附録 一


    「カール・マルクス著 経済学批判」(フリードリヒ・エンゲルス)
    「経済学批判」についての手紙(カール・マルクス)
    経済学批判序説(カール・マルクス)

カール・マルクス著『経済学批判』

フリードリヒ・エンゲルス

ドイツ語週刊新聞『ダス・フォルク』(ロンドン)の一八五九年八月六日および二〇日号にのせられた書評。――編集者。


−p.254−

    一

 ドイツ人は、科学のあらゆる領域で、かれらがその他の文明諸国民と対等の能力をもっているということ、多くの領域では、むしろかれらのほうがそれらの国民よりもすぐれているということを、むかしから立証してきている。ただひとつの科学においてだけは、その大家たちの列に、たった一人のドイツ人の名前すらくわわっていなかった。それは、経済学である。理由はあきらかである。経済学は、近代ブルジョア社会の理論的な分析であり、したがって発達したブルジョア的状態を前提するものである、だが、この状態たるや、ドイツでは、宗教改革戦争と農民戦争以来、ことに三〇年戦争以来、数百年もの長いあいだあらわれることができなかったものである。オランダがドイツ帝国から分離したため、ドイツは世界商業からおしのけられ、その産業的発展は最初から非常に貧弱な状態にかぎられてしまった。そしてドイツ人が、苦労してすこしずつ内乱の荒廃から立ちなおっていったあいだに、たいして大きくもなかったそのブルジョア的エネルギーのすべてを、どんな小さな諸侯や帝国男爵でもその臣下の産業に課していた関税障壁ときちがいじみた商業統制とにたいする効果のないたたかいに消耗していたあいだに、帝国諸都市がツンフト取引と貴族支配のなかでおとろえていったあいだに――そうしたあいだに、オランダとイギリスとフランスとは、世界商業で第一位を獲得し、つぎつぎに植民地を建設し、マニュファクチュア産業を最高の繁栄にまで発展させ、ついにイギリスは、その石炭と鉄との鉱層をはじめて価値あるものとした蒸気によって、近代ブルジョア的発展の先頭に立つようになった。だが、一八三〇年にいたるまでドイツの物質的・ブルジョア的な発展を束縛していたような、中世のこっけいなほど古くなった遺物にたいするたたかいが、まだおこなわなければならなかったあいだは、ドイツの経済学なるものはありえなかった。関税同盟の創設によって、ドイツ人ははじめて、経済学をどうやら理解できる状態に達したのである。事実、この時から、イギリスやフランスの経済学の輸入が、ドイツの市民層の利益のためにはじまった。まもなく学者と官僚とは、この輸入された材料を横どりし、「ドイツ精神」にとってはあまり名誉にならないやり方でそれを加工した。こうして、文筆をたしなむ産業騎士、商人、学校教師、および官僚のよりあつまりから、ドイツ経済学の文献がうまれたのであるが、それらは、ばかばかしさ、浅薄さ、無思想、冗談、ひょうせつ、という点でわずかにドイツの小説だけが匹敵できるほどのものであった。実践的目的をもったひとびとのあいだでは、まず産業家連中の保護関税学派がつくられたが、その権威であるリストはかれの栄誉ある全著作が、大陸封鎖の理論的創始者であるフランス人フェリエからのひきうつしである点はそれとしても、いまもなお、ドイツのブルジョア経済学文献がうんだ最善のものである。こういう傾向にたいして、四〇年代には、バルト海沿岸地方の商人連中の自由貿易学派がうまれたが、それはイギリスの freetrader《自由貿易論者》の議論を、無邪気だが利己的な信仰をもって口まねしたものであった。最後に、この学科の理論的方面をとりあつかわなければならなかった学校教師と官僚のあいだには、ラウ氏のような無批判な、ひからびた押花の蒐集家や、シュタイン氏のような外国の文章を不消化なヘーゲル式文章に翻訳した利口な思惑家や、あるいはリール氏のような「文化史」の領域での美文化的な落穂ひろい人が存在した。さてそこから結局うまれてきたものは、官房学であり、官僚志望者が国家試験に役だてるために知らなければならないような、折衷説的=経済学的なソースをかけられたあらゆる種類の allotris≪ごたごたしたもの≫の雑炊であった。

