山釣りの世界TOP


近江八幡、大津、ブルーギル、イリュージョンなしに世界は見えない、循環かんがい
魚のゆりかご水田プロジェクト、クマ撃退の妙案、滋賀県立琵琶湖博物館、石積みの里・坂本
 30年ぶりの琵琶湖・・・かつて湖岸に広がる湿地帯には、大小の田んぼが広がり、クリーク(水路)が網の目のように走っていた。地元でギロと呼ぶ自然の沼と沼をつないでいた。農家の人たちは、タブネと呼ばれる小さな船で移動し、途中で自給用の魚をとっていた。学生時代、そのクリーク地帯でフナ釣りを楽しんだ。たぶん農耕民族の遺伝子をもつ私は、なぜか心落ち着く場だったように思う・・・湖畔に立ち、その懐かしい思い出は、イリュージョン(錯覚)だったのだろうか。
 思い出の曲は、昭和46年、加藤登紀子さんが歌いヒットした「琵琶湖周航の歌」だ。
 「われは湖の子 さすらいの/旅にしあれば しみじみと/
  のぼる狭霧や さざなみの/志賀の都よ いざさらば・・・」

 大正6年(1917)、旧制三高(現京都大学)ボート部・小口太郎が作詞、作曲は東京農業大学出身の吉田千秋。やがて三高の寮歌となった。豊かな才能と感性に恵まれた二人は、共に20代でこの世を去っている。小口26歳、吉田24歳。
 近江八幡・・・秋田から東京で乗り換え、空路で伊丹空港へ。さらにリムジンバスに乗り、新大阪へ。ここから新快速に乗り、一気に近江八幡駅に向かう。琵琶湖の原風景が残るヨシ原の水郷を見たかったのだが・・・駅に着いたのは、既に暗くなる寸前だった。やむなく、昔の商家が軒を連ねる新町通りを歩く。
 近江商人・・・には、興味はない。が、古い町並みは絵になる。江戸時代の町並みをカメラ片手に散歩するのは、理屈抜きに楽しい。千本格子と白壁、軒下は低く横に長いのが特徴か。京都の町屋は、「うなぎの寝床」と言われ、間口が狭く、奥行きが細長い造りになっている。これとは正反対の町並み。庭から松が屋根を越えて飛び出している。さぞ、部屋から眺める庭も美しいことだろう。
 大津市・・・湖岸道路用に埋め立てられ、現在は、ビルが林立するオフィス街に変貌している。30年前は珍しくなかったヨシ原の風景・・・埋立・開発が進んだ南湖では、ほとんどその姿を見ることができないのは残念。
 琵琶湖は、400万年の歴史を持ち、日本で唯一の古代湖。大きさは、滋賀県の1/6を占める。とても余所者が「琵琶湖を語る」とか、「琵琶湖を歩く」・・・などと軽々しく言えないほど、琵琶湖は巨大である。同じ琵琶湖でも南湖と北湖では、大きな違いがある。南湖の平均水深は約4mと浅い。北湖は、最大水深が100mを超え、平均水深は約43mと深い。北湖は、全体の貯水量の99%を占める。(写真:近江大橋)
 滋賀県の人口は、戦後から1965年まで80万人台でほぼ安定していた。それ以降、工場の進出、京阪神のベットタウンとして開発が進み、人口は急増。現在約130万人に達し、今なお増え続けている(人口増加率は日本一)。巨大な古代湖・琵琶湖は、1965年以降、人口増加とともに、わずか40年で激変してしまった。
 琵琶湖に流れ込む一級河川は約120本、小さな川を含めると約460本。これに対し、琵琶湖から流れ出るのは瀬田川と人工の琵琶湖疎水の二つだけ。琵琶湖の水が入れ替わるには、約20年もかかると言われている。近畿1400万人の水ガメになっている琵琶湖・・・マザーレイクの再生に向けた動き、アイデア、事業は、確かに先進的ではある。しかし、事業費が莫大で、貧乏な八郎湖では、とても真似のできないものが多かったように思う。(写真:瀬田川を望む)
 外来魚・・・朝、湖岸を散歩しながら、研究発表の会場となっているピアザ淡海まで歩く。途中、入れ食いで釣り続ける釣り人に出会う。バケツを覗くと、秋田では見たことがないブルーギルだった。フナ釣り用の仕掛けで、エサは小さく切ったカマボコ。エサを投じると、狂ったように群がるブルーギル・・・ブラックバスよりブルーギルが増えている。捕獲された外来魚の8割はブルーギル・・・話には聞いていたが、これほど凄まじいとは・・・。
 釣り人に話を聞く。ウキの動きを楽しみながら釣っていると、確かに楽しいが、喉の奥まで飲まれ外すのが大変だ。そこで、渓流釣り同様、ミャク釣りで素早くアワセルのが数釣りのコツらしい。ブルーギルは、結構引きが強く、誰でも気軽に釣れ、楽しいよ・・・とのこと。外来魚の入れ食い・・・わずか1時間弱で、数十匹の釣果だった。
 外来魚のリリース禁止(滋賀県琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例により、2003年4月から再放流禁止)に伴い、湖岸には回収箱が何カ所にも設置されていた。釣り人は、バケツに入れたブルーギルを持ち、回収箱の中へ。回収箱は、木製で周りの景観にもとけ込み、違和感はなかった。
基調講演「それぞれの動物のそれぞれの環世界」
総合地球環境学研究所所長・京都大学名誉教授 日高 敏隆
 日高敏隆さんは、昆虫や哺乳類など幅広い生き物を対象に研究してきた動物行動学者で、日本動物行動学会の生みの親でもある。人間も動物もイリュージョン(錯覚)なしに世界は見えない・・・それはどういうことか。まず、一つの部屋を描いた絵を示す。その部屋を、人、犬、ハエは、それぞれにどう見ているのだろうか。
 イヌがこの部屋に入ってきたとする。イヌは、食べ物に関心がある。飲み物にも関心がある。椅子やソファは、彼らの友だちである人間が座るものだから多少関心はある。しかし、それ以外の本棚や読書台などは、あってもなくても同じようなもの・・・ないに等しい。
 今度は、この部屋にハエが飛んできたらどうだろう。ハエにとって関心があるのは、食べ物と飲み物だけ。ハエは光に向かって飛んでいく性質があるから、電灯が輝いていることはわかる。それ以外は何の関心もなく、何も存在していないに等しい。

