1
自給自足が基本にあり、それを交換や売るなどをして生計を立てるのが「普通」と言われる時代。
そしてその普通が普通に存在する村で。
普通であり、裕福とは言えない家庭に、第一子として生まれた。
クラサス。
それが彼女の名前だった。
初めての子である、もちろん両親が喜ばないはずも無い。しかしそれはあまりにも短い間だった。
体が、病弱だったのだ。体が資本、とでも言えばいいのか、畑を耕すのにも、何をするのにも、動けないのならタダ飯食らい。
両親は落胆した。薬を買うような金も、元気になるような食事を食べさせる金もない。
そうしているうちに弟が生まれ、そちらに愛情が全て注がれるようになる。
当たり前だ。弟は男であり、そして彼女と違って健常であったから。
それでもクラサスは考えた。
外に出ないようにしよう。少しでもお腹が減らないように。
汗をかかないようにしよう。洗濯しなくても大丈夫なように。
大きくならないようにしよう。服を変えなくてもいいように……。
ベッドに座り、窓から外を眺める。
そこには同年代の子供達が走り回り、遊び、親と手をつなぎ、お手伝いをし、お使いをし――。
弟は立派に親の手伝いをしている。私はベッドで寝て何もしていない。
だから、クラサスは、全てを諦めた。
走り回らなくたっていい、遊ばなくたっていい、手を繋いでもらわなくても、お手伝いができなくても、お使いができなくても……
――でも。
たった一つだけ、彼女は願ってしまった。
トモダチ。
トモダチが欲しい。
彼女が唯一趣味としてしているものは、たまに弟が拾っては見せてくる花を貰って育てる事。
クラサスは花を愛した。何もしなくても、ただ咲いているだけで人々に愛してもらえる、そんな花。
彼女は花に自己を投影していた。
ただ咲いているだけで、ただいるだけで花は愛される。
なら私は――?
何故愛されないのか。
それは思ってはいけないことだった。花と人間は違う。私は誰かを癒すことも、安らぐ香りを嗅がせることもできないのだ。
そうやって……ずっと生きてきた。
でも、願ってしまうのだ。私を花のように愛してくれる人が欲しい。トモダチが、欲しい、と。
2
何年経ったのか。体も少しずつ大きくなってしまい、最近食事が足りないと感じてしまっている。
もちろんそんなことは誰にも言わない、言えるはずもない。
空腹を感じながらベッドに横たわり窓の外を見ようとした。
そこには見知らぬ女の子が一人居た。
「この花、アカシアでしょ?」
突然その少女に話しかけられる。家族以外の人と会話するなんて記憶があるうちからは一度も無かった。
どう返せばいいのか分からず、首を一度コクンと頷くことが精一杯だった。
「だよね、私もこの花好きなんだ。私達、仲良くなれそうじゃない?
」
瞬間、頭が真っ白に沸騰する。仲良くなれる? 私とあなたが、仲良く?
でも、仲良くって……外で走り回ったりすることでしょ……? そんなの私にはできない……。
無理だ……という言葉が頭を浮かびかかったとき、
「よかったら友達にならない?」
そんな事を言われた気がした。頭の中でもう一度それを繰り返す。
血が頭に上るのが分かる。トモダチ。トモダチ……?