 このように、ドイツのブルジョアジーと学校教師と官僚とが、イギリス・フランスの経済学の初歩を、おかすべからざる教義として暗記し、いくらかでも理解しようと、なお苦労していたあいだに、ドイツのプロレタリア党が登場してきた。この党の理論的定在は、すべて、経済学の研究からうまれでたものであった。そしてその登場の瞬間から、科学的で自立的なドイツ経済学もまたはじまるのである。このドイツ経済学は、本質上、歴史の唯物論的把握に立脚しており、その要点はすでに「フォルク」に転載されているから、それを参照されたい。「物質的生活の生産様式は、社会的、政治的および精神的な生活諸過程一般を制約する」という命題、いいかえれば歴史にあらわれるすべての社会的および国家的諸関係、すべての宗教制度および法律制度、すべての理論的見解は、それに応ずるそれぞれの時代の物質的な生活諸条件が理解され、かつ前者がこれらの物質的諸条件からみちびきだされるばあいにだけ、理解されうる、という命題は、単に経済学にとってばかりでなく、すべての歴史科学(自然科学でないすべての科学は歴史科学である)にとっても、ひとつの革命的発見であった。「人間の意識がかれらの存在を規定するのではなくて、人間の社会的存在がかれらの意識を規定する。」この命題は、非常に簡単であるので、観念論的なまよいにとらわれていないひとならば、だれにも自明であるにちがいない。しかしこのことは、単に理論にとってばかりでなく、実践にとってもまた、〔つぎのような〕きわめて革命的な帰結をもっている。すなわち「社会の物質的生産諸力は、その発展のある特定の段階で、従来それがその内部で運動してきた現存の生産諸関係と、またはその法的表現にすぎない所有諸関係と、矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏(しつこく)に急変する。そのときに社会革命の時期がはじまる。経済的基礎の変化とともに、巨大な上部構造全体が、あるいは徐々に、あるいは急速に変革される。……ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の最後の敵対的形態である。ここに敵対的というのは、個人的敵対の意味ではなくて、個々人の社会的生活諸条件から生ずる敵対の意味である。しかもブルジョア社会の胎内(たいない)で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。」〔ということ、これである。〕そこで、われわれの唯物論のテーゼをさらに追求してゆき、それを現在に適用するならば、ただちに巨大な革命への、あらゆる時代の諸革命のうちでもっとも巨大な革命への展望が、われわれのまえにひらかれるのである。

 だがまた、もうすこし立ちいって考察するとすぐにわかることだが、人間の意識はその存在に依存していてその逆ではないという、一見非常に簡単な命題は、その最初の帰結においてただちにすべての観念論に、もっとも奥ふかくかくされた観念論にまでも、直接に打撃をあたえるのである。すべての歴史的なものについてのあらゆる伝来的かつ慣習的な見解は、この命題によって否定される。政治上の屁理屈(へりくつ)の伝統的な様式は、すべて地におちる。愛国的なけだかい心は、こういう筋のとおらない見解に憤激して反抗する。だから、この新しいものの見方は、必然的にブルジョアジーの代表者ばかりか、liberté, égalité, fraternité《自由平等友愛》という呪文で世界をひっくりかえそうとしたフランスの大ぜいの社会主義者までもおこらせてしまったのである。けれどもそれは、ドイツの、俗流民主主義をやかましく叫ぶひとびとのあいだでは、とくに大きな憤激をよびおこした。それにもかかわらず、かれらは、このんでこの新しい思想をひょうせつして利用しようとしたが、しかしそれは、まれにみる誤解にでたものであった。

 ただひとつの歴史的な事例についてさえ唯物論的把握を展開しようとすれば、それは、おそらく数年にわたる静かな研究を必要とする科学的な仕事であっただろう。なぜならば、ここでは、単なる言葉だけではなんにもならないこと、大量の、批判的に検討され、完全に使いこなされた歴史的材料だけが、こういう任務を解決する力のあることが、明らかだからである。二月革命は、われわれの党を政治の舞台におしだし、そのために、党が純粋に科学的な目的を追求することを不可能ならしめた。それにもかかわらずこの根本的な考え方は、赤い糸のように党の作成したいっさいの文献をつらぬいている。それらのすべてにおいて、行動は、いつでも直接の物質的動因からうまれたものであって、それにともなう言論から生じたものではないということ、反対に、政治的ならびに法律的言論もまた、政治的行動やその結果と同じように、物質的動因から生じたものだということが、それぞれ個々のばあいについて証明されているのである。

 一八四八〜四九年の革命の敗北ののち、外国からドイツにはたらきかけることがいよいよできなくなったときがやってくると、われわれの党は亡命者同志のけんか――というのはこれが残された唯一の可能な行動だったので――の戦場を、俗流民主主義にまかせた。そして俗流民主主義が、したい放題のことをし、今日はつかみあうかと思えば明日は仲直りをし、あさってはまたかれらのきたならしさを世間にさらけだしていたあいだに、また俗流民主主義が、アメリカ中を乞食してあるき、すぐそれにつづいて、わずかばかりのもらったかねの分配について、またもやスキャンダルをひきおこしているあいだに――われわれの党は、ふたたび研究のための多少の余暇ができたのをよろこんでいた。われわれの党は、ひとつの新しい科学的な考え方を、理論的基礎としてもっているという大きな強みをもっていた、そしてその考え方を仕上げることは、党にとってどうしてもしなければならないことであった。そのためにも党は、亡命の「おえらがた」のようにひどく堕落することは、どうしてもできなかったのである。

 こうした研究の最初の成果が、われわれのまえにあるこの書物である。


     二

 本書のような著述では、経済学から個々の章をぬきだして、それをただばらばらに批判することや、あれやこれやの経済学上の論争問題をきりはなしてあつかうことは、問題にならない。この著述は、むしろはじめから、経済科学の全複合体の体系的総括を、ブルジョア的生産とブルジョア的交換との諸法則の連関のある展開を、くわだてているのである。経済学者は、これらの諸法則を通訳しかつ弁護するものにほかならないのだから、この展開は同時にまた、経済学上の文献全体の批判でもある。

