全てのものに、終わりが在る。
どんなものにだって、終わりが来る。

だから、私はいつも置いていかれる。

全てのものに、置いていかれる。
どんなものにだって、見放される。

もし……もしも。

終わりのないものがあれば、それは――





私と共に、歩んでくれるのだろうか。


この、終わりのない道を。
終わりのない、私と――













「もうこっちに一人で来たりするんじゃないぞ」

 竹林に迷い込んだ人間を人里まで案内し、私は手を振りそう言った。
声の方向に居るその人間は、少し頭を下げて、足早に人里へと向かった。

「良い事をした後ってのは、気分も良いもんだな」

 こうも気分が良いのだし。

「どうせここまで来たんだ。久しぶりに里に下りて買い物でも楽しもうかな」

 座ったまま眠るから、新しい座布団が欲しいと思っていたところだし。

 たまには、息抜きだって必要なんだから。





「あ、い、う、え、お!」

 座布団を抱えながら歩いていると、突然、近くから元気の良い声が聞こえた。
声のする方へと歩を進めれば、そこには小さな学び舎があった。

 木の柵が取り付けられた窓から中を覗けば、声の主は数人の子供達だ。
各々が小さな机の前に座り、小さな口を思い切り開け、小さな頭へと知識を詰め込もうと頑張っている。
その小さな者達の前に立つのは。

「次はかきくけこ。発音はすぐにできるが、読むのと書くのは中々に難しいぞ。しっかりと覚えていこう」

 上白沢慧音。
私の数少ない理解者の一人。
子供、というあまりにも無力な存在を、親の目の届かないところで預かっているのだ。
里の皆からの信頼というものが容易に窺い知れる。
まぁ、私だって最近は頑張って里の人達とも話そうとはしているのだから。
別に、うらやましいわけではない。わけではない。


 授業が終わり、子供達が一斉に学び舎から飛び出して行く。
やはり勉学よりも、遊びの方が楽しいということか。
当たり前ではあるが、教える立場としては、どうなんだろうな。

「やぁ、どうした。珍しいじゃないか? こんなところまで来るだなんて」

 子供達に続き出てきた彼女は、扉の横でもたれ掛っていた私に声をかけてきた。
もちろんそれを待っていたのは私なのだから、当たり前なのだけど。

「趣味の延長さ。苦痛を耐えるほうが、それを逃れるために色々するよりは楽だけど。
 でも簡単に逃れることができそうなら、それに越したことは無い」

 そう言って、私は抱えていた座布団を彼女に見せ、自身の腰をぽんっと叩いた。
それを見て彼女はひとつ笑い、自らを苦難の中に投げるのは、僧だけで十分だ、とふたつ笑った。



 その後、私は買ってきた新しい座布団に座り、慧音の自宅で茶を頂くことになった。
茶を淹れる彼女の後ろ姿を眺めながら、ぼんやりと彼女の髪を。

「髪、少し伸びたね」

「そうか? あまり気にしなかったが。久しぶりに会うとやはり違いが分かるものなんだな」

 こうやって、毎日、何事にも変化は訪れる。
変化の無いものなんて、有り得ない。

 彼女が湯呑みを私の前に置くその手も。
彼女が折りたたむその足も。
私に向けてくれる、その瞳だって。

 時というものと共に、歩み続けるのだから。


「あいうえお、って教えてるんだな」

「ん? あぁ。そうだな。やはり何をするにしても、文字は読めないと話にならない。
 まず最初にすることは、文字の読み書きだ」

「成程。昔はよく、いろはで教わってるのを聞いていたもんだけど」

 少し昔を思い出して。

「なら、今の子は、一番最初に教えてもらうのは、『あい』ってことか。良い時代になったもんだね」

 ははっ、と笑いながら、本当に良い時代……いや、良い世界だなと考える。

「ほう、そういった考えは初めてだ。しかし、もしかすると、愛という単語自体が、あいうえおの最初から取られたものという発想も出来なくも無いぞ」

 なんて、意味の無い他愛も無い話を。

「こうして二人で話すのは、一月振りか? 久しいものだ」

「そうだったか? つい一週間ほど前だと思っていたけど。ダメだね。長生きすると平坦な日々とは違う起伏の一日ってのはすぐに均されてしまう」

 苦笑交じりにそう話すと、慧音は少し顔を曇らせた。

「そう……なのだろうな。私とこうして話した思い出も、ちょっとした起伏として記憶されたのなら嬉しいものだが。そうだな、いつかは、それもきっと平坦な日常の一部になってしまうのだろう」