クラサスは、顔を上げて目を大きく開いた。
「ト……トモダチ? に……?」
声を出すことが久しぶりだったためか、小さかったり大きかったりするその声に、少女は笑いかける。
「なってくれるんだ! ありがと! よろしくね!」
それがクラサスと、ネムという少し年上の少女との出会いであった。
初めての友達と呼べる存在に、心が躍った。窓越しに会話するだけの日々。
やはり走り回ったりはできなかったが、それでも彼女は十分だった。
これ以上望むものは本当に無かった。トモダチと呼べる存在がいること。それが本当に嬉しかった。
そんな日が、これからもずっと続いてくれるのだと、幼い心の持ち主であるクラサスは疑わなかった。
しかし、両親は反対していた。
「あいつは孤児なんだ。何を盗まれるかわかったもんじゃない。仲良くするのはやめなさい」
クラサスは悩んだ。今まで言われた事は絶対に守ってきた。嫌われないように頑張ってきた。
――だけど、あなた達は、私を愛してはくれなかった。
クラサスはこの時、家族よりもネムの方が大事なのだ、と自分が考えていることに気づいたのだった。
3
ある日、ネムはこう言った。
「今、家族誰も家に居ないんでしょ? 家に入れてよ。もっと近くで話したいな」
そんな申し出をクラサスが断るはずも無い。喜びで顔が赤くなるのが自分でも分かった。
鍵を開け、自分の部屋に案内する。ネムはクラサスの隣に腰かけ、一枚の壁も遮らない関係に、クラサスは歓喜した。
・
・
・
「あぁ、用事があるんだ。今日はもう帰るよ」
少し話しただけではあったが、次の日からもこうやって話せるのだ、という期待で胸が一杯だった。
見送ろうと立ち上がろうとしたが、ネムはそれを制した。
「ちょっと顔が赤いし、疲れてるのかもよ。見送るのはいいよ。鍵もゆっくりしてからかければいいよ。まだ帰ってこないだろうし」
心配をされていることにまたもクラサスは喜んだ。
ありがとう、これが愛されているということなんだわ。今、私は花のように、愛されているんだわ――。
その夜、親は帰ってくるなりクラサスを殴りつけた。
金と食料が無くなっている。あの孤児が盗んでいったに違いない。家に入れたな。あれだけ関係を絶てと言ったのに……。
そんなわけが無いとクラサスはネムを庇った。私を愛してくれる彼女がそんなことをするはず無い。
疑いは無かった。愛とはそういうもののはずなのだ。疑うことは、愛では無いのだ。
これ以上クラサスを殴っても何もならないと思った親はクラサスの部屋を出る。
「何もしないのに家に置いてやっていたというのに、お前は居るだけでも迷惑をかけるんだな」
そう、言い残して。
次の日、クラサスは窓の外を眺め続けた。頬が痛む。お腹が痛む。足が痛む。
それでも彼女は眺め続けた。ネムが、また、アカシアの向こう側から来てくれる事を信じて。
でも、ネムは来なかった。何日も何日も待った。
時々、裏切られた、という思いが頭を過ぎる。
それこそが裏切りなのだと、クラサスは頭を振った。信じる事、それが愛する事。疑うことは愛していないことなのだ……と。
家族に見放され、トモダチは来ない。
食事は足りないと思っていた頃に比べて、半分くらいになっていた。
自分の体がどんどん弱っていっているのがよく分かる。
このまま死ぬんだな、とクラサスは小さな体を眺めながら考えた。
それもいい……トモダチを疑うくらいなら、私は死を選ぶ。
そう、思っていた。
だけど、それももう、限界だった。
なんで彼女は私に話しかけてきたの? ――それはお前が一人ぼっちですぐに信じてくれそうだったからだよ。
なんで彼女は私と仲良くしてくれたの? ――それはお前が鍵をすぐに開けてくれそうだったからだろ。
なんで彼女は後で鍵をかければいいと言ったの? ――それは家の中を一人で見たかったからだよ。
なんで彼女は用事があると帰ってしまったの? ――それはお前の家族が帰ってくる前に帰りたかったからだよ。
なんで……なんで……なんで……
――それは、お前と仲良くなりたかったんじゃなくて、お前の家のお金と食料が欲しかったからだよ。
人は裏切る、裏切るのだ。裏切らないことが友情であり、親友ではないのか。愛ではないのか。
友達……人自体と関わる事の少なかった彼女は、極端な理想の想像しかできなかった。それが全く間違っていないと信じていた。
彼女は泣いた。どうしようもなく泣いた。それしかできなかった。それしかできない自分を悔しいとさえ思った。
裏切られた。裏切られた。裏切られた。
トモダチに、裏切られた。トモダチに……。
違う。
トモダチなんかじゃなかった。最初から私はネムにトモダチと思われていなかった。
信じてなんかいなかった。裏切ったなんて彼女は思ってくれてさえいない。
苦しんでくれてなんていない。私だけが悲しくて、苦しくて、信じていて、愛していて――。
嫌だ。
そんなのは嫌だ。
――――死にたくない。
こんなことろで死にたくなんてない。
愛されたい。トモダチに愛されたい。信じられたい。裏切られたくなんて、無い……。
「愛されたいのなら、愛してくれる人を作ればいいじゃないの」
涙で腫れた目を向けると、そこには見た事もないナニカが居た。
直感で分かった。悪魔、だと。
「私ならそれができるわ。願いを叶えてあげられるわよ」
悪魔は、何かを強く願った人の元に現れ、その願いを叶えると言う。
しかし叶えた後は、その人の体に宿り、願いを叶えた代償に罪を集めさせる。