 ヘーゲルが死んでからは、科学をその固有の内的な連関のなかで展開しようとするこころみは、ほとんどなされていない。官許ヘーゲル学派は、師の弁証法から、もっとも簡単な技巧をあやつることだけを身につけ、それをありとあらゆることに、しかもなお、しばしばこっけいなほどの不器用さで、適用した。かれらにとっては、ヘーゲルの全遺産は、どんなテーマでもその助けをかりればうまく組立てられるただの雛形(ひながた)でしかなく、また、ちょうど思想と実証的な知識とが欠けているようなときにあらわれるほかには、なんの目的ももっていない言葉やいいまわしの目録でしかなかった。こうして、ボン大学のある教授がいったように、これらのヘーゲル学徒は、なんにも理解していないのに、あらゆることについて書くことができる、ということになった。たしかにそのとおりでもあった。けれども、やはりこれらの諸君は、かれらのうぬぼれにもかかわらず、自分の欠点を非常によく意識していたので、大きい問題からは極力遠ざかっていた、古い固陋(ころう)な科学は、実証的世故(せこ)にたけていることによって、その地位をたもっていた。そしてはじめてフォイエルバッハが思弁的概念に絶縁を宣言したときに、ヘーゲル的風潮はだんだんにすたれて、その固定したカテゴリーをもつ古い形而上学の王国が、ふたたび科学のうちにはじまったかのようにみえた。

 これには、その自然な根拠があった。単なる空語にまよいこんでしまっていたヘーゲルの後裔どもの治世につづいて、科学の実証的な内容がふたたび形式的な面よりも重んじられる時期が、自然にやってきた。しかもドイツは、同時にまた、一八四八年以来のはげしいブルジョア的発展におうじて、まったく異常なエネルギーをかたむけて自然科学にも没頭した。そして、思弁的な傾向にはなんらの重要な意識をもみとめてはいなかったこれらの自然科学の流行とともに、ヴォルフの古い形而上学的な思考方法が、ヴォルフ流のはなはだしく浅薄な理論にいたるまで、ふたたびさかんになってきた。ヘーゲルは忘れられ、新しい自然科学的唯物論が発展したが、この唯物論は、一八世紀の唯物論と理論的にはほとんどちがいがなく、多くのばあい、ただもっと豊富な自然科学上の、ことに化学や生理学上の材料の点ですぐれているだけであった。われわれは、ビュヒナーやフォークトのばあいには、前カント時代の固陋な俗物的な考え方が、はなはだしく浅薄なものになって再生産されているのをみいだすし、またフォイエルバッハを盲信しているモレショットさえ、いつみても、非常におかしな仕方で、もっとも単純な諸カテゴリーのあいだにのりいれて動きがとれなくなっているのである。ブルジョア的な凡庸な知識をもった不器用な馬車馬が、本質を現象から、原因を結果から分離する掘割の前で、とほうにくれて立ちどまることはいうまでもない。しかしもし抽象的思考というはなはだしく複雑な地形のところで強引に疾駆しようとするならば、決して馬車馬ひき馬にのるべきではない。

 だからここでは、経済学そのものとはなんの関係もないほかのひとつの問題が解決されなければならなかった。科学はいかにとりあつかわれなければならなかったか? 一方には、ヘーゲルが残したままの、まったく抽象的、「思弁的な姿」をしたヘーゲル流の弁証法があった。他方には、平凡な、いまやふたたび流行となった、本質上ヴォルフ的、形而上学的な方法があり、ブルジョア経済学者どもも、この方法で、かれらのとりとめもない厚い書物を書いていた。この後の方法は、カントによって、またとくにヘーゲルによって、理論的には打破されていたので、ただ惰性とほかの簡単な方法のなかったこととによって、その実際上の存続が可能となっていたにすぎない。他方、ヘーゲルの方法は、そのままの形では、絶対に使いものにならなかった。それは本質的に観念論的であった。しかもここで必要なことは、すべての従来の世界観よりも、もっと唯物論的な世界観を展開することであった。ヘーゲルの方法は、純粋な思惟から出発していた。しかもここでは、もっと動かしがたい事実から出発しなければならなかった。それ自身の告白をかりて言えば、「無から無をつうじて無に帰した」方法は、このままの姿では、ここではなんの役にもたたなかった。それにもかかわらず、この方法は、現存するあらゆる論理的材料のうちで、すくなくとも出発点となりうる唯一のものであった。それは、批判されてもいなければ克服されてもいなかった。この偉大な弁証法論者の論敵のうち、だれ一人として、この方法の壮大な構築に、突破口をうがつことのできたものはなかった。この方法が忘れられたのは、ヘーゲル学派が、そこからなにもはじめるすべを知らなかったからである。だから、なによりも必要なことは、ヘーゲルの方法に徹底的な批判をくわえることであった。