 少し、寂しいものだな。

 彼女は、本当に寂しそうに、そう言ってくれた。
私はそれが本当に嬉しくて、何も言わなかった。

 でも、そんな感情さえも、きっと。


 終わらないものなんてないのだから。


 三百年嫌われ悲しみ。
 三百年恨み辛み。
 三百年怠け無力で。
 
 そんな永遠にさえ思えた旅路でも、この三百年で終わりを告げた。
 そしてその間に関わってきたもの全てが終わりを告げた。
 そして私はその全ての終わりをこの目で見てきた。

 終わらないものは、無い。
私や、輝夜、永琳と言う少数を除き、時という道連れと共に歩み続けるのだから。
私達は時に見捨てられたのだから。

 終わるわけが無いのだから、終わりを見続けるしかないのだから。

 そう思うと、私には、もう。

「さて、そろそろ帰るとするよ」

「そうか? 晩飯も食べて行けばいいだろうに。何か用でもあるのか?」

 そんな彼女の優しさも、いつかは必ず終わりが来る。
それはもしかしたら嫌われてかもしれないし、或いは興味を無くされたからかも知れない。
そうではなくとも、いつかは必ず終わるのだ。
だから、そんな優しさに、何時までも浸かっているわけには……いけない。

「『あい』で始まるのなら……さ」

 突然話を掘り返した私に僅かに驚きながらも、彼女は耳を傾けてくれる。

「最後は……『わかれ』で終わるべきだね」

 それを聞いた彼女の顔は。

 私の永く働きすぎた心の蔵にも。

 酷く、傷を残した。






 そう、何事にも嵌りすぎてはいけない。
嵌れば嵌るほどに、失った後の穴は大きく、深い。
そこから這い上がるためには、また誰かの助けが必要になってしまう。
そうすれば、またその誰かの穴に嵌り、また誰かに助けを請う。

そんな生き永らえ方は……もう、沢山だ。
だって、私は、不死なのだから。
どうしたって、死ねないのだから。

なぁ、今まで私を置いて行った皆は、知っていたのかな。
残された人の力を持って行ってしまうって、知っていたのかな。
全てを投げ出してしまいたくなるほど、奪って行くって、知っていたのかな。
それでも、私は投げ出せない。投げ出すことなんて出来ないのだから。
奪われ続けた私には、もう……何も残ってなんて、いやしないのだから……。










「やぁ、どうした。珍しいじゃないか? こんなところまで来るだなんて」

「趣味の、延長。さ」

 座ったままの彼女の隣に腰を下ろす。
茶は出てこなかったが、別にそれはなんとも思わない。

「髪、少し伸びたね」

「そうか……? あまり気にしなかったが。久しぶりに会うとやはり違いが分かるものなんだな」

「あぁ、分かるよ。とても良く分かる」


 彼女は笑いかけてくれる。
それを嬉しいと思う私の気持ちは、確かにそこにあった。

「こうして二人で話すのは……いつぶりだろうか。久しいものだ……」

「そんなに会って無かったかな。つい先日の様に思い出せるものだから。てっきり一年程度かと思ったよ」

「ふふ……確かに貴方は変わってない……。つい先日の様に。つい数年前の様に。そして恐らくこれからもずっと、貴方は変わらないのだろうな」

「あぁ、変わらないよ。それが私だからね」

 少しだけ悲しそうな顔をしてみせる彼女。
やっぱり私はそれを本当に嬉しく思う。

 でもやはり、そんな感情もいつかは。

「あいで始まるのなら、わかれで終わるべき……か」

 突然、前に私が言った事を。

「実に貴方らしい考え方だ。数多の終わりを経験して来た貴方だからこそ……重みがある台詞となった」

 目を瞑り、彼女は昔を思い返しているのだろうか。

「だから、私はそれに咄嗟に返答することができなかった。そんな事は無い、だなんて、口が裂けても言えるはずもない言葉だと、そう思った」

 その瞼を開け、私を見つめる。
そこには、いつもの彼女の優しい瞳があった。

「だが、まぁ。それで正解だったのだろう。だって、こうして、また、来てくれたのだから」

「そうだね」

 私はそんなことしか言えない。
今度は、私が言葉に詰まる番だった。
言葉が乾いた喉に張り付いて外に出てきてくれない。
茶を出してもらえば良かったな、なんて、意味の無い考えをめぐらせたりして。

