頂き物

      幸いの雪の日 *犬井ハク様・作*




「……ひとつ尋ねてぇんだが」
「ん、どうした」
「何で俺はここにいるんだ?」
「有り体に言えば運命だな」
「……」
 親友であり護衛でもある人物から淡々と返った、誠意の感じられない不条理な言葉に、ナニが有り体だ嘘偽りだらけじゃねぇかなどと胸中で突っ込みながら刀綺(とき)=レンゲ=タルソーンは深々と溜め息をついた。
 周囲から寄せられる好奇の視線に耐えつつ、円状に設けられた宴の場の、上座にあつらえられた席で胡座をかいて上等のクッションに身を沈め、手にした水晶杯から極上の赤ぶどう酒を啜る。
 赤ぶどう酒はおよそ信じられぬほどの滋味深さで、ぶどうの出来のよさと作り手の苦労が見て取れる、一国の王とてそうそう簡単には手に入らないような代物だったが、現在の刀綺はそれをじっくりと味わうどころではなかった。
 宴の参加者は刀綺を含めて十五人、年越しのそれとしては非常に小規模だと言えるだろう。
 が。
 参加者の内容がこれでは、おちおち寛いでいられない。
「……何で普通の人間が俺だけしかいねぇんだ……」
「何を言う、おまえにだってちゃんと白エルフの血が流れているだろうが。自分だけ一般人面するな。大体、せっかくの宴なんだ、そんな情けない顔をしている場合じゃないぞ」
「情けないってな、誰の所為でこんなことになったと思ってやがる……」
「さぁ、誰の所為だろう。記憶にないな」
 にっこりと嘘臭い笑みを浮かべて水晶杯を傾ける神零(じんれい)=エル=シヴァーティリーに、刀綺は再び盛大な溜め息をつき、
「いつもなら今ごろは城でのんびりしてるはずなのにな……。つーか、出来れば生きて帰れますように……」
 誰にとも知れぬ祈りの言葉をつぶやいて杯に口をつけた。
 ははは馬鹿だなおまえと軽やかに――嘘臭く笑った神零が刀綺の肩をぽんと叩く。
「いくら彼女たちだって、人間を獲って食ったりはしないからそう心配するな。――もっとも、完全に安全かと問われるとちょっと保証できないが」
「保証してくれ、もう力の限り! おまえ俺の護衛だろうが!?」
「いやほら、私にも出来ることと出来ないことがわるわけだしな。いくらなんでも、彼女らからおまえを守りきるというのは骨が折れるぞ。というかむしろどう考えても無理だな、うん。それだったら、一万歳級の大劫竜と一騎打ちでもする方が楽だ」
「だったら連れて来んなよ!」
 驚かそうとしているのか本気なのか、どこまでも真意のつかめない口調で神零が言い、刀綺はちょっと泣きそうになる。『彼女ら』がそんな無体を人の子らに強いるはずがないと理性では思いつつ、刀綺よりよほど『彼女ら』に近い神零の言葉に恐ろしさを感じないはずもないのだ。
 この、美貌というのも馬鹿らしいような美貌の護衛は、刀綺たちの住まう世界においてはおよそ最強と言うに相応しいような武の実力の持ち主で、現在刀綺が興そうとしている国の、根本を固めてゆく仕事の大きな助けともなっている人物でもある。
 その、地上においては戦いの申し子とでも言うべき存在が、彼女らからは守りきれないと言い切るような連中に囲まれているのだ、刀綺は。
 いかにエルフの血を引いているとはいえ、人間としての意識の方が強い彼が、この神威に充ちた場に緊張しないはずがないのだ。というより、ここまで濃厚な神気の中にあって、正常な意識を保っていられることを褒め称えて欲しいと思う刀綺である。――少々情けない話ではあるが。
 こんなことになるなら出てくる前に遺言のひとつでもしたためておくんだった、ああでも今俺がいなくなったら国造りどころじゃねぇよな、せめてあと十年くらいは長生きしたかった、などと、すっかり後ろ向きかつ悲観的になっていた刀綺だったが、