 ヘーゲルの考え方をほかのすべての哲学者のそれから判然と区別するものは、その根底にある巨大な歴史的感覚であった。形式は非常に抽象的であり観念論的であったが、それだけにかれの思想の展開は、あくまでも世界史の発展と並行してすすみ、しかも後者は本来ただ前者の検証にすぎない、というのであった。そうすることによって、正しい関係がねじまげられ逆立ちさせられたとしても、あらゆるところで現実の内容が哲学のなかにはいりこんできた。とくにヘーゲルは、その弟子どもとは、かれらのように無知を売りものにしていたのではなくて、あらゆる時代をつうじてもっとも博学な人物の一人であったという点でちがっていたから、右のことはますますそうだったのである。かれは、歴史のなかに発展を、内面的な連関を証明しようとした最初のひとであった。そしてかれの歴史哲学のなかの多くの点が、いまわれわれにとってどれほど奇妙にみえようとも、その根本の考え方そのものの壮大さは、かれの先行者とくらべるにしろ、あるいはまたすすんでかれ以後に歴史について一般的な省察をあえてしたひとびととくらべるにしろ、こんにちでもなおおどろくにあたいする。現象学においても、美学においても、哲学史においても、いたるところで、この壮大な歴史観がつらぬかれている、そして素材は、いたるところで歴史的に、つまり抽象的にねじまげられてはいるが歴史との一定の連関において、とりあつかわれているのである。

 この画期的な歴史観は、新しい唯物論的な考え方の直接の理論的前提であった。しかも、すでにそのことをつうじて、論理的方法にとってもひとつの端緒が生じていたのである。この忘れられた弁証法が「純粋思惟(じゅんすいしい)」の立場からでさえこういう結果に到達していたとすれば、そしてさらにくわえて、それが従来のすべての論理学と形而上学とを楽々と片づけてしまっていたとすれば、ともかくそこには詭弁(きべん)やせんさく以上のものがあるにちがいなかった。けれども、この方法の批判は、すべての官許哲学がこれまでさけてき、いまでもなおさけていることではあるが、けっしてつまらないことではなかったのである。

 マルクスは、ヘーゲルの論理学の殻をやぶって、そのなかから、この領域におけるヘーゲルの真の発見をふくんでいる核をとりだし、かつ弁証法的方法からその観念論的なころもをはぎとって、思想の展開の唯一の正しい形態となるような簡単な姿にそれを立てなおす、という仕事を引きうけることのできたただ一人のひとであったし、現在でもなおそうである。マルクスの経済学批判の根底にある方法があみだされたことは、その意義からいって、唯物論的な基本的考え方にすこしもおとらないひとつの結果だと、われわれは考える。

 経済学の批判は、すでにえられた方法にしたがうばあいでも、なお、歴史的または論理的というふたとおりの仕方で、これをくわだてることができた。歴史のうえでも、またその文献への反映のうえでも、発展は、大綱的には、もっとも単純な関係から、より複雑な関係へとすすんでいくものであるから、経済学の文献史的な発展は、批判が手がかりとすることのできる自然なみちびきの糸を提供してくれた、そして、そのばあいには、経済学的諸カテゴリーは、大綱的には、論理的発展のばあいと同じ序列であらわれるであろう。この形態は、一見、よりいっそう明瞭だという長所をもっているようにみえる、なぜならば、〔そこでは〕なんといっても現実の発展が追求されるのだから、しかし実際には、この形態によるとしても、批判は、せいぜいより親しみやすくなるにすぎないであろう。歴史は、しばしば飛躍的に、かつジグザグにすすむものである、そこでこのばあい、すべての点でその足あとが追求されなければならないとすれば、そのために、あまり重要でない多くの材料がとりあげられなければならないばかりでなく、思想の道すじも、しばしば中断されないわけにはいかないであろう。そのうえまた、経済学の歴史は、ブルジョア社会の歴史がなくては書くことができないであろう、しかもあらゆる準備的な仕事がかけているから、仕事はそれによってかぎりなく多くなるであろう。だから、論理的なとりあつかいだけが適当だったのである。ところが、論理的なとりあつかいは、じつは、ただ歴史的形態と撹乱的偶然性というおおいを取りさっただけの歴史的なとりあつかいにほかならない。この歴史のはじまるところから、思想の歩みもまた、同じようにはじまらなければならない、そしてこの歩みのそのごの進行は、抽象的な、かつ理論的に一貫した形態をとった、歴史的経過の映像にほかならないであろう。それは、修正された映像であるが、その修正は、実際の歴史的な経過そのものが、どの要因をも、それが完全に成熟し、典型的な形をとる展開点で考察できるようにすることによって、示唆してくれる諸法則にしたがって、おこなわれたものである。

 この方法においては、われわれは、歴史上、事実上われわれのまえにある最初のしかももっとも単純な関係から出発する。この関係をわれわれは分析する。それがひとつの関係であるということのうちには、すでにそれがたがいに関係しあうふたつの側面をもつということがふくまれている。これらの側面のひとつひとつは、それ自身として考察される、そこから、それらがたがいに関係しあう仕方、それらの交互作用があらわれてくる。そして解決をもとめる矛盾がうまれてくるであろう。けれども、われわれは、ここでは、われわれの頭のなかだけに生じる抽象的な思想の過程を考察しているのではなく、いつか実際に起ったことのある、またはいまおこっている実際の出来事を考察しているのだから、これらの矛盾もまた、実際問題としては、自己を展開し、おそらくその解決をみいだしているであろう。われわれは、この解決の仕方をたどって、それがひとつの新しい関係をつくりだすことによっておこなわれたことをみいだすであろう。そしてわれわれは、こんどは、この新しい関係のふたつの対立する側面を展開しなければならなくなり、こうした過程がつづくのである。

