼女は、少し気まずそうに顔を歪めた後、近づいてきた。

「あぁ、すまなかったよ、悪かった。でも、あんなところにあんな時間に来て」

 そして彼女は怒ったように、そして照れたように俯く。

「肝試しなんていうから、勘違いしてしまったわけでだな――」

 その動作が拗ねてるみたいで、可愛く見えてしまった。

 あぁ、あれは。

 夢じゃなかったのか――。

「いや、俺も突然夜中に女の子に話しかけたのも悪かったです。すみませんでした」

 と、あれが夢じゃないということを思い出し、そして目の前の女の子に……そう。

 殺されかけた、っていうことさえ、忘れ、そして許せるほどに――。

「それにしても、よくここまで来れたな。結構な妖怪どもが居たと思うんだけど」

「妖怪……? あれ、ここホントに出るんですか……?」

 出る? と不思議そうに頭を傾け、そりゃ、出るだろう。と続けた。

 そんな当然なように出るのだったら、肝試しの名所になるのは当たり前か。

「何を訳の分からないことを言ってるんだ。最近の人間ってのは妖怪も見たこと無いのか?」

「見たことある人の方が少ないと思うけど……。妖怪なんて、昔話でしか聞いたことないですよ」

 そんなだから妖怪の威厳が等と一人でぶつぶつ言っているが、そういう彼女も、そうだ、炎を――

「あ、あの。昨日の炎は……一体なんなんです? もしかして――」

 と、続けて、その続きが喉から出る前に、彼女がそれを封じた。

「私は人間だ。妖怪と一緒にするな」

 よかった。妖怪だとしたら、元気になったところを食われたりとか、そういうことがあるのかと心配してしまった。

「失礼なこと聞いてすみませんでした。じゃああの時の炎は見間違いだったんですね……」

 そう言うと、彼女はまた困ったように顔を背け、

「あー……いや、なんと言うかだな。あれは、そう、確かに妖怪の出すそれに似ているのかもな……」

 そう、顔を赤くしながら彼女は言ったのだった。









「ひどい火傷かと思ったけど……案外、そこまで……みたいです」

 恐らく彼女が巻いてくれたであろう包帯を取り替えながら、火傷の痕を確認する。

 死ぬかと思ったそれは、意外にもそんなことは無く。

 手加減でもしてくれたのか、それとも上手いこと外れてくれたのか。

 まぁそれは分からないけど、とにかく俺はこうして生きているのだから良いとしよう。

「そうか、それは良かった。殺しても問題は無いんだが、それでもやはり殺すのはあまり気持ちのいい物ではないしな」

 その物言いに、一瞬背中を掴まれたかのような寒気を感じたのだが。

 彼女は、人を殺したことがあるのだろうか。今の物言いはそのように聞えてしまう。

 でも、そんなことを聞けるはずが無く。

「なんにしても」

 そんな空気を察したのか、彼女は今までになく明るい雰囲気を出しながらこう言った。

「取り合えず傷が癒えるまではここに居たらいい。傷を負わせた責任は、傷を負わせた私がしっかりと果たすさ」

 そうして、俺と、彼女、

「あぁ、私は藤原妹紅。好きなように呼んだらいい」

 藤原妹紅との不思議な生活が始まった。

 