その罪を集め、返済することから逃れる事はできず、一度契約をすれば死ぬまで罪を集めさせられる……。
だから、悪魔と契約をすることは、死を意味することなのだ、と小さい頃から教わってきた。
でも。
クラサスは、迷わなかった。
その涙を止めようともせずに、悪魔に向かって叫んだ。
「絶対に裏切らないトモダチが欲しい!」
それだけを望んだ。それだけを望んでいた。
「……契約完了、ね」
ニヤリと笑う悪魔を怖いとは思わなかった。
自分の願いを叶えてくれる、それだけで十分だった。
契約はあっという間に終わった。
特にこれといって何をしたでもなく、悪魔は消え、私の中に不思議な感覚を残した。
何も起こらなかった……? 嘘だったの? と思った。
瞬間、光が夜を明かしたかと思うと、また集まりだした黒の中心に居たのは、一人の少女だった。
彼女は私と目が合うと満面の笑みを向け、駆け寄った。
「クラサス。私のトモダチ。クラサスだけ居れば私はそれで幸せだよ」
一言。
でも、クラサスはそれだけでどうしようもないほどに満たされた。
歪んだ友情を止められる者は誰も居なかった。
間違いを正すはずの友達が、クラサスの望んだ通りのトモダチだったのだから。
私を幸せにしてくれるトモダチ。絶対に裏切らないソレ。彼女の名前は。
「アカシャ……。アカシャ・ネム」
『友情』の花言葉でつけたその名前は。
「よろしくね、アカシャ。私達は絶対に裏切らない。絶対に疑わない。だってそれがトモダチだものね」
もう1つの花言葉。
「うん、裏切らないよ。トモダチだもん。クラサス、大好きだよ」
『秘愛』
そんな意味を帯びていく。本人も気づかないところで。
4
それから数年経って、彼女達は村を出た。
正確には村を出る、というよりは村が無くなったの方が正しいのだろう。
クラサスが魔女とばれ、彼女を守るためアカシャも魔女となり、村を滅ぼしたからだ。
それから彼女達は色々なところを回った。
一緒に暮らせる居場所を探すために。
しかしそれは無理な話だった。
アカシャのゲッシュが、人や物を壊さなければならないというものだったから。
人を殺してはならない。それは魔女共通のゲッシュである。
しかしアカシャだけはそのゲッシュの楔から外れた存在であった。
それほどに強く、大きく、邪悪な悪魔と契約をしたのだ。
そのため、街に入れば物を壊し、人を殺し……
もしそれが二人の仕業とばれることが無くとも、成長しない体を持った彼女達は長く一所に住む事は叶わなかった。
二人だけで離れた所に住む、という案は最初からあったが、それでは壊すものが少なすぎるという問題があった。
しかし、限界は早くに来た。
クラサスの病弱な体は、移動し続ける生活には無理があったのだ。
それから、彼女達は二人で村や町から外れた山の近くで住む事にした。
木を折り、野生動物を狩り、魚を釣り……、そうやって、少しではあるものの、アカシャのゲッシュも解消できた。
二人っきりの寂しさは、森で捕まえたリスを飼うことで補った。
最初は反対していたアカシャも、クラサスが餌をあげるように指示してから、自ら餌をあげるようになった。
二人と一匹で完結した世界。
ここだけで世界は回っているのだと信じきれそうな。
そんな生活を続けていた。
「ありゃ、こんなところに家なんてあったっけ?」
雨が続いていた日、突然の来訪者が。
二人はもちろん殺す気でいた。
だが、
「ちょいまちちょいまちー! うち別に二人になんかしようとか思ってへんよー」
それは、魔女だった。
この辺りでは見た事の無い珍しい服装をした彼女は、聞いた事も無い訛りで話しかけてきた。
「お前も魔女だよな。何か用か?」
「いやー、この辺って誰も住んでへんかったから、迷惑ならへん思って適当に雨降らしてたんやけど、人が居るなら話は別やなーと思ってなあ」
「あら、この雨はあなたの能力なの?」
「そそ、昔、雨降らんかったとこに住んでてな、それで雨降らせよー思って契約したら、能力の制御ができへんで、土砂崩れで村崩壊してもてん。アホな話やろ?」
そう言って笑う彼女は、今まで会ってきた人達とは違った。
それも当たり前だ。人間であるから魔女を嫌った。
それなら、魔女同士であるのなら、嫌い合う必要もないのだ。
「まぁ悪かったなあ。雨はそろそろ止まさすわ。でも、ここってうち居ない時、全然降らんやろ?」
「そうね。つい4日程前から振り続けてるけど、その前は降った記憶が全くって言っていい程無いわ」
「せやねんなー。ここ山の麓やから、山の向こうっ側は降ってるんやけど、こっちは雨降らしきった雲しかこーへんねん」
彼女は少し笑い。
「これも何かの縁。水飲み放題券はいかがです? うちが居る限り、川の水は枯れさせへんし、動物も住むようになる。木も生えるから薪にも困らへん。どや?」
「私達は二人で」
「私はいいと思うな。アカシャはダメ?」
言いかけた言葉は、クラサスの声で遮られた。
アカシャは、クラサスがそう言うのなら、何も不満は無いとだけ伝え、雨の少女を見据えた。
「ありがとなー。まぁこれからは三人で宜しく頼むわ」
二人は初めて、拒絶しない他人というものを知った。
二人だけで完結していた世界が、少しだけ、広がった気がしていた。
「うちの名前は、下野白雨。雨降らすために生まれてきたような名前してるやろ」
よろしくね、と笑うクラサスを見て、アカシャは少し暗い感情を抱いた。
何故クラサスは彼女を向かえ入れたのだろうか。
私だけでは限界があるのだろうか。
もう彼女は私に飽きたのか?