 部屋そのものは存在しているのだが、動物にとって意味のある世界は、部屋全体の客観的なものではない。動物が生きているのは、彼らの環世界の中であって、意味のない客観的な環境の中で生きているのではない。つまり、犬もハエも人間が見た世界とはまるで違う。
ダニの世界・・・森や藪の茂みの枝に小さなダニがとまっている。ダニには目がないので、待ち伏せている場所に上っていくには、全身の皮膚にそなわった光感覚に頼っている。そこで温血動物の獲物をじっと待つ。たまたま下をほ乳類が通ると、ダニはその汗の匂いをキャッチし、即座に落下して動物の体にとりつく。ダニがその敏感な温度感覚によって、自分が何か温かいものの上に落ちたことを知ったら、触角によって毛の少ない場所を探し出し、口を突っ込んで血液を吸う。その栄養で卵をつくり、子孫を残す。

 ダニが住む環境は、空気、光、日射による温度、植物、花の匂い、葉ずれの音、いろいろな虫の匂いや歩く音、鳥の声もするだろう。しかし、それらほとんどすべては、ダニにとって意味をもたない。ダニを取り囲んでいる巨大な環境の中で、ほ乳類の体から発する汗の匂い、その体温、皮膚の接触刺激という三つだけが、ダニにとって意味をもつ。ダニにとっての世界は、この三つだけで構成されている。