 経済学は商品をもって、つまり生産物が、――個々人の生産物であれ、自然発生的な共同体の生産物であれ、――たがいに交換される契機をもって、はじまる。交換にはいりこむ生産物は商品である。しかし生産物が商品であるのは、ただ、生産物というに二人の人物またはふたつの共同体のあいだの関係が、すなわち、ここではもはや同じ人物に統一されていない生産者と消費者とのあいだの関係が、むすびつくことによってである。ここでわれわれは、とりもなおさず、経済学をつらぬいており、かつブルジョア経済学者どもの頭にひどい混乱をひきおこしてきたひとつの特有な事実の一例をもつことになる。すなわち、経済学がとりあつかうのは、物ではなくて、人と人とのあいだの関係であり、結局は階級と階級とのあいだの関係であるということ、しかしこの関係は、つねに物にむすびつけられていて物としてあらわれるということ、これである。この連関は、個々のばあいにはあれこれの経済学者の頭にも、漠然とうかぶことはうかんでいたのであるが、それが経済学全体にあてはまることをはじめて発見し、それによってもっとも困難な諸問題を非常に簡単明瞭にして、いまではブルジョア経済学者でさえ、その点を理解することができるようにしたのは、マルクスである。

 さてわれわれが、商品を、それもふたつの原始的共同体間の自然発生的な交換取引においてやっとのことで発展したような商品ではなく、完全に発展した商品を、その異なった側面から考察するならば、この商品は、われわれのまえに、使用価値と交換価値というふたつの見地のもとに自己を示すであろう、そしてここでわれわれは、ただちに、経済学上の論争の領域にはいりこむことになる。こんにちの完成の段階にあるドイツの弁証法的方法は、古い浅薄で政論好きな形而上学的方法に比すれば、すくなくとも、鉄道が中世の運輸手段よりすぐれているのと同じくらいすぐれているということの適切な実例を知りたいひとは、アダム・スミスなり、そのほかの有名な官許経済学者なりを読んで、交換価値と使用価値と〔の問題〕が、かれらをどれだけ苦しめたか、またそれらを整然と区別しおのおのをそれに特有な規定性で把握することが、かれらにとってどんなにむずかしかったかを知り、そのあとで、マルクスの明瞭、簡単な説明と比較してみるとよい。

 さて、使用価値と交換価値とが説明されると、そのつぎには、商品は、それが交換過程にはいっていくばあいそうであるように、このふたつのものの直接の統一としてあらわされる。どんな矛盾がここで生ずるかは、二九、三〇頁〔本訳書四四〜四六頁〕をよく読んでほしい。ただここで注意しておきたいのは、これらの矛盾は、単に理論的・抽象的に興味があるだけではなく、同時にまた、直接的交換関係の、つまり単純な交換取引の本性からうまれてくる困難を、すなわち交換のこの最初の素朴な形態が必然的におちいる不可能を、反映しているということである。この不可能の解決は、他のすべての商品の交換価値を代表するという属性が、ひとつの特殊な商品――貨幣――にまかされるということのうちに、みいだされる。そこで、貨幣または単純流通が、第二章で展開されるのである。しかも、(一)価値の尺度としての貨幣、ここではさらに、貨幣ではかられた価値、つまり価格が、よりたちいった規定をうけとる。(二)流通手段としての貨幣、および、(三)現実の貨幣としてのこのふたつの規定の統一たる貨幣、つまり物質的なブルジョア的富全体の代表物たる貨幣、が展開される。これで第一分冊の展開は終り、貨幣の資本への移行は、第二分冊で展開されることになっている。

 こうした方法にあっては、論理的展開は、純粋に抽象的な領域にとどまることをすこしも必要としないということがわかる。反対に、この方法は、歴史的な例証、つまり現実とのたえまない接触を必要とする。だからまた、こうした〔歴史的な〕引証が、非常に多種多様に挿入されている、しかも、社会的発展のさまざまな段階における現実の歴史的経過についての指示とならんで、経済学上の文献についての指示もまた挿入されていて、それらのなかで、経済的諸関係の規定を明確につくりあげるという仕事が、第一歩から追求されている。こうして、多かれ少なかれ一面的な、または混乱した、それぞれの把握の仕方にたいする批判は、本質的には、すでに論理的展開そのもののなかにあたえられていて、簡単に理解することができるのである。

 第三の論説では、この書の経済学的内容そのものに立ちいることにしよう

この第三の論説は、新聞の発行が禁止されたために、もはや書かれなかった。――編集者。


経済学批判序説

カール・マルクス

マルクスの序言〔本訳書一一〜一七頁〕を参照せよ。この序説には、一八五七年八月二九日の日附がある。それは、マルクス・エンゲルス・レーニン研究所で原稿の写真版どおりに復元された。――この標題はわれわれのつけたものである。――編集者。



     内 容

   A 序説

    一、生産一般
    二、生産、分配、交換および消費の一般的関係
    三、経済学の方法
    四、生産手段(生産諸力)と生産諸関係、――生産諸関係と交易諸関係、等々

