『言語過程説の研究』(リーベル出版)の著者。『言語過程説の研究』は時枝誠記の言語過程説を三浦つとむがどのように批判的に継承し発展させたかをたどりながら、国語学界・言語学界から無視され続けている二人の学者のユニークで真摯な観察と緻密な分析をわかりやすくまとめた本です。また、時枝、三浦それぞれの言語過程説とソシュール学説との言語学的な位置関係を明らかにし、「言語とは何か」とあらためて問い直すこと(言語本質論)の必要性を説くなど、時枝誠記・三浦つとむを再評価するための視点を提出しています。
「言語は意識とおなじようにふるい――言語は実践的な意識、他の人間にとっても存在し、したがってまた私自身にとってもはじめて存在する現実的な意識である」「言語は意識とおなじように他の人間との交通の欲望、その必要からはじめて発生する」「観念、表象、意識の生産はまず第一に人間の物質的活動および物質的交通のうちに、現実的生活の言語のうちに直接におりこまれている」。これらはマルクスの言(『ドイツ・イデオロギー』)です。
三浦つとむの言語過程説は、「主体的表現・客体的表現」という言語構造の分析を軸とする時枝誠記の現象学的言語過程説を唯物論の立場から批判的に継承し、規範論・認識論を基礎としてソシュールの「言語(ラング)」を「言語表現を媒介する言語規範」と位置づけ、〈対象→認識→表現〉の過程的認識構造における「認識の表現」として言語を定義したものです。
これに対して宮田和保は、マルクス主義経済学の立場から三浦つとむを批判的・発展的に継承する「言語過程説」であると自らの立場を位置づけ、〈生活過程→意識→言語表現〉という過程的意識構造における「生活過程およびそれに照応する社会的な個人の意識から生みだされる意識の現実的表現」として言語を実践的・存在論的にとらえます。そして、「個人の概念的な認識」が、言語規範を介して「社会的な性格」を、言語規範にもとづく音声・文字を介して「客観的(=物質的)な性格」を受けとったものが「言語」である。いいかえれば、「言語」とは「個人の概念的な認識」が、これらの音声・文字の「一定の種類に属しているという普遍性」(=表示的等価性)と「物質的表現であるという個別性・特殊性」との統一として、つまり客観的で社会的な形態として表現されたものである、のように三浦つとむを踏襲した形で言語を定義づけます
この書は、ソシュールの言語論を「生活過程およびそれに照応する社会的な個人の意識」を看過した〈ラング→パロール〉論であると喝破した「ソシュール批判の書」でもあり、したがってまた「規範論の観点を欠くソシュールの言語論に立脚する構造主義および各種の現代思想・心理学に対する批判の書」ともなっています。
文体は生硬で読みにくいところもある文章ですが、時枝誠記・三浦つとむ・マルクスおよびマルクス主義経済学についての著者の深い理解と著者の確かな概念把握・概念規定とからもたらされる的確な説明によって、内容は論理的でとても分かりやすいものになっています。三浦つとむの言語論・認識論をさらに深く理解したい方には是非読んでいただきたいと思います。
本書の
詳しい目次、まえがき、むすび、あとがきをアップしておきます。
私立板倉研究所所長。一九三〇年(昭和五年)東京生まれ。東京大学教養学部卒、大学院数物系研究科終了。理学博士。国立教育研究所を経て科学史研究の成果をふまえて「仮説実験授業」を提唱し、広く科学教育の研究を行なってきた。仮説社月刊誌『たのしい授業』編集委員会代表でもある。著書に、『模倣の時代(上・下)』『歴史の見方考え方』『発想法かるた』『いたずら博士のかがくの本(全十二巻)』『たのしい授業の思想』『新哲学入門』など。「いたずらはかせ」の名で親しまれている。