そんな訳ない。
疑うな。信じろ。
疑うことはトモダチじゃない。
そう、言い聞かせた。
「あ、そうそう。三人でー言うたけど、もしかしたらもう一人増えるかも。大丈夫? 無理やったら無理でええで」
二人は顔を見合わせる。
「もちろんそいつも魔女や。ま、ちょーっっっとだけ性格歪んどるけど、おもろいしええ奴やで」
アカシャは頷いた。
それを確認して、クラサスも頷いた。
「助かるわー。まぁ来るかどうかも分からん奴やけど、とりあえずありがとうな。また伝えとく」
籠の中のリスが小さく鳴き、忘れてた訳じゃないわよ、なんてクラサスが言い、三人で笑ったのだった。
それから、三人での生活が数ヶ月続いた。
特にこれといった問題も無く、下野の性格のためだろうか、三人は傍から見れば、仲のよい姉妹のようにさえ見えた。
だが、別の方から問題が見え始めた。
アカシャのゲッシュの負債が溜まり始めてきたのだ。
野生動物や木などでは到底そのゲッシュ分の破壊活動は行えていなかった。
だが、アカシャはそれをクラサスには言わない。言えるわけもない。
言えばまた移動し続ける生活に戻る。
そして、そんな生活に下野がついてくるとも思えない。
クラサスは下野も大事に思っている。
そんなクラサスを、また二人っきりで、あんな辛い生活に戻すわけにはいかない……。
アカシャはリスに餌をやり、籠から出して、腕を上らせた。
「お前は、ずっと閉じ込められて……幸せか?」
問いてはいけない質問だ。
私達がこの子を籠に入れたのに。
それで幸せか、だなんて。
問いてはいけなかった。
私がクラサスを自分の世界に閉じ込めたのに。
それで幸せになると信じていたのに。
下野が来てから、その世界に自信が無くなっていた。
あいつが来てから、クラサスは楽しそうに笑う。
今までも楽しそうだったけど、回数が増えたように思う。
それも当たり前だ。トモダチが増えたのだから。
2倍に増えれば、笑う回数だって2倍に増える。
喜ぶべき事なんだ。
クラサスの幸せは、私の幸せ。
なら。
私以外に、何人もトモダチができれば。
私は――……
「わたくし、見ての通り、完璧ですの。美貌も、財も、そして名誉も欲しいままですのよ。でも、一つだけ足りないものがありますの……分かるかしら」
「さあ……なんでしょう。分かる? アカシャ」
「謙虚さじゃないのか」
「謙虚になる必要がどこにございますか。謙虚というものは、本当は弱点があって、それを人に指摘されないように自分が下に行ってそれを隠すために必要なものでしてよ。わたくしは完璧ですの。そんなものは全く必要ではありませんわ」
彼女は一つため息をつくと、
「どれだけ完璧であろうと、それを認める方が居ないとなんの意味もございませんの。ましてやわたくしは魔女。ただの人間では勝手に死んでいってしまうではありませんか。だから、永遠にわたくしを褒め続けることのできる存在が必要ですのよ。お分かりいただけたかしら?」
なんて、さも当たり前のように言った。
「まぁこんな感じでちょーっっっと変わってるけど、ええ奴やから。な。信じれへんかもしれんけど。いや、ホンマええ奴やから」
なんてフォローを入れる下野。
彼女が下野の言っていた四人目だった。
「わたくしは、スティス・M・ファノティス。名前すらも美しいでしょう。好きにお呼びなさいな」
二人で始めた生活も、今ではもう四人。
クラサスは常に楽しそうに笑っている。
それを素直に喜ぶことのできないアカシャ。
それでも、アカシャの中で、少しずつ変化が起こり始めていた。
5
「わたくし、泥に塗れるなんてこと、したくはありませんわ」
「そろそろ慣れろよ。まぁもういい、私がやってくる」
四人での生活もすでに年単位で過ぎていっていた。
