フジ山古墳「フジヤマコフン」
場所:北葛城郡河合町城内フジ山

古墳の位置・概要
馬見丘陵の北端、大和川に佐味田川が合流する地点の東側にフジ山と呼ばれる独立丘陵がある。西側の頂部は、標高63.8mと東側(標高63.5m)頂部より高い。東側の頂部で、昭和63(1988)年、1万年前(後期旧石器時代)のナイフ形石器が採取された。
フジ山全体が旧石器時代の遺跡(フジ山遺跡)であったと考えられる。フジ山古墳は、フジ山全体が古墳だと思われる人も多いようですが、古墳は西側の頂部にある。眼下に大和川を見下ろす位置にあり、大和川水運を掌握した人物の奥津城と考えられる.
古墳の形・築造時期・墳丘の規模
奈良県教育委員会(昭和46年)の遺跡分布調査で古墳であることが確認され、前方後円墳の可能性も考えられていたが、平成2(1990)年河合町教育委員会が実施した測量調査により大型の円墳であると考えられるようになった。墳丘の中心部は盗掘により、大きく穴が開いており、埋葬施設は既に失われていた。古墳の大きさは直径40m・高さ4mの大型円墳とかんが得られる。築造時期に付いては不明。大和川に臨む河川交通の要衝に造られた大型円墳で、大和川南岸の島の山古墳(川西町)や川合大塚山古墳という巨大な前方後円墳と密接な関係にあるものと考えられます。
石器
 石器はナイフ形石器と呼ばれる種類で、二上山付近で産出されるサヌカイトを石材とし、縦長剥片を素材として作られ河合町周辺では珍しい石器です。
伝承
 フジ山周辺地域では、「法隆寺」が災難に見舞われたとき、この古墳を掘りだせば再興できるだけの価値のある金の瓦が3枚埋められていると伝えられていた。

大輪田五輪塔「オオワダゴリントウ」
場所:場所:北葛城郡河合町大輪田字別所山

小高い田園耕作地のなかにある、無銘(空輪・風輪・火輪・水輪・地輪が刻まれていない)の中型の五輪塔で、完全な形をとどめている。総高143cm花崗岩製。中世に大輪田を本拠として活躍した豪族大輪田氏墓と伝えられている。背の高い地輪、温和な軒反りの火輪などの特徴を持ち、安定した風格を示している。その特徴から室町時代初期の政策と推定される。この五輪塔の東に大輪田城(砦)があったようで、現在も土塁の跡や小字名にその名残が感じられる.大輪田は興福寺一乗院の坊人である武士が大輪田の土豪であったようである。大輪田氏には大輪田稲葉の守、大輪田筑後守の名が見られる。



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