Copyright(C) FromSoftware<Japan>,Inc. All rights reserved
 
当サイトは利用規約に従った著作元の明記により、フロムソフトウェア社からゲーム画像の掲載を許可されています。
 ページ内の画像や文章など、一切の著作物の無断転載は厳禁します。
 
 
 
 
帰郷
 ______________(著者・天輪)

 
 
 企業学校の卒業を間近に控えても、ラインは「秩序の前衛」という言葉を受け入れることができなかった。そのための道を選び、歩んで来た筈だった。自分に求められていただろう選択を考え、相応しい行動をとってきた。
 求められていた。誰から求められたのだろう。企業軍士官だった父だろうか?
 確かに、父に認められたい部分もあった。だが、社会から求められたのだと、先月一八歳の誕生日を迎えた青年は自答した。己を社会の成員として見れば、すべき事は自然と知ることができた。それが容易な世界であり、時代であり、故郷だった。
 
 人類が地下の楽園を失ってから、新暦で五〇年余りが過ぎていた。
 大陸北部から始った地上進出は、幾多の動乱を数えながら、西部、中部、東部、そして南部へと到達した。各地は地域社会を形勢する程に人口と経済の規模を増していたが、人々は北部の大都市を「中央」と呼び、世界は二つの巨大複合企業体によって支配されていた。
 ともにレイヤード時代以来の始祖企業を政治的中枢とし、強固な中央集権体制を敷く二大企業、クレストとミラージュ。中央の大都市を東西に分けたのと同様に、両社は世界を分割し、統治した。
 やがて大陸の西部にはミラージュの、中部にはクレストの排他的な政治経済圏……領土が建設され、キサラギなど非中央派の中堅企業が逃れた南部や東部においても、多くの植民都市は開拓者である二大企業に隷属していた。
 生命まで搾取される階層の人間を除けば、人々は安堵していた。軍事力の均衡が二大企業の全面衝突を過去のものにしたことで、世界は安定を得た。人間の手によって、<管理者>に代わる秩序が築かれるのだ。健全な経済発展が続けば、失われた楽園も再建されるだろう、と。
 
 迷羊の夢想が成就したためしはない。
 
 征服の熱狂も爛熟の享楽も過ぎ、世の動きが惰性となり始めたEL(Exodus−Layered)暦四〇年。最後の辺境と呼ばれる、未だ発展途上である大陸南部で二大企業に叛旗が翻された。
 ミラージュ・クレスト両陣営の植民都市とその行政体が「体制からの離脱」と「中央資本の既得権益の排除」を宣言し、三十に及ぶ都市群の連合を以って新しい企業共同体を名乗ったのだ。
 新企業は「革新主義による新地上時代の創造」と自負したが、一連の事件は搾取政策と呼ばれる不公正な貿易関係と経済格差、中央と辺境の対立問題に因るものだった。長年に渡って繁栄の影で疼いていた病巣が、膿を流したのだ。
 さらにキサラギなど非中央派の中堅企業が新企業と合流し、いわゆる「辺境勢力」を形勢するに至って、従来のクレスト対ミラージュの企業間紛争に代わる、中央対辺境という地域間紛争が具現化した。
 このような世界情勢の変化は新旧の衝突による戦乱を予感させ、黒い翼となって世界を覆い、二大企業に帰属する各地の諸都市に、ラインの故郷であるレーゲンスという都市にも影響を与えた。
 
 ラインの生まれ育った都市レーゲンスはクレスト陣営に属し、かの「中央」と呼ばれる大都市――の東半分――を守護する軍事拠点群の一つとして建設された衛星都市だった。
 ドーム状の巨大な都市構造体は純白の装甲外壁で囲われ、各所に強力な武装が備えられている。守備隊にも有人及び無人の機動兵器と航空兵力が配備され、その基地施設は装甲外壁と一体化した半地下の巨大なものだった。この城塞と火砲と軍事組織を維持し、機能させるために人間が住み、彼らが暮らすために街があった。
 そして人々の精神には、強固な郷土防衛の意識が養われていた。
 彼らの使命感は、しかし、中央大都市の始祖企業から賜られた大クレストへの忠誠の規範によるものではなかった。クレスタンの美徳として奨励されるまでもなく、都市の外壁に寄り添う難民街とその非文明的な生活を見下ろしていれば、時代の現実を認識していれば、企業と都市の行く末は己の人生と不可分であると考え、護ろうとするのは必然だった。
 
「己と同胞の生命、権利と財産、将来の幸福を護るためには、それらを保障する秩序とその機構を護らねばならず、然るに秩序の前衛として、譬え闘争をも忌避してはならない」
 
 大人達が語る冷然とした決意は、ラインも理解していた。<管理者>亡き現代においては死活を左右する重要な命題であり、社会を作って生きる生物としても正しい論理だと。なにより、間近に見る難民の不幸が、全ての疑問を圧した。
 自分の進路はクレスト社衛星都市連合企業軍……だった筈だ。故郷は明確に軍事拠点として建設された要塞都市であり、企業軍の士官であった父は一次入植者なのだ。辺境紛争やサイレントライン騒乱など、過去二〇年以上に渡って数多の戦乱を故郷は耐え抜いてきた。都市民の努力と忍耐と、血によって。
 戸惑う理由など……何もなかった。
 同じ道を歩む学友達の顔を曇らせたくはなかったし、自分を見詰める母の、あの瞳を裏切られるだろうか。母は母として、息子の生命が失われる危険を怖れていながらも、父と同じく現実を否定することはなかった。自身と世界との相関を理解し、使命に対して献身を厭わない彼らの潔さを前にしては、己の胸を圧する嫌悪に、ラインは臍を噛む他なかった。
 
 
 その日も、都市ドームを囲う装甲外壁の頂上部に設けられた遊歩道を、都市を一周するつもりでラインは歩き始めた。車一台程の幅しかない道は壁面と同じく合成セラミックスの白石で覆われ、他に一切の色彩を持たない。唯一、都市ドームを突き抜けてそびえる尖塔が長く落とす、その巨大な影を除いて。
 歩きながら、彼は大尖塔を見上げる。高空を漂う塵が作り出した乳色の空を背景に、外壁の各所から伸びた高密度材質のワイヤーが塔の先端に集まり、最上部の小さな空中都市の基盤を支えていた。空中都市と言っても人は住んでいない。都市の守護者、精密な対宙核砲撃能力をも備えた電磁加速砲が祀られている祭壇だ。
 巨大な蟻塚と言うべき都市で育った者にとって、このような開放された空間が与えるのは怖れだった。重いドアを開け、渇いた大気と太陽光にさらされた瞬間の、劇的に空間が広がる感覚。まるで魂が虚空に投げ出されたような不安定感があり、落下に対する本能的な恐怖が足を凍らせた。
 なるほど、誰も来ない筈だ。
 初めてここに来た時のことをラインは思い出した。あの時は足が竦み、強張る背筋を恐怖の冷たい指が爪弾いた。だが、一歩、前へと踏み出し、両手を広げて目を瞑り、少し顎を上げて風に身を任すと、魂は己が背に翼を感じたのだった。
 飛翔感。
 母や友人と顔を合わせることが苦痛となり、怒りと葛藤に疲れて苛立っていたラインにとって、それは癒しだった。
 このまま飛べたら……。
  瞼(まぶた)を開けると、落下防止用のフェンスが張り巡らされていた。最初は安堵を感じた。だが翌日、同じように飛翔感を味わい、瞼を開けて戻った時、分子レベルの防腐処理によって白く輝く銀の網の正体に気付いた。
 ここも、外ではない。
 胸を突いた怒りは、自身が進もうとしている人生への嫌悪と同じものだった。
 
 ……今日も、夕暮れを前に強い風が吹いている。
 
 遊歩道を数時間かけて半周したところで、ラインはフェンスの格子を掴んだ。眼下に広がる難民街のバラックを無表情に見下ろすが、すぐに視線を上げる。錆色に染まる石と砂の大地に、夕陽が沈もうとしていた。目を細めると赤光の最中に影が見える。隣の城塞都市、デュース。大尖塔の影が揺らめき、幻のようだった。あの向こうにヴォルフスとメルゼという同規模の城塞都市が二つあり、レーゲンスを含めた四つの城塞都市で一つの戦略単位を形成し、さらに大きな防衛線の一翼を担っている。
 このような軍事機構は形成されて久しく、また戦略熱核兵器の配備が進んだ頃からクレスト・ミラージュ両陣営の軍備は双方に抑止力として作用した。結果、全面戦争の可能性は絶対的に失われ、陣取り合戦の長期戦は過去のものとなった。武力衝突の数も減り、起こったとしても、短期間の局地戦に矮小化していた。
 ただし、示威の意味を孕んだ小戦争は苛烈を極めた。
 紛争が真に決着する場所は中央の企業総会議場の円卓だが、軍事的勝利と制圧の事実に裏打ちされた威嚇や圧力は折衝(せっしょう)において有効なのだ。
 この巨大な流れと仕組みの中で、一都市を守る企業軍の兵士は駒に過ぎない。むろん共同体に属する人間は全て、社会上の利害関係に操られる駒だろう。関係を持つ限り、そこに例外はない。レイヴンという根無しの傭兵でさえ、闘争という枠の中で踊る駒だ。
 煮え立つ血池のような夕陽を眺めつつ、ラインは亡き祖父を羨ましく思った。祖父の時代、地下世界レイヤードには<管理者>という絶対的存在がいた。社会秩序という無形のものが具現化していたのだ。今も<管理者>がいれば、それを破壊することで怒りを晴らせるかもしれない……そのような思いは寂寥と苛立ちだけを残した。
 ラインは拳を握り締め、掌に爪を立てる。風が強い。
「まだ、飛ばないの?」
 絶壁を昇る強風が笛鳴りを響かせる中、その声に呼ばれた。
 振り向くと、赤い風に踊る白金の髪がラインの視界を埋めた。風を罵る声とともに長髪は細い指に束ねられ、少女の顔が現れる。
 小さな唇がもう一度「まだなの?」と訊いた。
 「なにがだ」と訊ね返したラインに彼女は眉を顰め、青い瞳を瞬かせる。
「飛び降りないの? あなた」
 細められた碧眼は赤い光に照らされて緋色に滲み、笑っている。両手で包めてしまいそうな小さな顎の顔に似合わない、少女の蠱惑(こわく)的な微笑がラインの癪に障った。興味本位でそういう事を訊いてくる神経も。
 ラインは黙って視線を戻し、粘度細工のような街並みを見下ろす。市民権を持たない難民の街。土色の建物は秩序とは無縁に群を成し、幾筋もの細道が毛細血管のように入り乱れた網の目を見せている。赤血球のごとく蠢く影は人だろう。戦時となれば難民が逃げ出し、無人の廃墟となる場所だ。
「どうして死ぬの? 理由知れて?」
「……」
「ねえ」
「死ぬことに理由が必要なのか」
 街を見下ろしたまま、ラインは言葉を紡いだ。
 少女は黙ったが、すぐに口を開いてしまう。
「死なないといけない理由のこと? それとも死にたくなる理由?」
 ラインを自殺希望者だと思っているらしい彼女は「後者よね」と続けた。
「必要だと思うよ。死ぬなら理由が欲しいもの、わたし」
「それは、強制される死に対して反発する意識だろう。死にたい理由じゃない」
 ラインは少女の、猫のように円らな眼(まなこ)を見詰めた。
「死にたい理由があるのか、お前」
 「ないよ」と、答えた声は鋭い。
「わたしが訊いてるのよ、それ。ね、どうして死にたいの?」
「死にたくはない」
「じゃあ、なんでそんな顔をして、そんなところに立ってるの?」
 ラインはフェンスに背を預け、レーゲンスに目をやった。夕陽に照らされて都市ドームも赤く染まっている。それは血に染まることも、内部に血を流すことも厭わない。
 だが、自分は解っている。尖塔の頂上では巨砲が万里を睥睨しているが、狙うものは中央始祖企業の政(まつりごと)によって決められるのだ。相対する敵も、中央が決める。この都市は中央を守護するために建設されたのだから。
「死ぬべきとされる理由はある」
 自分はこの都市に生を受け、企業の庇護の下で生きてきた。家族や友人といった親しい人間は同様の立場にいる。自身と彼らの生命と生活、それらを包括する社会を守るためには、秩序の前衛として、死を覚悟しなければならない。
 父は、その道に殉じた。
「それに怒りを感じている」
「それって?」
「秩序の前衛として、戦うことに」
 母でも友人でもなく、見ず知らずの少女に悩みを明かしてしまったことをラインは恥じた。全くの他人だから、話したのかもしれない。少女に問われると、逡巡もなく口が動いてしまう。
「……どうして? わたし達の権利や財産を保証しているのは秩序よ」
「南部はなぜ叛乱を起こした? 人口の増大と産業の発展に見合う権利の拡大を中央本社に要求しても、中央は聞く耳を持たず、不公正な政策を継続したからだ。中央が築いた中央のための秩序……契約機構を、なぜ俺達は護らなければならない? それに組み込まれているからだ」
「そうだね」
 少女もフェンスに背を預けて、レーゲンスの大尖塔を見上げながら言う。
「あの大砲だって、マスター・キーは中央の本社ビルにあるのよね……。でも、それでいいんじゃない? 中部は南部ほど不幸じゃないもの。衣食住に不自由はないし、傷痍補償もある。中央に向けられた刃をわたし達が防いで、その代わり中央は生活を保障する。いい共生関係だと思わない?」
「故郷を護るためなら、戦うのは躊躇しない。だが会ったこともない中央の人間の、北部の利益のために銃を撃ち、撃たれるなんて……」
「相手がミラージェスでも?」
「レーゲンスはクレストの城塞都市だから、ミラージュと戦ってきた。もしもミラージュ陣営に属せば、ミラージュ本社のために、クレストや辺境と戦うだろ」
「ならクレストともミラージュとも袂を別つ? 南部の革新主義者みたいに」
 夕焼け空を見詰める少女の瞳に哀れみの色が浮ぶ。
「そんなこと、中央が許すわけない。中央の支配体制、あなたが言う意味の秩序は例外を許さない」
 少女特有の軽やかな声に憎悪の濁りを感じて、ラインは横目で彼女を盗み見た。横顔は幼さを残しているが、緋色の空を睨む碧眼は女のものだった。
「従わないといけないの。例外なんて、消されちゃうのよ」
「従っていても殺される」
 一際強い風が金網を震わせた。
 少女はフェンスから背を離してラインの正面に立ち、穏やかな微笑を見せる。
「あなた、本当にクレストの人間?」
「どうして」
 お前に言われたくない、という風にラインは返した。
「ミラージュの潜入工作員じゃないの?」
 予期しない言葉にラインは笑みがこぼれそうになる。久し振りのことだった。自分の首にかかるテトラを摘み出して外し、掌に乗せて少女に差し出した。
 テトラ。銀の鎖に繋がれた……これも白銀の小さな正四面体の中心で、赤い宝玉が煌いている。クレスト社の社章を立体化した崇敬具だ。クレスタンの証。
「本物かしら」
 少女は遠慮なくテトラを摘み、夕陽に透かして見せる。生糸のように細く艶やかな金色の前髪を、赤い光が濡らした。さらに彼女は首元に手を入れて、摘み出した自分のテトラとラインのそれを比べる。
 九辺の銀の枠に抱かれた赤い珠。レイヤード時代以来の様々な伝説に讃えられる血のように赤い珠を、檻に閉じ込められた魂か何かのようにラインは見てしまった。
「うん。ありがと」
 返されたテトラを、ラインは首にかけず、ポケットにしまった。
「ミラージュのエージェントだなんて、ドラマの見過ぎだ」
「だって、普通はこんなところに来ないでしょ」
 自分のことを棚にあげて少女は言う。
 堅い話をしていた時と違い、少女の瞳は歳相応に見える。癖なのか、頬に当てるように手を寄せて髪を……顎の両線を包むように垂れている長い鬢(びん)の髪を指に巻きつけて遊んでいる。細い指も、控えめに伸ばされた爪はラメの入った桃色の塗料で飾られていた。企業学校の学生だとしたら商学科にいそうな娘だと、ラインは検討をつけたが、次の一言で考え直した。
「もし工作員なら、連れてってもらおうかと思っちゃった」
 「移籍したいのか?」と訊くと、少女は「まぁね」と笑う。
「ミラージュに、じゃないけど」
 少女は視線を空に戻した。ラインもそれに倣い、顎を上げる。
「移籍か。それでも結局は企業の下だ。秩序から切り離される訳じゃない」
「なら、あなたはどうしたいの?」
「俺は……」
 見上げる大尖塔の高く、空中都市に近いところを羽ばたくものがあった。
 紅(くれない)から緋色へと沈んでゆく夕暮れの空を悠然と舞う……黒い翼。
「解き放たれたい」
 大鳥の影を眼で追いながら……故郷を見下ろすあの鳥のようになりたいと思いながら、ラインは呟いた。
「放たれて……どうしたいの? 好き勝手に生きたいの?」
「レーゲンスを護りたい」
 亡き父は護り続けた。
「俺も、故郷を護りたい。ただ……中央人のために人を撃ちたくはない」
 中央人であった父が、どういう決意をもって中部への移住を決意したのか……クレスタンとしての使命感がそうさせたのかもしれない。自分にわかるのは、父の信念はレーゲンスを護った。それだけだ。父は背中を見せるばかりで、何も語ってはくれなかった。
 子ども心に寂しくはあったが、母と一緒に父の帰りを待つのは辛いことではなかった。
 母は父を信じていた。
 だから、自分も信じた。
 頼もしく、誇らしく、遠く高いところにいる人だった。
 そんな父が遠く離れた地で命を落としたのは、去年の暮れのことだった。直接的に故郷を護るためではない、明らかに中央の権益を護るための事件で、殉職した。
「撃ちたくないし、撃たれたくもない」
「敵は敵よ。それ以上でも、それ以下でもないでしょ」
「中央が選んだ相手でも、か? 俺は納得できない。戦い、殺してしまうなら、自分の責任で遂げたい」
「何様のつもりなの?」
 金髪を風に泳がせながら少女が言った。その声が嬉しみを含んでいることに疑問を感じつつ、ラインは彼女を睨む。
「あなたは自分の意志と力で故郷を守りたい、戦いたいと思っている。走狗になってクレストという組織の力を借りることも、その権益のために使役されることも嫌がってる」
 少女は小さな手で口許を隠して笑った。
「命令を選びたいのよ。兵隊なのに。頭では馬鹿なことだって分かっているのに、感情を抑えられないんでしょ?」
「お前こそ、何様のつもりだ」
「ごめんなさい、怒らないで。わたしね、あなたの話が分かるの。わたしもあなたと同じ、嫌なのよ。強欲な中央の命令で殺し合いなんて嫌よ」
 ラインは久しく味わった共感の感動に、しかしまだ口許は緩めず、先を促がした。
 朱色の陽光を彩りと変えて、少女の笑みが咲く。
「わたしはわたしの意志で脅威と対峙したい。誰と戦うかはわたしが考えて、自分の力で実践するの。わがままかもしれないけど……そうやって故郷を護りたい。あなたもそうなのね」
 少女の青い瞳に映りこむ夕陽の、その揺らめく緋色の炎の影を見て、青年は頷いた。
 だが、思い出したように顔をそむける。
「しかし、そんな力はない。市民権を捨てて難民に紛れ、テロリストになったところで、そんなことでは護れない」
「わたし、いい方法を知ってるわ」
 少女はラインに歩み寄り、真正面に立つ。瞳を逸らすことを許さない距離だった。
「レイヴンになればいいのよ」
「傭兵に?」
「うん。この檻から、出てみたくない?」
 少女はラインの真横に立って、フェンスの格子を指先でなぞりながら言った。柵の向こう側……ほとんど沈んでしまった夕陽の残り火を見詰め、目を細めている。
 レイヴンになるという道は、ラインは考えたことがなかった。
 大鴉という別称、いや、蔑称で呼ばれる傭兵。レイヴン。
 グローバル・コーテックス社という企業に身分を登録してはいるが、市民ではない。ミラージュやクレスト、またはキサラギのような一部の中堅企業など、独自の統治機構を有する全ての企業体が、その特殊な傭兵には一切の権利を保証していない。レイヴンという非市民の存在は、<管理者>の下にコーテックス社と各企業が結んだレイヤード時代の古き契約によってのみ、認められている。
 そのような特殊性は、彼らが乗るACという機動兵器に由来していた。
 レイヴンの操る鋼鉄の魔人、ACは、共通規格を有する各種ユニットを自由構成することで、あらゆる局面に対応できる多目的兵器だ。資源も戦場も管理されていたレイヤードが生んだ兵器で、限定空間での高い戦略・戦術・戦闘効率から重宝された。
 一つの戦域が地上から低空、高空、超高空、大気圏外まで多層化した現代においては、ACは戦略的に時代遅れの烙印を押された旧式の有人兵器だが、一機完結の限定作戦行動を前提としている機体は桁違いに高い戦術レベルの戦闘力を誇り、ここレーゲンスの企業軍にも配備されている。
 そんな強力な機動兵器を個人で駆るレイヴンだが、企業社会の安全保障上、依頼とその受託はコーテックス社を仲介者としなければならなかった。
「レイヴンなんて、コーテックスとかいう得体の知れない戦争屋の道具じゃないのか」
「依頼は選択できるし、拒否権だってあるわ。レーゲンスを護る依頼だけを受ければいいのよ」
「その場合の依頼主はクレスト本社だろう」
「まさか。各庁の管理役企業やその末端よ。企業軍からの依頼なら、各軍団の師団司令部以下からも来るし、専属契約もできる。命令を選べるのよ」
「調べたのか?」
「うん。一人で行くつもりだったから。仲間ができて嬉しいな」
 少女の可憐な微笑に対して、ラインの表情が固まる。
「仲間って、誰が?」
「あなたよ?」
「待ってくれ。何のことだ」
「さっき頷いてくれたじゃない」
「あれは、違う」
「何が違うの?」
 問い詰められると、ラインには返す言葉がない。目の前の少女の意志は、彼女が明言した通り、自分と同じものだ。
「クレストの秩序から脱した上で、自分の意志と力でレーゲンスを護りたい。わたしとあなたの思いは同じよ。思いと遂げるためにはレイヴンになるのが一番いい」
 曖昧に頷くラインに、少女は捲くし立てる。
「一緒に行きましょうよ。手続きはあたしも手伝うから。あなたなら、わたしのパートナーになれると思う。同類だから、というのは根拠にならないかしら?」
「初対面だ」
「別に結婚してなんて言ってるわけじゃないもの。出会ったのは運命的だと思うけどね」
「今の生活を捨てて傭兵になってコンビを組むんだ。結婚の方がまだ易しい」
「でも、ああいう考え方ができるなら……」
「しかし……」
「もう! 何が嫌なの?」
 少女は苛立ちを隠さずに詰め寄ったが、ラインは一歩退いて言った。
「身内からレイヴンが出たら、家族はどうなる」
 少女は開きかけた口を閉じて、言葉を飲み込む。
「勝手に舞い上がらないでくれ」
「舞い上がってなんか……」
 俯いた少女に、ラインは穏やかに語りかける。妹がいればこんな感じかと思いながら。
「俺も、同じ考えの人間がいて嬉しかった。レイヴンになるというのも、それなりにいい案だと思う。でも、もう少し考えてみろ」
「ちゃんと考えたわ。毎日ここに来て、独りで考えたもの」
「だいたい……君はまだ成人もしてない、企業学校の中級課――」
「上級課程よ」
「じょ……」
「もうすぐ卒業するわ」
 なら……。
「……同じ歳か」
 ラインは失礼だとは思いながらも、目の前の少女の全身を見た。
 白金の長髪を腰まで垂らす少女は、身体にフィットした黒の軽機能スーツの上に、サイズの大きい白のタートルネックのセーターを着ている。ワンピースのように裾の長いセーターの腰には雑多な飾りのついた銀の鎖が巻きつけられ、細い胴回りを現しているが、肩から腰へと続く身体の線の起伏が際立っている訳ではなかった。
「本当よ!」
 薄い胸を隠すように腕を組んだ少女の、大きな瞳が恨めしそうに上目遣いでラインを見上げる。考えを読まれたらしい。
「それなら、分かるだろ。企業学校に通っている人間が、上級過程の卒業を前にして傭兵になるなんて。残された家族は周りからなんて言われると思う」
 ふん、と少女は鼻で笑う。
「パパと同じこと言うのね。本当はそんなこと思ってないくせに。だから勝手にやるの。もう成人してるんだから。十八歳になれば親権に服さなくてもいいもの」
「とんだ不良娘だな」
 諦めるように言ったラインに、少女の目が険しくなる。
「子供扱いしないで! どうせ、女だからナメてるんでしょ。わたしだってACがあれば戦えるわ! ママがそうだったもの! 若い頃に即応展開部隊でACに乗ってて、わたしを産んでACを降りてからも後方で部隊指揮をしてた。でも去年の事件で……」
「……去年の?」
「南方派遣よ」
 一年前、南部の自社植民都市で多発する暴動やテロ事件に対し、中央のクレスト本社は中部の衛星都市連合企業軍に部隊の派遣を命じた。南部からの安価な資源供給こそが、中央大都市の退廃的文化と大量消費経済を支えていたが故に。
 派遣部隊に任されたのは治安維持活動ではなく、武装勢力に対する積極的排除活動だった。事実、現地の企業軍の装備では武装勢力を排除するのは不可能だった。都市の叛乱を警戒する中央本社によって、警察活動以上の装備を制限されていたからだ。対する武装勢力は、キサラギなど非中央派の中堅企業から秘密裏に援助を受け、レーゲンスから派遣された部隊が遭遇した武装勢力など、完全武装の飛行MTさえ有していた。
 派遣部隊による武装勢力の掃討作戦は、公式には事件のレベルで済まされているが、実際には大規模な戦闘があり、派遣部隊の被害は大きなものだった。
「ママは毎日メールを送ってくれたわ。詳しくは書かれていなかったけど、武装勢力が手強いことは分かったし、中央本社に現実認識の力が無いことも伝わってきた。ママの部隊は単独で拠点制圧をやらされて、酷くやられた……。ママの教え子だったACのパイロットが見たの。中央が南部には無いと言っていた飛行MTが現れて、ママが乗ってた空中管制機に体当たりしたって……」
 少女は目に涙を溜めていたが、それよりも最後の言葉がラインの動悸を速める。
「管制機に乗っていたのか?」
「信じられない話よ。護衛機をつけなかったなんて……」
 その言葉を聞いて、ラインは足元が崩れるような感覚に襲われ、呟いた。
「俺の親父も、乗ってたんだ」
「え?」
「オィレV……UEA112」
 撃墜された指揮管制機の名を聞いて、少女はゆっくりと頷いた。一滴の雫が落ちたように、彼女の頬を涙が伝う。
「あなたのパパが…………本当に? 名前は?」
「ミヒェル、サーズィ。俺はライン、サーズィ」
「サーズィ! 知ってる!」
「君のお母さまは」
「リューディア、ホルヴェーク……。あたしはリディア。今の名字はアメデーオだけど」
 少女、リディアは「あはは」と小さく笑った。涙を残した笑みは儚げだった。
「考えが似る筈ね。サーズィ少佐の息子さんだったんだ。合同葬儀で会わなかったかしら……」
「憶えて、ないな。混んでいたし。……リディアさんは、本気なのか」
 リディアは風になびく長い髪を押さえながら「さんづけはやめて」と笑った。
「レイヴンになること? もちろん、本気よ。今日あなたと出会わなくても、コーテックスに移籍するつもりだった。ライン、あなたはどうなの? あたしと一緒に来てくれる?」
「…………」
「いいコンビになると思うの。ううん、なれるわ。考えが同じだし、ラインってしっかりしてそうだし。一緒に戦っていて安心できそうなの」
「どういう意味だ?」
「ライン、言ったよね……レーゲンスを護りたい、けど中央人のためには撃ちたくないって。それって、お父さんを死なせた中央のことが許せないからでしょ? お父さんのことを尊敬していたから。わたしも同じ……」
 リディアは一度そこで言葉を切って目を瞑り、胸に前に手を組み、考えを整理するように深呼吸した。
「そんな思いも、今日あなたと話すまでは自信が持てなかった。パパには頭ごなしに否定されたの。ここままだとわたし迷って……何もできなくなるんじゃないかって不安だった」
 彼女は瞼を開け、右手を差し出す。
「あなたの隣にいれば、わたしはあなたの思いを聞いて、あなたを見て、自分の思いを信じられる。だから一緒に来て、戦って。わがまま言ってごめんさない。でも、お願い」
 ラインは、リディアの差し出した手を見詰めた。
 指の細い、一〇代の少女の白い手。
 彼女には、この手を血で穢すことも厭わない覚悟がある。
 俺にはあるのか? クレスタンとしての全てを捨て、母を独り残して傭兵となる覚悟が。
「ライン……」
 リディアは差し出した手を引こうとはしなかった。ただ、その小さな手は微かに震えている。同じ思いを抱く者に拒まれるかもしれないと、細い眉も不安の形を作っていた。だが、まだ濡れている青い瞳を決して逸らそうとはしない。
 この手を拒めば、彼女だけではない、自分自身も裏切ってしまう。
「わかった」
 ラインは、亡き父に許しを請いながら、少女の手を取った。黄昏の風にさらされていた彼女の手は冷たかったが、触れた掌から微かな温もりが伝わってくる。
「同郷のコンビというのも、悪くないな」
「え……あ、あの、ほんとにいいの?」
 リディアは円らな目をさらに丸くして言った。
「どうして」
「えっと……あたしが手を出すと急に怖い顔したから。断られるかと思っちゃった」
「わ、悪い」
「ううん。ありがとう」
 照れたように微笑むリディアを前に、ラインは戸惑うしかなかった。
 とりあえず、繋いでいた手を離し、移籍についての具体的な話を始める。
「南部の叛乱は拡大すると考えた方がいいわ。企業間の人員移動が制限される前に、できるだけ早くコーテックスに移籍したいの」
「しかし時間がかかるだろう」
 市民の五大義務に定住の義務があることからも、他企業へ移籍するための手続とその審査は、とても厳しい。ラインのように企業学校で、しかも企業軍士官となるための教育を受けていた場合、企業はほぼ確実に移籍を許可しない。
「通常の場合はね。でもレイヴンになるなら、話は別よ。各企業とコーテックスとの基本条約に従えば、即日移籍ができるわ。もちろん財産の持ち出しはできないし、残した財産は企業に管理されてしまう。それに移籍前の元企業以外の企業への再移籍は認められてない。元の企業社会に戻るのも難しいけどね」
「厳しいな」
 財産については没収されるに等しい。
「学校の退学は移籍手続と平行してできるから。明日の朝、行政区に行きましょ」
「あ、明日?」
 さすがにラインは面食らった。今後の人生を大きく変える事を今日明日でやると言うのは……。
「だって、わたしは明日移籍するつもりだったのよ。やっぱりママと相談したい?」
 リディアは神妙な顔で訊いた。彼女自身の父親との話し合いの経験から、心配しているようだった。ラインは「いいや」と首を振る。
「明日の朝だな。わかった。待ち合わせをしよう」
 言い切った。
「本当に、ママを泣かす覚悟できたの?」
 リディアは少し心配そうに言い、僅かに頭を振って「待ってるからね」と微笑んだ。
 話が一段落すると周囲が暗いことに二人は気付いた。疾うに夕陽は沈んでいる。濃紺に染っていく黄昏の世界で西の地平が紅蓮に燃え、隣の都市は地上の恒星と化していた。
「じゃあ明日の朝、行政区のメイン・ステーションの改札前でね!」
 「おやすみなさい!」と身軽に踵を返して走り出したリディアの金髪が、街路灯の白光に煌く。友達と登校の約束をしたような声の明るさに、ラインも「おやすみ」と返して苦笑した。
 独り暗闇に取り残されると、大変な決断をしたものだと、リディアと話し、約束を交わした自分を、どこか遠くに感じてしまう。夢でも見ていたのではないだろうかと。
「夢じゃない」
 口に出して自分に言い聞かせた。自分は傭兵になるのだ。明日。
 それを今夜、母に話さなければならない。
 夜の大気を胸に吸い、帰路につく。
 
