「うしっ。後はエドとカンナが帰ってきたら終わりだな」

  キスティが来た2日後、オレ達が世話になっている村の人達と一緒に城に避難した。
 あと少しで戦いが始まるという噂を聞いたので、早めに避難しようという事だ。
 村から城まではあまり遠くは無いのだが、老人や子供の足もあるので予想以上に時間がかかった。
 これは早めに出といて正解だったかもしれないな。もうちょっと遅かったら戦いの真っ只中ってのもあったかもしれない。

  そしてエドとカンナだが、カンナが何か忘れ物をしたという話なので取りに帰らせた。
 取りに行かないほうが良いと言ったのだが、どうしても大切なものだとの話なので、仕方なくエドをつけて行かせた。
 馬に乗って行かせたし、1日もすれば帰ってくるだろう。

 

  落ち着いて周りを見渡してみると、周りの兵士達は落ち着きが無い。
 戦いが近いことを教えてくれているみたいで滑稽だ。これじゃ逆に兵士がいたほうが不安になるっての。
 ここは先輩として一言――いや、オレがここにいる事自体やばいんだし、それは止めとくか。ここは大人しく、避難民しとこう。

「ジック! ジーク・フリードはいますか!?」

  うわ、なんか来た。反逆者の汚名背負ってるやつが名前呼ばれて挙手なんてするかって。無視無視。

「……。ジェイド=ゼウスさーん。いますかー」

  ……どうしよう。村のみんながオレのこと見てる。キスティめ……。もう呼ぶ事ないかも、とか言っといてちゃんと連呼してんじゃねぇか。
 仕方ない……。ここは、顔は隠して名乗り出るのが一番だな。そう思って布を頭からかぶって立ち上がった。

「ここだ、ここ」

「あ! ジッ……ジェイドさん。いらっしゃいましたか。どうかこちらへ来ていただけますか」

  了解、と呟いて人ごみを掻き分けてキスティの元へと向かった。

 

「すでに気づいてるとは思いますがすでに戦線は緊迫した状態が続いています。皆さん早めの避難、正解でしたね」

「ああ。でもキスティが言ってくれてなかったら多分もう少し遅れてたな。助かったよ。
 さすがの用心棒も何千人もの敵からは守れんからな」

「案外いけるかもしれないですよ。あなた方なら」

  ふふっ、と笑った。いつもどおり笑った。変わったと思ったのは気のせい? 気のせいにしては違和感があったんだけど。
 ま、どうでもいいかそんなこと。

『!?』

  突然、オレの頭を嫌な景色が通り過ぎていった。吐き気がする。頭が痛い。
 それは鮮明な未来。鮮明すぎて気持ちが悪い。一瞬だった。でも、理解するには十分すぎる時間だった。

  何だ、これは

  ナンダ、コレハ

 

「ジック! どうしたのですか!? ジック!」

  キスティが肩を持って、大きな声でオレの名前を呼ぶ。それに返答するために顔を上げるが、ダメだ。
 上手く力が入らない。さっき『見えた』景色のせいだ。

  そしてその景色を思い出して、オレは吐き気と共に、言葉を喉から吐き出した。

「キ…キスティ……ッ! アッシュは、アッシュはどこだ!?」

「え……、あ……。アッシュなら今、最前線で指揮をとっているはずですが……。敵が来たらのろしを上げるように言ってありますけど……」

「くっ……はぁ…ダメだ。ダメなんだ……。のろしは……のろしは上がらないっ!」

  彼女は心配そうな表情から少しずつ、何か恐ろしいものでも見たかのような表情へと変わっていった。

「大雨……。今日――あと少しで…降り始める……」

「ま、さか」

「そうだ……あと、あと少しで……アッシュたちはアース軍に攻め込ま、れる……」

  聞き終わった彼女は力なく両手を下げて、その場に座り込もうとしていた。

「キスティ!」

  そんな彼女に一括を入れる。ビクンッ、と跳ねるようにはじけた体は座り込む事は無かった。

「行ってやれ……」

  そう言うと、彼女はこくっと力強く頷いて走っていった。その背中を見ながらオレは涙を落としていた。

『アッシュは、キスティに会う前に……もう……』

 

 

 

「邪魔だっ! どけ!」

  何個目だろうか。剣を振れば倒れていく肉塊。血しぶきは雨に流れて気にならない。
 オレはただエドたちを見つければそれで良いんだ。頼むから邪魔しないでくれ。

  そんな事を考えながら双剣を振り回す。村の方向に走り続けながら、その後には血の道ができていた。
 馬はすでに倒れた。後どれくらいの距離だろうか。エドの事だ、しっかりとカンナは守っている事だろう。
 なんといってもオレが教えた事は基本と、剣を振るう者の心構えだけ。そしてそれは『大切なものを守る』だ。
 それしか教えてないんだから、それを守ってるはずだ。エドならそこら辺の兵士には10人一度に来られたって余裕なはずだ。

  また一人、地面へと倒れた。

  そのときだった。

  突然、何かを感じた。

  行かなくちゃいけない。

  そんな気がした。

  気づけば足が勝手にそっちに向かっていた。

  