 藤原妹紅と言った、その彼女は。

 白く長い髪を靡かせながら、赤い目を輝かせる可憐な少女――

 というわけではなく、どこかしら力強さを感じ、でも、何か達観したような……

 そんな、不思議な少女だった。










 作ってくれた晩飯をご馳走になりながら、俺は色々と尋ねてみることにした。

「この竹林から外に出たいんですが……、どう行ったらいいか分かりますか?」

 その言葉に、数瞬考える風を見せ、

「迷いの竹林、なんて呼ばれるくらいだ。そう簡単には抜けれないな」

 ただ――彼女は続ける。

「まぁ、道案内くらいならしてあげるさ。最近は人助けが趣味でね、それの一環と思ってくれたらいい」

 そう、彼女は笑った。

「ありがとうございます! えっと……藤原さん」

 少しきょとんとしたような顔を覗かせると、にやりと奥歯が見えるような笑いを。

「藤原さん、だなんてな。そんな呼び方何年ぶりだ。あぁそうだ、お前はなんて言うんだ」

 そう言えば俺は自分の名前さえ言っていなかった。

「すみません、えっと、白川 周って言います」

 シュウね、と繰り返すように言った後、

「なんだか不思議な響きだ。まぁ分かった。明日起きたら外に案内しよう」

 ありがとうございますと頭を下げると、また照れたような笑顔を見せて、彼女は横を向く。

「さぁ、さっさと寝るといい。短い人生だ。こんなトコにいる時間なんて短く感じられる方がいいだろう」

 そう言って、彼女は晩飯を片付け始めた。

 手伝おうとすると、やはりまだ少し体が治っていないようで、とっさに立ち上がることができなかった。

「何度も言わせるな。寝とけ寝とけ。これくらいすぐに済むんだから」

 またも頭を下げる。

 今日だけで何度彼女に頭を下げたことだろうか。

 まぁ、それだけのことをしてもらっているのだから、それは当たり前のことなんだろう。

 床に座りなおし、一息つこうとポケットに手を突っ込むと、煙草の箱以外の感触を手に覚える。

 なんだろうかと頭が判別する前に、それを急いで目に晒そうと引き抜いた。

 そう、携帯を忘れていた。

 またも急いで履歴を出して、一緒に来ていた友人に電話をかける。

 が

「あ、そうだ。圏外なんだった……」

 その一連を見ていたのか、藤原はくつくつと笑い始める。

「あーそれ知ってるぞ。なんだっけな……そう、ケイタイデンワとかいうやつだろう?」

 知ってるって、今のご時勢携帯を知らない人が居るのだろうか。

 でも、彼女は初めて実際に見たと言わんばかりに笑いを堪えようともせずにいる。

「そんな芝居までしなくたっていいんだが……。シュウが私を殺そうとじゃなく、迷ってきたってことくらい信じるよ」

 やっと収まってきたその感情を右手に隠しながら、涙を溜めた瞳がこちらを見ている。

「そんな珍しいもの持ってるだなんて、シュウは相当運がいいのかね」

 どっちにしても、こんなトコに迷うとは、相当運が悪かったな、なんて続けられる。

 なんだか近づき難い人だと感じたのだが、どうやらそうでもないみたいだ。

 そこらに居る女の子とは、確かに違うところも沢山あるけれど、やっぱり、女の子は女の子らしい。

「それを耳に当てると、なんだか不幸な知らせが聞こえるんだって? なら聞かなくたっていいのになぁ」

 一段落した彼女は、くべた火を挟んで反対側に座る。

「それじゃあ、また明日だな」

 そう言って、その火に蓋をする。

 一瞬にして黒に囲まれた室内で、彼女が布団にもぐる音が聞こえる。

 それを確認して、俺もそれに従った。





 ただ、女の子と二人っきりで同じ部屋に寝るだなんて、初めての経験で。

 一度意識をすると、なんだか恥ずかしくて堪らない。

 深呼吸を何度かして、必死に目を瞑る。



 結局寝れたのを覚えているのは、瞼を閉じるのに飽きてきたころだった。


 そうして、俺は藤原に連れられ、竹林を歩き始める。

 俺からしたらすべて同じように思える竹一本一本を区別しているかのように彼女は迷い無く歩いていく。

 そんな彼女が頼もしく思え始めた頃、その背中は不意に止まる。

 何かあったのかと少し小走りで彼女の横に並ぶ。

「ほら、見えてきた。外だ」

 そう言って、彼女が指を前に。

 それに従い、俺の目線をそれに沿らせると。

「町……?」

 それは、どう考えても、俺が帰りたいと思っていた景色とは程遠いものだった。






 少し呆然としていた。

 それに何を感じたのか、彼女は少し拗ねた様な顔をして、

「なんだ、不服か?」

 はっ、として俺は彼女の顔をもう一度見る。

「なんだ、不服か」

 ふむ、と彼女は考える風を見せる。

「シュウが望んでいたのは、この景色では無かったのか?」

「え……えぇ。そうですね。俺が来たのはこんな田舎じゃないですから……」

 んん? と心底意外そうな顔を見せると、またも考え始める。

「この町並みが田舎と……シュウはかなりいいとこの出なのか」

 ただ単に俺の帰りたいと思っていた方角とは逆に出てしまっただけなのかもしれない。

 そう思っていたのだが、今の発言はどこかおかしい。

「いえ、全然そんなことないですよ。本当に一般的なとこです」

「なら……、ここら辺では一番賑わっている街がここなんだが……」

 それを田舎とシュウは言ったんだぞ? と表情から読み取る。

 それは……おかしい。

 何かが、二人の間で食い違っている。

「すみません、ここは何県ですか?」

 もしかしたら、自分で気づかないうちに相当歩いていたのかもしれない。

 真っ暗で、景色も変わらないのだから、どれくらい歩いたかなんて、自分でもはっきりと分かるはずもない。

 そんな、淡い希望は

「ナニケン? それがなんの単位かは知らないが、ここの名前なら知っている」

 彼女の何気ない一言によって

「ここは幻想郷。お前も良く知っているだろう?」

 ぷつりと音を立てることも無く消えていった。



















 その後、俺はまた藤原の家に戻ることとなった。

「そうか、お前、外の世界とかいうとこから来たんだな」

 なるほど、と彼女は納得をしているのだが。

「一体……どういうことなんですかね……」

 俺は何もまだ分かっちゃいない。

 どうやら俺は全く知らない場所に迷い込んでしまった。

 それだけは把握できた――つもりだ。

 でも、そんなことって本当にありえるのか?

 藤原の名前からして、日本であることは間違いないとは思う。

 でも、俺の知っている日本とは全然違う。

 携帯も持ってない、あの田舎を一番の街と言う。

 それから導き出されるのは、やはり、俺の知っている常識は通用しない場所だ、ということだけ。

「私も詳しくは知らない。でも、時々来るんだそうだ。外の世界から、この幻想郷に来るやつが」

 それは、神隠しと言われるもので、この幻想郷と外の世界との境界である結界が弱まったときに偶然来てしまったり。

 あるいは、幻想郷に住むものが、何かしらの理由で連れてきたり……理由はあるらしい。

 そして、俺はそのどれかの理由でここに来てしまった。迷い込んでしまったみたいだ。

「と、まぁそういうことだが。理解できたか?」

 理解とは程遠いが、何とか状況は整理できたかもしれない。

 映画とか漫画とか、そんな世界でしか有り得ないと思っていたようなそんなことが。

 まさか自分の身に降りかかるだなんて、思ってもみなかった。

「はい……、それで……」

 まぁどんな理由であれ、ここは俺の知っている世界ではない。

 それだけは確かなのだ。

 どれだけ俺が否定しても、信じられなくても。

 だから、それを受け止めて。

「ここから、元の――外の世界に帰れるんですか?」

 一番大事であるこのことを訊くことにした。

 そうすると、彼女はなにやら安堵のような表情を見せて。

「うん。大事なことは何かちゃんと分かってるみたいだな。それだけ頭が回るのなら安心だ」








 彼女が言うには、元の世界に戻ることはできるとのこと。

 ただ、その方法は自分は知らないから、他の人に聞かなければいけない、とも彼女は言った。

 そして、何よりも感謝したいのは。

「お前が帰れるまで、私はついていくよ。ここに知り合いなんていないんだろう?」

 彼女とここで別れなくてもすんだということ。

 それにお礼を言うと、やはり彼女はくつくつと。

「趣味だよ、趣味」

 なんて、笑うのだった。


 この世界は一体なんなんだろうか。

 俺は何も知らない。

 でも、それでも。

 彼女が居てくれるから、俺はここに立つことができていたのだと。

 そう、思わせてもらうことにするよ。

 趣味だろうと何だろうと。

 なぁ――。












「で、彼がその迷い人だと、そういうことか?」

「そういうこと。帰り方知ってる?」



 藤原は早速知り合いに話を聞きにいこうと言ってくれた。

 そして、彼女に感謝しつつ、先ほどと同じ道を歩き、遠くからしか見ていなかった人里へと着いた。

 そこで訪ねたのは、青く長い髪をした、若い女性。

 藤原よりは年上の印象を受ける。

 俺よりは……いや、同じくらいだろうか?

 その、上白沢慧音という女性は、この町では有名な人みたいだ。

 家に上がらせていただいてるのだが、その話をしている少しの間に、訪問してくる人の数だ。

 野菜を持ってきたり、何か話をしたかったらしき人が来たり。

 そんな人を我が物顔で独占している藤原も、実は相当有名な人なんだろうか。

「そうだな……。これも異変、と言えば異変だとは思う。幻想の歴史で、このようなことは何度かあったが」

 うむ、と一回頷いて。

「そうだな、やはり博麗の巫女に言うのが一番正解だろう。幻想郷の異変は、彼女に任せるのが相場だ」

 自分の発言に頷くように何度も頭を上下に振る。

 それに藤原も、やっぱそうだよなー、と肯定を。

 また新しい、聞き慣れない単語が出てきた。

 ハクレイの巫女、という存在が居て、それがこの世界の異変を解決している、らしい。

 この世界――幻想郷の、何でも屋とでも思えばいいのだろうか。

 そしてその人に頼めば、俺は恐らく帰ることができる。

 案外、簡単に帰ることができそうだ……。

 しかし、不意に言葉を。

「でもさ」

 藤原は続ける。

「私、あいつあんまり好きじゃないんだよね」

 呆気に取られた顔を上白沢は見せた。

 そして恐らく俺も、そんな顔をしていたに違いない。

「好きじゃないって……そんな私的な感情を今挟むコトは無いだろう」

「そうだけどさ、あいつって、幻想郷のコトだけしか考えてない感じがするだろう? それが気に入らない」

 腕を組んで、これまた自分の発言に目を閉じながら何度も頷く。

 上白沢は呆れてしまったのか、溜息を吐いていた。

「幻想郷のコトを考えてるって、この世界のコトを大事にしてるってことでしょう? なら何が気に入らないんですか?」

 思ったことを素直に口に出してみる。

 それに、ちらりと片目だけを開けて、俺のほうを覗く。

 あぁ――どう考えても不機嫌だ。

「何が? 幻想郷のコトを考えるのは結構だ。でもね、あいつはそれだけなんだ。あいつは一人で生きてるって思ってやがる。
 他の人にどんなことが起ころうと、知ったこっちゃ無い。幻想郷に生きている人達を考えているんじゃあない。
 本当に、この世界、『幻想郷だけ』を考えてる。それが――」