A 序説

一 生産、消費、分配、交換(流通)
        一 生 産

−p.287−

 (a)ここでとりあつかう対象は、まず物質的生産である。

 社会で生産をおこなっている個々人、したがって個々人の社会的に規定されている生産が、いうまでもなく出発点である。スミスやリカアドがそこから説きおこしている個々ばらばらの猟師や漁夫は、一八世紀の、空想をまじえない想像のうんだものである。それはロビンソン物語ではあるが、けっして文化史家の考えるように、あまりにも洗練されたものにたいする反動や、誤解された自然生活への復帰にすぎないものではない。それがこうした自然主義にもとづくものでないのは、ちょうど生まれながらに独立している諸主体を契約によって結合させるルソーの社会契約がそうでないのと同様である。この自然主義は、大小さまざまのロビンソン物語のみせかけであり、しかもただその美的なみせかけであるにすぎない。それはむしろ一六世紀以来準備され、一八世紀にその成熟への巨歩をすすめた「ブルジョア社会」を先取りしてしめしたものなのである。この自由競争の社会では、個々人は、それ以前のもろもろの歴史時代にかれを一定のかぎられた人間の集団の一員にしていた自然的な結びつきなどから、解放されてあらわれる。スミスやリカアドがまだまったくその影響のもとにあった一八世紀の予言者たちは、こうした一八世紀の個人――一方では封建的社会形態の解体の、他方では一六世紀このかた新しく発展した生産諸力の産物――を、過去に実在したかのごとく考えて、理想として思いうかべていたのである。歴史の結果としてではなく、むしろ歴史の出発点として、なぜならば、自然にしたがうものとして個人は、人間性についてのかれらの表象にふさわしく、歴史的にできあがったものではなく、むしろ自然によってうみだされたものだと思われていたから、こうした錯覚は、これまでいつでも新しい時代にはつきものであった。多くの点で一八世紀に対立し、かつ貴族としてより多く歴史的土台をふまえていたステュアートは、こうした単純な考えからぬけでていた。

 われわれが歴史を遠くさかのぼればさかのぼるほど、個人は――したがって生産する個人もまた、ますます非自立的な、ひとつのいっそう大きい全体に属するものとしてあらわれる。つまり、はじめにはまったく自然なあり方で家族に、および種族にまで拡大された家族に属するものとして、のちには、諸種族の対立と融合とから生じるさまざまな形態の共同体に属するものとしてあらわれる。一八世紀になり、「ブルジョア社会」においてはじめて、社会的な連関のさまざまな形態は、個人の私的な目的のための単なる手段として、外的必然として、個々人に対立するようになる。けれどもこういう立場、すなわち個別化された個々人の立場をうみだす時代こそ、まさにそれまでのうちでもっとも発達した社会的な(こういう立場からみて一般的な)諸関係の時代である。人間は文字どおりの意味で、ζωον πολιτικον〔社会的動物〕である。単に群居的な動物であるばかりでなく、社会のなかでだけ自分を個別化できる動物である。社会の外部での個別化された個々人の生産ということは、――まれには、すでにもろもろの社会力を自分のうちに働くものとしてもっている文明人が偶然に荒野にさまよいこんだばあいにおこることがありうるとしても、――ともに生活しともに語る個人がなくてみられる言語の発達というのにひとしいひとつのパラドックスである。これ以上この問題にとどまるにはおよぶまい。一八世紀のひとびとには意味をもち理解もされていたこのあさはかな考えが、パスティア、ケアリ、プルードンなどによって大まじめにふたたび最近の経済学のただなかにひきいれられさえしなかったなら、まったくこの点にはふれる必要がなかったであろう。なかでもプルードンにとっては、かれがその歴史的ななりたちを知らないある経済的関係の起源を、アダムなりプロメテウスなりは理念にぴったりと合致しており、その後その理念が採用されたのである云々というような神話をつくることによって、歴史哲学的に説明することは、もちろん愉快なことである。この空想的な locus communis《きまり文句》ほど退屈で面白味のないものはない。