 
 翌朝、無言の母に見送れて、ラインは家を出た。
 ドーム都市の内部は、地下都市に似ていた。開けた空間は無い。ブロック化された施設がハニカム構造状に配置され、集積、多層化されている。トンネル状の通路が張り巡らされ、真に蟻の巣の様相を呈していた。
 銃撃戦を考慮した造りの通路だが、天井も壁も白く清潔で、大陸中部にはない豊かな自然の景色が投影されて明るい。
 この見慣れた風景も、今日で見納めかもしれない。
 ポケットにしまったテトラを握り締めながら、ラインは昨夜のことを思い出していた。
 
 夕食の席で、ラインは母に打ち明けた。翌朝に企業市民の資格を自ら手放し、傭兵なるという、冗談としても全く笑えない話を、母は口を挟まずに最後まで聞いてくれた。
 長い沈黙を置いて、母は「あなたの思う通りになさい」と静かに言った。ラインから承諾を得た時のリディアのように、母の言葉にラインは戸惑った。
「いいのかい、母さん」
「いいのよ。……今ね、あなたの話を聞いて考えていたの。そうね。あの人は中央に殺された」
 普段の温厚な母とは思えない、直接的な物言いだった。
「でもね、ライン、それは物事の一面よ。あの人の心がクレスタンの使命……中央本社への忠誠心と、罪悪感に裂かれていたようにね。わたしも、あの人の死で心が二つに裂けたわ。そして片方を塞いでしまった。そうしなければ、あの人の死の意味を受け入れられなかったから。わたしはクレスタンとして、企業軍軍人の妻としての現実を受け入れたの。だから、今夜聞かされたあなたの新しい生き方には賛成できない。ごめんなさいね。あの人が死んでから、あなたが悩んでいるのを知っていて、何もしてあげられなかったのに」
 まだ三〇代の母は軽く目尻を拭いた。
「もし新しい生き方に無理があったら、戻ってらっしゃい。わたしはあなたの母親だから」
 それだけを言うと、母は寝室に消えた。
 独り夕食を片付けたラインは食卓の広さと静寂に呆然とし、明日から母に架す痛みを知り、自らの罪深さに涙した。
 
 大通路との合流点にさしかかったところで、ラインは企業学校の友人達に会った。ラインは手短に事情を説明したが、彼らは「すごい理由でサボるんだな」と笑うばかりで一様に信じず、曖昧な別れをした。
 ステーションでいつもと違う列車に乗り、都市の中心部にある行政区へ向う。
 都市の区画は、おおまかに五つに分けられる。半地下の行政区が都市の支柱として中心に位置し、その周りを北西から時計回りに居住・工業・公共・商業区が囲っていた。地下には軍事司令部、予備農場、重工業、エネルギー生産の各層があり、巨大な巻貝のごとく都市は逆円錐状に大地に突き刺さって根を張っている。
 このブルク級城塞都市は外部との物流が完全に途絶えても自給自足できると言われているが、それがどれ程の間持つのかは推測の域を出なかった。何ヶ月以上も要塞都市が篭城するような長期戦は、未だ起こったことがない。この十数年の間に起こった企業間紛争は局地的かつ、極めて短期のものだった。
 列車は速く、中心の行政区へは居住区からの直行となるので数分とかからなかった。
 
 行政区の駅構内は背広姿ばかりで、昨日のような普段着姿のリディアは悪い意味で目立った。しかも長い金髪を頭の左右で束ね、双子の尻尾を垂らしている容姿は……どう見ても中級生だ。
 待ち人を見つけて笑顔で大きく手を振るリディアの姿に、ラインは待ち合わせの場所を選ばなかった昨日の自分を恨んだ。
 ラインが近づくとリディアは手を取って大袈裟に喜ぶ。
「本当に来てくれた! もう、あたし心配で、昨日寝れなかったよ」
 「こんな時間に学生のカップルか」と、行政区に出勤する大人達から二人は白い目で見られる。まさかレイヴンになりに行くとは思わないだろうと、半ば自棄になったラインは可笑しく思った。
「あの……、ママとはちゃんと話した?」
「話したよ」
 ラインは苦い思いを笑みで隠した。
「よかったぁ」
 父親とは結局話しが着かなったのだろう。リディアは自分のことのように喜んでくれた。昨日出会ったばかりなのに、昔からの友人だった気がする。そんな淡い気持ちにラインは救われた気がした。
 外務支局での手続は順調に進んだが、リディアの揃えた書類にラインが記入していると、男性局員が無表情に言った。
「この時勢に旅行の申請かと思ったら、まさかレイヴンとはね」
 呆れ声から滲み出す侮蔑と嫌悪を、ラインは甘んじて受けた。レイヴンに対しては、この人のような反応が普通なのだ。二人のことを、流浪の存在となることで戦役から逃れようとしている卑怯者だと思っているのだろう。局員達の態度は冷たかった。
 幾らかの手数料を払い、聴取と検査を受け、クレスタンの証であるテトラの返還を最後にクレスト社側の除籍手続が終ると、今度はクレスト社の外務統括庁を通してコーテックス社への移籍手続が行われた。全過程はネットワーク上で行われたが、それでも全ての手続を完了した時には昼を過ぎていた。
 コーテックス社は「一切の過去を問わない」ということで自由に名前を登録することを許していたが、二人は実名で登録し、リディアはホルヴェークの氏を名乗った。
 二人はコーテックス社に移籍して、書類上のレイヴンとなった。移籍が完了すると同時に電子メールでコーテックス社から移動の命令が届き、二人は慌しく機上へと移った。
 この深夜、二人が航空機の硬いシートで眠りに落ちた頃、中央の大都市で電子的なテロ事件が起こった。同時刻に辺境勢力は中部との境界に程近い資源地帯を奇襲して制圧し、翌朝には先に宣言していた通り、大陸南部における中央資産の接収を始めた。
 
 中央大都市での大規模テロ事件と辺境勢力の資源地帯制圧に対し、二大企業の本社は新企業の非承認と報復の意思を公言し、離反都市への武力制裁を宣言したのだが、すぐに戦端が開かれることはなかった。
 大陸の南部は、クレスト側もミラージュ側も、かつて中央での派閥抗争に敗れて追放された者や中央大都市のスラム根絶政策の強制移住者によって開拓を進めた土地だ。当然に叛乱を危惧し、駐屯する企業軍の機能も治安維持に足る程度に抑えられていた。
 万が一、叛乱者に奪われたとしても、主人を傷つける程の力は持っていない……筈だったのだ。
 事実「神の眼」たる軍事人工衛星による監視と「蜂の巣」の防空網を抜けて、拠点を制圧可能な戦力で奇襲するなど、南部辺境の都市企業軍の装備では不可能だった。
「キサラギか」
 事件から数日後、資源地帯奇襲のニュースをラインとリディアは苦い思いで聞いた。一年前のあの事件と同じく、いや、あの時以上に非中央派の中堅企業が加担しているのだ。
 非中央派企業の明らかな敵意に、二大企業は期限付きの相互不可侵条約を締結し、戦略熱核兵器に照準されている南部都市の名を公言して恫喝した。奪われた資本を灰にするような真似を中央がするとは誰も思わなかったが、公式の意思表明で無差別大量殺戮の脅しをかける精神は、リディアが言った通り、中央には叛乱者の正当性や主張を認めるつもりなど無いと世に知らしめた。
 もしも認めれば、さらに叛旗が立つかもしれない。
 そのような危惧を当然とする政策を中央は長年に渡って行い、自らの存続のためにこれからも続けていくつもりなのだろう。出レイヤード以来、半世紀に渡って「中央」を自負している北部が、人類社会の政治文化の中心たる都が、自らの没落を看過することはない。
 妥協を認めないのは辺境と呼ばれる南部も同じだった。ここで北部に屈服すれば、中央と辺境の不平等な関係はこれまで以上に強く固定されてしまう。
 日増しに深刻化する南北対立の狭間で、中央の防波堤として、大陸中部のクレスト社衛星都市群は戦時体制に移行した。
 
 
 狭義のレイヴン、つまりコーテックス社のAC傭兵は、誰でもなれる訳ではない。門戸は開かれているが、移籍の段階で選別され、能力と適正を試される。
 志願者の九割を占める破産者や自由人など貧困層の出身者は、ここで一割以下に減ってしまう。元々市民権を持っていなかった彼らは、コーテックス社が所有する安価な人材として鉱山などに派遣される。
 それを考えれば、ラインとリディアはとても恵まれていた。企業学校で軍事教育と訓練を受けていた二人は、適正検査をフリーパスに近い形でクリアした。作業用重機クラスのMT免許の他、戦闘に対する精神耐性の高さが評価されてのことだった。
 例えばレイヤード終末戦争における市街戦の記録映像……歩兵の視聴覚センサーのログを仮想体験させられても、二人のバイタル・サインは安定していた。城塞都市で生まれ、戦闘要員となるための教育を受けきた人間であれば、奇異なことではなかった。
 移籍したその日に慌しく移動を命じられたのも、基礎訓練を省いて、今期の統合訓練に参加させるためだった。
 二人を乗せた航空機はレーゲンスから遠く離れた西部ミラージュ領に入り、都市郊外の空港に着陸した。
 大陸西部の北端に近い都市は、気候を始めとする自然環境が中部とは大きく異なっていた。柔らかな黒土に根を張った緑の草原と、針葉樹の黒い森が広がり、青い山脈の峰は白く輝いている。ヴィジョンの映像でしか見たことのない景色もそうだったが、降雪という自然現象は初めて見る二人を驚かせた。
 近隣の都市にすら数える程しか行ったことのない二人とって、ミラージュ領の都市は好奇の対象だったが、都市の形態や公用語の訛り、一部の慣習が異なることを除けば、なんらレーゲンスの商業区の様子と変わらなかった。五〇年前には全人類が地下のレイヤードで暮らしていたのだから、異郷に住まう人々の容姿にも珍しいところはない。都市の形態など、一般的には城塞都市であるレーゲンスの方が特異なのだと、自分達が十八年間を過ごした世界の狭さを二人は知った。
 都市からヴィークルで六時間ほど進んだ平野の只中に、コーテックス社のレイヴン訓練施設はあった。
 コーテックス社は電子ネットワーク上に機能の中枢を置いているため、実空間上に本社に当る施設は存在せず、キサラギなどのように二大企業から独立していても、独自の市民社会を有している訳ではなかった。AC格納庫やアリーナなどの施設と同じく、書類上のレイヴンに過ぎない者を訓練する施設の土地も他企業から租借しており、それらは陣営を問わず各地に存在していた。
 到着したその日から始った訓練の日々は、多忙の一言に尽きた。
 早くからパートナー契約を申請していたため、相互支援戦術を教える必要性から二人が引き離されることはなかったが、他のレイヴンと会う機会は滅多になかった。初期訓練の段階でレイヴン同士の接触を断ち、個人主義に傾倒させる方策がとられていた。
 兵器であるACの操縦技能を持たない書類上のレイヴンは個別に、高度にプログラム化された講習と訓練を受け、到達度判定の試験をクリアしなければ、ACを与えられない。
 しかも一定期間内に水準に足りる成果を出せなければ、コーテックス社と提携している警備会社に身柄を移譲されるとあって、二人は訓練に没頭した。ミラージュ領の都市を見に行く暇などなく、仮市民権という一応の保障は持ち腐れとなってしまった。
 ようやくACを提供され、ミッションをこなし始めたのは一ヶ月後のことだった。二人はパートナー契約を認められ、必ずコンビで依頼を受けた。
 予想に反して、レーゲンスに関わる依頼だけを選択することは困難だった。二人はランク性の壁に阻まれた。アリーナに登録していないレイヴンの場合、戦闘実績と保有するACの戦闘能力からランクが算出される。シミュレートされたレーゲンス防衛ミッションの、依頼受託に必要とされるランクは「B」ないし「C」と中級であるのに対し、新人である二人のランクは「E」だった。
 未だ大規模な軍事衝突は起こっていなかったが、二人は焦燥感に急かされるまま、手っ取り早くランクを上げるため自機の強化を目指した。支出のバランスを考慮しながら慎重に依頼を選び、用心深い戦闘スタイルに徹した。
 新人向けの依頼は報酬額が低く、当初の訓練と提供されたACの費用が報酬から差し引かれていたが、堅実な貯蓄に励んだ結果、僅か二ヶ月で自機を全面的に改装強化し、Dランクに昇格することができた。
 ACという戦闘兵器の装備を買えるだけの報酬は、確かに高額と言えるかもしれない。しかしレイヴンに支払われる報酬は特別な電子通貨であって、通常の電子通貨とは全く異なるものだった。つまりはポイント制のようなもので、これの交換によってACの装備や大抵の生活必需品を入手することができる。コーテックスの扱う日用品は消費生活を楽しめるような質ではなかったが。
 仮に、一般の企業社会で買い物をするために、レイヴン用の電子通貨を通常のそれに換えた場合は、様々な規定によって微々たる金額となってしまう。納税……つまり定期的な購入を義務付けられている証券の、購入金額の程度によって付与される権利が増減する企業社会においては、当然の処置だったが、嗜好品についてリディアはかなり苦労していた。例えば香水一本分の通常電子通貨を得るために、プラズマ発生用のカーボン・スティックを1ダース買えるレイヴン用電子通貨が必要だった。
 もちろんアリーナで道化か偶像として成功すれば話は別で、軍資金を稼ぐために二人も何度か参加し、割と良い収入を得た。しかしACにハリボテ同然の擬似装甲を施し、花火のような模擬弾や七色の可視レーザーを撃ち合い――無害のレーザーを受けると擬似装甲が派手に自壊する仕組みだった――無知な観客の目を楽しませる遊戯は、戦闘以上に疲れるものだった。
 それまでとは全くことなる日常と、戦闘という極限状況に慣れ始めたラインとリディアはミッションを立て続けに受け、戦術の研究と装備の充実を図った。
 瞬く間に半年が過ぎ、山賊と呼ばれる非市民武装勢力の排除など、中級程度の依頼を二人は受けるようになっていた。
 