 ふっ、と突然下を向く。

「私は気に入らないんだよ……本当に……」

 何か、触れてはいけない部分に触れてしまったのだろうか。

 この部屋の空気は凍り付いている。

 俺がどうしたものかと考えていると、

「……まぁ、それは否定しない」

 上白沢が沈黙を破った。

「確かにその気は私も思うところはある。だが、それが博麗の巫女の役目である以上、仕方の無いコトとも言える」

 彼女は目を瞑り、少し多めに息を吸う。

「ふむ……まぁ、妹紅、お前が嫌なら、私が彼……えっと、シュウ君だったかな? 巫女の元に連れて行くが?」

 俺は、藤原と別れるのだ、と一瞬不安になったが、彼女が嫌がっているのに頼むのも悪い気がした。

 だから俺は、上白沢によろしくと頭を下げようとした。

 その時だ。

「いーや。シュウは私が元の世界に返す。私の趣味を横取りしないで欲しいね」

 あまりに自分勝手な意見に、上白沢が怒るのではないかと心配したのだが。

「――うん、そうか」

 彼女は少し安堵したような表情で、そう言ったのだった。





「ただし」

 今から巫女の元へと行くのだと思い、話が切り替わるのを俺も、そして上白沢も準備していたのだが。

「巫女の力は借りない。絶対に」

 彼女は、全く折れてなんかいなかった。



「あ、でも、うん。それしか方法がないのなら、巫女も考えなくも……ない……」


 なんて、自信たっぷりとは程遠い決意を受けて、俺は藤原と一緒に元の世界へと帰る術を探すコトになった。

 