 ダニの世界と人間が見た世界は、まるで違う。これは、その動物主体によって「客観的」な全体から抽出された主観的なもの。ある種の「錯覚」であるとも言える。これを日高氏は、イリュージョン(錯覚)と呼ぶ。ダニ独特のイリュージョンで、ダニの世界を構築している・・・そのみすぼらしいイリュージョンの世界こそ、ダニの行動の確実さを約束するもの。
 環境を論ずる場合、たいてい「良い環境」という。しかし、誰にとって「良い環境」なのか。全ての人間、動物にとって「良い環境」というのはあり得ない。自分にとって「良い環境」は、全ての動物にとっても「良い環境」だと錯覚している。これもまたイリュージョン。

 過去のイリュージョン・・・地球が平面であった時代、人々はそのイリュージョンの上に地球を認識していた。それで不自由なく生きてきた。また、地球は世界の中心であり、地球の周りを太陽が回っていると錯覚していた。その後、コペルニクスが地動説を発表すると、当時の人々は恐ろしいイリュージョンだと思ったに違いない。

 変化したのは地球でも太陽でもなく、人間の認識とそれによってつくられたイリュージョンの世界である。人間もイリュージョンなしに世界は認識できない。これは学者も同じ。新しいイリュージョンをつくる。次の人が、それを壊してまた新しいイリュージョンをつくっているだけ。「世界は一つ」と言うけれど、実は、動物の数だけ世界はある。
参考文献:「動物と人間の世界認識」(日高敏隆著、筑摩書房、1600円)
循環かんがい 赤野井湾守山市木浜地区
 かつて、農業排水は、クリークを通ってギロ(沼)に入り、琵琶湖の内湖へ注いでいた。クリークやギロに沈殿した泥や栄養分は、冬になると船を出してすくい上げ、再び肥料として田んぼに戻していた。農業用水は内湖から引いていたため、水や栄養分は循環するシステムになっていた。

 今は、そのクリークやギロが消え、整然と区画された田んぼが広がっている。ストレートに赤野井湾に流れ込む農業排水・・・シロカキ、田植えの時期になると、肥料の窒素やリンなどの養分を含んだ泥水が琵琶湖に流れ込み、湖面を茶色に濁らせる。琵琶湖の富栄養化をもたらし、昭和58年以降、毎年アオコが発生するようになった。
 新たなシステムは、かつての循環を取り戻す試み。琵琶湖に注ぐ排水路の出口に人工の浄化池を設置。いわば現代のギロ(沼)。ここで泥や栄養分を沈めて、きれいな上澄みを琵琶湖に流す。浄化池の水は、ポンプで再び用水路に送って循環かんがいするシステム。さらに、排水路には自然石を使い、両サイドに水生植物を植栽・・・現代のクリークを人工的に作りだしている。環境に配慮した技術だが、この方式だと、事業費が莫大にかかること。
魚のゆりかご水田プロジェクト
 かつて湖岸に広がる田んぼは、湖面とほとんど段差がなかった。田んぼは、琵琶湖の魚にとって外敵のいない格好の産卵場だった。梅雨の頃になると、琵琶湖からたくさんのフナやナマズが田んぼに遡上し、卵を産んだ。農家の人たちは、雨上がりの朝を狙って、よくフナを獲った。

 しかし今は、琵琶湖に通じるコンクリート水路と田んぼに大きな段差が出来て、魚が自力で田んぼに遡上できなくなってしまった。魚のゆりかご水田プロジェクト(県の農業部門+水産部門)は、切れてしまった琵琶湖と田んぼ、魚と人をつなぐ試み。これはお金も余りかからず、マンパワーさえあれば八郎湖でもやれそうだ。それだけに、強い興味を持った。
 第一段階・・・田んぼが産卵場所として適しているかどうかの実験。
 1600平方mの田んぼにニゴロブナのつがい6組を放流。実験結果によると、産み付けられた卵は14万5千粒、そのうち8万2千粒の稚魚が成長。一般に外敵が多い自然界では生残率は1%以下。これに対し田んぼの生残率は57%にも達した。放流しただけでこれだけの稚魚を育てることができる・・・田んぼの魚類育成機能の高さが立証された。
 第二段階・・・一般農家に広める。当面は、親魚を人の手で田んぼに放し、田んぼの水を抜く「中干し」の時期に再び人の手で稚魚を回収して琵琶湖へ返す。