「楽しんでいる、人の子? 新しい年を迎えるこの佳(よ)き日に、そんな深刻な顔をしていてはつまらないわよ」
 不意に、まさしく天上の音楽とでも喩えるしかないような、喜ばしい力に満ちた艶やかな美声が降ってきたもので、弾かれたように顔を上げた。そして、夜色の髪と眼の、繊細優美なのに力強く、神々しい美貌の女性を目の当たりにし、彼女を見上げた姿で硬直する。
 ゆったりとした動作で、刀綺のための膳の前に膝をついた彼女は、茫然自失と言うのが相応しい状況の刀綺に向かい、中に星光の散る夜色の目をすぅっと細め、軽く首を傾げてみせた。手に水晶製の酒器を持っているところをみると、酒を勧めにきたものであるらしい。
「どうしたの、具合でも悪くなった? もしかして、お酒は苦手かしら?」
 どこの世界でもどの時代でも、美人に弱いのは男という存在の哀しいサガだが、彼女の美しさはその美人という概念を遥かに超え、そこに存在するだけで魂の最後のひとかけらまで奪われてしまいそうな感覚をもたらした。
 凄まじい神気と凄艶な美貌、双方からの攻撃に意識は轟沈寸前である。
「……サティ、彼はどうやら、あなたのような美しい女性にはお目にかかったことがないらしいので、どう反応していいか判らないようなのです。これでも一応私の主ですし、あまり虐めないでやってください。八十三歳にもなってお恥ずかしい王ですみません」
 硬直したまま身動きも返答も出来ずにいる刀綺の隣で、つまみのチーズを口にしながら神零が言う。
 本人的には助け舟のつもりなのだろうが、あまり助けになっていない辺りが神零である。一応ってなんだコノヤロウ、つーか八十三歳にもなってお恥ずかしい王で悪かったな、とは、刀綺の偽らざる内心であったが、おかげでわずかなりと緊張はほぐれた。
「あらそうなの、いやぁね美しいだなんてヴィイタったら正直なんだからうふふふふ。ほら飲みなさいな人の子、このあたしに酌をしてもらえるなんて幸運、そうそうないわよ?」
 白皙に桃色の喜色を載せ、ご機嫌な様子で首の細長い優美な酒器を掲げる彼女に向かい、深呼吸をひとつして、刀綺は両手で持った水晶杯を差し出した。背筋が伸びたのは、彼が緊張している証である。
「――頂戴します、星霊神(せいれいしん)ストゥー、麗しき星の姫君」
 神名(みな)を口にするだけで周囲の神気がいや増し、畏怖に言葉尻が震えたが、何とか声を裏返らせるような無様はさらさずに済んだ。
 星空のような双眸をゆるりと細めた彼女、このエトレジナ・スートゥレリアにおいては創世二十二柱のひとりに数えられる偉大な女神が、唇に綾な笑みを載せてうなずく。
「あたしの目の前であたしの神名を口にできる人間は珍しいわ、もちろん、そうでなくてはこの子の主は勤まらないのでしょうけど」
 玲瓏たる美声にかすかな感嘆の色を含ませながら、ストゥーが刀綺の杯に赤ぶどう酒を注ぐ。
 刀綺はそれを畏まって受け、
「さあ、乾しなさいな、世界への感謝を込めて。お前がこの子の主として相応しくあれるなら、未だ幼い人の子らを正しく幸いに導いてゆけるなら、人の子の王タルソーンに、星と夜の祝福をあげましょう」
 女神の紡ぐ"力ある詞(ことば)"にちょっと気を失いそうになりつつも必死で己を奮い立たせ、正しい所作でその杯を乾した。もっとも、強大な存在に見つめられている状態では、味もクソもあったものではない。
「星と夜の恵みに感謝いたします、星の姫。人間が幸いを甘受して生きられる国を造るのは俺……っと、私の悲願でもありますから、姫のお言葉、ゆめゆめ忘れぬようにいたします」