「とは言ったものの、だ」

 上白沢の家からの帰り。

 藤原は竹林の中、そう呟いた。

「どうしたものかな、一体」

 恐らく俺が元の世界に帰る方法の話だろう。

 ハクレイの巫女とやらに頼めばそれで済むらしいのだが、藤原の意地で、その線は無くなった。

 とは言っても、何かしらの頼りや思いつくところがあるわけでも無し。

「んー……ここらの知識人って言ったら……いや、あいつにも頼みたくないしな……」

 藤原はあの調子でさっきから独り言がひどい。

 俺はと言えば、本当に何も分からないので彼女の邪魔だけはしないようにと大人しくしているしか無い。

「うん、そうだな」

 何か考えが一段落したらしく、彼女はまた歩き出す。

「何か思いついたんですか?」

 俺は彼女と肩を並べるために少し歩を速める。

「あぁ、まずは」

 無限に伸びる竹の先を見据えるように上を向き、彼女はこう、

「腹が減った。今日は帰って飯にしようじゃないか」

 無邪気に笑うのだった。
























「思ってたんだけど、その箱はなんなんだ?」

 食事を終え、火をくべていると、彼女は俺の横を指差しながら、その、と言った。

 指の先に視線を移すと、あぁ、なるほど。

「これは、煙草と言うものですね」

「タバコ?」

 どこかで聞いたことがあるな……と思案する様子は、どこかしら子供のそれに似ている。

 微笑ましいような、可笑しいような、そんな感情に自身の顔が崩れているのを自覚する。

「あぁ、香霖堂でミズタバコとか言うのがあったんだ。それと同じようなものか?」

 水タバコ……それこそこっちではあまり聞かない名前なんだが。

「それとは……少し違うと思う……うん」

 水タバコというものが、あまりはっきりと分からないのだが、とりあえずそれとは違うのだろう。

 少し思案してからその解答をしたのだが、折角の真面目な返事も彼女にとってはあまり興味の無いものだったようで。

「で、で。何をどうやってそれは使うんだ? ミズタバコはなんだか面白そうだったぞ?」

 興味津々……なんだろうか。

 彼女は少しだけ頬を赤らめているように見える。

 それは興味から来る火照りとも取れるし、ただくべた火に近いからなのかもしれない。

 ただ、それが俺にとって十分すぎる刺激だったわけで。

「……吸ってみますか?」

 なんて言って、彼女の興味を満たすことによって俺の近くから離れてもらうことしか思い浮かばなかった。

 とりあえず箱を彼女に渡してみる。

 触れると壊れるかのようにそっと受け取ると、そんなやわなものではないと分かったのか。

 彼女は振ったり、火に透かしてみたり、握ってみたり……見ていて飽きない動きをし始める。

 しかし一向にそれの使い道が分からないらしく、俺をちらりと見てはいやいやと首を軽く振りながら思案を続ける。

「吸う……と言ったか」

 彼女は何か重大なヒントを得た子供のように嬉々としてもう一度考え始める。

 そして何かが分かったのか、彼女は、はっとした表情を見せた後、おもむろに

 箱を咥えた。

「……」

「……」

「――楽しくないな」

 口から箱をもう一度手に取り、吐き捨てるように呟く。

 俺はと言えば必死に笑いを堪えるしか選択肢が見当たらない。

 彼女はこちらをまたもちらりと見やる。

 また視線を外すかと思っていたのだが、今度はそのまま動かない。

 眉をひそめ、そのまま見つめてくるような彼女に、またもちょっと失礼な感情が湧きそうになるのを抑える。

「貸してください」

 感情を殺しながら言えた筈のその言葉に満足をしながら、煙草を受け取る。

 ビニールをはがし、それを火の中に捨て、箱を開ける。

 透明なビニールに目を奪われていた彼女は、一体何が起こったのかと驚きの表情を隠せていない。

 てっきりそのビニールがタバコだと思ったのか、俺が捨てた火の方をずっと見ている。

 何も起こりはしないのだが、まぁそんな彼女も面白いのでほおっておこう。

 そしてその中から二本取り出して、一本を渡す。

「ほら、こっちが煙草」

 んあ、なんてだらしの無い口をこちらに見せて、その一本を受け取る。

「で、これを咥えて……」

 俺は自分用の一本を咥えて火に近づく。

 流石にこんな大きな火で煙草の火をつけるなんてのは初めてで、顔が熱かったのだが。

 そして大きく息を吸って……

 一服。

 彼女はその様子を、あげた煙草を両手で大事そうに持ちながら見上げていた。

 吐いた白煙が風に誘われ窓の外へと流れていく。

 その一連を彼女は見送った後、その余韻を引きずるかのようにゆっくりと顔をこちらに向ける。

「さ、やってみる?」

 一瞬自分に言った言葉だと判断できなかったのか、呆けた顔を見せたが、これまた一瞬で顔が輝く。

「え、と。咥えて、火に近づけるんだっけ」

 頷きながら彼女を見る。

 熱い熱いなんていいながら火に近づけるその様子は、火の中に栗でもあるのか、まだ見ぬ楽しみに自分自身を抑えきれないそれに見える。

「で、火に当てながら吸うんだ。そしたら火が付くよ」

 彼女は軽く頷きながら思いっきり空気をその小さな筒から吸いいれる。

 ――あぁ、これは間違いなく。

「……っ! うっえ……ごほっ、んあ。うえ。なんだこれ!」

「煙草です」

 あぁ、今の俺は絶対に自分を抑え切れていない。

 数瞬前の彼女と全く一緒の、ただの子供だ。

 くくっ、とくぐもった笑いを右手で隠しながら、未だ少し涙目な彼女を見る。

 何が起こったのか全く分かっていないのだろう。

 どこに向ければいいのかが分からない怒りを感じて、左右に目を、顔を走らせていた。

「ほら、もう一回咥えて、一度吸う」

 そこで、息を止める。

 彼女の顔を捉えてから、もう一度大げさに息を吸い、煙を肺へ送った。

 そして。

「うわ、煙い……」

 彼女の顔にそれを吐いてやった。

 またももれてくる笑いをもう止めようともせずに、俺は火の中に灰を落とした。

 今度は俺が彼女を横目でちらりと見やる。

 彼女が少し怯むのが分かる。

 が、性分なのだろう。

 もう一度試すために、煙草を口に咥え、前とは比べ物にならないほどの少量の空気を吸う。

 そこで吐き出そうとする彼女を止めて、もう一度吸うんだよ、と教える。

 こくりを頷き、彼女は息を吸い始める。

 今度は大丈夫だったのだろう。

 まぁあれだけ少ない量でむせる方が珍しいと言ったものだ。

 もういいのか? と目で訴える彼女に、俺も目で頷く。

 ふぅ……とまたも恐る恐る吐き始めると、なんともか細い、弱弱しい白いそれが出てくる。

 彼女は目を丸くして、

「お! 出てきた!」

 なんて言うもんだから、吸った煙は一気に出てしまい、残念そうな顔を覗かせた。

「ほら、まだあるだろ?」

 顎で彼女の手元を指す。

 灰が長く溜まった煙草が、彼女が先ほど吐いた煙と同じようなそれを。

 灰の落とし方を自身がやることによってそれとなく教えた後に、彼女はまた吸い始める。

 煙草を誰かと吸うなんて、本当に何年ぶりだろうか。

 俺のそんな煙草のような弱く懐かしい暖かさは、彼女の一生懸命な姿によって確かな温もりへと変わる。

 そんなことを知ってか知らずか、彼女の満面の笑みは、本当に無邪気で。



「タバコというものは、中々手強いものなんだな」

 一つ新しいことを知って、偉くなったつもりなのか。

 中学生が煙草を吸って大人になったと勘違いするそれと似ているのだろう。

 なんとも微笑ましい姿なのだが、それを言うほど俺も無粋でもない。

「そうだな、慣れたら……いや、慣れる頃にはもう生活に必須なものになってるという、恐ろしいものだよ」

 ふむ、とまたも真剣に思考を始める彼女を見ながら、俺はここで気づく。

 あぁ、いつの間にかタメ口になっていた。

 恐らく、彼女の見せる子供っぽいしぐさが、緊張を解くと同時に、今まで見えていた彼女のどこかしらの威圧感というか……。

 なんとなく年上から感じる何かに似たものを感じていたのだが、やはり歳相応のものらしい。

 そこからきた安心感だろう。

 まぁ、彼女もそれについて何かを言うわけでもないし、これでいいのだろう。

「そうだ、シュウ」

「ん?」

 もう一本くれとでも言うのか。

 考えれば、この一箱しか持ってきていない。

 無くなるときついから、せめて一日一本くらいにしたいのだが……。

「藤原さん、ってなんかむず痒いから、下の名前でいいよ」

 私もシュウって呼んでるし。

 なんて、さっき俺がタメ口になっているな、なんてことを考えたのを読まれたのかと思うほどのタイミング。

 やはり、ただの子供とはあまり思えないのだが。

 まぁ、本人がそう言っているんだし、それを無下に断るのも悪い。

「そうだな、わかった」

 一度咳払いをして、

「また明日、妹紅」

「あぁ、また明日、シュウ」


 そう言って、俺たちはまた繰り返す一日を迎えるために、布団にもぐるのだった。


 そして俺達は、今。

「ここには一生縁の無さそうなお前が、なんの用だ?」

 長い階段を上っていたのだが。

「来れないかもしれない所ほど、行きたくなるのは当然のコトだろう?」

 頭をわざとらしくかき回しながら彼女は笑った。

 横を向いていた顔を上げると階段の上に、少女が一人。

 それ自体は何もおかしい事はない。

 ただ、階段があまりにも長いコトと。

 目の前の少女が、日本刀を持っているということだけが、俺の常識からは外れていた。






「突然の訪問、失礼しました」

 隙間が見当たらないほどに綺麗に敷き詰められた畳の上に座り、目の前の女性へと先の失礼を詫びる。

「気にしなくていいのよぉ。暇だったしねぇ」

 そう言いながらお茶請けをかじる。

 ……失礼な考えではあるが、普通は客人である俺達が基本的に食べるものなのではないのだろうか。

 そんな考えは余所に、机を挟んで前に座る彼女は言葉を続ける。

「で、用件は何かしら」

 突然空気が変わる。

 これが彼女本来の姿なのだろう。

 が、口元に煎餅のカスが付いてます。


「実は私は、外の世界、というところから来たのですが」

 へぇ、と先ほどの威厳はどこへやら、と言ったようなもので。

「帰り方を知っていましたら、教えて欲しいのですが……」

 煎餅を食べ終わり、彼女は指を舐め、そしてやっとこちらを向く。

 彼女――西行寺幽々子にとって、今の俺の発言は、指に付いたほんのり醤油味よりも興味が無かったのだろうか。

「帰る、とは言ってもねぇ」

 ここで彼女は横を向く。

 そこには先ほど階段で一悶着起こる寸前まで行った少女、魂魄妖夢が居た。

「幻想郷は、力を失った妖怪が呼ばれ、集まり、そして住まう、まさに幻想の故郷」

 魂魄は目を閉じ、思い出すように言葉を選ぶ。

「なら、何故あなたはここに来たのか。それをまずは考えるべきでは無いのでしょうか」

 と、ここまで凛とした態度で話していたのだが、ふいにちらりと横を。

 その先に居た西行寺は、

「40点」

 と、それに酷評を告げるのだった。

「妖夢も、藤原妹紅も、そしてあなたまでも」

 一人ひとりを目で一瞥しながら。

「大事なことが分かっていない」

 それは一体

「なんでしょうか」

「分からないのなら、それは怠慢だわ。あなたは外の世界に居たときから、相当怠け者だったのかしらね」

 彼女は二枚目の煎餅に手を伸ばす。

「おい、どういう意味なんだ? 何故ここに来たのかを知れば、帰る方法も自ずと分かる。
 そういうことを言いたかったんじゃないのか?」

 妹紅は少し、いや、かなりキているように見える。

 まどろっこしいことは嫌いなのだろう。

 でも、俺のために怒ってくれていると考えれば、それは悪い気はしない。

 本当にそうなのかは、正直自信は無いが。

「それはそうなんだけど。それだけでは足りない。
 死んだ者が生き返る術を調べる前に、何故死んだかを知らないでどう生き返るのか。
 しかしそれだけでは足りない。自分自身がどこに居るのか、何者なのかわからないと」