クラサスの笑顔は途切れる事は無い。
幸せそうな生活だった。
アカシャも、少しではあるが、下野とスティスを認め始めていた。
そう、それほどまでに、アカシャは限界が近くなっていたのだ。
魔女はゲッシュを守らなければ負債が増える。
「罪」というものを集め、悪魔に対する恐怖心、信仰を得なければならないのだが、ゲッシュを守らなければその集める分が増えてしまう。
悪魔と契約をし、力を得る代償に、魔女にはそういった誓約が決められる。
ゲッシュを守る事で、魔女は強い魔力を得ることができる。
逆に守らなければ、魔力は減り、そして負債が増え、最後には悪魔に見限られ、死ぬ。
アカシャはその負債が膨れ上がってしまっていた。
今まで通り、物を壊したり、動物を狩るだけでは到底補えない程に。
なら、どうなるか、想像に容易かった。
自分はいつか死ぬ。
その時、一人きりに、クラサスを一人にさせるわけにはいかない。
だから、この二人には、クラサスと仲良くしてもらわないと困るのだ。
そう、認めてから、アカシャは二人との壁が薄くなったのを自分で感じていた。
言う事は聞かない、言いたい放題する、そんな奴、トモダチじゃない。
と思いつつも、それが嫌ではない自分に気づき始めた。
「今日はこれで十分狩れただろ、帰ろう」
「こんな野蛮な生活、どれだけ続けても慣れる気がしませんわ。家のフルコースが懐かしい……」
そうして、家に着き扉を開けようとした時、中からクラサスと下野の会話が聞こえた。
「ホンマ、クラサスとアカシャって仲ええね。正直、うちらここに居ってええん? 二人だけの方がええとか無いん?」
アカシャは扉を開ける手を止めた。
後ろでスティスが不思議そうな顔をしているのが分かる。
だが、その返答が気になって仕方なかった。
クラサスはどう考えているのだろう。
疑っているわけじゃない。
知りたいだけなんだ、と言い聞かせて。
「ええ、アカシャの事は大好きよ。でもあなた達が居なくなるのは悲しいわ。誰一人として欠けて欲しくなんて無いの。
我侭かもしれないけど、四人でいるのが、私は大好きなの」
死にたくない。
彼女はそう、思った。
クラサスを置いて、死ねない。
誰一人として死なせたくない。
私の事を大切に思ってくれている。
そう、クラサスの幸せが私の幸せ。
なんでそんな当たり前の事を忘れていたんだろう。
私以外の人にも幸せは貰えている。
でも、私だってちゃんとクラサスを幸せにできていたんだ。
だから、私はその幸せを守りたい。
だから……死ねない。
その夜、クラサスが物音に気づき目を覚ますと、アカシャはリスの籠の前に立っていた。
餌をあげているのだと思い、少し笑顔を見せた後、もう一度眠りについた。
しかし次の朝、籠の中には何も居なくなっていた。
「リスは死んじゃったんだ。昨日の夜に。だから埋めてきたよ」
そう、アカシャは言った。
だが、クラサスは気づいていた。
籠の中に、血が付いていたことに。
「足りない……全然足りない……」
アカシャは呟きながら歩き続けた。
殺し続けた。
壊し続けた。
でも足りなかった。
負債はもう返せる限度を超えていた。
何年も返すのを放棄していたに近い状態で、更にゲッシュも守れていなかったのだ。
返せるわけもなかった。それでも彼女は諦めなかった。
クラサスと共に生きたいから。
そのためには、どんな犠牲でも……。
気づくと、アカシャの手は赤く染まっていた。
「なんだこれ……」
視線を赤い手のひらの向こう側に持っていくと、そこには見慣れた顔とは程遠い表情をした下野が膝を付いていた。
「どうしたっていうんや……? アカシャ、あんたそんなことする奴やないやろ……」
これは私がしたのか。
何で?