 こういうように生産というばあいには、いつでもある一定の社会的な発展段階での生産――社会的な個人の生産――をさすのである。だから、いやしくも生産について語るためには、われわれは、歴史的発展過程をそのさまざまな局面で追求しなくてはならないか、さもなければ、われわれがとりあつかうのは、ある一定の歴史的時代、したがってたとえば、事実上われわれの本来のテーマである近代ブルジョア的な生産であるということを、まえもって明らかにしておくか、そのどちらかしかないように思われるかもしれない。だがしかし、すべての時代の生産は、一定の特徴を共通にもっており、共通の規定をもっている。生産一般とはひとつの抽象であるが、しかしそれは、共通のものを現実に浮きださせ、固定させ、それによってわれわれのくりかえす労をはぶくかぎりでは、ひとつの合理的な抽象である。けれどもこの一般的なもの、すなわち比較によってえらびだされた共通なものは、それ自身、多様にくみたてられたものであり、さまざまな規定にわかれるものである。そのうちのいくつかのものはすべての時代に属し、ほかのものはいくつかの時代に共通である。《ある》規定は、もっとも新しい時代ともっとも古い時代とに共通であろう。そういう規定がなくては、どんな生産も考えられないであろう。しかし、もっとも発達した言語がもっとも発達しない言語と、法則と規定とを共通にもつとしても、その発達をなすものこそ、まさにその一般的なものおよび共通なものからの区別なのであって、生産一般にあてはまる規定が区別されなければならないのは、まさに、――主体である人間と客体である自然とはどこでも同じだということからすでに生じる――同一性に気をとられて、本質的な差別が忘れられないためである。この差別を忘れるところに、たとえば現存の社会的諸関係の永遠性と調和とを証明する近ごろの経済学者たちのあらゆる知慧があるのである。たとえば、生産用具がたとえ手だけにすぎないとしても、この用具がなければどんな生産もできない。過去の蓄積された労働が、たとえくりかえしなされた練習により野蛮人の手に蓄積され集中された熟練にすぎないとしても、この種の労働がなければどんな生産もできない。資本は、なによりもまず、生産用具でもあり、過去の客体化された労働でもある。だから資本は、ひとつの一般的、永久的な自然関係である。だがそれは、もしもわたくしが、「生産用具」や「蓄積された労働」をはじめて資本とする特殊なものをとりさってしまったばあいに、そうだということである。だから生産諸関係の全歴史は、たとえばケアリにあっては、もろもろの政府によって悪意をもっておこなわれた改悪としてあらわれるのである。もしも生産一般がないとすれば、一般的生産もない。生産は、つねにひとつの特定の生産部門――たとえば、農業、牧畜、製造業等々、またはその全体である。だが、経済学は技術学ではない。あるあたえられた社会的段階における生産の一般的規定が特定の生産形態にたいしてもつ関係は、ほかの箇所で(のちに)展開されるはずである。最後に、生産はまた、単に特定の生産であるばかりではない。大なり小なりひとつの総体をなす生産諸部門のうちで活動しているのは、いつでも、あるひとつの社会体、ひとつの社会的主体だけである。科学的叙述が現実の運動にたいしてもつ関係は、同様にまだここでは論ずべきことではない。生産一般、特定の生産諸部門。生産の総体。

ための damit が草稿では um となっている。 ――編集者。

 経済学では総論をまえにおくことが流行している、そして「生産論」という標題でえがかれているのがまさにそれであり(たとえばJ・S・ミルをみよ)、そこではすべての生産の一般的諸条件がとりあつかわれている。こういう総論は、つぎのものからなりたっているか、またはなりたつべきだとされている。

 (一) それなしには生産が不可能であるような諸条件。つまり、事実上すべての生産の本質的な要因にほかならない。けれどもこれらのものは事実上、のちにのべるように、結局は平板な同義反復になってしまうような、非常に簡単な二、三の規定に還元される。

 (二) 多かれ少かれ生産を促進する諸条件、たとえばアダム・スミスのいう進歩しつつある社会状態と停滞している社会状態のようなもの。かれにあっては Aperçu《大まかなみとおし》としてその価値をもっていたこのものを、科学的意義をもつところまで高めようとするならば、個々の国民の発展途上における生産性の程度のちがう諸時期についての研究が必要であろう。――こういう研究は、われわれのテーマの本来の範囲外にあるものだが、しかしそれがこのテーマにはいるかぎりでは、競争、蓄積などの発展にさいして言及されるべきものである。一般的ないい方をすると、この答は、産業国民は、総じてその歴史的絶頂をしめる瞬間に、その生産の絶頂をむかえる、という一般的なものに帰してしまう。in fact《実際そうだ》。一国民が産業上の絶頂にあるのは、そのおもな問題がまだ、利得したものにあるのではなくて、利得することにあるあいだだけである。そのかぎりでは、ヤンキーはイギリス人にまさっている。だが〔右の答は〕あるいはまた、たとえばある種の人種、素質、気候および、海岸の状態や土地の豊度などのような自然事情は、ほかの種類のそれらのものよりも生産にとって役にたつ、という一般的なものにも帰する。だがこれもまた、富は、その要素が主体的にも客体的にもより高い程度で現存していればいるほど、より容易に創造される、という同義反復になってしまう。

 だがこれは、経済学者たちがこの総論で実際にとりあつかっているすべてではない。かれらにおいては、生産はむしろ、――たとえばミルをみよ――分配等と区別して歴史から独立した永遠の自然法則のわくにはめこまれたものとして叙述されるべきものなのであり、しかもその機会に、まったくこっそりと、ブルジョア的諸関係が、社会 in abstracto《一般》の反駁できない自然法則としておしつけられるのである。これが全体のやり方の多かれ少かれ意識された目的である。分配ではこの反対に、人間は、事実上、ありとあらゆる勝手なやり方をしてきたというのである。生産と分配、そして両者の現実の関係をあらあらしくひきさくという点をまったくべつにしても、つぎのことだけは、はじめからはっきりと理解しておかなければならない、すなわち、さまざまな社会的段階における分配がどんなに種々さまざまであろうとも、生産と同じように分配でも、一般的人間的法則に解消するなりすることが可能なはずであるということ、これである。たとえば奴隷、農奴、賃労働者はすべて、かれらが奴隷として、農奴として、賃労働者として生存することを可能にする分量の食料をえている。貢納によって生活する征服者、租税によって生活する役人、地代によって生活する土地所有者、お布施(ふせ)によって生活する修道僧、または十分の一税によって生活する司祭はすべて、奴隷などの法則とはちがうそれぞれの法則によって規定される社会的な生産のある量をえている。すべての経済学者がこの項目のもとにおいているふたつのおもな点は、(一)所有、(二)司法、警察等々によるその保護、である。これらについてはこく簡単に答えられる。