 
 二人が故郷を出てから九ヶ月が経ったある日、小競合いの限度を超える大規模な戦闘が南部辺境と中部クレスト領の境界で起こった。
 クレスト社の小さな資源備蓄基地が辺境勢力に襲撃され、部隊規模の攻防戦が始まったのだが、誤認による過大な報告が双方に増援と救援を送り込ませ、事態をいたずらに拡大させた。
 戦況を把握し損ねた両軍が交互に戦力を逐次投入するという間の悪さもそうだったが、原因となった基地の戦略的価値が損耗された戦力に釣り合わない事実を前に、両者が失態を戦果で挽回する思考に陥ったことも不運だった。
 結果、誰も予期していなかった地区で師団規模の衝突が発生した。
 数時間後、事の発端となった小さな基地は戦闘の余波で壊滅の憂き目にあっていたが、この成り行きに任せる形でクレスト中央本社は大陸中部の衛星都市連合企業軍に南部侵攻を命じた。
 南方派遣の経験が活かされると思われていた中部のクレスト軍だったが、南部に近い都市や基地では破壊工作活動が相次いだ。物資備蓄施設や輸送部隊への襲撃などによって補給機能が一時的に停滞し、数日後に遅れに遅れた戦略的判断も下され、南部への進撃は断念された。
 サボタージュの実行者は、難民内の辺境勢力のシンパだった。各地の都市外部にスラムを形成している難民や貧民による妨害活動が、企業軍の行動を著しく阻害したのだった。
 軍事面の事件に限らず、経済面でも混乱は拡大していた。末端の孫企業レベルでは中央と南部との交易は続けられていたが、中央本社の厳命による経済制裁や、南部新企業の上層部による極端な課税など、大陸経済は停滞を余儀なくされていた。当初三ヶ月で収束すると言われていた事態は混迷の度合いを深め、二大企業は相互不可侵条約の期限を延長した。
 辺境勢力も、決して順調とは言えなかった。多数の都市の連合体である新企業の上層部は、既に内部分裂の兆しを見せていた。政治・戦争計画の方針を巡って元ミラージュと元クレストの二派への分化が顕著となった他、各都市間の経済格差が問題となった。中央の圧制から解放されても、全ての都市が豊かになった訳ではなかったのだ。
 また、革新主義の善き理解者を自称していたキサラギなどの中堅企業が、新企業体の統治能力に不満を持つ都市に離脱を勧め、自社への吸収を謀ったことも、辺境勢力の結束を衰えさせた。
 さすがに中央支配へ復帰する都市はなかったもの、政治的意思の統一性の喪失は散漫な軍事行動となって現れ、無用な遭遇戦や戦略的価値の無い小競り合いは、それまで不景気に喘いでいたレイヴン達を喜ばせるに終った。
 そのレイヴンの中にも「特権の撤廃」や「平等と正義」を謳う新企業に好意的で、辺境勢力と専属契約を結ぶ純粋な心の持ち主はいたが、多くの傭兵は企業のプロパガンダに冷笑を浮かべては皮肉と嘲笑を吐き、報酬の金額のみで動いていた。
「辺境も中央も、所詮は企業。同じ穴の狢だ」
 それが、この紛争に対する傭兵たちの評価だった。辺境勢力の行動原理が経済利権の拡大だということは、彼らが真っ先に資源地帯を襲い、積極的に産業の発展を推し進めていたことからも明らかであり、正鵠を得ていた。
 両者に挟まれ、大陸中部や西部の南端で局地戦に曝されようとしている諸都市も独立できればとラインは思ったが、軍事拠点として荒野に建設された城塞都市には中央のような経済力も、辺境のような資源もなかった。軍事力は相応にあったが、中央の経済力がなければ機能しない。そのような現実を目の当たりにしてゆくと、世界の全てが故郷の敵に思えた。
「まずは、降りかかる火の粉を払わないとね」
 リディアは優しい声は、ラインには諦めのようにも聞こえた。だが事実、今は故郷に銃口を向ける者と戦わなければならない。
 それに……幾多の戦場とその当事者達を見る限り、<管理者>でも復活させなければ世界に平安を呼ぶことなどできないだろう。この有限の世界に複数の勢力が存在し、それら全てが自己の利益を、あらゆる言葉をもって当然の権利と称して無制限に追及しているのに、それら人間集団を超越する絶対の権力存在は失われて久しく、代わる存在も未だ無いのだ。
 神が采配を下さないというなら、人がやるしかない。
 レイヤードが失われて以来、そう唱えた者は少なくない。過去、地上世界の変革を至上目的と掲げて活動した武装組織は多数存在した。だが、どれも企業に……いや、複数の企業社会によって構成された巨大な経済産業機構の歯車に飲み込まれ、野望や願いとともに砕かれて消えていった。情報技術によって全自動化されているその歯車は今も各人の意思を越えて回り続け、最も大きな秩序となって現れている。
 この世界の神に喩えるなら……それだろうな。
 ミッションを終えたコクピットの中で、全身から染み出す疲労に深く息を吐きながら、青年は耐Gシートに身を任せて虚ろに思った。
 この時ラインはCランクに、リディアはBランクに昇格していた。
 
 
 南方の戦火が突然レーゲンス近辺に飛び火したのは、二人のレイヴン歴が一年に達しようかという頃だった。
 故郷が戦場になったという、突然舞い込んできた凶報に、二人は血相を変えた。中央経由で搬入された物資コンテナに戦闘用MTが潜んでいたというのだ。幸い殲滅に成功したが、熱核または生物化学兵器を携えた決死隊だったという噂に、ラインとリディアは血の気が引いた。
 ほどなくして辺境勢力の正規の軍事作戦ではなく、反中央系武装勢力の凶行と判明したが、安心はできなかった。戦場の距離は開いているが、安全な場所などないのだ。
 ランクの達成も果たした二人は、得られる情報の中から直接・間接的にレーゲンス防衛に関わるミッションを探し出し、受けるようになった。
「あたしレイヴンになって良かった。外から状況を見て、自分の意志で戦えるんだもの」
 上機嫌に笑うリディアは、今では指折りのフロート・ドライバー、浮遊脚のACを操るレイヴンになっていた。彼女の愛機「ロゾリオ」は全身がミラージュ製パーツで構成された流線型のフロートACで、脚無き脚部の四枚の安定翼が花弁か蝶の羽根のように見える機体は赤く塗られていた。
 ヘルメットを被るのに邪魔な長い髪を切らず、五歳は幼く見えるような髪型をする少女と、その赤いACは同性の同業者から「少女趣味」と揶揄されていたが、一撃離脱戦法に徹し、高速で接近して二丁の速射型リニアガンによる電離化熱弾の弾幕で目標を圧殺する彼女は、赤梟の異名を持つ戦闘者だった。
 ラインはリディアをサポートする位置に着いた。彼の中量二脚ACは右腕に高速ミサイル・ランチャー、左腕にデュアル・レーザー砲、両背部には多連装ロケット・ランチャーを装備していた。
 二人の戦法は既に完成していた。戦端においてラインが豊富な火力を投入して露払いをし、続いてリディアが突入して主な目標を駆逐。彼女がリニアガンの砲身冷却のために離脱するタイミングに合わせて、残された敵をラインがデュアル・レーザーで狙撃するというものだ。
「これならレーゲンスは巻き込まれないかもね」
 ミッションが成功する度にリディアは嬉しそうに言ったが、一組の傭兵コンビが戦線に与える影響など極めて微々たるものだった。
 かつてはAC戦のプロフェッショナルとして勇名を馳せたレイヴンも、EL暦の四〇年代には衰退を迎えていた。
 二〇年前のサイレントライン騒乱以後、企業軍が無人AC部隊を積極的に投入したことで、単独遊撃を旨とするレイヴンは無人化AC部隊の高度な組織戦に追い詰められ、完勝を獲る者は激減し、多くは逆に駆逐されていった。
 無人ACが高性能な局地戦用無人MTとして完成したこと以外にも、戦略熱核兵器や電磁加速砲の配備、宇宙開発や技術革新による戦争形態の変化など、様々な要因によってレイヴンと彼らの一機完結型のACは戦略的価値を奪われていった。ACそのものがレイヤード時代の遺物と呼ばれ、パーツ換装による高い汎用性を以ってしても局地戦術兵器と定義されてしまう時代の始まりだった。
 この二〇年間で、レイヴンの多くが「如何に勝つか」ではなく「如何に生き残るか」という方向に意識を変えたのは、消極性への転落というよりも、時代の流れなのだろう。ラインとリディアの結んでいるパートナー契約という制度にしても、かつてレイヴンの被撃破数の急増にコーテックス社が戦慄し、レイヴンに同業者との共闘を呼びかけたのが始りだった。
 コンビを組んでいなければ死んでいたかもしれないと、ラインはリディアの勇猛な打撃力に、リディアはラインの緻密な援護に感謝していた。
 その戦友としての信頼関係は、一年が経とうとしても恋愛関係に変わることはなく、このまま兄妹のような関係に落ち着くかと双方が思っていたが、事は至った。
 
 できれば戦わせたくない。
 レイヴンとして本格的に活動し始めた頃から、リディアの後ろ姿を見る度に、ラインの思うことだった。
 傭兵の戦いに終りはない。二度とACに乗れない身体になるか、愛機を棺桶にするか、五体満足の内に降りるか。運命は限られている。コーテックス社の統計によれば、いかなるレイヴンも、三〇回も出撃すれば、必ず一度は極めて危険な状況に陥り、窮地を脱するのは数割に満たないと言う。
 戦いに生き残るということは、また一日、猶予を手に入れたに過ぎないのだ。
 慎重に徹していても、いずれ、危機は来る。
 戦場の現実が、不安を確固なものにしていった。レイヤード創世の時代から数百年間に渡って企業が培ってきた破壊・殺人のための技術は、いとも簡単に物を壊し、人を殺す。皮肉にも愛機が教えてくれた。
 今思うと洗脳に近かった企業学校の訓練で、戦闘そのものに対する耐性は得ることができた。だが、今は恐い。自らが戦闘者であるという矛盾を承知していても、リディアが殺戮兵器に傷つけられ、最悪、生命を奪われてしまうことが。
 自分よりも背が低く、束ねたり団子にしたりする彼女の髪型の所為もあるのだろう。戦闘中はともかく、生身で向かい合うと、リディアが自分よりも一ランク上位のレイヴンであることなど忘れてしまう。
 そして、無理をするな、無茶をするな、俺がいいと言うまで突撃するな、そう苦言を呈してはリディアの逆鱗に触れてしまうのだった。
「また子供扱い? いい加減にしてよ!」
 冷気の満ちた格納庫で、リディアは腕を払い、全身を包む赤いパイロット用多機能スーツのロー・ヒールで床を蹴った。
「いつになったらあたしを信頼してくれるの!?」
 放たれる鋭い眼光は戦闘者のものだが、苛立ちを抑えるようにきつく両腕を組んでも、大した抵抗もなく手が脇まで達してしまう身体など、容姿が追いついていなかった。確かに、小さな身体はG……機動加重に耐性を持ち、高速フロートACの操縦者に適していたが。
「信頼している」
「うそ! 今日だってそうだったじゃない! 来なくていいって発光サイン出したのに前に出て……」
 今しがた帰還したミッションでの事だった。
 
 依頼を受けて二人が出撃したそこは、山岳地帯の盆地に仮設された辺境勢力の補給基地だった。この基地を含む半径500キロ圏がクレストの軍事人工衛星によって不定期の電子妨害を受けていたこともあり、二人は空挺投下による強襲ではなく、山岳地帯をACの高い地形踏破能力で突破する奇襲を選んだ。
 歪な形をした山岳は地形が極めて複雑で、全高10メートルほどのACなら隠密侵攻が可能だった。二人は埋設されたセンサーや地雷などを慎重に排除して警戒網を潜り抜け、半日がかりで基地に到達した。
 幸い、飛行MTなど高機動戦闘兵器の類はなく、基地の守備隊は軽戦闘車両の他に四機の多脚型重MTがいるだけだった。襲撃が察知された様子はない。墓標を思わせる建物の影が、静かに夕闇へ没しようとしている。
 依頼者から知らされていた軍事人工衛星の広域ジャミングの時間に合わせ、露払いとしてラインが多連装ロケット・ランチャーを発射態勢に移した。彼のACの突き出した背部……コア後部を挟むように装着された対の発射機が下部から炎を噴き、反対側から四発の噴進砲弾を吐き出す。
 基地上空に達した中型ロケット弾は対地制圧モードの設定に従い、弾頭を爆発させて一発辺り数百個の子弾…・・・四発で千数百個の小型爆弾を広範囲にばら撒いた。俗に「鉄の雨」と呼ばれる爆撃によって基地の通信施設、軽戦闘車両や歩兵の大半が無力化されると、ラインは中距離からの狙撃に徹し、リディアが四機の重MTに襲いかかった。
 奇襲を受けた二機の重MTは脚部と武装を狙い撃ちにされて戦闘能力を失ったが、残りの二機が果敢に応戦した。
 巨大な四足動物に似た拠点防御・長距離侵攻用の重MTは装甲が厚く、火力は陸上戦艦と言ったところだった。ACでも正面対決は慎重にならざるをえない相手だが、時速五〇〇キロに迫る全方位高速機動を可能とするフロートACと、その機動力で主導権を掌握するだけの戦況判断力と操縦センスのパイロットなら、決して分は悪くなかった。
 赤いフロートACは巨獣MTの射線を翻弄し、リニアガンやマイクロ・ミサイル・ランチャーの斉射で残っていた装甲車や基地施設を破壊していく。
 遥か虚空から放たれる広域ジャミングの下、直接救援を呼びに行こうとしたのか、格納庫から連絡用の小型ヘリが離陸しようとしたが、隣の燃料貯蔵タンクが吹き飛んだために巨大な炎の波に飲み込まれ、粉々になって黒煙の中へ消えてしまった。
 赤い暴風となって蹂躙を尽くしたロゾリオは、巨獣MTの最後の一機と相対する。
 最接近してリニアガンを連射――離脱に移ったロゾリオを追うように、巨獣MTの頭部で……まさしく象牙のように伸びる対の三連砲身が高速回転、徹甲弾を撃ち放つ。
 双子の火線を、ロゾリオは背中を向けたままフロート脚側面の補助ブースターを点火して真横にスライドして回避した。だが、追い抜いていった徹甲弾の雨が燃料タンクを直撃――閃光と炎の渦がロゾリオの前方に広がる。
 正面からの爆風に晒された直後、ロゾリオのフロート脚で四枚の安定翼が一様に斜めに傾き、前後左右四基の補助ブースターも、それぞれが噴射口を同じ形に歪ませて推進炎を斜めに噴き出した。
 次の瞬間、ロゾリオが独楽のように回り始め、浮き上がる。
 同角度に傾けられて風車の羽と化した四枚の安定翼が、切り裂いた大気を下方へ流しながら揚力のベクトルを斜め上に向け、さらに補助ブースターが同方向に推力を偏向したことで機体に回転が加わったのだった。
 赤いフロートACは躍るように三回転した後、垂直に傾けて回転方向に折った四枚の安定翼でエア・ブレーキをかけ、補助ブースター四基も逆方向に短時間噴射……回転が止まると、炎の渦に対して背を向けていた。
 通常の有脚ACでは困難な、滑るような一点回頭を演じたロゾリオは、後ろの補助ブースターを全開にして後方への慣性を殺した後、四枚の安定翼を正位置に戻しながら全ての補助ブースターを下方に全力噴射、フロート脚内の擬似重力発生装置……ディーン・ドライヴも唸らせて急上昇する。
 一点回頭と逆推進によって平面上の速度がゼロに落ちてしまったロゾリオを照準せんと、巨獣MTの背中の黒く平たい多面体の瘤……大型の滑空砲が旋回していた。
 リディアの流れるような操縦判断が功を奏し、ロゾリオは敵に背中を見せることもなく爆炎を回避し、続く上空への退避で滑空砲の仰角上限からも脱した。
 だが、まるで待ち構えていたように、巨獣MTの背中でバーチカル・ミサイル・ランチャーのハッチが連続して開く。
 対光学装甲を備えた重装甲MTに中距離からのレーザー照射では……!
 そう判断した直後、ラインは右のフット・ペダルを最大限まで踏み込みながら、自機に左腕と背部の武装の強制破棄を命じた。火薬で弾け飛んだ重武装の代わりに、コアの脇腹に格納していたレーザー・ブレードを左腕に装備させる。
 ロゾリオの肩で航空灯のような光が瞬いたが、ラインは無視し、右腕のミサイル・ランチャーから高速ミサイルを撃ち放った。
 ほぼ同時に、巨獣MTの頭部に当たる部分で小さい耳のような突起が展開され、ミサイルに対して強力な電子妨害が開始される。拠点防御用の機体から放たれる精密指向性ECMが、ミサイルのアクティブ・レーダーと誘導装置を撹乱した。対してミサイルは形状識別と論理制御によって巨獣MTへ突き進むが、僅かに方向がずれてしまう。
 発射されてから一秒半後に僅かに狂わされたミサイルの方向は、二秒後、巨獣MTに激突する瞬間の侵入角に大きなズレとなって現れた。高速ミサイルは高い運動エネルギーによる装甲貫通と内部破壊を目的としていたが、一次作用の段階で挫かれてしまう。ACの運用するミサイルとしては珍しく細長いそれは、巨獣MTの多面体装甲の表面を削り取って深さ数センチの溝を作った後、つんのめるように起立して弾頭を突き刺そうと足掻き、弾頭を起爆させたが、僅かに装甲を歪ませるだけに終った。四足の機獣は不動だった。
 続けて急速接近するラインの機体に向けて、巨獣MTは長砲身の滑空砲を向けた。下手な臼砲よりも大きな砲口が爆発したと思わせるような強烈な発砲炎を噴き、高速装填発射機構によって砲弾がたて続けに三連射される。
 砲身を出ると同時に装弾筒を脱ぎ捨て現れた三体の徹甲弾体が、秒速二千メートルを越える速度で飛んだ。
 近距離で放たれれば回避不可能な魔矢は、しかし全て大地に衝突し、摩擦による炎と盛大な土煙をあげた。遅れて轟音が大気を震わせる。
 発砲の寸前にロゾリオが空中から巨獣MTの脚関節を狙撃し、強引に射撃姿勢を崩していなければ、ラインの機体を貫いていたかもしれなかった。
  右側の前脚と後脚を破損して体勢を崩した巨獣MTの直上で、二丁のリニアガンが構えられる。
「終わりよ!」
 赤黒い花を思わせる影が、並んだ銃口越しに宣言する。
 大型動物を叩き斬る大剣のような形をした猟銃の内部で、瞬間的にプラズマ化され、リニア機構で電磁誘導された熱弾が高速で撃ち出される。
 高速連射された四発の熱弾が、赤き豪雷となって降り注いだ。
 容赦なき怒涛の連撃は、最初の二射が滑空砲の砲塔を爆散させ、残りの二射は背部のミサイル発射口を直撃した。ミサイルの有爆によって巨獣MTの背中が内部から吹き飛び、巨体が火球に包まれる。
 膝を着いて擱座し、前に傾いた四足の機獣は顎を上げ、片方だけになった牙から空を掻き毟るように機関砲弾を放ったが、それが赤い魔蝶に一矢報いようとした射撃なのか、上空から包み込むように襲来する十数発のマイクロ・ミサイルを防ごうと振り回されたものなのか、ラインには知れなかった。
 十数条の噴煙を引いて迫った小型ミサイルの群が、白き毒蛇のごとく巨獣MTの背中の傷口に殺到する。小さな破砕(はさい)型ミサイルでも、とどめを刺すには充分だった。内燃機関が引き裂かれて誘爆し、巨獣MTは炎を噴く残骸と化す。
 メイン・ブースターの噴炎を絞ってラインのACが立ち止まるのを見下ろしながら、四枚の安定翼を広げてリディアのロゾリオが舞い降りた。
 
