恐怖の象徴であった鬼も、今ではもう遠い昔。

 傍から見れば変な信頼関係で結ばれていた二つの種族は。

 一方の裏切りによって、この世界から姿を消した。

 それでも賑やか過ぎるあの世界は、私達にとって魅力的過ぎて。

 ちょっとした悪戯もかねて、行ってみようか。

 嘘で塗れた、大嫌いで、大好きになれそうなあの世界へ。














「今日も暑いなぁ……。水でも撒いて、って言ってもどうせ私が撒くはめになるんだろうね」

 愚痴を言ったところで、鬼の力の見せ所じゃないの、と嫌味で返されるだけ。
 全くもって、鬼使いが荒い。

 そんな彼女は何処へ行っているのか。萃めようと思えば簡単にできるけど。
 まぁ、ゆっくりと流れるこの世界なんだ、私もゆっくりと待つことにしよう。
 時間なんて、人間に比べれば無限にあるようなものなんだし。


 ごろり、と縁側に体を預ける。

 上を向いた顔と目は、太陽に照らされてどうにも熱い。眠るには少し、不向きなようだ。
 それでも暇ならば仕方ない。寝るなんていう無気力なことに全力を出してみるのも一興……なんだろうか。



 
 どれほど眠っていたのか、日は一向に手の届かない位置にいる。
 なんとなくぼんやりとした頭をすっきりさせようと体を起こし瓢箪に手をかけると、そこには人間が一人。

「あ、起きた」

 地面に円をいくつも描いている様を見る限り、ここで遊んでいたのだろうか。
 今まで一度もここに来たただの人間を見たことがないのだが、珍しいこともあるものだ。
 なんにしても、家主が居ないときに来るとは、不運というのか、幸運なのか。
 それに、妖怪が日常茶飯事に出入りするこの場所に、こんな小さい子が一人で来ている事に呆れに似た感情が沸いてくる。

「やぁ、お嬢ちゃん。こんなところで何をしてるんだい」

 瓢箪を傾け、中に入ったものをごくりと一口。
 熱いものを飲み込んだような感覚が私の頭をゆっくりと覚醒させていく。

「巫女様が帰ってくるのを待ってるんだよ」

 なるほど、来てみたはいいが、肝心の彼女が居なくて待ちぼうけしていたのか。
 全く、折角信仰を持ってきてくれたというのに、なんという間の悪さだ。
 これならもし他の神に信仰を奪われても文句は言えない気がする。

「あの巫女ならどこかに出かけていつ帰ってくるか分からないよ。空を飛んでるように自由な奴だから」

「そっかぁ。巫女様って忙しいんだね」

「そうだね。何せ三日おきに宴会を開かされたりするくらいだ」

 それは忙しそうだね、なんて笑う女の子。
 実際このまま待っていてもどこに行ったか分からないような現状では、また明日にでも来た方がいいだろう。

「どうするの? ここには残念なことに巫女ではない私しかいないけど」

「んー……そうだ、あのね、その格好、何かの衣装なの?」

 その格好、と言われて、私のことか、と気づく。
 別に普通の格好だと思ったのだが、あぁ頭に角生えているんだった。

「あぁ、これはね、鬼の姿の衣装さ」

「鬼?」

「そう、鬼。ずっと昔、この世界に住んでいた鬼さ」

 妖怪が蔓延るこの世界でも、鬼という存在は珍しい。
 というか、私以外居ないし、この私もつい最近来たばかりだ。
 その、ずっと昔から因縁のある、あのインチキ野郎の思惑通りというのが頂けないが。

「へー、お祭りでもあるの?」

「毎日がお祭りみたいなものさ、私にとってはね。酒があれば一日中幸せ気分だ」

 そう言って、また瓢箪を傾ける。
 私は何をしてるんだろうか。恐怖の対象であるべき鬼が、女の子と世間話だなんて。

「鬼なんて見たことないや。どんな妖怪なの?」

「鬼は妖怪じゃない。鬼は鬼なんだ。それ以上ではあっても、それ以下では決してない」

 今にも転びそうな走り方で近づいてきた彼女は、私の隣に座る。
 どうやら続きがあると思っているらしい。

 私はそれを横目に、一息吐いた後、もう一度ゆっくりと息を吸った。

「昔、鬼と人間は、人攫いと鬼退治という関係で繋がれていたんだ」

 ――どうやら酒に酔ったらしい。

 そうさ私が酒に酔ってない時なんてないんだ。

 うん、そうだな。酔ったんだろうさ、私は。



 鬼は人間との遊びが大好きだった。
 人間が決めた決まりを守り、その中で全力を出して遊ぶ。
 そして勝てば、その人間を攫う。

 そうしてるうちに、人間の中にも強い奴はいるもので。
 とうとう鬼退治に来るわけだ。そして攫った人間を連れ戻していく。
 それが、私達鬼にとって、本当に楽しくて、そして人間が大好きな証拠でもあった。

 宴会を開き、遊び、酒を飲み交わし、踊り、時に怒りもした。
 それでも、鬼は人間を信用していた。信用していたんだ。

 でも、人間というのは儚い物だな。すぐに命尽きてしまう。
 姿形は変わらないくせに、やれ時代が変わった、やれ世代が変わったと。
 そうして、今まで築いてきた信頼関係なんてものは、鬼の圧倒的な力への恐怖に変わっていった。

 人間は鬼を罠に嵌めた。

 嘘、っていう、人間の得意技をもって、鬼を一網打尽にしたんだ。

 どんどん狩られていく仲間達、意味が分からなかった。
 だって、まだ遊びのルールを決めていないじゃないか。
 私達はどうすればいい? どいつと遊べばいい?
 訳が――分からなかった。




 そして、人間に裏切られた鬼は、この世界を去った。

 鬼だけの住む世界へと旅立った。

 そして、この、絆と思っていたそれは、あっという間に、崩れ去った。




「そんな鬼の一人さ、私は」

「私、嘘なんてつかないよ」

「はは、そうだね。お嬢ちゃんは嘘をつかない。私にはそれが分かるよ」

 一度は失った絆。

 人間は、かつて鬼が居たなんていうことさえ忘れ、人間の卑怯さでさえ自覚がないときたものだ。 

 それでも、私はここに来た。

 この世界で、もう一度、鬼と人間で遊ぶために。


 ――まぁ、あの巫女のせいでそれは失敗したけれども。


「さぁ、もう遅い。今日は帰ったらどうだい。また明日にでも来るといいよ」

 すると彼女は突然顔を俯かせる。

「あのね、長い冬でね、お母さんが病気になっちゃって。でね、今年はすごくなんだか冬が長くって、薬草が全然取れなくてね」

 どうやらここに来た理由を教えてくれているみたいだ。
 私に言ったところで、なんにもならないのに。

「だから、買おうと思ってもすっごい高いし……だからね、巫女様に頼んだらね、治るかなって」

 ――なるほど、立派な真実だ。

「分かったよ、お嬢ちゃん。私は巫女と顔見知りでね、帰ってきたら頼んでおいてあげるよ」

「本当!?」

「あぁ、」

 私は、満面の笑みを、巫女の代わりに彼女へ。

「鬼は、嘘が大嫌いだからね」












「と、言う事があった」

「へぇ、あんたにしては珍しく嬉しいことしてくれたじゃない」

「私はいつだって人間の味方さ」

「私も人間だっての」

「私は嘘が嫌いなんだよ」

「嘘じゃないっての」






 その後、女の子の家に大量の薬草が萃まっていたのだが、それはまた別のお話。

「巫女の力は偉大ね」

「私は嘘が嫌いなんだと何度言えば分かるんだか」


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