 緊張しているはずなのに素の一人称が出て、刀綺は慌てて訂正したが、くすくすと楽しげに笑ったストゥーが、
「『俺』でいいわよ、国王陛下。そんなに硬くなる必要もないわ。あたしたちは平等に世界を守り愛するけれど、ひとりひとりに特別な何かを求めたりはしないの。だからお前がそんなに硬くなって、お酒の味も判らないほど緊張する必要はないのよ、もっとゆったりと楽しみなさいな」
 そう言った時点で肩の力が抜けた。そもそも大雑把で図太いのが刀綺の長所であり短所である。
 無論緊張がまったくないかと言われれば首を横に振るだろうし、実はこの場が自国領内なのだということすら信じられないような、濃厚な神気には畏怖を覚えずにはいられないが、居直りにも似た感情とともに、多少なりと楽しまなくては損だという意識が芽生えたのも確かだ。
 刀綺は苦笑し、うなずく。
「判りました、お言葉に甘えます」
「そうね、そうしなさいな。楽しまなくては、面白くないわ。――ヴィイタ、おまえもよ、あとでたくさんデザートを持ってくるからね。今日はおまえも食べられるように甘さを控え目にしてあるから」
「はい、サティ。ありがとうございます」
 刀綺といるときには――イシェスラーの王城や戦場では――見せたことのないような、どこか子供っぽい笑みを浮かべた神零がうなずくと、ストゥーはにっこりと艶やかな笑みを浮かべて美しい光沢を宿す星絹のドレスを翻し、踵を返した。
 それから酒器を手に円の中に戻ってゆき、他の参加者たちに酒を勧め始める。宴の参加者の中でもっとも貴く強大な力を持つだけでなく、もっとも美しく華やかな女神の酌を拒む愚か者のいようはずもなく、誰もが破顔して杯を差し出し、彼女の美しさを讃えながらそれを乾した。
 刀綺はそれらを観ながら溜め息をつき、目の前に置かれた膳から箸を取ると、海苔と茸の和え物をつまんだ。
 肩の力が抜けたおかげか、素直に美味い。
 隣の相棒を見遣ると、まったくもって平素と変わらぬ様子で、鯛の身と一緒に炊き込まれた桜色の飯を口に運んでいる。細身に似合わずよく食う人物なので、おそらくこの一膳だけでは満足すまい。
「……おまえはいいよな、暢気で……」
「何だ、褒め言葉か?」
「これを褒め言葉と受け取れるんならおまえも相当アレだぞ。つーか結局、この宴には誰と誰が出席してるんだ? 言っておくが俺は彼女らに関しては本で得た以上の知識はねぇから、外見だけで判るほど神学に通じてもいねぇぞ。だいたい、彼女らがこうして下界に大挙して訪れるなんてのぁ初めて聴くぞ」
「あぁ、そうか、そうだな。まぁここまで一挙に大人数で下界に来るのは確かに珍しいんだが。では懇切丁寧に説明してやるからありがたく拝聴しろ」
「偉そうな護衛もいたもんだな……まぁいつものことだけどよ……」
「偉そうで悪かったな、あんまりうるさいことを言うと刀綺に虐められたとかサティに告げ口して仕置きをしてもらうぞ」
「……うう、すみません謝りますからそれだけは勘弁してください……」
 またしても偉そうに告げられた脅迫の言葉に、刀綺は真剣に泣きそうになりながらあっさり謝罪する。まったくもって恰好がつかないが、めでたい宴の席が一転、命の危機というヤツなのだ。意識の上では普通の人間である刀綺が、『女神の仕置き』にびくつくのは当然というしかない。
 ただでさえ逃げ場もない、同属もいないという素敵な崖っぷちなのだ、これ以上危機は増やしたくない、と心の底から思う。
