当麻寺は二上山禅林寺とも言う。平氏の南都攻略で被害を受けたが頼朝によって再建され、桃山時代には秀吉の保護を受けて三百国の寺領も寄進されて栄えたという。創建当時三論宗だったが、弘法大師に留錫(りゅうしゃく)いらい真言宗となり、鎌倉以降は浄土信仰もとりいれ、現在は、真言・浄土両宗に属する珍しい寺だ。寺内には金堂(重文・藤原末期)・(講堂(重文・鎌倉中期)・東西両塔(国宝・天平期)などの堂塔や、中之坊をはじめ多くの塔頭が建ち並び、天平初期といわれる名鐘(国宝)をはじめ各堂には数多くの国宝・重文級の仏像をもち枚挙にいとまがないくらいだ。鐘楼の銅鐘(天平)は破損しているが竜頭、上帯の鋸歯文(きょしもん)、下帯の忍冬唐草文、撞座の蓮華文などいずれも天平期の特色をあらわしている。東塔は三重でのびのびとした肘木、軒のふかい各重の屋根など天平期の特色を良くあらわしている。青銅製の水煙は魚骨式で珍しく、相輪も八輪なのが面白い。西塔は東塔よりも高く、随所に違いがあるので、天平末期の建造と考えられている。やはり八輪。水煙は唐草で構成した方形の先端に宝珠状にした火炎形を配したみごとな意匠だ。金堂阿弥陀如来坐像(国宝)は塑像漆箔で、制作年代は8世紀はじめと考えられている。寺伝によればこの像の胎内に孔雀明王小像が納められているという。数多くの曼荼羅があるが、なかでも曼荼羅堂の当麻曼荼羅(重文)は、藤原豊成の娘中将姫がハスの糸で織ったものと伝えられ、能・浄瑠璃の題材ともなっている。近年調査が行われたが、絹糸の綴れ織りと判明した。毎年5月3日から15日までが開帳日となっている。5月14日は俗に"当麻のお練り”とよばれる聖衆来迎練供養会式(しようじゅらいごうねりくようえしき)がおこなわれ、見物客でにぎわう。浄土宗の始祖源信(当麻寺から東北、当麻町良福寺に生まれたといわれている)によってはじめられた行事というが、中将姫進行と浄土信仰の結びついたものだ。また当麻駅に向って500mほどいった左側に当麻蹶速(たいまのけはや)の塚と五輪塔がある、相撲の祖とされる蹶速の、墓と伝えられている。
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