 それと、同じなのよ。

 お茶を啜り、一息。

 俺と妹紅、そして魂魄も、一体何のことなのかは全く分かっていない。

 ただ、彼女が答えを言ってくれるのを待つばかり。

 だが、それは。

「怠慢、なんですよね」

 その回答は

「100点」

 桜のように綺麗な、そんな笑顔つきで。









「結局、謎が増えただけだった、と」

 手を頭の後ろで組み、あーぁと項垂れている。

「まぁ、でも。大事なヒントは教えてくれた……んですよね、きっと」

 んー、と彼女は俺に顔を向け、

「おい、お前は誰なんだー!」

 顔を両手で掴んで揺らし始めた。

「それがわかれば苦労はしないですって!」

 まぁ、そんなコトをしても意味が無いのは彼女も分かっている。

 すぐに手を離し、またも月を見上げる。

「何故ここに来たのか……そして、自分が何者か……か」

 どうやって帰るかだけを、必死に探していた。

 でも、なんで探していたのかさえ考えていなかった。

 そして、誰が探しているのかさえ知らなかった。

 そんな状況で、人に答えを求めるなんて、確かにそれは怠慢だったのかもしれない。

「まぁ、さ」

 彼女はふいに語る。

「シュウは幻想郷について、まだ全然知らないんだし。それを知らないのに何で来たのかなんて分かるはずもないし」

 月に何かあるのだろうか、と思えるほどに彼女の視線は月に向かって真っ直ぐに。

「まずは、それを調べようか。実は私もあまり詳しくはないし」

 そうだな。

 焦ったって良い事は無い。

 西行寺さんのように、どっしりゆったりとした態度の方が、視野が広くなるというもの。

 まずはわかることから。一つずつ……。

「さぁ、明日からは忙しくなりそうだ。さっさと寝よう」

 そう言って、彼女は歩を進める。

 その後を俺が付いていく。



 これが、二人の距離感。

 いつだって彼女は前に立つ。

 その後を俺が。

 一見他人に無頓着なように見える彼女の一つ一つの仕草は。

 二見すれば、他人を思いやる優しい彼女の仕草になる。

 そんな彼女の後姿を見ながら、俺は

「本当に、ありがとう」

 そう、お礼を言って。

「なんか言った?」

「今日の晩飯は何かと、聞いたんですよ」



 でも、それを彼女に言うのは、もっと後。

 最後に、伝えることにする。

 