 

 
 

 
 
「あの時、あたしが撃ってなかったら、どうなってた?」
 リディアはパイロット・グローブを外しながら、不機嫌さを隠さずに言う。左右で束ねた金髪の片房を指に絡め始め、ラインの返答を待たずに言葉を続けた。
「最初から、ああするつもりだったの」
 もう片方の手を銃の形にして足元に向ける。上空に移って巨獣MTの背中を狙う作戦だったと言うのだ。
「だから来なくていいって発光サインを出したのに……あたし一人でやれたのに……。ブレードなんかコア・ハンガーから外してよ、見てられなかったんだから!」
「俺だって見ていられなかった」
 ラインの抗弁にリディアの青い目が一層険しくなる。彼女は小さな桜色の唇を噛んで、ラインの言葉を待った。
「……あの重MTのバーチカル・ミサイルは炸裂弾頭搭載の対地攻撃用中型ミサイルだが、内半数は高速のMTやACに対応するために高機動化されている。もし撃たれていたら、危険だった。ロゾリオは装甲が薄いのに満足な対ミサイル防御手段を持っていない」
「そんなの、機動でカバーできたわよ」
 確かに、ロゾリオの浮遊脚は補助ブースターと安定翼の傾きによる重心制御で水平方向への急機動も可能だが。
「リディア。滑空砲の射界から出て、装甲の比較的薄い上面部を強襲するのはいいと思う。しかし、あの重MTが垂直発射機構を有していると憶えていたのか?」
 リディアは答えなかった。
 嘘をつかない娘だと、ラインは微笑む。
「笑わないでよ……。ごめん。あれの背中で発射口が開いて、弾頭が並んでいるのを見た時はドキっとした。リニアガンも撃ち過ぎちゃって砲身冷却が遅くて……。でも……でもね、だからって子供扱いしないで」
「子供扱いなんか……」
 「してるわよ」と、リディアに静かに遮られ、ラインは口を閉じた。
 格納庫に沈黙が降りる。深夜にも関わらずACに群がっている整備員達は誰も二人を見ていないが、その手は動いていなかった。
「あなたの声を聞けば分かるの。わたし独りじゃ危ない。背中を見ててやらないといけない……そんな風に思ってる。猫か何かと思ってるんじゃないの?」
「……妹のつもりだ」
 ラインは正直に言った。少女が自嘲的な微苦笑を浮かべる。
「ほら、ね」
 リディアは腕を組み、赤い愛機を横目でちらりと見た後、俯き加減に視線を落とした。
「……あたし、独りで戦えるようになりたい」
「俺とは、もう組みたくないのか?」
 深刻な顔で言うラインに、リディアは「違うったら!」と強く頭(かぶり)を振る。双子の尻尾が大きく揺れた。
「あなたに迷惑かけたくないのよ――聞いて、ライン。怖かったの。あなたのACが前に出て来て、敵に狙われたのが、すごく怖かった。自分が狙われた時よりも……」
 俯いたまま、リディアは感情を抑えた声で言った。
「もう、あなたに危ない目に遭ってほしくない」
「何を、言ってるんだ」
 ラインは声の揺れを隠すように、早口に続ける。
「心配が過ぎるぞ。確かに俺の方がランクは下だが、自分の身は守れる。自分の身も守れない奴が、他人の援護なんかできるか」
「バカなこと言わないでよ!」
 怒りもあらわな声とともに、少女が顔を上げた。
「近接攻撃をしかけるつもりでっ……あんな大砲のキル・ゾーンに入ったくせに……!」
 次第にその眉が下がり、青い瞳が濡れる。
「もし……あのMTの射撃姿勢を崩せていなかったら、そう思うと震えが止まらなかったの……。自分の命をかけるのは怖くないのに、あなたの命がかかっていると思うと、あたし、震えてトリガーが引けないよ……!」
 リディアは自身の薄い肩を抱き、また俯いてしまった。
 少女の堪えられた嗚咽が、ラインの胸を締め付ける。
「リディア」
 そっと、そよ風にさえ散らされてしまいそうな花に触れるように、ラインはリディアの肩に大きな手を置く。藍色のグローブを履いたままの手が、少女の肩に重く見えた。
「俺だって、そうだ。怖い。いつも怖かった。お前の戦ってる姿を見るのが」
「やっぱり……! あたし迷惑かけてるっ……」
「違う、違うんだリディア」
 両手で顔を覆って首を振るリディアを、その両肩を、ラインは掴んだ。
「俺だってお前に戦ってほしくない。お前を失うのが怖いんだ……!」
 ラインの感情の吐露に、リディアは肩を震わせて顔をあげる。
 少女の青い瞳に映る自分の顔が、情けなく歪んでいることにラインは気付き、自分の気持ちを否定することができなくなった。
「お前を愛してる」
「……!」
 リディアはいっぱいに目を見開き、何か言おうと小さな口を動かしたが、声は出てこなかった。
 ラインはじっと目の前の少女を見詰めて待った。
 やがてリディアは瞳を忙しく動かし、涙に濡れた顔を隠すように俯く。
「……で、でも、だからって、どうするの? あたしAC降りないよ」
「わかってる。レーゲンスを護る決意は忘れていない。今まで通りだ」
「やだ、ラインは降りて……お願い」
「リディア……」
 ラインはリディアの肩を掴んでいた手の力を緩め、努めて優しく言った。
「何度も言うが、俺はお前を信頼している。本当だ。可愛い妹のように思っているが、戦場では無類の、俺に一番合った最強の相棒だと信じている」
「……ほんと?」
「俺はお前を信じている。お前の力を、お前の意志を信じている。絶対に。だから遠く離れたところから援護することができる。本当は飛び出して行きたいが、お前のことを信じてるんだよ。だから、リディアも俺を信じてくれ」
 リディアはラインの言葉を咀嚼するようにしばらく黙っていたが、深く頷いた。
「うん……ありがとう。でも、飛び出すのはダメだから」
「今日みたいに飛び出したのは、確かに危険な行動だった。悪かった。でも、お前が撃たれるくらいなら、俺が盾になってやる」
「無茶苦茶よ……」
 リディアは涙を拭きながら笑った。
「戦う身で、お前を好きになった時点で無茶なんだ。それだけは許してくれ」
「ん……いいよ」
 リディアは頷き、肩に置かれたラインの手に自分の手を重ねる。藍色の大きなパイロット・グローブを、少女の小さな白い手が撫でた。
「あたしもラインが好き。あの日、あたしの手を握ってくれた時から大好きよ。だから、信じるね。いつも信じてる。遠くから背中を護られている時も、傍に来てくれた時も。あなたの力を信じてる。……ね、屈んで」
「ど、どうして」
「いいから、膝着いてよ」
 言われるままにラインはリディアの肩から手を降ろし、床に両膝を着いた。ラインがリディアを見上げる形になったが、それでも身長差の所為か、リディアの鳩尾の辺りにラインの顔がある。
 リディアは悪戯っぽく笑い、ラインの頭を胸に抱いた。
「今日のは落第点だけどね。許してあげる。愛してるから」
 金髪の少女はそのまま、胸に抱いた青年の頭に顔を当て、瞼を閉じて呟いた。
「わたし、あなたと、あなたとわたしの故郷を護るわ。あなたが信じていてくれるから……あなたを信じるから、怖くない。絶対に護る」
 その決意に答えるために、ラインはリディアの背中に腕をまわし、優しく抱きしめる。深くも淡い抱擁の中、少女の鳩尾に横顔を当てた青年は、パイロットスーツ越しに彼女の鼓動を聞いた。
「あー……お前ら」
 突然、後ろから声をかけられ、ラインは立とうとしたが、リディアの細い腕が放さない。締め付けるような抱擁が、立ち上がろうとして正面を向いた青年の顔を、少女の控え目な双丘の間に埋めさせた。
「――なによ」
 きつく胸に抱かれていてラインにはリディアの表情が分からなかったが、すぐ頭の上から聞こえる声は冷たく、棘を含んでいた。
「邪魔しないでよ、オジサン」
 ラインの背後で男が「おじっ……」と絶句し、格納庫内に笑い声が漏れる。
「……まぁ、いい。まだ餓鬼なのは分かるが、レイヴン、次からは余所でやってくれ。――貴様らは仕事をしないかっ!」
 男が声を荒げると、格納庫内に人の動く音が溢れ出した。ラインは整備員たちのことに思い至り、心中で唸る。
「お前らも仕事だ、レイヴン。……仲が良いのは分かったから、いい加減放してやったらどうだ。意外と苦しそうだぞ?」
 男にからかわれ、リディアはラインを突き飛ばすように解放した。立ち上がったラインに顔を見られまいと少女は横を向き、白金のツインテールを揺らしたが、赤く染まった耳が見えていた。
 二人の前に立つ背広姿の男は鼻で笑い、手に持っていた書類を開いて読み上げる。
「コーテックス社、傭兵派遣事業部、中部クレスト領第三区次席担当官、社員コードBG30237番が口頭及び書面で伝える。ライン・サーズィ、リディア・ホルヴェークに対し、事業規定第35条第4項に従い、以下の依頼の優先受託権を認め、これを紹介する」
 男は書類を畳んでラインに渡すと、口調を戻した。
「手短に状況を説明するからよく聞け。一時間ほど前のことだ。辺境軍の大部隊が越境した」
 二名のレイヴンと近く整備員達が驚きの声をあげたが、男は無表情で澱みなく続ける。
「これにクレスト社の中央派遣軍が応戦したが、散り散りになって後退している。クレスト中央本社は中部衛星都市連合企業軍の全軍に第四次緊急事態を発令、同軍の統合司令本部に想定される全て事態に対応しろと命令を下した。渡りに船というやつか、お前ら二人が専属契約を申し出ていたレーゲンス・ブルグの司令部から依頼が来た。依頼内容は、まぁ、戦争をするから手伝えということだ」
 男は二人の整備中の愛機を見上げる。
「依頼の拒否権はあるが、その場合、あのACはこちらで預かる。あと、我が社の施設で無期限の待機に服して貰う。例の新企業との地位協定の交渉が難航していてな。立場のはっきりしない傭兵の存在が懸念材料になっているための処置だ。どうする?」
 ラインはリディアの肩に手を置き、訊ねた。
「敵軍とレーゲンスとの位置関係は」
「真正面だ」
 
 
 翌日の午後、二人は愛機とともに城塞都市レーゲンスの装甲外壁に到着した。
 帰郷は、奇しくも二人がレイヴンになってから一年目の日となった。
 外から見た限りでは、外壁周辺の難民街が跡形もなく一掃されていたこと除けば、故郷は変わりなく、風の匂いの懐かしさにラインとリディアは瞳の奥が熱くなった。
 高空塵層がかかっている乳色の空も、変わりない。あの日、外壁の遊歩道でリディアと出会った日の空と何も変わらないように思える。だが、目を凝らせば、航空部隊の白い影が飛び過ぎるのが見える。遥か上空には複数の軍事人工衛星が軌道を変更して集まっている筈だ。
「懐かしいね」
 自機の足元で空を見上げていたラインに、頭上から少女の声がかけられる。ラインのACの隣では、赤いフロートACが下向きに畳んだ四枚の安定翼を接地脚にして鎮座していた。
「皆、元気かしら」
 外部スピーカーから少女の声を発するロゾリオに、ラインは耳につけている小型ヘッド・セットを指す。
「会いたいね」
 今度はヘッド・セットのスピーカーから聞こえた。ラインは「そうだな」と返す。
「ラインもママに会いたいでしょ。わたしもパパに……たぶん怒られるだろうけど、会いたいな」
「この紛争が落ち着いたら、会いに行こう」
 ラインは背後の都市ドームを振り返る。白亜の巨岩と形容する他ない、遠近感を狂わせる、窓一つない、巨大な純白のドームが視界を占めた。この壁の向こうに母が、かつての学友達がいるのだが、都市は戦闘に備えて完全閉鎖されている。
「すごく高かったのね」
 リディアに言われ、ラインは視線を前に戻した。正面にも白い壁がそびえている。リディアと出会った遊歩道のある、都市ドームを守る装甲外壁だ。クレスト社のブルク級城塞都市では、この厚さ数百メートルの壁の中に半地下の軍事施設が埋まっている。二人のACもさきほどまでそこで整備を受けていた。
 外壁からドームまでゆうに数百メートルはあるだろう。都市の閉鎖に伴い、巨壁内の軍事施設とドーム内を繋いでいた地下通路には幾重にも隔壁が下ろされ、かつてラインが遊歩道へ出るために通った空中回廊も撤去されている。
 壁に挟まれたこの堀のような空間の底部は、幾重もの装甲と機能素材の上に強化アスファルトを敷いた灰色の大地だったが、所々に風に運ばれた砂が白く溜まっている他、機動兵器サイズの塹壕が造成され、さらに巨大なコンクリートの障害物が設置されていた。それらと同じ間隔で、ラインとリディアの愛機を含む、ACないしMTが待機している。
 これらレーゲンスの第五次防衛線と位置づけられた機動兵器群は、一応は同種の敵の強襲に備えるものだが、防衛網の全容からすれば取るに足らないものだった。
 ラインは再び空を仰ぐ。都市ドームを突き抜けてそびえる尖塔の頂上部から巨大な砲身が突き出し、黒い影となって天を割いていた。防衛戦の要となるのは、都市の最上部に備えられたあの電磁加速砲だ。
 二〇年前のサイレントライン騒乱で得られた衛星砲の技術を基に、ミラージュは戦車やACが搭載できる小型のレールガンを実用化したが、クレストは衛星砲そのものを再現するかのように、絶大な射程距離を誇る超長距離砲を開発した。初速が光速のほぼ九割という弾速を誇る運動エネルギー兵器は、対空対地を問わず絶大な威力を発揮する。
 この巨砲を中心に、大小のミサイルと火砲、航空部隊、飛行MT、高機動戦車が都市の周囲に同心円状の要撃網を構築していた。しかも近隣には相互支援の契りを交わした同規模の城塞都市が三つある。四つの城塞都市を一単位とする防衛線が、中部クレスト領には複数存在する。その中でレーゲンスは最もミラージュ領に近い都市群の、さらに最西端に位置していた。
 クレスト社の中部防衛線の最右翼を、辺境勢力の軍勢は突破するつもりらしい。
 中部から西部のミラージュ領へ抜けようとする辺境勢力の侵攻に対し、今のところミラージュ側に目立った動きはなかった。
 叛乱の発生から一年もの間、戦災による資本の焼失を危惧する膠着状態が続いていたのに、ここに来て大規模な軍事衝突が起り、しかも中央側でクレストとミラージュの足並みが乱れていることに、ラインは猜疑を抱かずにはいられなかった。積極的な共同戦線の構築はないものの、長年の仇敵でありながら相互不可侵条約を結んでいるのに、なぜミラージュは防戦の構えなど見せて事態を傍観しているのだろう。
 大して情報を知ることのできない自分の立場では考えても栓がないと思ったが、戦乱の渦中にある故郷のことを思えば、「もしや」という類の疑惑に対してさえ憤りを憶えるラインだった。
「ね、降りても大丈夫?」
 リディアの瑞々しい声に、ラインは気持ちを切り替える。時間を確認して「大丈夫だ」と伝え、赤いフロートACの胸部を見上げた。
 ACロゾリオの印象は、上半身だけを見れば鳥のように見える。軽量腕のなだらかな肩は翼のように外側へ大きく張り出し、胸部も……ミラージュ社製の機動戦型軽量コアの中で最も丸みを見せるタイプなので、猛禽の類ではなかったが。
 流線型コアの嘴のように突出した胸の下部が開く。重なっていた複数の外装甲が展開し、さらに二重の内装甲・ショックアブソーバー機構が開放され、下方へ迫り出すようにハッチが開かれてコクピット内が露になった。ラインのACのクレスト社製コアもロゾリオのそれと同種のものだが、乗り降りのしやすさではミラージュ社製の方が優れているようだ。
 先に足掛けのついたワイヤーを、滑るようにしてリディアが降りてきた。彼女は降りる直前で細い身体を揺らし、振り子のような反復運動で落下速度を前後に拡散させ、前方に向かって猫のように身軽に飛び降りる。高分子繊維で編まれたパイロット・グローブをはいていなければ怪我をする降り方だった。
 リディアは大きく背伸びをしながら、ラインの前に立った。ヘルメットとイン・キャップを被るために、長い金髪は後頭部で網細工のように丁寧に纏められている。
「ライン、ありがとう」
 水のように澄んだ色の円らな双眸(そうぼう)を細めて、リディアは言った。
「なんだ、急に」
「ちょうど一年でしょ、今日で。今までいっぱい助けてもらったから。昨日もね」
 面と向かって言われると、ラインは頷く他になかった。
「照れないでよ」
 リディアは笑顔のままラインの隣を擦り抜け、今は折り畳まれて接地脚となっている愛機の安定翼に両手を当てた。
「お前もありがとね。ロゾリオ」
 リディアは赤い装甲に身を寄せ、横顔を当てるようにして抱きつく。
「前から気になっていたんだが、どういう意味なんだ、その名前」
「ママが好きだったお酒の名前なの。狙ってた名前はあったけど、ラインに取られちゃったから」
 リディアは肩越しにあの蠱惑的な笑みを見せて、赤い装甲を撫でた。
 戦績の良かった少女は早い段階で今の機体構成に至り、以後それを通してきた。戦闘後に必ず洗浄されている赤い機体からは、彼女の愛着が感じられる。
「今日も、頑張ろうね」
 祈るようにリディアは呟き、身を離すとラインに向き直った。
「さっきね、基地の人から面白い話を聞いたの。先々週、レーゲンスが襲われたよね。その時の防衛戦に参加したレイヴンがいたんだって。外壁の基地内に侵入したMT部隊を、近接戦で全滅させたのよ」
「それは、すごいな」
 施設内という狭空間戦闘は、ACやMTといった姿勢に柔軟性のある有腕脚兵器が得意とする地形だが、遮蔽物を盾に銃口だけを出して撃ち合うのが常套戦法で、近接戦で複数の敵を撃破したというのは尋常ではなかった。そもそも最近では、近接攻撃を主戦法とするようなレイヴン自体が少ない。
「その人に教えてほしかった」
 レーザー・ブレードをコアに格納しているラインは、訓練施設の講習を思い出しながら言った。教本にはブレードは緊急時の予備兵装であり、攻撃の実行は機体コンピューターに任せろと書かれているだけで、状況に合わせた機体姿勢や斬撃タイプの選び方など、応用的な戦術知識は得られなかった。
「今回も参加してるかしら。もしそうだったら、お礼言いたいな」
 リディアは見える範囲で他のACを見渡したが、どれも砂漠迷彩を施された企業軍の限定規格ACだった。彼女が聞いたのは「近接戦闘を得意とする四脚AC」というだけで、ラインが知るレイヴンに思い当たる者はいなかった。
「もしかしたら、わたし達と同じレーゲンス出の……」
 その時だった。
 遠雷のような低い唸りが、乳白色の空に満ちる。
 二人が空を見上げるのと、サイレンが鳴り出したのは同時だった。予定時刻よりもだいぶ早い。
「はじまった!」
 大音量のサイレンに負けないようにリディアが叫び、ワイヤーに片足をかけてウインチを作動させた。ワイヤーが巻き上げられる。
 昇っていく少女の背中に向けて、ラインは叫んだ。
「リディア!」
 コクピットに乗り移ったリディアは顔を出し、淡い逆光の中で光のような微笑を見せた。
「大丈夫! 怖くない! ちゃんと信じてるよ!」
 ラインが深く頷くとリディアの姿が消え、ロゾリオのコクピットが密閉される。
 鳴り響くサイレンの中、藍色のパイロットスーツに身を包む青年は愛機を見上げた。
 クレスト社特有の鋭利な多面体装甲で構成された、深い紺色に染められた中量二脚AC。細身のコアと一体化して鋭角的な美線を描く頭部の印象は気高く、外側に張り出した両肩の特殊追加装甲が広げられた翼を連想させた。ロゾリオとは似て非なる、猛禽の黒き翼。
 ラインもワイヤーを巻き上げ、コアの左側に開いた狭いハッチからコクピットへと乗り込む。鼻腔を抜ける澄んだ化学臭に、意識が切り替わる。
 まず、爪先から頭まで包み込む耐Gシートに深く寝そべるように座り、内設されフット・ペダルにスーツの踵の端子を接続する。ACの中枢コンピューターがスーツのメモリに記憶された搭乗者の情報を照合、一次認証、接続部が機械的かつ電磁的に固定される。同様に腰と背中もシートと一体化した。ベルトは無い。
 ゆっくりと深呼吸をして、ラインはヘルメットを被った。
 ヘルメットとスーツの結合がスイッチとなり、シートからスーツに電力が供給され、充電も開始される。スーツの生命維持装置が起動し、ACの機体内環境制御コンピューターと情報連結。スーツ自体が収縮して太腿を強く締めつけ、解放、耐G機能のテストを兼ねてパイロットの血圧や筋肉の状態がチェックされる。ヘルメット内のアイ・センサーがラインの眼球を認識、瞳孔追尾機能が作動、調整を完了する。
 ラインの呼吸、心拍、血圧、筋肉や眼球の動き、脳波……あらゆる肉体活動が中枢コンピューターの認識下となった。機体側の搭乗者情報と照合され、二次認証が完了する。
 ≪Complete≫
 ヘルメットのバイザーに緑色の文字が出力された。ACの戦闘意識の主体として認められたのだ。
 複数の緩衝支柱で支えられているシートの足元からリング現われ、ラインの膝の上で停止。シートに被さる三日月と言ったところの安全バーの表面が捲れ、コンソールパネルを展開する。三日月型のパネルは中央に幾つかの実体スイッチがあり、左右のモニター画面にはキーボードやスイッチ群が映像表示された。
 さらにシートの左右から対の黒いコントロール・スティックが迫り出す。それらは独りでに四方に傾き、ボタンやトリガーが音を立てた。動作確認。灰色だったトリガーが赤く色を変えて完了を知らせる。
 黒を基調とするコクピット内のデザインには無駄がなかったが、長円形のシートや一体成形型のワイド・モニターによってクレストらしくない線の流れを見せている。コア自体はレイヤード時代から存在しているものだが、これは数ヶ月前に改良が加えられた最新のバージョンで、オーバーブースト搭載の軽量コアながら格納機能も備えている。
 未だ景色の映らない暗いモニターで、大きく≪Start Engine≫のメッセージが鈍く光り始める。深く、鼓動するように。
 ラインは首にかけていたキー・プラグを手に取った。かつてのテトラの代わりに得た、力の証。
「頼むぞ」
 天井部分のジャックにキー・プラグを差し込み、回す瞬間に愛機に語りかける。
 生まれ育った故郷と、そして、ともに生きてゆく少女を護るための意志と力を体現した存在、ACレーゲンスが起動する。
 