 

  遠目に見えた翠色。忘れもしない。あの色はホルンの血筋の証。そしてあれは――

  まだ立っている。まだ大丈夫。間に合うのか。とりあえず走れ。

  よく見るとアッシュは深い傷を負っているみたいだ。雨が紅く染まって落ちている。
 彼を取り囲んでいるやつらは見た事のある顔立ちばかり。そのうちの一人の大男が、アッシュの後ろから斧を振り下ろした。
 それを目で確認もしないで横に跳んで避け、地面に突き刺さったままの斧を踏み台にしてアッシュは上に跳んだ。
 大男は斧を抜こうとしたが、それはできない。大男は気づいてないみたいだが、アッシュは跳ぶ直前に男の手首を斬っていた。
 なので、男には彼の剣を防ぐものは何も、無い。瞬間、男は倒れた。

  アッシュが着地して振り返る。その目の先には……見えないな。
 くそっ、遠い。それにこいつら、斬っても斬っても沸いて出てくるみたいにきりが無い。
 アッシュ……間に合うのか!?

  立ち尽くすアッシュに次に向かったのは金髪の男。遠めで見ても分かるぐらいの華奢な体つきだが、あいつも見た事がある。
 そいつが突き出してきた細剣を、彼は左手に突き刺した。わざと、に。そしてそれを突き刺したまま握り締めて、剣を固定した。
 アッシュは剣を引っ張って華奢な男を引き寄せた。あの類の剣は、突き刺すが故に剣が手から抜けにくいような造りになっている。
 そして、男の剣も例外ではなかったようだ。引っ張られてバランスを失った男は勢いよく横一文字に振られた剣になすすべもなく倒れた。

  それを確認して、アッシュは細剣を左手から抜いてもう一度さっきと同じ方を向いた。
 そのとき、彼は突然バランスを崩した。何だ、何が起こったんだ!?
 あと少し。あと少しだ。間に合えっ!

  バランスを崩した彼は、片膝を着き、剣を地面に突き刺して倒れるのを耐えた。
 目を凝らすと、彼の肩には矢が。その後も倒れずに彼は何本もの矢をその体で受け止めた。

  が

  彼の体は勢いよく放たれた矢によって、仰向けに地面へと倒された。
 そして彼に向かって歩み寄る一人の兵士。よし、アッシュ。そのまま動くな! いける。間に合うっ!

  歩み寄った兵士はアッシュの前に立って何か話しているみたいだ。

  兵士――女だ。あれは、銀髪? 銀髪の女剣士? まさか――

「アッシュ!!」

  叫ぶ。それに気づいたようだ。彼は、そして彼女はこちらに顔を向けた。
 その瞬間の彼の表情からは、笑顔しか見つけられなかった。

  でも――それは助けに来てくれたから、ではなく、最後の別れの笑顔だった。

  未だこちらを見ている彼女。それに対してアッシュは最後の力を振り絞って剣を振り上げた。
 倒れた体を、傷口から血を噴き出しながら持ち上げて、彼女の首めがけて剣を振り上げた。
 そして、その剣は確かに彼女の首を斬った。間違いなく首の半分以上を斬った。確実に死に向かう傷。

  なのに。彼女は。倒れなかった。

  アッシュにはもう動く力はこれっぽっちも残ってない。振った剣も、握る力が無く、飛んでいった。
 彼女はアッシュを見下ろして、握っていた剣を両の手で逆手に持って振り上げた。

  やばい。いけるのか。間に合うのか。この剣をのばせばギリギリ届くか。
 どうだ。どうなんだ。あと少し。間に合うか。間に――あう――。

 

『変えられない未来だ』

 

  その瞬間、彼女の剣はアッシュの胸を貫いた。
 そしてその剣をゆっくりと引き抜くと、剣に引っ張られるように持ち上がった体は重力に引っ張られて地面へと落ちた。
 剣についた血は、雨で土へと滲む。彼女は剣をしまって、オレを横目で見た後、その場にいた男と女を引き連れて去っていった。
 手を伸ばせば触れられる、剣を振れば間違いなく届く距離。でも、オレは何もできなかった。
 残されたのはオレだけ。あとここに居るのは動かなくなった、人にそっくりなモノ。
 雨に打たれて、何も考えられなくなったのか。オレは動けなかった。

 

「アッシュ!」

  どのくらいこうしていたのだろうか。もしかしたら何時間も、もしかしたらまだ1秒も経っていないのかも。
 オレはキスティの声で意識を取り戻した。キスティがアッシュの体を抱えあげる。
 アッシュは苦しそうに咳き込みながらキスティと目を合わせ、オレへと視線を移した。

「どうも……。おひさしぶり、です」

「………」

  そんな彼に対してオレは何も話すことができなかった。
 意識したくなくても、意識しないようにしても、意識しないようにと意識してしまう。
 『彼女』とかぶって、その先が見えてしまうようで。