 幻想の歴史というものを知る、という新たな目標のために動き出した俺達は。

 またも竹林を出て、天狗の住むという山へと向かうことにした。

 天狗はこの幻想の地に昔から住んでいて、しかもそれを文字にして保存しているらしい。

 それならば、もしかすると詳しく知っているかもしれない。

 そんな期待を込めて、俺と妹紅は山へと向かったのだった。



「勝手に山に入ってきて……見つけたのが私じゃなかったらどうするつもりだったんですか」

 突然目の前に現れ、ぶつぶつと文句を言う彼女は……

「空を……飛んでる……?」

 そのことばかりに頭が動いてしまい、何も考えることができない。

 天狗なんて言うけど、それは結局、仙人とかそういう、長生きして物知り、という類のものかとばかり思っていたのだが。

「そりゃ天狗だし」

「そこらへんの妖怪と一緒にしないでくださいよぉ。天狗は、それこそ風のように速く飛ぶんですから」

 どうやら、俺のこの感動と驚愕は、他の二人には理解させることが難しいらしかった。







 そしてその射命丸文という天狗は、妹紅が話があると言うと素直に下に降りてきた。

「何かスクープか何かですか? ちょっと待ってください、メモを取りますんで……」

 手に持った手帳をさっと開くと、彼女は興味津々と言った感じで目を輝かせる。

 それに一つ溜息を落とし、妹紅は溜息に続くように言葉を吐き出した。

「ただの質問なんだが、幻想郷の成り立ちとか、そういう話を聞かせてくれないか?」

 目を輝かせていた彼女のそれは、時を数えるごとに色あせていく。

 そんなに興味無い話だったのか。

「なんでそんなコト聞くのか分かりませんけど……まぁいいでしょう。私が知る限りでいいのなら」

 案外協力的で助かった。

 先ほどの感じでは、どう考えても面倒くさい、と一蹴されそうなものだったのだが……。

 だが、彼女は続きを。

「もちろん、何か面白いことがありましたら、一番に私に教えてくださいよ!? 交換条件です」

 またも呆れたように溜息をつくと、妹紅は一度頷いた。

 それを確認して、射命丸はメモ帳に何かを書き、そしてこちらを向きなおす。

 きっと、貸し一、とでも書いたのだろう。

「そうですね……幻想郷というのは、日本、という外の世界のどこかにありまして……」

 500年ほど前、外の世界では妖怪が人間に圧倒され始めていた。

 それを危惧した妖怪の一人が、妖怪の力の強い世界を作ろうと言った。

 それが、ここ。

 結界で囲まれ、外の世界から隔離された世界、幻想郷。

 外の世界で妖怪の力が弱まれば弱まるほど、こちらでは妖怪の力が強くなっていく。

 そんなバランスで成り立つこの世界は、外からも、中からも、行き来はそう簡単にはできない関係にある。

 普通、ここに来れるものは、外の世界で相当力を失った妖怪が、結界によってこちらに召還された時のみ。

 もちろん、結界が弱まる周期がありその時に紛れ込んだり、食用に人間を持ってきたり等など……

 他にもあるけれど、その召還が主な理由である。

 と、射命丸は説明してくれた。

「ふむ、私がわかるのはこの程度でしょうか。後は、その結界を守っているのが、博麗の巫女であるということと」

 一気に喋って疲れたのか、休憩、と言わんばかりに目を閉じ思案して。

「その結界を作ったのが、八雲紫さんだ、ということくらいですかね」

 ハクレイの巫女。

 またも出てきたワードだ。

 この世界の異変はその巫女が解決すると聞いたが、なるほどそういうことらしい。

 そして何よりも驚いたのは、妖怪がいるということだ。

 最初妹紅と会話をした時、妖怪が出るとか出ないとかの話をしたが。

 出るに決まってるのだ。

 この世界では、妖怪がいて、当たり前の世界なのだから。

 信じられない……、と言ってしまいたいところなのだが、俺は先ほど見たばかりじゃないか。

 空を飛ぶ、一人の妖怪――天狗を。

「で、ですね」

 話も終わり、それをまとめて考え始めていたのだが、突然彼女は口を開く。

 気づいて目線を向けると、彼女は俺を見ていた。

「あなたは誰ですか?」

「こいつは、その、食用だか結界が弱まったかで来た外の人間だよ」

 妹紅が意地悪げに。

 食用……、恐ろしい響きだ。

 まぁでも、その線は薄いと考えていいのだろう。

 食用などと言ってそこらじゅうから人間をつれてきていては、どう考えても話題に上がるはずだ。

 しかし、世の中のニュースは殺人や芸能人のニュースばかり。

 恐らくではあるが……食用に持ってこられるのは、もっと話題に上がらない人――。

 もしくは他の原因で死んでしまった人など――だろうか。

 でも、俺がこう、居なくなって。

 外の世界では、話題になっているのだろうか……。

 俺が、話題になっ……

「外の世界の人間ですか! なら、何かすごい道具でも持っているのでは!?」

 そこで俺の思考は中断される。

 またも目を輝かせながら彼女は俺に言い寄る。

「珍しいものって……特に無いと思います。すみません……」

 またも……忙しい人だ。




「では、何かスクープがあったらよろしくお願いしますよー」

「こちらこそお時間を取らせてしまってすみませんでした。わざわざありがとうございました」

 一度頭を下げて、そして上げるという行為を済ませただけで、彼女の姿はもう見えなくなっていた。

 空を飛ぶ少女……この世界はそういうもので溢れているという。

 もし、妹紅に出会わずにあのままうろうろと竹林を歩き回っていたら……。

 考えるだけで恐ろしいものだ。

「まぁ、色々と聞けたな。今回は収穫ありだ」

 良かった良かった、と彼女はいつも通り先を歩き始める。

 その後を付いていきながら、俺は嫌な感情に包まれ始める。

  

 外の世界では、俺は突然消えたことになっているのだろう。

 そして、それがニュースになっているかもしれない。

 でも……。

 それを見て、俺を心配してくれる人は、果たして居るのだろうか。

 そんな不安にも似た、諦めにも似た……。

 居るはずも、無いのだ……。

 俺は……どうしようもないほどに……ウソツキなのだから……。



「おい、聴いてるか?」

 はっと顔を上げる。

 ダメだダメだ。

 人に嫌われないように生きよう。

 そのためには、人の話を聴かないなんてそんなコトしていたらダメなのだ。

「すみません。妖怪なんてものが普通に居るということに驚いてしまって」

「あぁ、そうだな。外には、全くと言っていいほど居ないんだってな」

 考えられないな……、と彼女は俺の言った嘘を信じる。

 こうやって、俺は嘘を繰り返す。

 嫌われないようにと吐いた嘘で、いつか嫌われ呆れられ。

 それは、永遠に続く螺旋の下り階段にも思えた。

「まぁ、なんだっていいや。帰って飯にしよう」

 彼女はそんな俺なんてお構い無しに自分の意見を突っ走る。

 それが、俺にはとんでもなく楽しくて、嬉しくて。

 自然に顔がほころぶのを止められないでいると、彼女は、そうだ、とまたこちらを。

 だらしない顔を見られていないか少し不安になったのだが。

「タバコ、だっけ。食べ終わったらまた吸わせてよ。今度はむせない自信があるんだ」

 そう、無邪気に笑うのだった。


 昨日、射命丸という天狗にここに来るための条件と言うものを聞いた。

 それを簡単に整理してみると。

 普通、外の世界で力を失った妖怪がここに来る。

 他には、外の世界と幻想郷を分ける結界が弱まった時に来てしまう時がある。

 食用に取り込まれたりもする。

 と言ったところだった。

 そして、俺が当てはまるとすれば、結界が弱まった時に、偶然来てしまった、だろう。

 それ以外の可能性は当てはまらないと思う。

 妖怪でもないし、食用で連れてこられたのなら、もう俺はこんなふうに歩き回っているはずも無いのだ。

 なら、この前の西行寺の言っていたコトは解決したということ。

 俺は俺だし、何故来たのかは、結界が弱まったから。

 それが分かったのだから、俺は、もう帰ってもいいのだろうか?

 帰り方を教えてもらえるのだろうか?

 ただ……自分が何者なのか、これは、自分は自分だ! なんて自尊心の獲得のようなものでいいのか。

 西行寺が言っていた言葉が、このような簡単なものだとは、あまり思えない。そんな響きだった。

 なら、一体俺は何者なのだろうか。

 そんな疑問が、ふと思いつくのだった。















「さてと、今日はどうするかな」

 朝飯を食べ終わり、いつものように今日の計画を考える。

 一体どうしたものか。

 俺自身はもう帰ってもいいようなものなのだが。

 やはり、まだしっくりと来ない気もする。

 今、西行寺にもう一度会ったところで、一蹴されて終わる予感がするのだ。

 でも、やっぱり俺は俺だし、俺自身が望んで来たわけでも無いし、この幻想郷にも望まれて来たわけでもない。

 それなら、俺には帰る権利があるのではないのだろうか。

 結局のところ、これは事故なのだ。

 事故は何で起こったのか、なんて聞かれても、それは分かるはずもない。

 それに、俺自身の問題ではないのだ、相手の過失みたいなものなのだから。

 なら、やっぱり。

 俺は帰ってもいいはずなのだ……。

「そうだなー……幻想郷の歴史は分かったわけだし、お前が何者か、ってのを調べる……のかな?」

 思わず、

「俺は、俺ですよ」

 また、逃げた。

 できるだけ普通に言ったはずだ。

 でも、彼女の顔を見れば、その考えはどうしても間違っていたと分かる。

「ん……。そうだな。間違いない。だが、あの幽々子がそんな簡単なことを問題として言うとは思えないんだが……」

 あぁ、それは俺も思っていたところではあった。

「それでも、俺は俺なんですよ……。それ以上でもそれ以下でもないはずなんです……」

 嘘だ。

 俺だって分かってるはずだ。

 そんなコトじゃあない。

 もっと、何か違う意味を込めて西行寺は俺に言ったのだ。

『自分が何者なのかもわからないものに、帰る権利など無い』と。

 それなのに、俺の嘘は止まらない。

「もう、全て分かったんですよ。だから帰れるんです。帰る方法が分からないなんてことは無いでしょう?」

 そう、ハクレイの巫女に頼むしか、方法は無いのだから。

 妹紅が好きじゃないとか、そんな感情はもうこの際無視させてもらう。

 結界を守るのは巫女なのだ。

 なら、結界の外に出るには、その協力が必要なのは明白。

「博麗の巫女に頼めと、そう言いたいんだな」

 ずきりと、俺の何かが痛む音が確かに聞こえた。

 でも、それしかないのだから……それしかないのだ……それしか――

「そうだな……、まぁ、帰りたいのなら仕方ない」

 溜息を一つ吐いて、彼女は立ち上がる。

「さ、行こうか。博麗の巫女の元に」







また……俺は、嘘に、逃げたのだ。

























「あぁ、帰りたいの。良いわよ」

 ハクレイの巫女の元へと着いた俺は、早速彼女に今までの経緯を。

 そんなもの関係ないとばかりに聞き流し、帰りたいのだと言うと、帰ればいいじゃない、と彼女はこともなげに言った。

 俺の後ろで、妹紅は、腕を組んで俯いていた。

「にしても、おかしいわね」

 ハクレイの巫女は思い出したかのように頭を傾ける。

「結界が弱まる周期が来るのは、まだ当分先のはずなんだけど……」

 ――……なんだって?