 王の威厳もクソもない刀綺の様子に満足したのか、神零はにっこりと凶悪に美しく笑んで、仕方がない赦してやろうとうなずいた。どこまでも偉そうだが、八年つきあえばこんなものかという諦観も生まれるというものだ。
「話を戻すとだな、右回りの席順に風連王(ふうれんおう)フィーシャ、盛滅王(じょうめつおう)イズラ、浩麗王(こうれいおう)ウルオーン、燎定神(りょうていしん)ディドゥーヤ、天武王(てんぶおう)シヴァータ、星武王(せいぶおう)セイヴァーン、星霊神ストゥー、月仙貴(げっせんき)カイロウ、絢瑩王(けんえいおう)ナグネリオン、祝穣姫(しゅくじょうき)ユルルジナ、威駆王(いくおう)ライグーン、星統将(せいとうしょう)アルタスク、風冽貴(ふうれつき)ソロンフィルドール。アルタスクとソロンフィルドールは亜神だが、亜神の中でも特に強い力を持つお二人で、サティとフィーシャの覚えもめでたい」
 神零が指し示す順に目で追うと、空、濃茶、銀、赤金、水晶、夜、夜、月光、濃紺、稲穂、緋、銀と夜、銀と空の色を髪と目に宿した神々がめいめいに寛いだ姿で座している。
 青年の姿をした神もいれば娘の姿をした神もいるし、少年の姿を取った神もいる。髪と眼が同色であるのは創世二十二柱の神々だけだから、その色彩が揃いも揃ったこの場の異様さが如実に判るというものだ。亜神は基本的には眼に己の仕える神の色を宿すので、その色を観れば彼らが誰に仕える亜神なのかが判るようになっている。
「ええと、つまり……風神、命神、水神、火神、戦神、武神、星神、月神、文化神、農耕神、獣神、星司亜神、風司亜神……ってことか。なんつーかもう、何でこんなことになったのか判んねぇくらいにはとんでもねぇ面々ってことだよな……」
「どうも、おまえを観に来たらしいけどな。この大乱世を終わらせるのにもっとも相応しい王とか何とかで。まあアレだ、神々というのは基本的に暇らしいから」
「……暇な神様ってのぁどうなんだろうな……。つーか、創世二十二柱の神々が大挙して観に来るほどのものもんでもねぇぞ、俺……」
 蛤の吸い物が入った椀を手に取り、汁を啜りながら刀綺はぼやく。
 ――ことの起こりは昨夜の遅くだった。
 刀綺自身は、どうにかこうにか執務のすべてをやり終え、来年するべき諸々にも目処が立ったので、最後の一日はのんびり身内と酒でも飲んで年を越そうとしていたのだ。普通の年越しとは、どこでもそんなものだ。
 ところが、護衛のくせに朝から姿を見せなかった神零が、夜更けに帰城するなり刀綺の服の裾を引っつかみ、昔お世話になった方がおまえに会いたいと仰っている、いいからとにかく今すぐ来いなどとのたまって、わけが判らず問いを連発する刀綺をあつらえてあった馬車に押し込んでしまったのだ。
 馬車の内部には火鉢が据えつけてあり、更にふかふかの毛皮まで敷いてあって、真冬とは思えない快適さだったため、夜更けということもあって刀綺はついつい眠り込んでしまった。そして次に目を覚ましたらこの館の客室だった、というわけだ。
 よほど疲れていたのかそれとも傍に神零がいるという安心感からか、目覚めたのは昼前という体たらくだったが、ことの次第を把握しようとしているところへ踏み込んできた青年に、わけが判らないままに着替えさせられ――今にして思えば、着替えを手伝ってくれたのは星統将アルタスクだったような気がする――、平素と変わらぬ様子の神零に伴われてこの宴会場に入り、あまりにも濃厚すぎる神気に卒倒しそうになったときのあの衝撃は、そこからおよそ五時間が経った今でも記憶に新しい。