「あー……疲れた。なんだか……体が軽いって言うのかなぁ……。飛んでっちゃいそうですよ……」

  血が抜けたからかな? なんて笑う彼の表情にさっきの笑顔はどこにも見当たらなかった。

「アッシュゥ……死んじゃいやぁ……」

  彼女は、彼の体から止まることなく流れ続ける血も気にせず体に抱きついた。

「姉さ、ん……。それは無理な注文だよ……。誰だっていつか死、ぬんだ……。
 それ…分かってて、神騎士団に、入ったんだ…仕方ないさ……」

  いやいや、と首を振る彼女。涙が飛び散っているのだろうが、雨でそれは見えない。
 というより、雨が飛び散って涙が多く飛び散っているように見えた。

「ジック……。なんで……?」

  突然名前を呼ばれて驚きに似た反応を示した。キスティと視線を合わせるために顔を上に向けた。

「なんで、アッシュを助けてくれなかったの……? 間に合ってたんじゃないの……?
 シグルが剣を刺す瞬間、なんでジックは剣を下げたの!? ねぇっ! なんでっ!」

  オレが……剣を……下げた……?

  そんなはずは――

「ジック……、あなた変わった……。昔はどんな事があっても諦めなかった……
 どんな絶望的でも人を見捨てたりしなかった!!」

  変わった? 変わったのはお前の方だろ? 違うのか? オレが変わってたのか? オレがこの6年間で変わっていたというのか。

「先が見える眼だかなんだか知らないけど……そんなのに振り回されるジックなんて……私は……知らない……」

  そんなこと言ったって、変えられないものは変えられないんだ。仕方ないじゃないか。オレは精一杯やったよ。
 あれ以上何もできなかった。できない……? いや、『しなかった』だけ、なの、か………?

  泣き続けるキスティ、無言のままたたずむオレを気遣ったのか、一番気遣わなくてはいけない彼が口を開いた。

「団長…、僕、守りましたよ……」

  顔を上げると、息苦しそうに話しかける彼がいた。
 なにを言ってるのか分からなかった。言ってることは分かったけど、意味が分からなかった。

「大切なものを、守れ……。団長が僕に教えてくれた、唯一の……剣の教え……」

  よくやったな。言いたかった。でも、口が開かない。むしろ口は力強く閉じられてしまった。
 そんなオレを変わらない笑いで見つめるアッシュ。しかし明らかに顔色は変わっていた。

  少しの沈黙の後、彼は小さく震えながら、雨の降るほうへと向かって手を伸ばした。

「はぁぁ…ぁ……、天国って、良いところらしいです……だって、行った人が一人も帰ってこないんですから……。
 だから、安心してください……。僕は怖く…んて……、寂しくなんて……ない、んで……」

  手をかざしたまま、雨を溜めるように手のひらを丸める。開く力すらもう無いのだろうか。

「あ……でも、こ、心残り、が、一つ……。マ、マリーが……悲しむか…も……。
 まだ……子供の、名前も…決…てな、いのに…なぁ……。大切な……もの…守…と逆に僕が、ひ、一人に、な…ちゃ、たな……」

  あ、団長。僕、彼女と結婚したんですよ。なんて震えた声で話してきやがった。
 それだけでオレは彼の顔を真っ直ぐ見ることができなくなってしまった。

  ああ、もっとちゃんと教えとけばよかった。自己犠牲はただの偽善、自己満足だって。
  先立つ者の気楽さ。残された者の重さ。大切なものを守るというのは、決して、どちらかが無事ならばいいというのもではないということ。
  大切な人の近くから、何があっても離れるな、という事―――

  一番弟子の彼に、オレはなにを残してやれたのだろうか。
 思えば十数年という付き合い。オレはその間に彼になにをしてやれてたんだろう。
 いつもオレを慕ってくれた小さな影。自慢のお姉ちゃんの自慢を自慢げに話す彼。

  何も教えてなんかいなかった。何もしてやってなんかいなかった。何もかまってやってなんかやれてなかった。
 なのになんで目の前で倒れてる彼は今もオレを目の前に笑っているのか。

  その笑い続ける彼は、伸ばした手を握り締め、そのまま額に当てた。

「くそっ……。寒い……。死ぬ、のか……。僕、死ぬのか……。ははっ……僕は、幸せ者ですよ……。
 僕が、好…な二人に看取られ…んですから……」

  額に当てられた手が、小さく震えだす。歯も強く食いしばられている。

「なのにっ……! なんでこんなに震えるんだ……っ! 怖い……。僕、死ぬの怖……の、か……」

  そして頬を伝う水は一体どっちだったんだろうか。

「……マリー……。僕、まだみんな、と…いたか……た……な………」

  そして、彼は、静かに、目を閉じた。

「あ――アッシュ? アッシュ。アッシュ! ねぇ! なんで? なんで何も話してくれないの? お姉ちゃんの事嫌いになっちゃった?
 ねぇ? なにか喋って? お願いだから……。私のせいなら謝るから……。お願い……」

  動かなくなったアッシュに、キスティは頬擦りをしながら囁いていた。

「アッシュ……。いやぁ……。私を置いていかないで……。いやぁぁぁぁぁぁぁああ!!!」

 

  上を向くと、目を開けていられないほどの大雨。

 

 

  それは、涙雨――と呼ぶには、あまりにも弱すぎた。

 

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