 第三段階・・・全面魚道方式による琵琶湖と田んぼをつなぐ「魚の道」復活。琵琶湖から約500m上流の農業排水路に間伐材と止水板を使って段階的に全面魚道を設置。田植え後から中干し期間、排水路の水位を段階的にせき上げ、水田と排水路の水位を同レベルに維持。上の写真は、全面魚道排水路を遡上するコイとナマズ。 
 その成果をビデオで見た。ニゴロブナ、ギンブナ、タモロコ、ナマズなどが大量に排水路を遡上、水田内に達した魚の産卵シーンは圧巻だった。魚のゆりかご水田は5枚。中干し時には、孵化した稚魚約75,000尾が水路を流下。1枚当たりの最多は、35,000尾に達した。全面魚道排水路の効果は、魚類の遡上・田んぼでの魚類育成、間伐材の有効活用、濁水の沈殿、用水の節減、排水負荷の軽減など。これならマンパワーさえあればできる。
 山里に出没するクマ撃退の妙案・・・牛は、三年前からサルやイノシシから守る対策として休耕田に放していた。その牛にクマ避け用の鈴をつけ、大きな音を嫌うクマをも追い払うのが狙い。これは、スイスでオオカミ避けにカウベルが使われているのをヒントに、大小二種類の鋳物製カウベルを首に付けている。効果のほどは定かでないが、おもしろいアイデアだ。
知的障害者による農業労働について 京都大学大学院農学研究科 中野裕子 牛野正
 ハード的な研究発表が多い中で、特に目を引いたのがこの発表。深刻な労働力不足に陥っている農業と働く意欲のある障害者が協働すれば、農業を振興できる・・・マイナスとマイナスをつなげてプラスにしようという発想がユニーク。機械的な労働より、自然と向き合う農業なら障害者の生きがいを創出できるのではないか。これらを結び付けるには「農業と福祉をつなぐシステムや、障害者雇用に対する支援が不足している」と指摘した。
滋賀県立琵琶湖博物館
 琵琶湖のおいたち、人と琵琶湖の歴史、湖と環境と人びとのくらし、淡水魚水族館・・・琵琶湖に学ぶには、欠かせない展示がズラリ。視察は、わずか1時間余りしかなく、駆け足で回るしかなかったのは残念。館内の売店には、琵琶湖特産・ニゴロブナのフナズシが売られていた。八郎湖増殖漁協に、こんなお土産を持って行けば喜ぶだろう・・・と思い買った。
 ゾウのいる森・・・約250万年〜180万年前、湖南から湖東地域にかけて、たくさんの湖沼や湿地ができた。その周辺はメタセコイアなどの大木が茂る森に、日本固有のアケボノゾウが生息していた。
 丸子船・・・江戸時代から戦前まで琵琶湖の湖上輸送は、丸子船が主役だった。江戸中期には、千隻を越える丸子船が湖上を行き来していたという。主にコメや干魚、塩魚、昆布、紅花など北国からの物資や人を運び、時に漁船としても使われた。
 今から40年前の農村の暮らし(1964年の富江家)・・・家に入ると、ニワ、オクニワと呼ばれる土間がある。その左手に、デ、ザシキ、オイエ、カマドと呼ばれる4つの部屋があり、漢字の田の字形に並んでいる。