 神零の言うお世話になった方とは本人の養い親であり、何故か大量に集った神々は野次馬根性丸出しの見物客であるということに気づかされるにつけ、何でこんなことにという溜め息をつかずにはいられない刀綺である。得がたい経験であることは確かだし、こんな名誉で稀有なこともないのだろうが、出来ればもう少し穏便かつのんびりと年末の一日を過ごしたかったというのもまた事実だ。
 何せやるべきことは山積みで、難題はあとからあとから押し寄せ、新年の喜びに浸る間もなく仕事責めに合うのは確実なのだ。それが自分自身の望みだという一点にすべてが集約されるとしても、休めるときに休みたいと思うのは仕方のないことだろう。ただでさえ、休息の足りない身なのだから。
 本日何度目とも判らぬ溜め息をついた刀綺が、鯛と鱧のすり身を成型して蒸したものをつまんだとき、ストゥーとよく似た顔立ちの青年神が、水晶の酒器を手にこちらへ近づいてきたので、彼はまた居住まいを正す羽目になった。
「セイン」
 刀綺のために蒸した大赤蟹の身をほぐすという甲斐甲斐しいことをしていた神零がふと顔を上げ、その名を呼ぶと、夜色の目と髪をした雄々しい美貌の持ち主は、二人の膳の中間辺りで膝をつき、その双眸を穏やかに細めてうなずいた。
 彼は星武王セイヴァーン、星霊神ストゥーの実弟である。
 しかし、ストゥーよりも格段に穏やかな雰囲気の彼に、刀綺はちょっとホッとする。セイヴァーンは武神ではあるが、その性質の優しさは神話などでもよく歌われているから、か弱い人間である刀綺に無体は強いないだろうと思ったのだ。
 だから、穏やかに微笑んだセイヴァーンが、
「無理を言ってすまないな、人の子の王よ。姉上がこの子の主となった人間を見たいと言うので、強引で申し訳ないとは思ったがこうして招かせてもらった。なに、ここに集った連中は気のいい奴らばかりだ、固くなる必要もない。新年の祝いに祝福でもねだるがいいさ」
 男性的な美声で言って差し出した酒器を、苦笑とともに余裕を持って受けることが出来た。酒杯の中の赤ぶどう酒をぐっと乾し、うやうやしく一礼する。余裕があればちゃんと美味いと感じられるものだ。
「いえ……こうして神々のご尊顔を間近に拝することを許されただけでも身に余る光栄ですから、それ以上のことを望むのは強欲というものでしょう。それに、我が道を拓くは我が力のみと念じておりますので。――生意気を申しますが」
 貴い星神を前にキッパリと言い切ると、セイヴァーンは楽しげに声を立てて笑い、隣の神零を見遣った。
「は、なるほど、さすがはおまえの主だな、神零。人の身で我らにこれだけ言えれば心配は要らないか」
「はい、セイン。こうでなくては面白くありません」
「彼とともに在るのは楽しいか」
「はい、彼の国造りを手伝うのが、今一番の楽しみです。彼の言う甘ったれな理想は、私にはとても気持ちがいい」
「そうか、おまえがおまえの望みのままに在れるなら、俺たちはそれだけで安心できる。思うままに生きなさい」
 セイヴァーンのやわらかで思いやり深い言葉に、刀綺は非常に穏やかな気持ちになった。神々であろうと、愛しいものを大切にするという性質に変わりはないのだと思うと親近感が沸く。
 ――沸いたのだが、
「ありがとうございます、セイン」
 言って笑った神零が、ふと思いついたという風情で周囲を見渡し、
「そういえば、よくこんなところに使える館がありましたね。イシェスラー領内でも指折りの山奥でしょう、この辺りは」
 セイヴァーンがそうだな、と他人事のようにうなずき、
「もっときちんとした館に招こうと思ったんだが、イシェスラーは人の子の国の中ではかなり拓かれたところだからな、我々の存在を気取られずに使えるいい場所がなかったんだ。しかしだからといって国王陛下を国外にお連れするのはさすがに不味かろうということで、適当に辺鄙な場所を選んでアルタスクに造らせた」