 

 
 
 二大企業による分割統治体制の終焉から果てしない混沌へと至るEL暦四〇年代を、後に激動の時代と言わしめた最初の事件……第二次辺境紛争が急速に事態を展開してゆく、その幕開けとなる戦いが始った。
 号砲として二人が聞いた遠雷のような音は、遥か遠方の高空で始った航空部隊同士による空戦……多数の無人戦術戦闘航空機が巡航飛行状態から瞬間的に戦闘機動へと加速した際の爆音だった。
 この日レーゲンスの正面に展開していたのは、辺境勢力の軍事力の三割を構成する非中央派中堅企業、キサラギ社の軍団だった。彼らは電磁加速砲による超長距離砲撃を回避するため、山岳地帯を盾とするように布陣していた。先日、ラインとリディアが奇襲した補給基地から遠く離れていない場所だった。
 山岳地帯を活かした侵攻は、当然に、以前から各企業で予測・図上試行されていたモデルの一つだったが、中央から派遣されてその要所を守っていたクレストの部隊は、昨日の夜半に壊滅的損害を被って後退してしまった。
 圧倒的な射程距離と命中精度、そして核砲撃を含む絶対的な攻撃力を持つブルク級城塞都市の電磁加速砲に対し、自軍の損耗を抑える上でも、辺境勢力は内通者による破壊工作で対抗した。
 幸い、レーゲンスと最東部のメルゼは何事もなかったが、二都市の間に挟まれるデュースとヴォルフスで、戦端の開かれる一時間前に電磁加速砲の内部で爆発が起こった。
 戦いに勝てば接収して使うつもりなのだろう、それは効率的な破壊工作だった。砲の心臓部は無傷だったが、それを支える複数の制御機構が破壊されて砲撃は実行不可能、修復に最低二〇〇時間を要する事態となった。
 この事実は士気の低下を危惧して一般の将兵には伏せられたが、特に機密性が高く、思想調査も徹底していた電磁加速砲の運用要員に内通者が存在していたこと、それも……革新主義の盲目的な信奉者だったのか……自爆によって破壊を成したことに、クレスト社中部衛星都市連合企業軍の統合司令本部は言い知れない恐怖に包まれた。
 稼働率が半減したことにより、敵航空兵力に対する電磁加速砲の長距離対空砲撃は中止された。中央本社から戦術核弾頭の使用許可が下りず、また有限の砲弾と電力を、予測される長距離ミサイル攻撃などの迎撃に温存しておくためでもあった。
 結果、戦端において、戦史上例のない無人戦闘機同士による大規模な空戦が展開された。
 EL暦三〇年代に次世代兵器体系の中心的存在となるべく各企業で開発された戦闘用の無人航空機は、電子戦闘と航空管制を兼ねる大型機と、対地攻撃や対空攻撃・格闘戦を行う小型機の二種が存在した。全機の情報連結によって巨大な群体知性を構築し、空中で高度な組織戦を展開する。これについてクレスト・キサラギの両社に違いはなかった。
 クレスト側でミュッケ、キサラギ側でヒエンと名づけられた小型無人機はどちらも灰色で、極端に細い胴体を取り巻くように六枚ないし八枚の可動翼を有していた。小型機は頻繁に翼の位置や角度を変えることで鋭角的な急機動を繰り返し、敵無人機隊の群体知性の情報統合に重要な役割を果たしている大型機を撃墜せんと殺到した。
 大型機を中心に小型機同士の格闘戦が始まり、弾丸やミサイルの応酬を尽くした。大型機も機体各部の高出力レーザー砲から熱線を放ち、確実に小型機を貫いてゆく。小型機の多くは被弾して爆発四散するか、または黒煙を噴きながら羽蟲か小鳥のように次々と堕ちていった。
 開戦後ものの数分で消耗戦の様相を呈した無人機同士の空戦だったが、小型機の数が減ったところでキサラギ側の大型無人機オオトリの半数がブースターを点火して急上昇に移った。その目的を瞬間的に見抜いたらしく、クレスト側の大型機オィレYも上昇しながら高出力レーザーを照射し、小型機ミュッケも追撃した。
 オィレYから照射された高出力レーザーやミュッケのミサイル攻撃に対しては、オオトリの周囲に集ったヒエンが身代わりとなった。周囲で盾になった小型機が熔解または爆散していく中、各オオトリはさらに加速し、空中分解する寸前の限界速度で機体下部のウェポン・ベイから大型ミサイルを発射した。
 オオトリを第一段階の加速装置として天空に飛翔した大型ミサイル群はさらに上昇し、惑星の引力を振り切って衛星軌道に達した。
 遅れて事態を理解した統合司令本部は、レーゲンスとメルゼの司令部に電磁加速砲の対宙砲撃を準備させたが、砲撃のための計算が終る直前に、大型ミサイル群は軌道と相対速度を修正、暗黒の深淵に向けて攻撃ユニットである弾頭部分を切り離した。
 各攻撃ユニットは目標を探知、複数の空間誘導弾を一度に分離する。宇宙塵防除用のレーザーが照射されて幾つかの誘導弾は迎撃されたが、十数基の弾頭から放たれた無数の誘導弾の一斉突入を防ぎ切れるものではなく、絶対の静寂の中で爆発が相次いだ。
 対宙ミサイル群が多数の軍事人工衛星を破壊するのと同時に、キサラギの長距離ミサイル部隊が波状飽和攻撃を開始した。
 目標の迎撃能力を超えるために絶対数を必要とする飽和攻撃は効率の悪い戦法であったが、狙うものが比較的大型の固定目標であることから、キサラギは突入速度と弾頭破壊力にのみ特化した低コストのミサイル……ロケットに近いものを大量に投入した。
 「必要最低限の精密攻撃」という軍事原則から大きく逸脱したキサラギのこの措置は、城塞都市に過度の損害を与えるもの――つまり制圧後の利用価値を文字通り灰燼に帰する行為であり、後日、辺境勢力内にて厳しい非難に曝されることとなる。しかし、大局を見て軍事行動の必要量を判断する統一意思が、この時の辺境勢力にあったか否かは後世でも意見の分かれるところだった。
 天空に千を越える航跡を引いて飛来する長距離ミサイルの大群を、四つのブルク級城塞都市は無人戦闘機と多種多様な迎撃機構で阻もうとしたが、敵無人戦闘機の妨害と軍事人工衛星の消失による情報の減少は、速さ以外に大した能力のない長距離ミサイルの到達率を二割まで押し上げた。そして弾頭に満載された高性能爆薬は、城塞都市の装甲外壁や都市ドームを破壊するのに充分な威力を有していた。
 レーゲンスとメルゼは電磁加速砲の対空砲撃によって長距離ミサイルを十数基単位で葬り、直撃を免れていたが、守護神たる巨砲が沈黙していたデュースとヴォルフスは甚大な被害を受けた。安価粗悪な誘導装置に導かれた長距離ミサイルは、こともあろうかヴォルフスの都市ドームを三度直撃して居住区の大部分を焼き尽くし、その後の火災を含めて千人余りの非戦闘員を死亡させた。戦闘要員外人口……いわゆる女子供であった。
 レーゲンスとメルゼは電磁加速砲を連射したが、飛来するミサイルはその数を増してゆき、相互支援を約束していた二つの都市の惨状を看過せねばならなかった。
 統合司令本部は、レーゲンスとメルゼの電磁加速砲による敵長距離ミサイル部隊の即時殲滅を可能とするため、戦術核弾頭の使用許可と弾頭起爆コードの暗号送信を中央本社に申請したが、政治的配慮の一言で拒否された。この時の中央本社の対応が、後のクレスト社の没落に際し、中部衛星都市の離反を招くことになるのだが、そのようなことを考える余裕のある人間は、少なくとも戦場にはいなかった。
 この時点で、大規模戦闘の課程で、ラインとリディアにできることはなかった。ともに十九歳になったばかりの青年と少女はACを塹壕に移動させて……歯を食い縛って恐怖に耐えたが、大きな衝撃に見舞われた時、激震の中でお互いの名を呼んだ。
 二人の待機する場所は前後を巨大な壁に挟まれた……いわゆる谷底のような地形であるため、敵の遠距離兵器に直撃される可能性は低いと説明されていた。
 だが、現実は予測を裏切った。
 一発の長距離ミサイルが制御翼の一枚を対空砲火で吹き飛ばされたのだが、低性能な誘導装置が使われていたそれは飛行姿勢を修正することなく、垂直に谷底へと落ち、目が眩むような巨大な火球を咲かせた。
 熱核兵器ではなかったが、その余りの熱量によって、直撃を受けた不運なACとMT計十二機を含むあらゆるものが一瞬で蒸発し、キノコ雲が立ち昇った。衝撃は凄まじく、都市ドームを挟んで反対側にいたラインとリディアの愛機は横転しそうになった。
 それでも、装甲外壁内の基地格納庫への退避は命令されなかった。
「第五次防衛線の各隊は全機……別途命令あるまで待機せよ」
 男性オペレーターの静かな声を聞いた多くのパイロットが司令部の判断に呪詛を唱えたが、判断は正しかった。悲劇の都市デュースとヴォルフスでは装甲外壁が大部分に渡って崩壊し、内部施設で軍務に就いていた数千人の戦闘員と格納されていた多数の兵器が数万トンの瓦礫の下敷きとなっていた。
 それまでの事例から大きく外れた攻撃とその被害に、レーゲンスとメルゼの司令部は統合司令本部の命令を待つことなく、中央本社の許可無しで使用可能な……中部衛星都市連合企業軍が秘密裏に独自開発していた限定弾頭弾の発射を強行した。
 使用された砲弾は「代用核」の俗称を持つ戦術級特殊電離弾頭弾というものだった。
 レーゲンスとメルゼの大尖塔の頂上で、電磁加速砲がその巨大な砲身を天空へ掲げる。二度に渡って巨砲の砲身と砲口で青い火花が散ると、朱色と緋色が水のように混じり合う夕暮れの空に、一瞬で四条の青白い光跡が引かれた。
 各都市に二発ずつ、全部で八発しかない特殊電離弾頭のうち、四発が発射された。これは電磁加速砲の戦歴において、初めて限定弾頭が使われた砲撃だった。
 直角に近い仰角で撃ち出された砲弾は成層圏をかすめる山なりの急弾道を描き、迎撃不可能な速度でほぼ垂直に落下、対地高度一〇〇メートルという低さで弾頭を起爆させた。
 先に撃墜された軍事人工衛星の最後の観測データを元に、分析官数人と複数の戦略コンピューターが算出した四つの地点で、超高熱プラズマの青白い火球が爆発的に膨れあがり、呑み込んだ全てのものを微小の粒子へと分解した。
 この前例のない砲撃によって、山岳地帯の各所に部隊を密集させて配置していたことが仇となり、キサラギ社の全部隊の二割が消滅した。
 一度の砲撃で全滅に近い損害を出しながら、キサラギは後退しなかった。無人戦闘機の第一陣が第二陣と入れ替わり、母艦である無数の大型車両に帰還すると、彼らは残りの第三陣に加えて、地上部隊の主力である飛行MTと高機動戦車からなる混成機動部隊を山岳地帯から発進させた。
 遮蔽物のない不毛の荒野を、真正面から、多数の脱落が危惧される長距離を移動するキサラギの侵攻は自殺行為に等しかった。事実、ミサイルや火砲による遠距離攻撃と無人戦闘機の対地攻撃に曝された。
 ただし、メルゼやレーゲンスの電磁加速砲から砲撃を加えられることはなかった。
 キサラギが突撃に等しい侵攻を開始した数分後、四つのブルク級城塞都市は突然の奇襲を受け、メルゼとレーゲンスの電磁加速砲も沈黙してしまったのだ。
 
 
 電磁加速砲が天空を射てから十数分後、長距離ミサイルの飛来が止むのと同時だった。
 都市上空を監視していたセンサー類に一瞬だけ反応があった直後、レーゲンスの電磁加速砲の長砲身の各所で小爆発が起こり、僅かに黒煙が立ち昇った。
「な、なんだ!?」
 先ほど冷徹に待機命令を伝えた男性オペレーターが驚愕の声を漏らし、微かに聞こえていた司令部のざわめきが大きくなった。
「来た……」
 ラインが直感のままに言った次の瞬間、レーダーに無数の機影が現れた。二次元的な相対距離はゼロ……。
「出てっ!」
 リディアが叫び、降着状態にあったロゾリオが擬似重力発生装置の甲高い回転音と補助ブースターの爆音をあげて急上昇した。畳んでいた四枚の安定翼を弾けるように広げて戦闘機動を開始する。
 ラインのレーゲンスもブースターを全開にした跳躍で塹壕を飛び出した。
「敵襲! 上だっ! 第五次防衛線の各隊――!」
 オペレーターが絶叫しても、回避できた機体は全体の七割に満たなかった。
 上空から降り注いだ無数の砲弾が全ての塹壕で炸裂し、逃げ遅れたACやMTを爆砕した。続く機関砲弾の火線が何条も稲妻のように走り、第一撃を逃れても戦闘体勢に移れなかった機体を潰してゆく。
「所属不明機なお増大! 多数っ……索敵は何をしていた!?」
 無線から悲鳴と怒号が溢れる。全開にしたブースターの轟音に混じって、重い爆発音がコクピット内に響く。ラインは落ち着けと自分に言い聞かせ、冷静なスティック操作を心掛けた。ブースターを全開にしたまま回避機動を始め、リディアのロゾリオを確認――無事だ――続いてレーダーとモニターから状況を読み取る。
<警告、被照準、イレブン・オク、プラス・エイティー>
 愛機の戦術コンピューターが中性的な声で、簡潔に狙撃者の存在を報告した。ラインは反射的に機体を左に捻り込んで回避機動を継続しながら「オーダー!」と宣言語を発し、早口に音声入力を続ける。
「オートエイム! ショット! レフトウェポン!」
 事前設定に従い、ACレーゲンスの火器管制兼戦術支援コンピューターが最も脅威度の高い目標――自機を照準している敵性存在を自動電子照準、左腕武装のデュアル・レーザーを照射する。直後、左上方に突き出されたレーゲンス左腕の盾状光砲の双口が、降下中だった青い軽量二脚ACの右肩と不可視の熱線で結ばれた。コンマ数秒を経て、大気中の粉塵を燃やしてレーザーが黄白色に浮かび上がると、青いACの右腕がコアとの接合部を焼き切られて脱落した。
「やれるっ……!」
 右腕を失ってバランスを崩した軽量二脚ACに対し、ラインはタイミングをずらして高速ミサイルを連射する。レーゲンス右腕の、これも盾のような形をしたミサイル・ランチャーが内蔵していたミサイルを電磁投射――予備加速された細身のミサイルはロケット・モーターに点火してさらに増速、強大な運動エネルギーを秘めて目標に突進した。
 スカイブルーに塗られた軽量二脚ACは姿勢を安定させるために背中のメイン・ブースターを点火し、一時的に減速した。確実な回避機動を取るための措置が、逆に命取りとなる。おそらくラインの放ったミサイルの種類を誤解したのだろう。通常のAC用ミサイルの数倍の速度で突き進んだ高速ミサイルが連続して二発、軽量二脚ACのコアに下から突き刺さる。下腹部への凄まじい衝撃で二〇トンほどの機体が浮き上がった。この時点でコクピットが圧壊していたが、ミサイルはさらに深く減り込みながら弾頭を起爆、コアを中心から引き裂く。ジェネレーターが誘爆すると青いACは上半身と下半身に分かれ、それぞれ黒煙を引いて落ちていった。
 同じ頃、リディアのロゾリオは白色の逆関節ACとドッグファイトを演じていた。上空から螺旋を描くように旋回降下する白いACは両手のマシンガンを連射するが、地上で同じように円を描く赤いフロートACを捉えることができない。脚のあるACなら転倒するような角度まで機体を傾斜させたロゾリオは、円軌道をさらに捻り込み、マシンガンの射界を振り切る。
 乱戦の最中で獲物に執着してはいけない。白い逆関節ACは切り上げるべきだったが、ロゾリオを追尾しようとブースターを限界まで偏向させた。その背中を、ACレーゲンスの電子眼が見詰めているとも知らず。
 推力で強引に機体を捻り込んだ白い機体に向けて、四発のロケット弾が急上昇して迫る。本来は対地攻撃に用いられるロケット弾だったが、対高機動体戦闘にも対応できるよう設定を変更するこができた。白いACから数百メートルの距離で弾頭が起爆し、無数の小型爆弾が飛散する。四発のロケット弾が展開した弾幕が、最も濃密になる距離だった。
 落下して味方を誤爆しないよう時限起爆を設定された子弾は、逆関節ACの背後で一斉に空中爆発し、瞬く間に爆炎と黒煙で白い機体を包み込んだ。直撃しなければACの複合装甲には大した害のない対軟質目標用の小型爆弾だったが、数が数であり、黒い雲から現れた逆関節ACの白い装甲は傷だらけで、腕や脚の間接、そしてブースター・ノズルなどの非装甲箇所に損傷を負っていた。
 ブースターから噴炎の消えた白いACが、自由落下を始める。衝撃吸収に優れる逆関節なら、そのまま着地しても助かる高度だった。
 だが、見逃される筈がない。
 ロゾリオが両腕のリニアガンを上空に向け、一呼吸置いて、左右一発ずつ熱弾を撃ち出した。偏差修正された二つの熱弾の軌道は、白いACの両脚と重なっていた。チキンレッグと呼ばれる脚特有の逆さに折られた膝関節……正面が非装甲の可動部分を、リディアから狙撃命令を受けたロゾリオの戦闘知性は正確に撃ち貫いた。被弾の反動で前傾した白い機体の中心へ、さらに一発、熱弾が飛び込む。
 コアに直撃弾を食らった白いACは姿勢を崩したまま落下、硬質アスファルトの地面に激突する。充分に蓄えられた自由落下のエネルギーは、ほとんど吸収されることなく、物理法則に従って機体を襲った。装甲が歪み、千切れかけていた両脚の膝から先が宙に舞う。
 高速で移動する赤い影から、とどめの一撃が撃ち込まれる。リニアガンから放たれた熱弾が、装甲の歪んだ軽量コアのコクピット・ハッチを直撃した。倒れたACは純白の機体を大きく痙攣させた後、コアの被弾箇所から僅かに青い炎を噴いて完全に沈黙する。
「やったよ、ライン! 次、牽制して!」
「ああ!」
 ともに一機ずつ葬りながらも、ラインもリディアも撃破の感動など味わうことなどなく、互いの位置関係を確認しつつ全力の回避機動を続けた。
 レーゲンスはブースター・ダッシュで蛇行を繰り返し、回避不能な攻撃に対しては上半身を捻って両肩の外側につけられた特殊追加装甲の一方を正面に向け、瞬間的に発生させた広域拡散型のプラズマ・ジェット・シールドで防いだ。
 ロゾリオは四枚の安定翼の傾きを頻繁に変えて大胆な空力制御を行い、脚部の前後左右に存在する四基の補助ブースターを自在に点火させ、通常のACでは困難な三次元的な変速機動で被弾を許さない。
 二機はともに援護し合いながら応戦し、比較的敵機の少ない方へと後退した。
 