「だがね、今の私なら、こう、答えることができる」

 彼女はひとつ息を吐いて、少しゆっくりともう一度。

「愛で始まり、別れで終わらないのは。それはきっと、そう。そういうことなのだと、今の私は思うよ」

 なんて、笑ってみせて。


 それから少し。

「残される悲しみを、貴方はきっと、誰よりも知っている」

「私もそれなりには見送ってきたが、貴方のそれには、遠く及ばない」

「そんな私でさえ、残されたときは、とても辛く、寂しいものだった」

「だから貴方の哀しみは、私には到底想像し得ないものなのだと、想像は出来る」

「でも、でもだ。妹紅」

「私は、貴方が知らない事を、一つ。知っているよ」

 息も途切れ途切れにそこまで続けた彼女は、少しだけ笑っていて。

「へぇ、それはなんだって?」

「残して行く者の、やり切れなさ。だよ」

「あぁ、とてもやり切れない。無力だ。私は色々な歴史を、知識を知ってきたが。
 やはりこれだけは体験しなければ分からないことなのだろう」

「ここに来て思い知らされる。自分という存在がどれだけ無力かを。
 私が居なくなっても、この世界は今までと変わらない。また、新しい誰かが生まれ、変わらない」

「だから」

「貴方の心くらいは、私が居なくなった時に、変わって欲しいと、そう、願ってしまうんだ」

「なんとまぁ、ささやかな願いだね」

 私も、先ほどの彼女と同じように、少しだけ。

「きっとこの事は、私の平坦な道の中で、突然出来た大きな穴になる。それは誰が見ても埋めることを諦めるような穴で。だから、ずっと、残ったままになってしまうんだ」

「それは……迷惑な話だな」

「本当にね」

 だから、私達は二人で笑いあった。



 感じる。
時が彼女を見捨てようとしているのを。
彼女は、一人旅立つ。
それを分かってか、彼女は深く息を吸った。

「なぁ、紅妹」

 彼女は私の手を握る。

「無知な私に、教えて欲しい」

 私はそれを握り返さない。

「別れではない」

 返せるはずもない。

「愛の終わり方を」

 時に見捨てられた私が、時と共に歩み続けた彼女の手を握るなど。

「見せてくれないか」

 だから私は。







 だけど私は。

 手を強く握り返して。

 彼女の瞳を見つめ返して。

 出来うる限りの喜びと、今までの感謝の気持ちを込めて。

「ん」

 なんて、笑ったのだった。










 そう、終わらない。
それは終わらないのだ。
人は死に、残された者は辛く悲しい日々が続く。
でも、私はその残された者が残して行く者さえも見届けて。
そしてそれが何度も繰り返されて。
繰り返しはやがて、始めに戻ってきて。

だから私は。


「やぁ、どうした。珍しいじゃないか? こんなところまで来るだなんて」

「貴方のお話が面白くって。先生の授業なんかよりもとっても楽しいわ」

「ははっ、そんなことを言っちゃいけないよ。きっと君は将来先生になる。私が保証するよ」

「えー、無いと思うけどなー」

 屈託の無い瞳を向ける彼女は。

「あれ、そう言えば」

 終わりの無い私に。

「髪、少し伸びたね」

 共に歩き続ける、終わりの無いものを教えてくれた。

「そうかい。そいつは嬉しいね」

「嬉しいの? 髪伸ばしたいんだ。もう十分長いと思うけど」

「なぁに。あんたはやっぱりいい教師になると思っただけさ。あんたはきっと……」

 死ぬ寸前まで、

「立派な教師さ」

 なんて私に。

「ん」

 なんて、嬉しそうに笑う彼女が居るのだった。

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