 などと情け容赦のないことを言った時点で口に含んでいた米酒を噴き出しそうになった。
 隣では、どことなく遠くを見る目をした神零が、
「……造らせたんですか。ええと、もしかして、」
「そうだな、三日間で造らせたから、かなり急ごしらえだが、まぁまぁの出来じゃないか? 不器用なあいつにはかなりの試練だったかも知れないが、完成しなかったら姉上の仕置きを喰らうからな、必死で仕上げたようだぞ。姉上の仕置きは本当に怖いからな」
「……アルタスクは確か、サティに仕える一番の亜神ですよね?」
「そうだな」
「あの、他の仕事とか、しなくてもよかったんですか。というか今も、宴会に加わっているというよりは給仕役にまわっているような……」
「ん、気にするな。何故だか知らんが、あいつはああいう役が実によく似合うんだ。『上』でもよく姉上に使い走りをさせられているしな」
「……亜神の中では筆頭と言ってもいい実力と、数えきれない武勇伝の持ち主のはずなのに、何でそんなに下っ端じみてるんでしょうね彼は……」
 しみじみと言う神零の隣で、米酒の入った陶製の杯を口元に運びつつ、刀綺はくだんのアルタスクを同情を込めて見つめた。
 銀の髪に夜色の目をした、獰猛さをはらんだ高貴な顔立ちの青年亜神は、他の神々の杯に酌をしてみたり、神々の食べ終わった皿を片付けてみたり、別の料理が載った皿を給仕してみたりと非常に忙しない。亜神の下には聖霊という存在もいるのだから、他の誰かに任せればいいのではないだろうかなどと刀綺は思うのだが、やるせない表情をしつつもアルタスクが給仕の手を止めることはなかった。――サガというヤツなのかもしれない。
「でも、セインはいつでも誰にでもお優しいのに、アルタスクにだけはそうじゃないんですね……」
「そうか? 意図しているわけでもないし、嫌いなわけでもないんだがな。むしろあいつのようないい男はそうそういないとも思ってるんだが、何というか、どうもいじってやりたくなるんだ、あいつは。どこにでもいるだろう、そういう性質というのが」
「ああ……確かに。ちょっと、うちのご主人様を思い出します」
「――それって俺のことか?」
「あなた以外に私のお仕えする主人がおられますか、我が君?」
「判ったから敬語を使うのは止めてくれ、真剣に怖ぇから」
「ふむ、心底納得出来る例をありがとう二人とも。見ていて飽きないな、おまえたちは。こうしてじっと観察していたいくらいだ」
 笑いを堪えながらセイヴァーンが言い、刀綺はがくりと肩を落とした。神零がほぐし終わった蟹の入った皿を手渡してくれるのを受け取って、つやつやとした剥き身を見下ろしながら恨めしげにつぶやく。
「……俺は面白い見世物か何かですか、星武王」
「有り体に言えばそうなるか。俺たちは基本的に暇だからな、面白いものには目がないんだ」
「むしろそれ以外のなにものでもないだろう。何でこんな円状の宴会場になっていると思うんだ? みんながおまえの一挙手一投足まで観察するために決まってる」
「親子で言い募られると何か悔しいんだが……」
 ――すでに年越しの宴なのか『人間の王様を観察しようの会』開催場なのか判別つけがたい。談笑している神々が、たまにちらちらと寄せる好奇の視線を痛いほどに感じつつ、刀綺は幾度目とも取れぬ溜め息をついた。
 そして、なるようになれとばかりに、蟹の身に箸をつける。
 普通に美味なのが何だかやるせない。



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