 レーゲンス第五次防衛線の部隊は完全な奇襲を被り、開戦後数分で半数を失ったが、生き残った各機が障害物や塹壕を盾とするように動いて体勢を持ち直し、どうにか防戦を継続することができた。都市ドームを取り巻く谷の全域に降下した所属不明のAC群も、それぞれに障害物や塹壕を利用する動きを見せたが、守備隊と外壁の迎撃によって三割を消耗していた。
 同じ頃、レーゲンス・ブルクの企業軍は都市の上空に元凶の正体を探すため、帰還した第一陣の無人戦闘機隊を再出撃させた。
 クレスト社製小型無人戦闘機ミュッケが、吸い寄せられるように都市の直上へ集まる。彼らは推力偏向ノズルの形状と翼の配置を機敏に変化させてホバリングしながら、胴体中央にある電子の単眼が爛々と七色の輝きを放った……電磁波の広域変調照射による能動空間探査で、不鮮明ながら、人工知能は敵性目標の存在を認識した。
 多数のACを投下し、今も悠然と大尖塔の周囲に浮遊している物体は、レーダーなどの電子探査では補足できなかった。その物体が存在することによって生じる僅かな大気の流動を感知・分析するために、ほぼ至近距離で能動的に光学探査しなければ見つけることはできない……フル・ステルス型の強襲機だった。
 現行する全ての電子的・熱光学的な欺瞞手段を駆使し、さらにディーン・ドライヴを多用して古代の気球船のような低速で侵入してきた無翼の飛行体は、使い捨てにするつもりの無人機なのか、内部格納庫を空にして浮いていた。
 あらゆる欺瞞技術を見通す虚空の「神の眼」……軍事人工衛星を、キサラギが撃墜したのはこのためだったらしい。
 まるで怒りに駆られるように、数十機のミュッケが二〇ミリ機関砲弾の豪雨をステルス機の群に向けて放つ。人間の肉眼では何も視認できない空中に火花が散り、像が歪んで色彩の反転した景色が長円形の機影を見せた。
 被弾したフル・ステルス機の群が姿勢を崩し、ミュッケ達が眼下の第五次防衛線の支援に向かおうとした時だった。傾いたステルス機の黒い機体が裂けて白い光が溢れ出し、レーゲンスの上空が一面炎の海と化した。
 長距離ミサイルの威力を凌ぐ、それこそ戦術核に匹敵するような高性能爆薬の業火は、都市の上空で円周状に浮んでいた十数機のフル・ステルス機の同時爆発によるものだった。爆発によって被った被害を考えれば、ミュッケの銃撃が引き金になったのではなく、当初から物証を消し去ることも兼ねて計画されていた自爆だったのだろう。
 哀れなミュッケ達とともに、外壁の各所から大尖塔へ伸びていたワイヤーが超高熱の炎に呑まれて燃え熔け、千切れてゆく。爆圧と熱波に大尖塔そのものは耐えたが、空中都市と外壁を繋いでいたワイヤーの全てを断たれたことにより安定性が失われ、砲身の破損もあって電磁加速砲は砲撃が絶対的に不可能となった。
 他の三つの城塞都市でも同様の事態が起こり、メルゼの電磁加速砲も完全に沈黙した。
 早い段階で電磁加速砲を無力化されて迎撃能力が低下し、長距離ミサイル攻撃によって壊滅的な被害を受けていたデュースとヴォルフスでは、装甲外壁の軍事施設は制圧され、所属不明AC部隊の奇襲に対して第六次防衛線……都市ドームのすぐ内側に設けられた緩衝材的な空間、最終防衛線まで後退していた。
 クレスト社中部衛星都市連合企業軍の統合司令本部は、図上演習でも最悪のケースとされていた都市陥落とその早期奪還を視野に入れて、遅すぎる措置だったが、数百キロ離れた他のブルク級城塞都市から援軍を出発させた。現在交戦中の四都市の司令部には可能な限りの抵抗と、場合によっては電磁加速砲の心臓部を自爆によって完全に破壊する命令が下された。
 デュースとヴォルフスが半ば陥落し、レーゲンスとメルゼも電磁加速砲の機能停止によって迎撃能力を大きく奪われた今、四都市の各司令部は協議し、迫り来るキサラギの混成機動部隊に対する要撃体制を整えた。残存する無人戦闘機による航空支援と城塞都市の火砲支援の下、敵軍とほぼ同種の高機動戦車と飛行MTの部隊で迎え撃ち、万が一、援軍が到着する前に残存戦力の三割以上を消耗したら、その時点で四都市の電磁加速砲の中枢機構を自爆させるというものだった。
 さらにデュースとヴォルフスの司令部は偽装降伏によって時間稼ぎと反撃を謀ろうとしたが、統合司令本部から都市ドームを包囲している敵性AC部隊の正体を知らされると、物言わず最終防衛線での抵抗を続けた。
 司令本部が伝えるに、敵AC部隊を構成するのは全てレイヴンであった。
 装備に統一性を欠いていた時点で誰もがレイヴンだと思いはしたが……一度の戦闘にこれだけの数の傭兵が駆り出されたことは、数えるほどしか前例がなかった。傭兵自身に依頼の選択権があるとは言え、依頼を仲介するコーテックス社の特別の協力がなければ集められる数ではない。
 さらに問題のフル・ステルス機が……全てが爆発四散して証拠と呼べるものは残っていないが……ミラージュによって供与された可能性が示唆されると、四都市の都市ドームの地下にある司令部、CCCISと呼ばれる作戦司令室は沈黙に伏した。
 辺境勢力は西部ミラージュ領を目指しているが、それは果たして侵攻のためのだろうか。この紛争の構造は中央対辺境という地域間紛争だが、事態を動かしているのは従来の企業間紛争と同じく、各企業の恣意ではないのか。
 二大企業は相互不可侵条約を結んではいるが、明日それが一方的に破棄されない保証など無い。中央大都市の東西両端に二大企業の本社が並存している現状を、その均衡の危うさを、ミラージュの野心を、本社の人間は忘れているのではないか。
 クレストは、踊らされているのではないのか……。
 士官達の多くが同じ疑問を呑み込み、拳を握り締めた。見上げると、巨大な立体スクリーンでは多種多様なオブジェクトが蠢き、戦場の躍動を見せつけている。
 欲望と暴力と欺瞞に満ちた世界の暗黒を前に、彼らは無力感に苛まれたが、軍務を離れようとはしなかった。
 大クレストへの忠誠心……ではない。
 この都市に住まう家族や親しい者の生命、築いてきた日常と幸福、想い出が息づく故郷の風景、そして今も都市ドームの外で命を賭して軍務に服している将兵……同胞の存在が、彼らを無言の内に奮起させた。
 立ち止まっていた者達は、巨大スクリーンを睨みつけ、自身の役割に戻っていく。
 戦争は、まだ始ったばかりだった。
 
 

 
 
 フル・ステルス機が爆発し、外壁とドームの間に見えていた緋色の空が炎で埋め尽くされたのを合図とするように、レーゲンスの第五次防衛戦で最終的な戦闘が始った。
 障害物に隠れて撃ち合う消極的な戦法を捨てて仕掛けたのは、レイヴン達だった。
 キサラギが到着するまで生き残らなければ……否、都市を陥落させなければ、少なくとも自らと相対する敵を倒さなければ、生還は叶わない。金銭や稀少装備といった報酬に魅了されて地獄へ飛び込んだ自らの責任など忘れ、怒りを奮い立たせて傭兵たちは突撃した。
 一機として同じ機体のない、多様なACの群が一斉に塹壕や障害物から飛び出し、上空の大火輪に照らされる灰色の大地を驀進する。二十機を越えるACの高出力ブースターが爆音を共鳴させ、巨大な咆哮となって夕暮れ時の大気を震わせた。それは古代の戦争で戦士達があげた雄叫びとは異なる、もっと獰猛な、まさしく魔獣の叫びだった。彼らの機体が一様に纏わりつかせている、赤黒い怨念のような気迫がそう思わせた。
 殺られる前に、殺ってやる。
 死ね。
 死肉となって我の糧となれ。
 黒き凶鳥の叫びを人間の言葉に直せば、そう聞こえたかもしれない。
 近距離に迫っての銃撃か、遠距離からの狙撃かを選ぶ違いはあったが、傭兵達のACはどれも独りで戦った。正確には攻撃を防ぐための遮蔽物にしたり、狙いを変えさせるための身代わりにしたりと積極的に同業者のACを利用していたが、それは塹壕や障害物を利用するのと同様の行為と意識であって、相互に支援する組織戦などではなかった。一斉に積極的攻勢へ移ったのも、偶然だったのかもしれない。
 キサラギが侵攻を断念、または他のブルク級城塞都市の航空・空挺部隊が早期に到着すれば意味を成さない……戦略的に見れば明らかに分の悪い奇襲作戦に参加したのは、そのような傭兵ばかりだった。
 故に、個々の火力や戦闘能力では拮抗しながらも、クレスト企業軍の限定規格ACは日々の軍事訓練と、機体左背部の高性能レーダー・ユニットによる各機の情報連結によって完成された高度な組織戦を展開し、奇襲を被ったことで全体として数で劣っていたにも関わらず、古典的な単独遊撃戦法を取るレイヴンを駆逐していった。
 四都市の企業軍が所有する中量二脚型の限定規格ACは、クレスト社のそれとしては珍しく左腕にプラズマ・ジェット・シールドを装備し、右腕には現行で最高の発射速度を誇る高性能マシンガン……または圧倒的破壊力を持つハンド・グレネード・ランチャーを構え、右背部に対高機動体戦闘を前提として開発された高機動ミサイル・ランチャーを搭載していた。大半のコアは緊急の戦域離脱手段としてオーバーブーストを装備したものだが、イクシード・オービットと呼ばれる小型の浮遊砲を二基搭載するものもあった。
 これら堅実な戦闘能力を有する企業軍ACは三機で一個の戦闘単位を構成し、マシンガンを装備した二機が前衛となって交互に弾幕を展開し、グレネード・ランチャーとイクシード・オービットを搭載した後衛機が支援する戦法を取っていた。
 ACの操縦能力についても、レイヴンと企業軍パイロットに大した差がある訳ではなかった。元々ACの操縦者は、中枢ないし戦術コンピューターから多大な操作支援を受けている。一対一で闘う擬似戦場のアリーナでならともかく、組織戦と対する戦場では独特の癖を持つレイヴンの方が不利と言えた。
 いかにレイヴンのACが規格外とも言える強力な武装を備えていても、個体に対して複数で確実性の高い攻撃を展開され、一対一の戦闘状況を作ることも叶わないとなると、各個に撃破されてゆく他になかった。
 だが、こうまで易々と狩られるようなら、レイヴンという暴力装置に存在の価値はない。
 
 数機に一機だけ……数的かつ戦術的劣勢を覆す、例外的な戦闘能力を有する者がいた。
 
 塹壕に陣取る三機の企業軍ACに真正面から突撃してきたそれは複数の火砲に照準されたが、オーバーブースターを点火して真横に跳び、再照準される前に再点火したオーバーブースターの推進炎を背負って急接近、塹壕から僅かに上半身を出していた企業軍ACの構えるハンド・グレネード・ランチャーの長砲身を脚で蹴り飛ばし、体勢を崩した上で至近距離から砲撃を加えた。
 それの右肩に構えられた特殊火砲……大型スラッグガンの暗い砲口が企業軍ACを睥睨した瞬間、多弾頭砲弾が砲口を飛び出して爆散、十数発の小型徹甲榴弾が企業軍ACのコア前面から頭部にかけての装甲を吹き飛ばした。瞬く間に同じ砲口が再び火を噴き、露出した二次装甲を蜂の巣にして内部のコクピットごと操縦者を爆砕する。
 塹壕内にもうもうと立ち昇る黒煙の中から、深緑に染められた対の機械脚が伸びる……さらに本体と、後ろ脚が続いて姿を現した。
 両肩に重火砲を、左腕に白銀の盾を、そして右腕には特殊な近接兵器を装備した、クレスト社製の多面体パーツで構成された四脚のACだった。飾り羽のようなレーダー・ブレードを有した頭部で、人間のそれのように配置された左右の鋭い電子眼と、中央の上下一対の丸い受能動光学装置から赤い光を放ち、次の獲物を見定める。
 僚機の残骸を上から組み伏せる四脚ACに蜘蛛を連想した後、二機の企業軍ACは戦闘教本通りの対応に出た。四脚ACに近い一機がジャンプ上昇してトップアタックを狙い、塹壕内に残った機体は銃撃を加えようとする。
 だが、深緑の魔蜘蛛の方が速かった。
 四脚ACは上半身を反らしながら後脚を折るように屈め、機体の傾きに任せて前脚を持ち上げ――次の瞬間、屈折していた後脚を一気に伸ばして大地を蹴り、ほぼ同時にオーバーブースターを一瞬だけ発動、衝撃波とともに前方の企業軍ACに飛びかかった。蜘蛛のごとく機敏な動きは、レイヴンが戦闘前に独自にプログラミングしていた特殊動作らしく、企業軍ACの戦術コンピューターとパイロットの虚を突くことに成功した。
 四脚ACは跳ぶと同時に左腕の実体盾を前面に構え、武装が前腕の外側に付けられているために空いている両腕の機械手……マピュレーターを組み合わせて固定し、加速された三〇トンを越える機体で突進した。
 対する企業軍ACは戦術コンピューターが自動回避を行おうとしたが、狭い塹壕の中では後退する他になく、逆に安定性を欠く結果となった。
 四脚ACの山折り型の盾が、その鋭角な白銀の峰が、企業軍ACのコアと脚部との連結部分を正確に直撃した。企業軍ACの機体が軋み、そのまま突き飛ばされる。後ろに倒れながら企業軍ACは背中のメイン・ブースターを点火して復帰しようとしたが、四脚ACが覆いかぶさるように飛び乗り、完全に押し倒してしまう。
 四脚ACは折り曲げた対の前脚で企業軍ACの両腕の肘関節を踏みつけて固定すると、左背部で折り畳まれていた大型チェインガンの砲身を展開……しかし捕えた獲物は狙わず、戦車が砲塔を回すように上半身だけを左に九〇度近く旋回させて後ろに反らせ、さらに大型チェインガンを最大仰角に固定して上空を狙い、撃った。
 頭上を取りながらも、僚機が組み伏せられたために射撃を躊躇していた企業軍ACへ向けて、五〇ミリクラスの高速徹甲弾が撃ち上げられる。不可視の魔爪に掻き毟られるように、企業軍ACの全身で装甲が火花をあげて弾け飛び、露になった内部機構が引き裂かれてゆく。クレスト社企業軍ACの伝統的象徴とも言える単眼の頭部パーツが、その電子眼に直撃弾を受けて内部から弾けるように四散した。
 右腕と左腕も肘と肩から先を失い、企業軍ACはバランスを崩して落下する。
 アスファルト片を飛び散らせて墜落した機体の、装甲が黒く焼けて捲れ上がったコアに向けて、塹壕から現れた砲口が正確な三点射を二度加え……とどめを刺した。重機関砲の狙う先で機体が四散し、赤い炎が飛び散る。
 僅か数十秒の間に相次いだ同僚の死に怒号をあげるように、組み伏せられていた企業軍ACがオーバーブースターを点火した。クレスト社製中量コアの背中から爆発的に白い推進炎が溢れ出し、背後のアスファルトを赤く飴色に熔かして飛び散らせる。上下に重なり総重量で七〇トンを越える二機のACを、最大出力で発動されたオーバーブースターは軽々と持上げた。
 捕えていた獲物の意外な行動に四脚ACは塹壕の外へと素早く跳び出し、同じく塹壕を脱して上昇する企業軍AC向け、メイン・ブースターを咆哮させて突進する。
 オーバーブースターの余力で十数メートルほど浮き上がった企業軍ACはジェネレーターがオーバーヒート状態にあったが、予備電力によって姿勢を制御しつつ右腕を構え、迫り来る魔蜘蛛に向けて空中からマシンガンをフルオートで撃った。
 一分間に数千発の発射速度を誇るクレスト社製の高性能マシンガンから放たれた文字通りの弾幕に対し、四脚ACはブースターから青い原子炎を噴き出したまま、四本の脚を投げ出すようにして腰を落とし、姿勢を低くした。四本の脚とその付け根である腰部の底がアスファルトを削り取って火花を上げ、多少速度も落ちたが、四脚ACは上空から降り注いだ弾丸の下を潜り抜けることに成功する。
 着地して両膝を着いた企業軍ACはマシンガンの銃身が焼け爛れるまで撃ち続けるつもりだったが、アスファルトと火花を散らしながら懐に入って来た四脚ACが左腕の盾を薙ぎ払う。EL暦二〇年代の末に宇宙工場の無重力下で製造された稀少価値の高い超硬度シールドの激突を受けて、企業軍ACの右腕マピュレーターは破損、マシンガンが脱落した。
 企業軍ACのパイロットは思い出したように左腕のプラズマ・ジェット・シールドを展開しようとしたが、オーバーヒート状態の愛機は実行不能を示す耳障りな警告音を発するだけだった。
 両膝を着いて腕を垂らし、まるで放心したような姿を晒す企業軍ACを嘲笑うように、四脚ACの眼が赤く輝く。
 そして……魔蜘蛛は右腕の肘関節を折り、その前腕の外側に装着された特殊近接兵器、パイルバンカーの射出体勢に移った。
 それは通常の作業用MTなどが掘削機として使うものとは根本的に異なる、四脚AC自身が持つ白銀のシールドさえも貫く超高密度材質の杭を、高性能炸薬の燃焼ガスによる超高圧で打ち出すもので、僅か五回使用するだけで杭の走るレールが熱と衝撃で破損するほどの、桁違いの威力を持っていた。
 故に炸薬は四回分しか装填されていないが、同じ杭と射出機構を上下に二基備え、僅かにタイミングをずらして同じ場所に連続刺突することで絶対的な貫通力と破壊力を有する、まさに一撃必殺の近接兵器だった。
 確実な死を与えんと、四脚ACが右腕を後ろに振り被る……そうして上半身を捻ったために、両肩の外側につけらえた実体型追加装甲の左腕側が正面を向いた。小型のシールドには、白銀の地に不吉な影となって浮き立つ、黒い蠍(さそり)の絵が描かれていた。
 毒蟲のエンブレムを見て、企業軍ACのパイロットが両目を見開く。
「スコル……ピオン」
 パイロットは呆然と呟いた。目の前にあるのと同じ、死を象徴するエンブレムを初めて見た時の印象が、記憶から呼び起こされる。よく見れば機体も……二週間前とは多少装備や機体色が変わっているが、四脚であることと、右腕の武器は同じだった。
 機体名と、そして操縦者であるレイヴンの顔を知るパイロットは「どうして……」と一言呟き、モニターに移る四脚ACの頭部を見た。
 死ぬがいい。
 赤い電子眼が嗤(わら)う。
 企業軍ACのパイロットは死を覚悟したが、眼を瞑ろうとはしなかった。目の前のACを、その中に乗っている筈の男を、睨みつけるつもりで。
<ミサイル、アプローチ>
 愛機の戦術コンピューターが警告するのと同じくして、スコルピオンが突き出た胸部の先にある小型砲塔を真横に向かせてレーザーを照射、パイルバンカーの射出体勢を解いて跳び退いた。
 寸前の差で、細長いミサイルが企業軍ACとスコルピオンとの間を高速で飛び過ぎ、白い排煙の跡を残す。
 企業軍ACのパイロットがミサイルの飛来した方向を見ると、小さく、陽炎を背負った藍色の機影が見えた。そのACらしき影の左腕と、四脚ACの前脚が二条の光跡で結ばれ、深緑の装甲が白く眩い火花を散らす。
「味方なのか……」
 モニター上で、その見慣れない機影を囲むマーカーは友軍を示すグリーンだったが……≪Raven−02≫と表記されている。
 パイロットは、今回の作戦に二名のレイヴンが雇われていたことを思い出し、そして二週間前の防衛戦で敵MT部隊を撃破してくれたあの男のこと思い、力任せにコクピットの内壁を叩いた。
 パイロットの見詰める先でスコルピオンが跳躍、空中でオーバーブースターを点火し、藍色のACの元へ飛び去った。
 
 

 
 