 茶の間(カマド)・・・家族団らんで食事をする茶の間には、当時の食事が再現されている。食材は、この家の田畑でとれたもの、近くの川でとれた魚・・・いわば、昔はどこも自然の恵みをベースにした自給自足・地産地消が当たり前だった。
 カワヤ・・・村の中を流れる水路の水を取り込んだ洗い場をカワヤと呼ぶ。カミナガシとシモナガシと呼ばれる二槽の流しがあった。食器などはカミナガシ、野菜などはシモナガシで洗った。飲み水は、カワヤの横にある自噴の井戸からわく水を濾過器でこして利用した。
 当時の燃料は薪。残り火は、消し壺に入れ消し炭に。消し炭は、火鉢で暖をとったり、魚や餅を焼くのに使った。残った灰は、便所の横にある灰部屋に保存され、畑の土壌改良剤として使われた。捨てるところは一つもなく、究極のリサイクル・・・大量消費、大量廃棄が美徳とされた時代とわずか40年前の暮らし・・・今は、かつて家や村々でリサイクルされていた物質が流され、琵琶湖の汚染源になっている。かといって40年前に戻ることはできない・・・その落差に改めて考え込まざるを得ない。
 川岸林・・・川岸林は、琵琶湖の堤防のような役割をもち、大切に保護されてきた。平野で近くに山がない湖岸地域では、日常的な用材や薪の供給源として利用された。もちろん川の生き物たちを支える貴重な林だった。近年は、水田や宅地に変わり、貴重な川岸林も余り見られなくなった。
 クリーク地帯の魚とり・・・堀が網の目のように走ったクリーク地帯では、農作業に出掛ける際、タブネと呼ばれる小舟をつかって移動し、移動の途中で簡単な漁具をしかけて魚をとっていた。クリーク周囲の田んぼは、稲を生産するだけでなく、おかずの魚を獲る場所でもあった。田んぼで魚を獲る、クリーク(水路)で魚を獲る・・・おかずとご飯が一緒になったような暮らしこそ、琵琶湖の豊かさを象徴している。
 琵琶湖の幸を使った料理・・・写真は、コイのつけなます、ナマズのじゅんじゅん、イサザの白豆煮、シジミの酢ぬた。右下のコイのつけなますは、塩ゆでしたコイの卵をバラバラにして、コイのあらいにまぶしたもの。鍋に入ったナマズのじゅんじゅんは、ナマズを使ったすき焼きのこと。
 フナズシ・・・春の産卵期、湖岸や内湖で大量にとれた琵琶湖の固有種・ニゴロブナの保存食。塩漬けにしたニゴロブナを、ごはんの中に漬け込んで発酵させたもの。刺身包丁で薄く輪切りにすると、見た目も美しく食べやすい。夜の情報交換会でフナズシを食べたが、東北にはない独特の匂いには、やはり抵抗感があった。
 ビワマス・・・琵琶湖固有のサケ科魚類で、最大50cm以上にもなるという。どこかヤマメに似たような印象を受ける。湖の深い所を主なすみかとし、コアユやヨコエビ類を食べる。産卵期になると、黒地に赤の婚姻色をあらわし、産卵場を求めて流入河川に大挙して遡上するという。