――簡単なことだ。
負債を返そうとしたからだ。
「分かってる。あんたは負債を返したいだけやろ? ちょっと頭に血ぃ上ってるだけや。ほら、好きなだけ雨降らしたるから、頭冷やし……」
そう言って、彼女は雨を降らし、その濡れた頬を地面へとぶつけた。
その光景を、まるで第三者から見ているような感覚でアカシャは呆然としていた。
何をしたのか、分からなかった。
いや、分かっていたけど、認めたくなかった。
どうしたらいいのか分からない。
私はこんなことを望んでなんかいなかった。
『殺せよ』
そう、誰かが呟いた。
『俺がお前に与えたゲッシュ。分かってるだろ? そいつを殺せば、そいつが今まで集めた罪も回収できて、お前のゲッシュも果たされる。一石二鳥じゃないか』
悪魔が、囁いている。
「ダメだ……クラサスが悲しむ……。私だって、こんな方法望んでない……!」
『お前が望む望まないに関わらず、そうしないとお前は死ぬぞ? 俺だって、得にならない相手と契約なんてしたくないんだからな』
体が震えた。
そうしないと、私はクラサスと離れ離れになる。
そう考えるだけで、アカシャの心は恐ろしさに跳ねた。
下野に歩み寄る。
殺す。
そうすれば私はクラサスと……
「アカシャ! 何してるの!? やめて!」
はっ、と顔を上げると、そこには彼女が。
見た事もない目で。
私を見ていた。
「あ……ああ……」
彼女は私を怖いと思っているのか。
彼女のためにと思って私が取ろうとした選択は。
彼女を不幸にする選択だったのか。
何かが、壊れた。
クラサスが願い、絶対に裏切らない存在として作られた彼女は、クラサスを不幸にしてしまったという矛盾から。
自分の存在意義を、見失った。
もう、だめだ。
「 」
声にならない叫びを上げた彼女は、その場を飛び去った。
死にたくない。
彼女を幸せにしたい。
その二つを同時に叶えたい。それだけなのに。
それだけのことが、こんなにも難しいことだったなんて。
だから、
やるしかない。
やるしかないんだ……!
アカシャが飛び去った後、クラサスはその後ろ姿をずっと見ていた。
何故こんなことになったのだろうか。
ずっと一緒に居られたら、それだけで良かったはずなのに。
どこで間違ったのか。
それともこれが最善の道だったのか。
そもそも私が幸せになること自体がいけないことだったのか。
考えは、止まらなかった。
「何をしてますの?」
突然後ろからスティスが話しかける。
それに振り向くと、彼女はいつもどおりの澄ました顔を見せていた。
「どうせあなたの事です。どうしたらいいのか考えてしまって動けないのでしょう?」
簡単に言い当てられて、クラサスは顔を俯かせた。
「どうしたらいいのか、ではありませんわ。どうしたいか、だけで行動しなさい。それが美貌を守る秘訣でしてよ」
ふふん、と笑う彼女。
どうしたいか。
そう考えると、答えは簡単だった。
幸せになりたい。
いや、幸せにしてあげたい。
それが、私の幸せだった。
アカシャを、幸せにしてあげたい。
皆で、一緒に幸せになりたい。
「下野はこの程度ではくたばりませんわ。血は出ているようですが、魔女ですもの。そう簡単には死にませんこと。
まぁわたくし完璧ですので、回復魔術も嗜んでますの。わたくしにかかれば、この程度5分もあれば治せますわ」
だから、
彼女は続ける。
「さっさと迎えに行ってらっしゃいな。わたくし、褒めてくれる人がいなくなるのは我慢できなくてよ」
クラサスは少し笑って、ありがとう、と呟いた。
それに少しだけ顔を赤くしたスティスは、ほら、とクラサスを促した。
ひとつ頷いて、クラサスはアカシャが消えて行った方角を見据えた。
私が頑張るんだ。
片方だけが頑張ったって、幸せになんかなれやしない。
二人だけで頑張っても、幸せの量はしれている。
だから、私は皆で生きていきたい。
それくらいは、我侭言ったって……いいよね。
「私のゲッシュは……好きな人と一緒にいること。だから……アカシャが居ないと困るんだもの」
なんて言い訳をする自分が少し可笑しくて。
少女は飛び立つ。
小さな幸せを取り戻すために。
ただ、一緒に居たいという願いを果たすために。
だってそれが――
友達、だものね。
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