「おいおい、それじゃあなんでシュウはここに来たんだよ」

 突然妹紅が俺が思っていたことを。

「知らないわよ。彼がなんかしたんじゃないの」

 我関せず、もここまで来ると素晴らしいものだ。

 疑問を持つようなコトを振っておいて、その解答は知らない、なんて素晴らしい根性だ。

「……だから、私はお前が嫌いなんだよ」

 明らかな敵意を持って、妹紅はハクレイを見ている。

 それに適当に目を向けると、

「なら来なくて良いじゃない。助けてくれって言われたから、義務として助けるだけで」

 あなた達に善意でしてるわけじゃないんだから。

 ……ダメだ。

「お前……!」

 妹紅が完全に切れてしまった。

 妹紅は怒りに任せるがままにハクレイの胸倉を掴む。

「何でもかんでも一人でしてるとでも思ってんのか!? 自分は一人で生きていけるとでも思ってんのか!」

 掴んだ手に力が込められる。

「人間ってのはな、そんな強い生き物なんかじゃ無いんだよ! 生きる意味をなくしちまったら、死んだようなもんなんだ!」

 でも、そんなぶつける為に現れたその感情を、ハクレイは受け流し続ける。

「私に説教とはね。流石に長いこと生きていると思うことがあるのかしら。残念ながら私はあなたみたいに長生きじゃないから」

 これはまずいと思い始め、どうしたらいいのかを考えようとしても上手いこと頭が働かないでいると。

「なんだなんだ、楽しそうなことしてるじゃないか」

 神社の中から出てきたその声の主は。

「あぁ萃香。人助けってのは中々難しいものなのね」

 頭に角を生やした、小さな女の子だった。

 


 その頭に角の生えた少女は、萃香と言うらしい。

「霊夢に喧嘩売るとはいい根性だとは思うけど、ほどほどにしとくんだね」

 見た目に似合わない、くぐもった笑いを見せ、彼女は瓢箪を傾けて。

「で、どうしたんだい? わざわざ喧嘩の押し売りに来たわけじゃないんだろ?」

 妹紅はまだ収まりきらない感情を殺して、ハクレイの服を放す。

 開放された彼女は服の乱れを軽く直し、少女に向かう。

「そこにいる人間が、幻想郷に迷い込んでしまったらしくてね。帰してあげようとしたのよ」

 そして、そこにいる人間である、俺の方に少女の瞳が向けられる。

 しかし、その目には、驚きの表情が。

「お前……なるほど……ははっ! 英雄殿もとうとう妖怪扱い! 面白いものだね!」

 驚きはどこに行ったのか。

 少女は笑い転げる。

 しかし皆何を言っているのかは全くわかっていない。

「どういうことだ?」

 妹紅が少女に向けて質問を。

「わからないのかい? こいつは、鬼の宿敵さ! 酒を飲まし、動けなくなったところを襲い、そして殺す!」

 少女の目は確実に俺を捕らえている。

 確かな殺意に似たなにかを持って。

「で、帰りたいだって? 現実を受け止めるんだね。お前の帰りたいと思っている場所に、あんたの居場所はもう無いんだ。
 恐ろしき鬼を倒した英雄は、今や忘れられた過去の御伽話。あんたはもう、外の世界に必要ない存在なんだよ」

 俺は……俺じゃ……無かった……?

 俺の居場所は……やっぱり……どこにも無かった……?

 この女は何を言っているんだ。

 俺が妖怪? 俺が鬼を殺した? 俺が、俺が?

「あんたは変わらないね。未だに嘘を吐き続けているのか。死に際に言われたあの言葉、よもや忘れたわけではないだろう?」

 その瞬間、俺の中から何かが湧き出る。

 『情けなしとよ客僧達。偽り非じといひつるに。鬼神に横道、なき物を』

 何かを思い出せそうな……でも、俺はそんなもの知らない。

 知らないはずなんだ――。

「嘘偽りをもって、お前は鬼を殺した。それに味をしめたのかい? 私たちは嘘を吐かない。絶対に、ね」

「……あまり、内容が掴みきれないけど、あなたはきっと妖怪に憑かれたのね」

 ハクレイが今の状況を冷静に推理して。

「そしてその妖怪がこちらに呼ばれた。それにあなたは巻き込まれた。そんなところかしら」

 これなら納得ね。なんて一人で満足している。

 でも、そんなもので俺は納得できない。

 するわけにはいかない。

「なら、それを祓ってもらえれば俺は帰れるんですか!?」

 すがる、必死に。

「無理ね。私があなたを妖怪だと一目で分からなかった。それはもう憑いたというか、混ざり合っているのと等しい」

 それでも、醜く。

「なんとか……ならないんですか」

 必死な俺と同時に、それを上空から見ているような冷静な目も。

 俺は、本当に滑稽な姿をしているのだろう。

「半人半妖。今のあんたにはその言葉がぴったりだね。恨むなら私たちじゃない。頼光を恨みな」

 頼光……それが俺に憑いているという妖怪の名前なのだろうか……。

「まぁ……そういうことだから。ここに呼ばれた妖怪なのよ、あなたは。残念なことに、ね」

「俺は……人間じゃ……無いのか?」

 俺は……俺じゃなかった……。

 唯一信じられたその事実は、あっけなく根っこから抜かれてしまった。

 何を信じればいいのだろう。

 元の世界にも俺の居場所は無い。

 もちろん、ここにもありなんてしない。

 そして、俺は俺でさえなかった。

 妖怪に体を半分のっとられた、半人半妖。

 俺は……西行寺の言ったことの、一つでも分かっていなかったのだ。

 それを、彼女は怠慢と言った。

 なら……努力をすれば治るのか……?

 そんなコトは無いのだと、祓うことなんてできないのだと、今まさに言われたではないか。

 彼女は、俺に、真実を知って、そして失望の内に飲まれろと、そう言ったのか。

「シュウ……」

 妹紅が俺の名を呼ぶ。

 でも、その名前も、俺を半分だけしか現していない。

 だから、俺は、

「うるさい! 妹紅! お前に何がわかるって言うんだよ! 俺は妖怪なんだよ! 人間じゃないんだよ!」

 その半分が言ったその言葉に身を任せた。

「だから……俺は一人ぼっちだったんだ……。そうだよ、俺じゃない俺が悪いんだよ……」

 あぁ、分かっている。

 これは俺なんだ……。

 心配をしてくれた妹紅に八つ当たりして、それを俺じゃない半分のせいだと言い訳をしている……。

 どうしようもないほどに……俺なのだ――。

 息が苦しい……。

 信じられないほどに俺は失望しているのだろう。

 あれだけ嫌いだと思っていた世界に帰れないと知っただけで、俺はこんなにも悲しいのか。

 一体俺は何がしたいんだ。

 どうしたら、俺は満足するんだ。



 足の力が抜けて、俺は突然地面に手を着いた。

 何も考えたくない。

 今聞いたことは全部嘘で、俺は嘘なんて吐かない奴で。

 目が覚めたら、全部終わってて。

 俺には、ちゃんと居場所があって――……。






 あんたは、嘘吐きなんだよ。

 それは絶対なんだ。

 私が嘘を許さないように。

 世界も嘘を許さなかった。

 それだけのコトなのさ。

 