 オーバーブースターを全開にして飛来する四脚ACスコルピオンに対し、中量二脚ACレーゲンスは連続してデュアル・レーザーを放つが、並んで空を焼いた光速の矢は魔蜘蛛を射ることができない。
 オーバーブースト中の過推進状態で僅かに脚関節を屈折させ、重心と空気抵抗の変化から進行方向を調整して光砲の射線から逃れる様に、ラインは戦慄を憶えた。一度や二度の偶然ではない。確実に、全て回避されてしまう。
 こんな奴が、敵なのか。
<脅威接近。相対戦闘優勢指数ワン・スラッシュ・スリー。――警告、被照準>
 電子的かつ光学的に観測、分析された敵の機動・回避能力と火力・装甲性能から、レーゲンスの戦闘知性が彼我の戦闘能力差は三対一であるとラインに告げた。
 愛機だけではない、本能も警告を発している。
 逃げろ……こんな奴は初めてだ……。
 四本脚のACがオーバーブースターの推進炎に押されるまま着陸、アスファルト片を撒き散らして滑りながら大型チェインガンをレーゲンスに向ける。
 逃げろ……今ならまだ逃げられる……。
 長く太い三連砲身が高速回転を始め、残像を見せる砲口が火を噴いた。ラインは蛇行機動で回避を試みるが、未来予測に基づいて伸びる火線が、牙を剥いて荒ぶる鉄火の蛇が、レーゲンスのブースターが引く原子炎の光跡に追い縋る。
 ラインの脳裏で、もう一人の自分が呟き続けた。
 逃げろ……。
 死にたいのか……。
 …………。
 ………………助けなければよかったのに。
「黙れっ!」
 叫びとともに左のフット・ペダルを踏み込んで急減速をかけ、レーゲンスの上半身を右に捻り込む。
 こんなことで!
 両肩のエクステンションの一方……正面を向いた左側の特殊追加装甲を作動させる。六角形の小盾といった形状の特殊装甲が、機体の左側面に高電磁場を発生させた。さらに盾表面に六基ある突起物が迫り上がって全方位放射口を開き、超高温のプラズマ・ガスを広域に噴射する。飛来した砲弾は斥力を受けたかのように阻まれ、青い原子炎の奔流に掻き消された。
「俺は逃げない……!」
 ラインの決意に応えるように、ACレーゲンスが踏ん張った両脚を――急停止のために屈折した脚関節の片方だけを一気に伸ばした。大地を蹴り、サイド・ステップでチェインガンの射線を振り切る。さらにシールドを消す際、高電磁場を一瞬だけ増強して敵の電子照準を妨害する――その間に捻っていた機体の上半身を正面に戻し、両背部の多連装ロケットを撃ち放った。対高機動体攻撃モードで撃ち出された四発のロケット弾がすぐさま弾頭を開放し、無数の小型爆弾を進行方向の広範囲に撒き散らす。
 スコルピオンが四本の脚の瞬発力を大地に叩きつけて跳び上がった。続けざまに、その足元で無数の小爆発が起こり、縦断爆撃を受けたかのように炎の道が延びる。
 スコルピオンが空中でオーバーブースターを点火するのと、レーゲンスが右腕の盾状ランチャーから高速ミサイルを四連射し始めたのは、ほぼ同時だった。
 その速度故に追尾性能で劣る高速ミサイルは、四発中二発がスコルピオンの足元を擦り抜け、一発が胸部迎撃機銃に撃ち堕とされた。
「当たれっ!」
 最後の一発が耐久限界に迫る大G旋回を見せ、下方からスコルピオンを捉える。
 ミサイルの白い影が四脚ACの影と重なった。
 だが、爆音は遅れて……さらに上空で轟く。
 真下から突入した高速ミサイルはスコルピオンの前後の右脚の間を擦り抜け、右背部の大型スラッグガンに突き刺さったが、あまりの速度故に、弾頭を起爆する前に大砲を貫通してしまった。
 大重量の大型スラッグガンが粉砕されたことでバランスを崩したスコルピオンは、オーバーブースターをカットしたが、慣性のままにレーゲンスを目指した。そして、あろうことか空中で右腕を振り被り、パイルバンカーの射出体勢に移る。
「本気か!」
 同じAC乗りとしてラインは驚愕したが、高速で迫るスコルピオンの毒針の脅威は現実のものであり、愛機を後退させる。そして、スコルピオンに乗るレイヴンと己との経験の差を知った。
 スコルピオンは着陸すると同時に大型チェインガンを撃ってきた。パイルバンカーの構えは、空中でバランスと速度を失した無防備な時間を埋めるためのものだった。
 被弾警告の警報を耳に、ラインは臍を噛んだ。先ほどと同じように機体を捻ってシールドを張ったが、近距離では間に合わず、左腕のデュアル・レーザー砲が被弾して使用不能になってしまった。
「それなら……!」
 レーゲンスが左肩のプラズマ・シールドを正面に向けた状態で、スコルピオンに向けて跳躍する。シールドの出力が限界まで上げられ、機体を覆い隠すほどの巨大な青き炎の壁となった。
 さらにレーゲンスはもともと盾のような形をしていた二又の光砲を破棄、左腕の肘関節を開放して前腕部を反転させ、コアの両脇腹にあるウェポン・ハンガーの左側に密着させる。前腕が離れて回転して正位置に戻ると、そこには予備武装のレーザー・ブレードが装備されていた。
 シールドの過大なエネルギー消費にジェネレーターが悲鳴をあげる。
 充分だ!
 ラインはプラズマ・シールドを停止させた。途端に霧散し始める電離原子の渦の向こうから、スコルピオンが現れる。
 ≪In L−Braid range≫
 近接攻撃可能の表示を見ることなく、左スティックのトリガーを引き、同じスティックの頂上部にあるトラック・ボール……埋め込まれた球体を親指で左へと転がし、一度指を離してから押し込んだ。操作入力に従い、レーゲンスが右に捻っていた上半身を戻すようにして左腕のレーザー・ブレードを左へと大きく振り払い、肘を折って構え直した左腕を正面に突き出して刺突を実行する。
 プラズマ・ガスを噴射するタイプとは異なる、命中精度と攻撃範囲を重視したレーザー・ブレードから照射された赤き光剣の切っ先が、散りゆく青い原子炎の幕を引裂き、突き破ってスコルピオンの胸元へと伸びた。
 装置内で反射増幅されて膨大な数となっていたレーザーが、赤い光の束となって深緑の装甲を真一文字に爪弾き、そして胸部の一点に突き立つ――その間に白銀のシールドが滑り込んだ。表面に電磁コーティングが施され、さらに裏面に独自の冷却機構を備える超硬度シールドはレーザーの超高熱に耐えた。
「ライン! 跳んで!」
 リディアの声に、ラインはブレードのレーザー照射を中断してレーゲンスを右に跳躍させる。
 直後、レーゲンスの立っていた場所に高速徹甲弾が撃ち込まれた。スコルピオンの構えた盾の上で、チェインガンの三連砲身の砲口が回っている。
「見てなかったでしょ!」
 ラインは己の迂闊さを悔い、少女の叱責も続いた。
「勝手に飛び出して――どういうつもりよ!」
 怒声とともに、スコルピオンに向けて上空から熱弾が撃ち込まれる。突然の襲撃に対して四脚ACは盾を構えて後退、チェインガンを上空に向けたが、迫り来る十数発のマイクロ・ミサイルの群を見て回避行動に移った。
 追い縋る白蛇の群に向けて、魔蜘蛛の胸から熱線が走る。数発のミサイルが胸部迎撃機銃のレーザーにシーカーごと弾頭を焼き熔かされて爆発したが、同時に迫る無数のミサイルは迎撃側の対応能力を越えていた。
 十発余りの破砕型ミサイルは四脚ACの至近距離で弾頭を起爆させた。強烈な爆圧で飛び散った高熱の金属片がスコルピオンの全身に襲い掛かる。幾つかの電子眼が潰れ、胸部機銃の砲塔も蜂の巣となり、チェインガンの砲身は草花の茎のように縦に割り裂かれた。同砲の弾倉に被弾しなかったのは運としか言いようがない。
「ライン!」
 リディアが本気で怒っていることを声からラインは知ったが、呑気に話しができる状況ではない。友軍機の劣勢を見て飛び出したことは後で説明しよう、ラインはそう思い、一言「すまない」とだけ言った。
「もうっ!」
 地上に降下したロゾリオの背中で装甲が捲れ、左右二基ずつ計四基の特殊ブースターがノズルを現す。高速推進に備え、脚部の四枚の安定翼も変化した。前方の左右二枚が垂直に傾くと先端を合わせるようにして正面を向き、後方の二枚は方向舵にでもなるのか、同じく垂直に傾くと真後ろに突き出される。
「後で殴らせて!」
 かなり昂っているらしく、リディアが分かりやすく言った。しかし嬉しそうに。
 ラインの返答を待たず、ロゾリオが背後に二枚の赤い炎の翼を広げて発進する。数秒後には亜音速域の上限に近い速度が出ていた。
 あり余る推進力を背負って驀進するロゾリオが両腕の猟銃を連射する。安定翼とほぼ同面積という大型のリニアガンが左右同時に熱弾を発射し、チェインガンを破棄したばかりのスコルピオンを襲った。
 勝てると、リディアは確信した。あの四脚ACにはもう射撃兵器が存在しない。
 盾で必死に防いでるけど、そんなもの、後ろへ周り込んでリアタックすれば――!
 「リディア! 急ぐな!」
 ラインの叫びとともに、レーゲンスから高速ミサイルが撃ち出される。自機の上方を音速で追い越していったミサイルの排煙を見て、リディアは微笑を浮かべた。
 こんなの、わたしだけで充分よ。
 昨日、言葉で気持ちを確かめ合ったことが、ラインから「お前を信じている」と何度も言われたことが、リディアの気持ちを大きくしていた。一撃離脱に徹していながらも、どこかで大胆な機動や激しい連撃を好む性(さが)が増長され、躁的な昂揚感が心を包んでいる。
 見ててよ、ライン……信じてくれるんでしょ?
 そんな少女の淡い想いを吹き飛ばすように、スコルピオンのオーバーブースターが咆える。二つの大砲を失ったことで大幅に機体重量を減らした深緑の機体が飛翔。高速ミサイルを振り切り、ロゾリオの進行線上に割り込んだ。そのまま太陽のような推進炎を背負って直進してくる。<ヘッド・オン>と戦術コンピューターが警告した。
「好都合よ!」
 直進してくるスコルピオンを見て、挑発的に叫んだリディアはロゾリオに急減速を命じた。フロート脚の後ろ二枚の安定翼がそれぞれ真横に広げられてエア・ブレーキをかけ、薄く水蒸気の膜をまとう。さらに前の補助ブースターが逆推進をかけ、前方へ傾く姿勢に対してはフロート脚内のディーン・ドライヴが遠心力を機体後方に集中して補い続けた。
 広げられた安定翼の先端から雲を引く赤いフロートACの左右の腕が伸ばされ、危ういバランスの中で大型の猟銃が前方に突き出される。
 リディアは素早くコンソールパネルに指を走らせてリニアガンのリミッターを強制解除、左右のコントロール・スティックを握りなおし、両方のトリガーを引き込んだ。
「潰れてしまえっ!」
 通常の連射よりもさらに早く、銃身が過熱することを承知の上で、左右のリニアガンから一瞬で六発の熱弾が撃ち出される。腕部の間接機構による反動制御を抑えての高速連射は、初弾の二発に続いて左右の踊る銃口から四発の熱弾を放ち、計六発の熱弾による隙間の無い弾幕を張った。
 ロゾリオからは、電離化熱弾の赤い壁によって四脚ACの姿が覆い隠されたように見えた。少し距離はあったが、接触まで二秒とかからないだろう。
 間違いなく、全身に熱弾を受けて圧殺される筈!
 リディアは心の中で喝采した。この数分間の戦闘で敵レイヴンのACは大半が駆逐され、自分達の周囲にいるのはこの四脚ACが最後だった。
 この戦闘が終れば、紛争が一段落すれば、リディアはラインを父親に紹介するつもりだった。
 二人がどんな顔をするか……きっと見物よね。
 美酒の名を冠する愛機が砲身の異常過熱を訴えたが、リディアは微笑して、勝利の瞬間を待った。
 熱弾の赤いカーテンが遠のき、その端から四脚ACの影が見え始める。全てがスローモーションのように動いていた。
 もう、当る。
 もうすぐ、終る。
「リディアっ――!」
 ラインの叫びが耳に届くのと時を同じくして、リディアは信じられないものを見た。
 高速で、一面の膜となって迫り、あと一瞬で着弾する筈だった熱弾の雨を、オーバーブースターを点火して直進していた四脚ACは真横にスライドして……回避した。その背中の爆発的な推進炎が、通常は左右の対となった特殊ブースターから噴出される筈の巨大な原子炎の塊が、片方だけしかなかった。
 片側をカットして方向を!?
「うそよっ!」
 過推進状態でそんなことをすれば機体の安定が保てないし、いくら多重のショックアブソーバーに守られていてもパイロットの身体が耐えられない。
 だが、目の前に迫る四脚ACは実際にやってのけた。
「来ないで……!」
 二丁のリニアガンは砲身冷却が間に合わない。リディアは後退しつつマイクロ・ミサイルをノン・ロックで前方に発射した。
 ロケットと化して迫ったミサイルに、スコルピオンは怖気もせず、オーバーブースターを全開にして群の中を通り抜ける。何発かが装甲に激突したが、爆発する頃には機体の後方に跳ね飛んでいた。
 後退しながら上昇を試みる赤いフロートACに、深緑の蠍はその毒針を構えて迫った。
 ラインは高速ミサイルを放とうとしていたが、オーバーブースト発動中のスコルピオンは速く、背中の推進炎の影響もあってミサイルの照準が遅い。
「くそっ!」
 コンソールパネル中央部の赤いボタンを叩き、オーバーブースターを発動させる。レーゲンスの後ろに大きく突き出した背中が、まるで黒い花が咲くように装甲を展開、現れた上下二対計四基の特殊ブースターを振動させた。ジェネレーターから溢れ出した超高熱電離原子の奔流がノズル内で凝縮、周囲の大気分子もプラズマ化して紫電が踊り輝くが、間に合わなかった。
 激突寸前まで肉薄したスコルピオンは、目の前にあるロゾリオのフロート脚の中心部分目掛けて右腕を突き出した。肘から肩、そしてコアとの接合部まで、全ての間接が順次固定される。
「あ……!」
 モニターの下方いっぱいに迫ったスコルピオンの右腕にリディアが息を呑んだ瞬間、轟音とともにパイルバンカーが炸裂した。
 対の牙のうち、まず上の杭が打ち出される。高性能炸薬が起爆、一瞬で膨張した高温のガスが薬室内を満たし、それ以上留めるとフレームが破壊される瞬間にロックが解除され、杭がレールを滑って射出された。
 高圧かつ高速で打ち出された超高密度材質の豪槍(ごうそう)はフロート脚の赤い装甲を薄紙のように突き破り、内部機構を圧壊させながら貫く。さらに杭自体に掘られた無数の溝を通って高温のガスが流れ込み、既に衝撃で破壊されていた機械部品を焼き熔かした。
 第一撃が引き抜かれると、同様に下の杭が射出される。第一撃の射出から一秒と経たずに放たれた第二撃は、先に流し込まれていた高温高圧のガスを圧縮し、さらに同量のものを加えた。
 杭を打ち込まれた反対側で、赤い装甲が醜く歪んで盛り上がり、熔けると同時に裂けて鮮血がごとく液化した金属と炎を噴き出した。なおも内部で荒れ狂い渦を巻く灼熱のガス流によってフロート脚の心臓部が完全に破壊される。
 スーツとシートのロックが外れそうな衝撃が真下からリディアを襲い、大音量の警報がその小さな耳を劈(つんざ)いた。膝の上を跨ぐ安全バーの下部で無色透明のエアバックが膨張して身体を押さえつけるが、機体が急激に傾くと、少女は悲鳴を堪えることができなくなった。
 機動力の源を潰されたロゾリオは墜落、横転。フロート脚の前後に開いた破損口から、氷塵のような無数の金属片を噴き出す。ディーン・ドライヴ内で超高速回転していた遠心力発生兼制御体が砕けたのだ。
<脚部大破、機動不全。戦闘継続に重大な障害が発生、危険です>
 倒れても冷静に状況を述べる愛機に、半ば宙吊りになったリディアは右のフット・ペダルを踏み込みながら涙声で叫んだ。
「オ、オーダー! アタック――ウェポンフリー! オートエイムッ!」
<目標、照準範囲外。実行不能>
 すぐ横にいるのに!
「動いてっ! ロゾリオ!」
 リディアは収縮し始めたエアバックを押し除け、コンソールパネルの真ん中にあるオーバーブースター発動スイッチを叩いたが、愛機は<実行不能>を繰り返し、モニターに被害状況を一覧表示した。それに目を通して少女は絶句する。フロート脚は補助ブースターも機能せず、通常機動は一切不可能。ディーン・ドライヴが破壊された瞬間にジェネレーターに異常負荷がかかり、エネルギーの生産能力が低下、オーバーブースター使用不可能。予備電力で射撃はできるが、二丁のリニアガンは砲身冷却中、機体の下敷きになっている左腕はまともな照準ができない……戦闘不能だった。
「やっ……!」
 突然の轟音と振動に、リディアはコントロール・スティックから手を離してヘルメットごと頭を抱えた。
 そのまま何事もないので、少女は顔を上げ、下方部分がブラックアウトしたモニターを覗く……右に大きく傾いた景色の中に、オーバーブースターの残炎を背中から噴きつつ、スコルピオンと組み合うレーゲンスの姿があった。
 
 

 
 
「リディア!」
 ラインはモニターの一角にウィンドウ表示されたロゾリオを見て叫ぶ。脚部以外に損傷はないが、気を失っているかもしれない。
「ラ、ライン……!」
 返事があった。
「リディア! ジェネレーターを停止させろ! まだ外には出るな!」
 誘爆の危険さえなければ、今はACの中が安全だった。
「でも――!」
「こいつを倒せば終る!」
 ラインはモニター全面に映るスコルピオンの頭部を睨みつけながら言った。城塞都市レーゲンスの第五次防衛線上に残存する敵ACは、今やこの一機だけだった。
「必ず倒す……!」
 たぎる憤怒もあらわに、ラインは低い声で言った。
 彼の心を燃やすのは、まず故郷を襲い、同胞やリディアの生命を奪おうとする目の前の敵への怒り。そして、その敵から愛しい少女を護ってやれなかった己自身への憤りだった。
 ――お前が撃たれるくらいなら、俺が盾になってやる。
 昨日の約束を……俺は果たせなかった!
 幸い、本当に幸運なことに、パイルバンカーの直撃を受けながらもリディアは無事だった。だが、この敵を倒さなければ、その生命の花は摘み取られてしまうかもしれない。
 先日、巨獣MTに怒濤の連撃を加えた時のリディアの気持ちが、今のラインにはよく分かった。
 大切な存在を失ってしまうことへの恐怖は、奪う者に対する力を……怒りという絶対的な力を与える。喩え、その力で敵を殺し、敵という立場にいる人間の親しい者に悲憤の涙を流させるという不条理を含んでいても。
 しかし、敵として相対した。
 その一言で不条理が合理と解され、宿命が定められてしまう。そのような世界に、争いの時代に生まれ育った青年だった。
「お前が、最後だ……!」
 戦闘者として培われた闘争本能が、ラインの眼つきを鷹のそれのように鋭い、冷たい炎を宿すものへと変えていた。
 その時、ヘルメット内のスピーカーが電子音を発した。
「そうか……俺だけか」
 ラインの耳朶(じた)を男の硬い声が打つ。モニターの隅で≪Call≫の文字が点滅している。周波数帯を見ると、それは救援要請や投降の申し出などのために定められている全企業共通のもので、目の前のACから発せられていた。
 ラインは迷ったが、回線を繋ぎ、激情を押し殺して言った。
「……降伏しろ」
「……」
 僅かな沈黙だったが、顔の見えない相手のそれは長い逡巡のように感じられた。
 やがて、鮮明な音声で、男が鼻で笑うのが聞こえた。
「お前を殺してから、考えよう」
 何の感情もこもっていない声がそう言った直後、互いに両手を掴み合っていた二機のACの均衡は破られ、レーゲンスが後ろに倒れ始める。
 スコルピオンが前方の左脚を中央にずらして三脚によって立つと、まるで古代格闘技の足技のように、伸ばした右脚をレーゲンスの左脚に内側から絡め、外側へ押し出すことでバランスを崩そうとした。
「上等だっ!」
 ラインは胸部機銃をマニュアル操作に切り替える。対人掃討・ミサイル迎撃に用いられる小型レーザー砲の出力ではACの装甲を傷つけることはできないが、リディアのマイクロ・ミサイルによってスコルピオンのコアは所々に裂傷を負い、特に胸部迎撃機銃の砲塔は完全に裂けている。ラインはそこを狙った。
 レーゲンスの鋭角的な胸部の先端にある砲身からレーザーが照射され、ほぼ真正面にあるスコルピオンのコアの半壊した小型砲塔に突き刺さった。熱線は砲塔内部を焼き熔かし、コアの中心部へ切り込もうとする。
「小賢しい……!」
 男のやや不機嫌そうな声とともに、スコルピオンの前の右脚がレーゲンスの左脚を完全に押し除けて戻り、関節を大きく折った。その背中でメイン・ブースターが点火、機体の上昇に合わせて屈折した右脚が一気に持ち上げられ、強力な膝蹴りを放つ。深緑の装甲がレーゲンスのコアの先端を真下から打ち上げ、胸部機銃を潰した。スコルピオンはブースターの出力をあげ、そのまま覆いかぶさるようにレーゲンスを押し倒そうとする。
「ここのまま死ぬ気か、小僧」
 死神を思わせる声で男が呟く。余裕のある声にラインは屈辱を憶え、歯を食い縛って返す言葉を探す。
 いや……違う。
 そんなものはない。今ここに、言葉など必要ない。
 コクピット全体が後ろに傾く中、ラインは背部のロケット・ランチャーを発射態勢に移し、迷わずトリガーを引いた。ランチャー後部から盛大に炎と煙が排出され、最大圧に達した四発のロケット弾が飛び出す。目標と自機の距離があまりに近いため信管は作動しなかったが、高初速を誇るロケット弾はスコルピオンの頭部後方に跳ねてレーダー・ブレードを剥ぎ取った他、コアと両肩にも激突して機体を押し返した。これと同時にレーゲンスが左右のマピュレーターを解放したことで、二機のACは離れる。
「…………」
 ラインも、傭兵の男も、人間ではなくなってしまったかのように、何も語ろうとはしない。意志は力で示し成す。ただ、それだけのことだった。
 頭部を醜く歪めたスコルピオンがブースターで怒りの咆哮を上げるのと同じく、背部のロケット・ランチャーを破棄して身軽になったレーゲンスもブースターを全開にして一瞬で起き上がった。
 そのまま互いに空中へと昇り、さらにオーバーブースターを発動させた二機のACは、それに乗る二人のレイヴンは、激震の中で最後の瞬間が近いことを感じとった。
 
 レーゲンスとスコルピオンの激しい近接戦を、リディアはロゾリオのコクピットから固唾を呑んで見守ることしかできなかった。
 援護は、できない。冷却完了を待ちわびていた右腕のリニアガンは……無謀な高速連射の過熱によって内部機構が破損し、発射不可能になっていた。マイクロ・ミサイルは残弾が尽きている。
 何も……できないなんて……!
 身を以ってパイルバンカーの威力を知り、敵レイヴンの技量を目の当たりにした少女にとっては、あまりにも辛い時間だった。
 あたしの所為だっ!
「ごめんねロゾリオっ……! ライン……!」
 斜めに傾いたコクピットで、青年の戦う姿を見詰めながら、少女は何度も自分の膝を叩いた。
「いや――やめてっ!」
 モニターの中でスコルピオンがレーゲンスに膝蹴りを加え、覆い被さろうとするのを見て、リディアは身を引裂くような恐怖に慄き、叫んだ。
 昨日と同じく、いやあの時以上に、ラインの戦う姿を見るのが怖い。次の瞬間、レーゲンスがあの槍に貫かれてしまうかもしれない。そうなれば、いつも背中を見守ってくれた彼の眼差しを、兄のように落ち着いた……だから時々優しい彼の声を、身体ごと心まで抱き締めてくれた彼の逞しい腕を、あの日震える思いで差し出した手を握ってくれた彼の大きな手を、そして昨日聞いた彼の想いを、自分は永久に失ってしまう。
「お願いっ……!」
 リディアは両手を組み合わせ、力いっぱい握った拳を抱くように、強く胸に押し当てた。そうして堪えないと、目を背けてしまう。耐え切れず、顔を塞いでしまう。
 背けない!
 ラインはいつも、こんな思いを味わいながら、自分を遠くから援護していてくれた。見守っていてくれていた。
 だから絶対に背けたりしないっ!
 ラインが一年に渡って示し続けてきた信頼の事実が、リディアに力を与えていた。彼女は迷うことなく、それを愛だと信じた。
「信じてる……!」
 後ろへ倒れ込むレーゲンスが至近距離でロケット弾を放ち、スコルピオンの頭部を半壊させる。
「信じてるからっ……!」
 距離を取ったのも束の間、ラインのレーゲンスはロケット・ランチャーを棄てて起き上がり、爆音とともに飛び上がるスコルピオン目掛け、ブースターの青い閃光を曳いて暗い緋色の空へと舞い上がる。
 あの日、二人で見上げた黒い翼のように、力強く、故郷の空へと。
「だからお願い! ラインっ!」
 上空で同時に咲いた二つのオーバーブースターの青白い火球、その禍々しくも美しい原子炎の奔流を見上げる少女は、二人で護ろうと誓った故郷に祈るように、信頼と愛を誓うように、青年の名を叫んだ。
 