 琵琶湖には、現在五十数種類の魚類がすみ、固有魚種は15種類に及ぶ。
 ビワコオオナマズ・・・恥ずかしがり屋らしく、じっと隠れて姿を見せてくれなかった。琵琶湖だけに住んでいる日本最大のナマズで、全長1.2m、体重20kg以上にもなる。夜間、沖合の表層から中層を遊泳、ゲンゴロウブナやビワマス、コアユなどをおそって食べる。6〜7月、大雨があると、湖岸に集まって真夜中に集団で産卵する。
 ニゴロブナ・・・琵琶湖固有種。全長30cmほどになるフナの一種。琵琶湖の沖合に生息し、湖底の小動物を食べる。4〜6月に大挙して湖岸のヨシ帯や内湖の浅瀬にやってきて水草などに産卵する。この時期の子持ちのニゴロブナは、フナズシの材料として珍重されている。
 ウツセミカジカ・・・琵琶湖固有種。湖の岸辺や流入河川の砂礫地に棲む。親魚は石の下に巣をつくる。全長10〜12cm。
 音を出す魚ギギ・・・釣り上げると、ギーギーという音を出すことから「ギギ」。ナマズの仲間で、昼間は岩陰や水草の間に潜み、夜間はエサを求めて動き回る。
 イワナ・アマゴ・・・滝となって落下する滝壺に群れる渓流魚を再現している。ちょうど、エサをやっている最中で、動きが速く、ことごとくブレてしまった。
 外国からきた魚・・・ブラックバスとブルーギル。草津市の志那では、ブラックバスのなれずしが発明されたという。
 世界の湖の魚も展示・・・写真は中国洞庭湖のケツギョ。東南アジアのトンレサップ湖、アフリカのタンガニーカ湖、北アメリカの五大湖に住む魚たちを展示している。
石積みの里坊・坂本のライトアップ
 坂本の町は、その地名が示すとおり琵琶湖から比叡山に向かって坂になっている。そこに里坊をつくるとすれば、石垣を積んで水平を得る以外になかった。これは、急な斜面に石垣を積んでつった棚田と同じようなもの。私にとって、宗教や政治がらみの歴史絵巻にはほとんど興味がない。ただ、自然と向き合い、自然を巧みに活かした民百姓の技術、思わず写真を撮りたくなる美しい石積みの景観に感服するだけだ。
 坂本の町は、石積みの見本市とも言われる。これらは穴太(あのう)衆と呼ばれる石工たちの集団によるもの。その伝統を受け継ぐ穴太流石積工匠の話・・・「自分の精神を積む石に打ちこんでいく。・・・石の願っている場所が相一致して、その石の座る場所が決まる。その姿勢も、石が身をよじるような無理な形はいけない。石が楽に、永久に座っているような場所と姿勢を、石と相談して決めていく」
 山坊と里坊・・・比叡山山上に修行するために居住する僧を「山坊」と呼んだ。これに対し、比叡山の厳しい環境に耐えられなくなった老僧や病身の僧が隠居保養するために山麓の住居に移った。これを「里坊」と呼んだ。坂本には、現在も五十余りの里坊が並ぶ。
 豪壮な石垣と白壁の滋賀院・・・滋賀院は、数ある里坊の総本坊。見事な穴太衆積みの石垣は、坂本の中でも一級品と言われている。
 日吉大社・・・古事記にも登場する全国の山王さんの総本山。13万坪の広大な境内に108の神が祭られている。一つの神を祭るのではなく、こうした万の神々を祭る信仰には好感が持てる。

 「人間は死というものを知ってしまった。・・・そこから悩みが始まっている。死というものの存在を知ってしまったけれど、人間の知覚の枠の外にある以上、それを体験することはできない・・・死んだ後の世界はどうなっているのか、それを全く分からないままに世界を構築しているので、そこにできあがってくる世界は、イリュージョン(錯覚、幻想、幻覚、幻影)としかいいようがない」(「動物と人間の世界認識」日高敏隆著、筑摩書房)
参考:琵琶湖メモ
面積日本一・・・670km2(2位の霞ヶ浦の4倍)
貯水量日本一・・・276億m3(2位の霞ヶ浦の34倍)
周囲の距離日本一・・・235km(2位の霞ヶ浦の2倍)
平均水深・・・41m(最大水深104m)
流域面積・・・3,848km2(滋賀県のほぼ全域+京都市の一部)。琵琶湖の水は、東側から伊吹山地、鈴鹿山脈、西側から比良山地、野坂山地を源にしている。
平均流入量・・・約53億m3
起源400万年前、日本で唯一の古代湖、固有種は50種以上
近畿1400万人が水道用水として利用
内湖・・・琵琶湖周辺には数十の内湖があったが、その多くが干拓され消滅
1977年赤潮発生、1983年南湖にアオコ発生、1990年アユ大量死、1994年北湖にアオコ発生
参 考 文 献
「滋賀県立琵琶湖博物館 総合案内」(滋賀県立琵琶湖博物館)
「近江路散歩」(司馬遼太郎ほか、新潮社)
「動物と人間の世界認識」(日高敏隆著、筑摩書房、1600円)

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