法律文書、プレスリリース、インタビュー、分析記事などによって、チェチェン紛争を理解しようとする試みです。各組織のプレスリリース、日本山妙法寺の寺沢潤世上人からの、ユーラシアからの手紙もご覧ください。
法律文書
分析記事とインタビュー
林克明/2004.02.20
「奴らはペストだ。殲滅しなければならない」。ロシアのプーチン大統領は、2月に起きたモスクワの地下鉄爆破の直後、犯人をチェチェン独立派と断定した。その頃、私はここで難民たちと過ごしていた。平屋の小さな家が密集する地区にあるライ―サ・ハムザーエヴァの家。彼女の左腕はちぎれ、左目も失明した。チェチェンの人々ロシアが「ペスト」と呼ぶ限り、彼女の望いは叶いそうにない。
チェチェン問題をめぐる、主要紙の論説を短評します。まず8月19日の朝日新聞の社説から。
Novoe
Vremya/2003.05.25
今年5月のロシアの雑誌ノーヴォエ・ヴレーミャの記事。ちょっと遠まわりな書き方ですが、チェチェンやモスクワで起こる爆弾テロ事件は、例外なくロシア側の謀略によるもの、と言うのがこの記事の主張。今年3月のチェチェン「国民投票」では、80%以上のチェチェン人が「ロシア内に留まることに賛成した」と報道されました。捏造された結果だということはほとんどはっきりしていますが、世界中にロシア側発表が伝えられたことで、チェチェンの人々は発言権を失いました(これについては、日本も含め、報道機関の責任が重いと思います)。考えてみると、こうしてチェチェン人が政治権力を奪われた以上、どんなことが起こってもおかしくありません。
ChechenPress/2003.05.13
チェチェンのマスハドフ政権のサイトに掲載された短いエッセイ。大統領本人が書いたのではないかと思うほど、彼の立場をよく表している。
CN/2003.05.08
チェチェン以外の場所で発生するほとんどの「テロ事件」には、チェチェン人ではなくロシアの特務機関の影が常にちらついている。
Novoe Vremya/2002.11.03
セルゲイ・コヴァリョフ下院議員に対するインタビュー。
94年以来チェチェン問題をみつめ、行動してきた政治家として、チェチェンのマスハドフ大統領との和平交渉のほか、実際の選択肢がないことを主張してやまない。
WasingtonPost/2002.10.02
アメリカにおけるチェチェンの代表者の発言。「チェチェン政府はオサマ・ビン・ラディンと関係はなく、共感も寄せていない。...チェチェン人でアルカイダの構成員または航空機ハイジャックといったテロ行為に関係しようという者はいない。それは全くチェチェン人の信念とも法律とも相容れない行為であるからだ」
CN/2002.07.26
7月26日付けのイズベスチア紙によると、これまで200人以上のホームレスの孤児が、ロシア陸軍に兵士としてスカウトされているという。国防省の匿名の情報源によると、今年中にその数は400人まで増える見込み。
NV/2002.05.26
2000年3月に、ロシア軍のユーリー・ブダーノフ大佐は、チェチェンの少女エリザ・クンガーエヴァ(18歳)を拘束した後、自分のテントで輪姦して絞殺し、軍警察に逮捕された。この事件について、2002年の5月の時点で、ロシアの雑誌ノーヴォエ・ブレーミヤに掲載された記事。
いったんは刑が決まったブダーノフだが、今後の動きにも注意しなくてはならないらしい。この事件は、ロシア軍における不処罰の慣習の一例を示しているので、今後考えてみる機会もあるかもしれない。
PRIMA/2002.05.24
ロシアのプリマ人権ニュースによる、チェチェンのシャミーリ・バサーエフ野戦司令官に対するインタビュー。
IWPR/2002.04.01
モスクワ・ニュース記者による情勢分析。莫大な犠牲にも関わらずロシア軍はなぜ戦争をやめようとしないのか?
CN/2002.02.14
ワシントンポスト記者のパトリック・タイラーのベレゾフスキーへのインタビュー。アパート連続爆破事件より、むしろ96年から3年間の戦間期、ベレゾフスキーがバサーエフを通じてチェチェンに干渉していたことが本人から語られたことが重要。
Moscow
News/2001.06.19
モスクワのフリー軍事評論家、パーヴェル・フェリゲンガウズルの情勢分析。現在から見ると予測は外れてしまいました。この論文に書かれたようなロシア軍内部の厭戦気分もあると思うのですが、それはフェリケンガウゼルの周囲の、開明的な軍人たちの特有の空気なのでしょう。大半のロシア軍人はチェチェンを金儲けの場と見なしているのが現実。
Novoe
Vremya/2001.11.02
考古学者、ヤン・チェスノフがつづった、イングーシでの研究現場の様子。チェチェン・イングーシの民族のシンボルである「塔」が、「史跡を戦車の隠れ家に使う連中」によって破壊されつづけている。復興の希望はあるのか?
Novoe
Vremya/2001.07.01
ロシアの月刊誌による、チェチェン共和国/アスラン・マスハドフ大統領インタビュー。職業軍人でもあるチェチェンの指導者から見た、戦争のパースペクティブが示される。
Novya
Gazeta/2000.07.31
ノーヴァヤ・ガゼータに掲載された、アッラ・ドゥダーエヴァ(チェチェン共和国初代大統領ジョハール・ドゥダーエフの未亡人)へのインタビュー。チェチェンを最もよく知るロシア人の一人であるアッラはこの戦争を、積み重ねられた陰謀の結果と感じている。
A・プリスタフキン・ロシア文化通信「群」/2000.07.15
ロシアの作家プリスタフキンは、第二次大戦中に強制移住させられたチェチェン民族の悲劇を『コーカサスの金色の雲』(群像社刊)に著している。1920年代、反革命勢力を取り締まっていたウリツキー(反革命・サボタージュ取締り全ロシア非常委員会議長)が暗殺されたのを機に、テロルの嵐が吹き荒れた。当時の赤色テロルと、現在のロシアによるテロル(チェチェン民族抹殺)を重ねたこの記事は興味ぶかい。
寺沢潤世/2003.03.03
日本山妙法寺の寺沢潤世師は、2000年3月、グルジアの寒村を訪れた。そこには、ともし火のようなチェチェンの心があった。静かな感動のエッセイ。チェチェン民族のすべての世代が、民族存亡の危機を体験した。チェチェンの子供たちは、その無垢の心に親たちの嘆きを、怒りを、悲劇を、絶望を、全身全霊込めて記憶に刻み込んでいく。
それは民族全体の記憶の深淵に沈殿し、伝承されつづける。
彼らがそれほどの苦難の歴史を経ながら、これまで独自の誇り高く清らかな精神文化を保ち得たことは、見事というほかはない。
CN/2002.09.25
1999年に発生し、第二次チェチェン戦争の発端となった謎のモスクワアパート連続爆破事件の経過。
Novoe Vremya
1944年、チェチェン人の強制移住が突然はじまった。ソビエト時代、辺境民族はどのように扱われていたのか?
解説記事
田中宇/2001.04.25
田中宇/2000.01.21
田中宇/2000.01.17
田中宇/2000.01.13
田中宇/1999.12.31
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