天理市の史跡を訪ねて
03.10月25現地学習会 河合町郷土を学ぶ会
講師:天理市山の辺の道「ボランティアガイドの会」による

学習コース 天理駅前〜天理参考館〜石上神宮〜西山古墳〜教祖「中山ミキ生家」〜大和神社〜JR長柄駅解散

 
町を歩けば黒地に白く「天理教」と染め抜いたハッピを着た人達。市街には、母屋と呼ばれる天理教の壮大な建物
が並び、天理市の中心地、世界各国300万人を数える、信者の心のふるさとである、壮大としか言いようが無い。
 
石上神宮(いそのかみ)剣を祭神とする物部氏ゆかりの古社。石上神宮の祭神は、「布都御魂大神」
(ふつみたまおおかみ)といわれる神剣、「布都」とは剣を振り下ろしたときに鳴る剣の音とか!、布都御魂
(ふつのみたま)大神を主祭神とし、種々の重宝や兵器が納められ、累代物部氏が奉祀してきた。
今も「七支刀」(ななさやのたち)をはじめ多くの国宝や重要文化財を伝えている。 うっそうとした杉木立に囲
まれた鏡池には、伝説の魚といわれる馬魚(ワタカ)が棲み、杜の静寂さは訪れる人を古代の幻想の世界
へといざなってくれる。
 
入母屋造檜皮葺きの建物で、京都の宇治上神社拝殿とともにもっとも古い拝殿の一つ。
 
楼門(重文)外の石段上に立ち切妻造り檜皮葺の割拝殿(国宝)をもつ摂社出雲建雄神社は1137年
(保延3年)建立と伝えられもともとは永久寺の鎮守住吉神社から移築したものである。
天理教教祖「中山ミキ」生家

山の辺
 
中殿 大国御魂神 左殿 八千才神 右殿 御歳神

神々は戦艦大和の艦内にも祀られた。 摂社 増御子神社「猿田彦命、天鈿女命」 摂社 朝日神社「朝日豊明姫」 摂社 タカオカミ神社「雨師明神」、延喜式では丹生川上神社の元宮とする。 末社 祖霊社 戦艦大和とその所属艦隊の英霊を祀。 崇神天皇の御代、天照皇大神と大和大国魂神は宮中に祀られていた。天皇五年国内に疫病多く、この二神が同床にあるのは畏れ多いとし、天照皇大神を笠縫村に遷し、大和大国魂神を皇女淳名城入姫に祀らせたが、姫は髪落ち体痩せ、祭祀ができなくなった。  その後、淳名城稚姫の祀ったが同様で、大倭直の祖、長尾市宿彌に命じて祀らせた。 当初からの鎮座地位置は諸説あり、定まらない。式内社研究の故志賀剛氏は上代ー長岡岬、古代ー長岳寺の上、中世ー高槻山、近世初ー歯定神社、元禄頃ー現社地と遷座したものと想定している。土着性のない神であった。 上代:紀「祠於大市長岡岬」がある。柳本に接して長岡の地があり、市場なる地名がある。丘陵地に神離のみで祀られたみであったろう。 古代:釜口に長岳寺があり大和神社の神宮寺と大和志料にも記されている。 中世:院政時代に火災にあい、再建ができなかった。長岳寺領の高槻山に遷座したとの郷土史家の言が紹介されている。古代のお旅所である。 近世初:この頃は歯定神社が高槻山と近くにあった。現在の大和神社のお旅所が歯定神社の横である。 元禄頃:大和名所図会にも記されている。元々の大和の地の神ではなかった。三輪大社と石上神宮の神威の及ばない場所にてられた。三輪大神や石上大神を奉ずる旧氏族の真ん中に大和新政権の直轄地を置いたのである。祭祀に携わった氏族大倭直氏は神武東征時の水先案内人の椎根津彦を祖とし、大和國造に任じられた氏族である。

 


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