民間パイロットの草分け 大蔵清三の足跡を本に
2015/02/15   神戸新聞

 兵庫県たつの市揖保川町出身で新聞社所属の航空機パイロットの草分け、大蔵清三(1904〜79年)の記録を、同郷の元飛行機設計技師、原田昌紀さん(73)=大阪府高槻市=が本にまとめた。地元の揖保川でもあまり知られていない先駆者の足跡をたどり、軍事関係が中心の日本近代航空史に、民間航空の視点から光を当てた貴重な資料となっている。(松本茂祥)

 原田さんが出版したのは「航空黎明(れいめい)期 郷土『播州』の名パイロット大蔵清三氏の記録」。同書によると、大蔵は地元の河内尋常高等小学校卒業後、神戸へ商売見習いに出たが16歳で一念発起。千葉県の伊藤飛行機研究所に入所した。翌年には練習生となり、操縦士免状取得後は郵便飛行大会などで名をはせた。

 当時、国内でいち早く航空事業に乗り出していた朝日新聞社に、19歳で入社。新聞社に属する日本発の操縦士となった。東京―大阪間を結ぶ定期航路を飛んだほか、記者を乗せて取材飛行にも当たった。

 大蔵はその後、毎日新聞社に移り、数々の偉業を成し遂げる。1932(昭和7)年、満州国の首都新京(長春)と東京間を無着陸で飛行。35年には東京―フィリピン間の親善飛行にも成功し、若くして数々の栄誉に浴した。晩年は西宮市で過ごした。

 著者の原田さんは新明和工業(宝塚市)で飛行機の設計を約50年担当したエンジニア。社会人になってすぐ神戸で知り合った同郷出身者から大蔵の存在を聞かされ、2011年の退職後に調査に取り掛かった。大蔵の母親が残したという新聞のスクラップブックを西宮市に住む遺族から借り、各新聞社に残る社史などからもその生涯をたどった。大蔵が残した航空写真などと合わせ、500nを超える大作にまとめた。

 調査を進める中で、大蔵ゆかりの品が地元に残されていることも判明。大蔵が23年に故郷に凱旋(がいせん)飛行した際、着陸時に横風を受け、揖保川河川敷で飛行機が転覆。破損したプロペラが同町の大蔵の実家に保管されていることを突き止めた。

 本は非売品で、たつの市内の図書館で閲覧できる。原田さんは「飛行機で多数の人材が殉職した時代に、無事に生き延びた天才パイロット。功績を後世に残すのが使命と思い書き残した。地元の人に大蔵さんのことを知ってほしい」と話す。



【とんび岩のコメント】

 大正時代に揖保川の河川敷へ飛行機で着陸した人がいるという話は、子供のころ祖父から聞いた。

 祖父は、「西国街道が揖保川に突き当たったところにある大蔵の自転車屋がその人の実家だ」と言っていた。破損したプロペラは、あの自転車屋さんが保存しているのだろうか?。

 新明和工業の飛行機というと、川西航空機時代(戦前)の傑作機「二式大艇」を先ず思い出す。同機は終戦直前には、長い航続距離と天測能力を買われて、特攻機を目標艦船近くまで連れて行く誘導機の役割を担っていたという。戦後は、それを改良した飛行艇が、海難救助用等に多くの国へ輸出されていると聞く。原田さんはそれらの飛行艇の設計をしていたのだろうか?。


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