 
 
 
 
 白き太陽と化したオーバーブースターの推進炎を背負う二機のACが、その距離を急速に狭めてゆく。
 右腕を振り被り、盾を前面に構えて突き進むスコルピオンに対し、ほぼ同速度で迫っていくレーゲンスは上半身を右に捻り、左肩を向けてプラズマ・シールドを発生させた。ジェネレーターが負荷に震える中、最大出力を命じられたシールドによってレーゲンスの全身が青い炎に包まれる。
「愚か者が!」
 レーゲンスの取った先と同じ攻め方が、男を失望させた。スコルピオンは驀進し、迫り来る青い炎の壁に正面から突っ込む。超高熱のプラズマに接触したことで白銀の盾がさらに眩く輝き、全身で装甲表面の塗料が沸騰して燃え立った。
 白銀の盾を大きく振り払って原子炎の壁を突き破り、全身に薄く黒煙をまとってスコルピオンが飛び出す。前方へと突き出された右腕は全関節を固定し、パイルバンカーの射出準備を終えていた。
 レーゲンスは――――正面にいない。
「貴様っ!?」
 スコルピオンの赤い電子眼が、男の見開かれた黒い瞳が、左側から迫り来る黒き猛禽の翼……レーゲンスを映す。
 最大出力の放射で巨大な高電磁場とプラズマの壁を造り、電子的かつ光学的に視界を遮ったレーゲンスは、僅かに進行方向を右へとずらした後、四基ある特殊ブースターの左側の二基を強制停止させて一瞬で左旋回――機体が錐揉み状態に陥る瞬間に再度四基全ての特殊ブースターを咆哮させ、炎の壁を飛び出したスコルピオンの左側へ向けて襲いかかった。
 レーゲンスの左腕ブレードから赤いレーザーが伸び、外側へ振り払われていたスコルピオンの左腕を、その無防備な二の腕の肩部との関節を焼き切る。超硬度シールドごと左腕が赤い糸を引いて脱落してゆく最中、赤き光剣はさらに伸び、スコルピオンのコア側面……がら空きとなった脇腹に突き刺さり、火花を上げて装甲を焼き熔かした。
 鷹がその爪で仕留めるように、レーゲンスは真横からスコルピオンに激突する。
 ブレードで切り裂かれたスコルピオンの脇腹に、装甲の切れ目に、レーゲンスが右腕の盾状ミサイル・ランチャーの発射口を当てる。
「もらった……!」
 ラインの指が、トリガーを引く。
 最後の一発である高速ミサイルが電磁加速によって投射され、弾頭がスコルピオンの脇腹に突き立つ。さらにロケット・モーターを点火し、シーカーを潰しながら深く減り込んだ鷹の爪は、そして蠍の心臓へと達した。
「見事だがっ――!」
 コクピットの内壁とモニターを突き破って現れたミサイルの弾頭に圧し潰される寸前、男は叫び、最後の命令を愛機に下した。
 左の脇腹にミサイルを埋め込まれたスコルピオンが、一瞬で上半身を左に捻り、固定された関節を軋ませて右腕を折り曲げて毒針を……パイルバンカーの二又の先端をレーゲンスのコアに向ける。
 
 絡み合う二機のACが白い光に包まれ、続いて溢れ出した赤い爆炎に呑み込まれた。
 
 コア内部で起こった爆発によってスコルピオンはその上半身を引裂かれ、さらにジェネレーターが圧壊したことで完全に四散してしまった。
 広がる炎と黒煙の中から、レーゲンスの機体が現れる。至近距離の爆発によって両肩のシールドは支柱から千切れ飛び、機体の各所が黒煙を噴いていた。
 そして、そのコアには、鋭角的な胸部の左上面部にはスコルピオンの毒針が……漆黒の杭が斜めに突き刺さっている。
 レーゲンスは左腕を下敷きにして墜落……黒い杭を隠すように傾き、うつ伏せに倒れた。
 夕暮れを過ぎ、暗闇へと落ち始めた灰色の大地に、静寂が降りた。
 
 
 爆発の寸前、スコルピオンのパイルバンカーが打ち出した杭は確かにレーゲンスのコアを捉えたが、無理矢理に関節の固定を解かれた右腕は安定を欠き、杭の先端が装甲に達した時点で本体が爆散したこともあって、本来の威力を発揮することはできなかった。
 だが、超高圧で打ち出された杭は藍色の装甲を突き破り、先端が二次装甲まで達した。圧し潰された機材が緩衝材の役割を果たしたもの、一点に集中された凄まじい衝撃を吸収することはできず、コクピットはその内壁を損傷していた。
「…………やったのか……」
 墜落の衝撃が収まり、前方にかなり傾いたコクピットで、全身に鈍い痛みを感じながらラインは息を吐いた。
 間違いなく、四本脚のACは破壊した。モニターがブラックアウトする寸前、目の前でコアが光と炎を噴き出して引き裂かれていくのを見たのだ。
 コクピット内を見渡す。ひび割れたモニターは全面が暗く沈み、赤い非常灯が点灯している。その赤い光に混じるように、左の壁で火花が散っていた。
「酷いな……」
 自嘲するように呟き、中枢コンピューターの機能を確かめるために、膝上のコンソールパネルを見下ろした。
 そして自身の左腹部の異常と、その痛みに気が付いた。
 三日月型の安全バーの下部、ちょうどコンソールパネルの真下で展開している筈のエアバックの透明の膜が破れ……左の脇腹に何か黒い物が……コントロール・スティックよりも大きな破片が突き刺さっている。
「…………」
 数秒間、ラインは呆然と傷を見詰め、電子音が鳴ってヘルメットのバイザーに文字が出力されると、僅かに眉を潜めた。パイロットスーツの生命維持装置によって止血機能が作動。スーツの機能繊維が固く収縮し、また筋肉を硬直させることで、腹圧で破片と内蔵が飛び出すのを抑えている。そのようなメッセージが表示されていた。
 だから、ヘルメットのスピーカーからリディアの声が聞こえた時、応じながらもラインは言葉に迷った。
 
 
 激突した二機が爆発に飲み込まれ、その中から現れたレーゲンスが墜落するのを見て、リディアは急いでロゾリオのコクピットを強制解放した。
「ライン!」
 灰色の地面に降り立ち、走り出しながらリディアは何度も青年の名を呼んだが、広域で電子妨害が行われているらしく、パイロットスーツの通信機能は大きく阻害されていた。
 それでも息を切らし、うつ伏せに倒れたレーゲンスまで駆け寄ると、応答があった。
「リディアか……」
「ライン! 無事なの!?」
「あぁ、生きてる」
「ねえっ…………怪我は?」
 口にするのを躊躇うようにリディアは言った。それほどに、外から見るレーゲンスの状態は酷いものだった。装甲は焼け焦げ、火花の散る間接部や破損部分からは黒煙があがっている。もはや機能しないだろう。
 「大丈夫だ」と、ラインは即答してきた。
「ジェネレーターも安定している……今、切った」
「本当に……怪我してない? 大丈夫?」
「……それより、ハッチは開きそうか」
 そうだ、見るのが一番早い。
 声でしか確かめられない不安に急かされ、リディアは躓(つまづ)きながらコクピット・ハッチのあるコアの左側へ周り、絶句した。丸太のように太い漆黒の杭がコアの側面に突き刺さり、圧し広げられて歪んだ装甲がコクピット・ハッチを潰している。一目で開閉不能と知れた。
「だ、だめよ……無理みたい。強制解放しなきゃ……」
 しかし、そのためにはうつ伏せになっている機体を、せめて横向きにしなければならない。
 どうやって?
 周囲を見渡したリディアは、こちらへ歩いてくるACの影を見つけて、飛び跳ねて両手を振った。
 ゆっくりと歩いて来たのは、あのスコルピオンと対決していた企業軍ACだった。レーゲンスの手前で止まった企業軍ACは頭部を巡らし、四本の脚が奇妙に折れ曲がった下半身を残すのみとなったスコルピオンの、黒焦げの残骸を見詰めた。
「同じ傭兵なのに、よく倒したな」
 ACの外部スピーカーから若い男の、揶揄するような声が発せられた。
「お願い! このACを上向きにして!」
 リディアは大声を出し、身振り手振りで伝えたが、企業軍ACは赤い電子眼で見下ろすだけで、何も言わない。
「ちょっと! なに突っ立ってるのよ!」
 苛立ちのあまり、リディアはヘルメットを脱いで企業軍ACに投げつける。一緒にイン・キャップも脱げ、暗闇の中で長い金髪がほどけて泳いだ。
 小さなヘルメットが脚の装甲に当って跳ねると、企業軍ACの左腕が駆動音の唸りをあげて動き、AC用マシンガンの銃口をリディアと対面させた。
「きゃ……!」
 全高一〇メートルに達する巨人の突然の挙動に、少女は小さな悲鳴をあげて身を退き、円らな青い瞳に恐怖の色を浮かべた。だが毅然と、暗闇の中で赤く光る巨大な単眼を睨み返す。
「いきなり……なんの真似よ!」
「出て行け」
 ACの頭部から、感情を抑えた声が漏れた。
「この街から出て行け」
 一人の少女に対して、機関砲を向けて見下ろすACが、震える声で訴える。
「な、なに言ってるの……」
「あの四脚AC……スコルピオンは……前に、俺達と一緒に戦った」
 企業軍ACの頭部が動き、周囲に散乱する残骸と破片の最中……アスファルトに突き刺さった白銀の装甲を見詰め、そこに描かれた黒い染みのような絵に向けて「間違いない」と言った。
「あのサソリのエンブレム」
 言われてリディアも振り向き、墓標と化した追加装甲の残骸を見詰める。
「前に、一緒に戦ったって……」
 ――防衛戦に参加したレイヴンがいたんだって。
「うそ……」
 ――外壁の基地内に侵入したMT部隊を、近接戦で全滅させたのよ。
「この人が……?」
 ――今回も参加してるかしら。
「だって今日……」
 ――もしそうだったら、お礼言いたいな。
「あたしと、戦って……」
 リディアは眩暈のような感覚に襲われる。知らず、両目から涙がこぼれていた。
 近接戦闘を得意とする四脚AC……スコルピオンの物言わぬ墓標が、夜風の中に起立している。
 企業軍ACのパイロットが、重い声を上げた。
「お前らレイヴンは、いつもこうじゃないかっ……!」
「違う……違うわ! だって、わたし達は――!」
 「傭兵だからな」と、企業軍の兵士が冷たく言い放つ。
「確かにお前たちは今日、この都市を守ってくれた。俺のことも、助けてくれた……」
 企業軍ACは、目の前に倒れている藍色のACを見下ろしながら続けた。
「でも、出て行ってくれ。もう戦争に出て来ないでくれ…………もうたくさんだ、余所者に裏切られて弄ばれるのはっ!」
「あたしは……」
 リディアの声は続かず、夜風に揺れた白金の髪の何本かが濡れた頬に張り付いた。
 少女に向けられた銃口の向こうから、決定的な言葉が放たれる。
「出て行け……。俺の故郷を、食い物にする奴は許さない……!」
 リディアは拳を握り締めて俯いた。
 瞼をきつく閉じ、涙しながら呟き、そして叫ぶ。
「ラインが……出られないの。お願い、助けて……!」
「企業軍に、そんな義務はない。自分の面倒は自分で見ろ。傭兵なら」
「ラインは!」
 少女は髪を振り乱して顔をあげた。
「あたし達はこの街の――!」
「やめろ」
 レーゲンスの、レーダー・ブレードも折れて半壊した頭部が、奇跡的に機能している外部スピーカーを震わせた。
「やめるんだ、リディア」
 藍色の巨人の中にいる青年が、石のように硬く、冷たい声で言った。スコルピオンの男の声に似ていた。
「パイロット、上向きに起こすだけでいい。頼む」
「…………」
 しばらくの間、企業軍ACは無言で残骸同然のACを見下ろしていたが、「わかった」と応じた。
「お前には、助けてもらったからな。……どいてるんだ」
 企業軍ACは少女に言い、マシンガンを脚部のジョイントに預けるとレーゲンスの前に屈み、ゆっくりと、もう二度と動くことのない機体を仰向きに直した。
「ありがとう。もういい」
「そうか……」
 企業軍ACは立ち上がり、振り返ることなく、地響きを残して去っていく。彼は整備を受けて、再び戦闘に参加しなければならない。
 リディアは空を見上げた。暗くなった夜空に爆音が響き、流れ星のように何条もの白い光跡が伸びる。攻撃されないということは、たぶん、援軍なのだろう。
 
 
 ラインはリディアに離れるように言い、コクピット天井のジャックに挿し込まれているキー・プラグを起動時とは逆方向に回した。開錠音を聞いてからプラグを下に引くと、プラグを中心に天井の一部が迫り出した。その表面にある幾つかのキーでコードを入力し、赤く点滅し始めたボタンのカバーを開ける。
 衝撃で傷が開くだろうな。
 ふとそう思ったが、今は少しでも早くリディアの顔が見たい……そして話さなければならない。
 赤いボタンを押し込むと甲高い警告音が三回鳴り、コクピット全体が強く揺れる。コクピットを包んでいた幾重もの装甲が接合部を外され、少量の火薬によって弾け跳んだのだ。左の壁の破損部分から薄く煙が入ってきたが、モニターが壁ごと強制開放されると夜風が吹き込んできた。
 ありがとう……レーゲンス。
 ラインはヘルメットのバイザーに浮んだ≪Link cut≫の文字を見て、愛機に別れを告げた。破れて血に汚れたエアバックの膜を引き擦りながら、コンソールパネルを畳んだ安全バーが足元に下がり、対のコントロール・スティックもシートに収納される。もう触れることがないと思うと、寂しさがラインの胸を突いた。
 シートとスーツの結合も解かれ、パイロットスーツの生命維持機能が独立作動に移る。バイザーに浮ぶ幾つかの赤い表示を見て、首筋に強力な鎮痛薬を投与される前にラインはヘルメットを外した。
 硝煙の異臭がラインの鼻腔を通り、肺を満たす。しかしそれは、微かに土の匂いを含む故郷の冷たい夜風に違いなかった。
「やっぱり……嫌われちゃったね」
 悪戯っぽく、しかし元気のない声とともに、疎らに星の浮ぶ夜空を背景にリディアの小さな顔が現れた。
「あの日から、分かってたことだ」
 リディアは涙の跡を拭いて苦笑し、「立てる?」と手を差し出した。一年前の、あの日のように。
 ラインは、その手を掴まない。
 リディアが顔に疑問符を浮かべるのと、左側の破損部で火花が散ったのは同時だった。震えた少女の背中から長い金髪が滑るように垂れて、火花に照らされて白く煌く。
「ライン…………なによ、それ」
 白く散る火花が照らし出したラインの腹部を見て、リディアは言葉に詰まった。
 シートに横たわる青年の腹部に大きな……黒い破片が突き刺さり、藍色のパイロットスーツが、何かに濡れている。
 リディアは無言でコクピット内に降り、ラインの腹部に触れ、それでも確かめないと信じられないように手を見た。赤いパイロットスーツのグローブの指先から、同じ色の液体が滴り落ちる。
 ラインの腹部を濡らす血の量に、リディアの顔が蒼白になった。
「うそでしょ…………ライン、ラインっ! どうしたのよ!? こんな……! 止血、止血しなきゃ!」
 止血剤を取ろうと、シートの側面にある収納庫に手を伸ばしたリディアの細い腕を、ラインの大きな手が掴んで止めた。まったく力のない、縋るような手だったが、リディアは全身を強張らせて固まり、また涙をこぼし始めた青い瞳でラインを見詰める。
「深いんだ……内出血も、酷いらしい。助からない」
 ラインは、穏やかな顔でリディアに伝えた。
「誰か……!」
 リディアは立ち上がり、コクピットから顔を出して周囲を見渡した。スコルピオンの墓標と同じように、残骸だけが点在している。外の戦闘に借り出されたのか、企業軍ACの姿はなく、負傷者を助けるための部隊が外壁のゲートから出てくる気配もなかった。
 遠く、闇に轟く砲声が、戦いの継続を知らせている。
 リディアは力なくコクピット内に降り、棺のようにラインの身体を包む耐Gシートの……ラインの足の上に座り込んだ。その僅かな重みが、今のラインには嬉しい。
「どうして……どうして言ってくれなかったの……」
「すまない」
 ラインが一言謝ると、リディアは悲しみに染まる顔に怒りの色を見せ、平手を上げた。
「…………ばか……」
 そのまま、少女は力が抜けるように前に倒れ、青年の胸に顔を埋める。
「髪がよごれるぞ……リディア、聞いてくれ」
 少女は強く頭を振った。
「聞くんだ。ロゾリオは脚部を換えれば動く筈だ。おそらく、まだ数日は戦闘が――」
「そんなの! もうどうだっていい!」
 全てに絶望した、悲痛な叫びがコクピットに響く。
「もういや! もう知らない! レーゲンスなんてどうにでもなればいい!」
「リディア……」
「ごめんなさいっ、ごめんなさい……! あたしが、あたしがレイヴンになろうなんて言ったから……!」
「リディアっ……!」
 ラインは両手のパイロット・グローブを外し、心なしか色白くなった手でリディアの頭を抱いた。指の間を水のように滑る白金の髪を、優しく撫でる。
「リディア、馬鹿なことを言うな」
「だって、あんなこと言われて……あなたまでっ…………!」
 続きの言葉を飲み込んだリディアに、ラインはもう一度謝る。
「すまない。本当に……。だから、ロゾリオは整備するんだ」
「どうして!? 戦ったって……何も護れない……護れなかった、あたしラインを護れなかったよ……! ACなんて……力なんてもういらない……!」
 ラインはリディアの髪を撫で続ける。
「ロゾリオは、お前の力になってくれる。護りたいものを護るために戦う、そのための力だ」
「護りたいものなんて……もうないよ……」
「俺は……お前に護ってほしいものがある」
 顔をあげたリディアに、ラインは微笑みかけた。普段無口な、あまり笑わなかった青年の笑みに、少女は涙を抑えられなかった。
 ラインはリディアの左頬に右手を当てる。
「リディアを、護ってほしい。俺が愛している女を、護ってくれ。彼女の故郷や、お父さんも……」
「あなたが……!」
 リディアは急いでパイロット・グローブを外し、白く小さな手で頬に当てられた手を握り締めた。
「あなたが護ってよ! ずっとあたしの傍にいて! お願い……あたし何でもするから……死なないでよ……ライン」
「頼んだぞ、リディア……」
「待って…………ねえっ!」
 少女は、もはや逃れられないことを悟りながらも、頬に触れる青年の手を握り、全身全霊を込めて祈った。
「リディア……リディア……」
 青年は少女の名を繰り返し呼んだ。顔には脂汗が浮び、手に力はなく……しかし、確かに震えている。
 下腹部で疼く鋭い痛みと死の恐怖に、ラインは目の前の少女に縋ろうとしたが、最後に彼女を怖がらせてはならないと思い、硬く目を瞑って耐えた。
「母さん……」
 朦朧とする意識の中で、ラインはリディアの他に、独り残してしまう母の後ろ姿を思い出し、これから会うだろう父に殴られなければならないと思った。
「ライン……あたし傍にいるよ」
 幾滴もの涙をラインの胸板に落としながら、リディアは母親のような微笑みで語りかける。
「ちゃんと傍にいるからね……わかる?」
 リディアは左頬に触れるラインの手を、左手で上から包むように握り、右手で彼の髪を撫でながら、優しく、自分の存在を伝え続けた。
「リディア……」
 最後にもう一度、青年は愛しい少女の名を呼び、左手を上げた……ラインの髪を撫でていたリディアの右手が受け止め、指を絡め合う。重なった掌には、まだ生命の温もりがあった。
「ライン……」
 握り合った手の指に、リディアが桜色の唇を寄せた時だった。
 それまで経験したことのない、全身から血が引くような悪寒が青年を襲い、その魂は恐怖の黒い霧に包まれた。
 闇の中で光を求めるように、ラインの左手はリディアの右手を強く握り締め……そして、緩める。
「いや……!」
 力の抜けた青年の両手を落とさないように、少女は強く握ろうとしたが、肩が震え、力が入らなかった。
 掌を滑って落ちていく手を追うように、リディアがラインの胸に顔をうずめる。
「…………おやすみ、なさいっ……」
 一年前、出会った日の別れ際に交わした言葉を、最後に呟く。
 青年の胸に覆いかぶさった少女は、いつまでも動こうとしなかった。
 黄昏が深く、世界を闇に沈めてゆく。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 【TOPへ戻る
ナスカ無料ホームページ無料オンラインストレージ