 嘘つきは泥棒の始まり。

 そんなことをよく言われたものだ。

 一体、何を奪うというんだろう。

 いつだって俺は奪われてきた。

 人からの信頼、友情……。

 与えられるのは冷たい視線くらいだ。

 この際、泥棒だってなんだっていい。

 俺を、俺のあり方を認めて欲しいだけなんだ。

 これは、嘘なんかじゃ……無いんだ……。














「よう、気がついたか」

 どこかで見たことのあるシチュエーション。

 そう、これは俺がこの世界に来て、妹紅に手当てを受けた時。

 思わず、時間が戻ったのかと一瞬胸がドキリと高鳴ったが。

「シュウ、大丈夫か? 体、起こせるか?」

 彼女が俺の名前を呼んだその時点で、そんなありえない幻想はあっけなく破られた。

「……」

 彼女は、俺を心配してくれているのだろうか。

 もし、そうだったとしても、俺はそれに答える術を知らない。

 ばれてしまったんだ。

 俺が嘘つきだって。

 そして知ってしまったんだ。

 俺が、人間ですらないって。

 そんな俺に、何かを喋る権利なんてあるはずも無い。

「ん……、どこか痛むのか? 怪我はしてないように見えたんだが……」

 彼女の視線で、胸が痛む……。

 別に体のどこかに怪我があるようには思えなかった。

 でも、彼女のその心配そうな視線が、本当に居た堪れないのだ。

 どうせ……妹紅だって、俺とは関わりあいたくないに決まっている。

 だってそうだろう? 俺は人間じゃないんだ。

 そう、自分で思ってしまって、

「すみません……出て行きますね……」

 俺には、逃げ出すことしか、選択肢は無かった。

 

 呆れたのだろう。

 もう良いんだ。

 誰にどう思われようと。

 仕方の無いことだったんだ。

 人間じゃない。

 だから、一人で生きていくしかないんだ。

 一人ぼっちのあの世界も、当たり前だったんだ。

 そう、俺は一人ぼっちでいるのが当たり前。

 その本当の理由を……俺は今、知っただけなのだ。


 


「流石に、その嘘は笑えないぞ」

 突如、彼女はそう言った。

「一人で出て行かせるわけにはいかないだろう。外は危ないんだし」

 そう言って、彼女は水を俺に向けた。

 それを受け取れずに、下を向きながら。

 どんどん溢れ出してくる何かに胸が支配される。

「お前は……! もうよしてくれ! どんないいように見せたって、内心では嫌なんだろう!?
 俺は人間じゃないんだよ! すぐに嘘を吐いて回るような、どうしようもない……何かなんだよ!」

 差し出していた水を叩き落し、床に水が広がる。

 彼女と俺は、視線の向ける場所を得たように、そこをぼんやりと眺めた。

 そんな時が、どれほど続いたのだろうか。

 水が広がるのを止めたくらいの時間、考えてみれば、そこまで経っていなかったのだろう。

「人間じゃないやつなんて、ここじゃごまんと居る。別にそれくらいじゃなんとも思わんよ」

 そう、彼女は俺を慰めようとする。

 でも、そうじゃあないんだ。

 そんなこと、俺にだって分かっている。

 でも、人間じゃ無いモノが沢山居たとしても、それが

「人間と一緒に居るのは……おかしいでしょう……?」

 今まで会った、天狗も、幽霊も、人里とはかけ離れた場所に、居場所を作って住んでいた。

 それは、自分とその他の分別をしっかりとつけている証拠であり、それはなにより、共存していないことの証拠でもある。

 その言葉に、彼女はぐっと息を呑んだ。

 やっぱり……そうなのだ。

 どう言ったって、俺は結局一人でいるしかないのだ。



 立ち上がろうとした、その瞬間。

「なら、私は、なんで一人でここに暮らしているんだ?」

 それに俺は、動きを止められた。

「人間は、一緒に暮らすんだろう? でも、私は、この迷いの竹林で一人で暮らしている。どうしてだと、思う?」

 ……考えても居なかった。

 素直に、なんでだろうか、という疑問。

 それと、その後に続くかもしれないある希望を俺は待っていたのかもしれない。

 でも、

「私は、人間だ」

 その希望は、一瞬で、砕かれたかのように思えた。

「でもな、普通の人間じゃあ無い。とはいっても、妖怪でもない」

 何を言っているのか分からない。

 彼女は、何を言いたいんだろう。

 どれだけ考えたって、その答えは見える気がしなかった。

「私はな、シュウ。……死なないんだよ。歳も取らない。これを、人間と言えるか?」

 ……こいつは、何を言っているんだ?

 死なない? 歳を取らない?

 そんなわけがあるか。

 人間は、死ぬ。例外は無い。

 それを否定したのだ。

 それはすでに、人間では……ないのではないか。

「昔、蓬莱の薬ってのを飲んでな、それ以来、こういう体になっちまった」

 そう言って、彼女は焚き火の中の薪を掴む。

「……っ!」

 止めようとした俺を目で制し、その薪をもう一度焚き火の中に。

 痛々しいその手のひらは……少し間を置いて、驚くべき早さで何事も無かったかのように。

 声を少し出して笑う彼女は、どこかしら、悲しそうだった。

「どうだ? シュウ。私を怖いと思うか? 私は人間ではあるが、人間ではないとも言える。……なぁ」




 怖いか?






「……」

 考えることなんて無かった。

「……ない……」

 彼女がどうあったとしても。

「怖く……ない……」

 今日までのことは、嘘なんかじゃなくて。

「怖いわけ……ないだろ!」

 むしろ、今は、彼女の気持ちを分かるような気までする。

「そうか……それは嬉しいね」

 先ほどの悲しそうな笑いが、素直そうな、少女の笑みに変わる。

 一人ぼっちで、こんな暗いところに、しかもずっと昔から。

 人間の心を持って、人間と関わることのできないというこの地獄。

 それは、俺も……よく知っている。

 そんな彼女を、怖いなんて、言えるはずも無かった。

「まぁ、そういうことだ。お前が私を怖くないと言う様に」

 いつの間に取っていたのだろうか。

 タバコを二本取り出して、一本は自分に、そしてもう一本を。

「私も、お前が怖くない。タバコも教えてもらわないといけないしな」

 格好よく決めたつもりなのだろう。

 しかし、咥えたそのタバコは、前後が逆なことに気づいていない。

 思わず笑ってしまった俺を見て、何がおかしいのかも分かっていない彼女さえも笑い出す。

 そんな、どうでもいい時間が、とても愛おしくて。

 そんな、何物にも変えがたい時間が、とても嬉しくて。



 もう少し、頑張ってみよう。

 そう、彼女が、

「お前は私が拾った厄介者だ。一人で出て行かせるわけにはいかないのさ」

 こう言ってくれるのだから。

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