 (一)のために。すべての生産は、ある一定の社会形態の内部で、またそれを媒介として、個人のがわからなされる自然の占有である。この意味では、所有(占有)が生産の一条件であるというのは、同義反復である。けれどもこのことから、所有の一定の形態、たとえば私有に飛躍するのはこっけいなことである。(なおそのうえ、私有は、それと対立する形態である非所有をも同じようにその条件としている。)歴史のしめすところによれば、むしろ、(たとえばインド人、スラヴ人、古代ケルト人等々におけるような)共有が、所有の本源的形態であって、この形態は、共同体所有という姿で、なおながいあいだひとつの重要な役割を演じるのである。なにも占有しないような占有は、contradictio in subjecto《自己矛盾》である。

 (二)のために。獲得物の保護等々。この平凡な言葉は、その実際の内容に還元すると、それを説ききかせるものが知っている以上のことを語るであろう。つまりどのような生産の形態も、それに特有な法的諸関係、支配諸形態等々をうみだすということを。この粗雑さと理解の不明確さとは、まさに、有機的に一体となっているものを、手あたりしだいたがいに関連させ、単なる思考的関係にもっていくという点に根ざしている。ブルジョア経済学者たちが思いうかべていることはただ、近代的な警察をもってすれば、たとえば拳(こぶし)の権利〔自力防衛〕のばあいよりも、もっとうまく生産させることができる、ということだけである。かれらはただ、拳の権利もまた権利であるということ、この強者の権利(レヒト)が、べつの形態でかれらの「法治国(レヒト・シュタート)」にも生きつづけているということを、忘れているだけである。

 生産のある一定の段階に応ずる社会状態がはじめてなりたってくるとき、またはそれがすでにほろびつつあるときには、もちろんその程度と状態とはさまざまではあるが、しぜんに生産の混乱が生じる。

 要約するとこうなる。すべての生産段階には、共通の諸規定があり、それらは、思考によって一般的なものとして固定される。しかもいわゆるすべての生産の一般的諸条件とは、こうした抽象的な要因にほかならないのであって、それによっては現実の歴史的な生産段階のどれひとつをも理解することはできない、と。


二 分配、交換、消費にたいする生産の一般的関係

−p.295, l.6−

 生産のもっともすすんだ分析にはいっていくまえに、経済学者たちが生産とならべてあげているさまざまな項目に注意をはらう必要がある。

 簡単明瞭な表象はこうである。生産では、社会の成員が自然生産物を人間の欲望に適合させる(つくりだす、形づくる)。分配は、個々人がこれらの生産物のわけまえにあずかる関係を規定する。交換は、個々人が分配によってかれのものとなったわけまえととりかえたいと思っている特定の生産物をかれにもたらす。最後に消費では、生産物が享楽の、個人的占有の対象となる。生産は、もろもろの欲望に適応した対象をつくりだす。分配は、それらを社会的法則にしたがってわける。交換は、すでに分配されたものを個々の欲望にしたがってわけなおす、最後に消費では、生産物はこの社会的運動のそとにでて、直接に個々の欲望の対象となり奉仕者となり、享楽という形でそれを満足させる。こうして生産は出発点、消費は帰着点として、分配と交換とは中間項としてあらわれるが、この中間項そのものは、分配が社会から出発する要因として、交換が個人から出発する要因として規定されているので、さらに二重になっている。生産では、人が客体化され、消費では、物が客体化される。分配では、社会が、一般的支配的な諸規定の形態で、生産と消費とのあいだの媒介をひきうける。交換では、生産と消費とが、個人の偶然的な規定性によって媒介される。

〔原文では、「人」("Person")となっているが、カウツキー版およびマルクス・レーニン主義叢書版によって訂正。〕

 分配は、もろもろの生産物が個人のものとなる関係(量)を規定する、交換は、個人が分配によってかれにわりあてられるわけまえをどんな生産(物)で要求するかを規定する。

 こうして《経済学者たちの学説によれば》、生産、分配、交換、消費は、ひとつの整然とした推論をなしている。生産は一般性、分配と交換は特殊性であり、消費は個別性であって、そこで全体が結合している。もちろん、これはひとつの連関ではあるが、しかし表面的な連関である。生産は、一般的な自然法則によって規定されている。分配は、社会的な偶然によって規定されており、したがってそれは、生産にたいして多かれ少かれ促進的な作用をおよぼすことができる、交換は、形式上社会的な運動として両者の中間にあり、また終結行為である消費、単に最終目標としてだけではなく、最終目的としても把握されている消費は、それがふたたび出発点に反作用をおよぼして全過程を新たに開始させるばあいだけをべつにすれば、ほんらい経済学のそとにある。

 経済学者にたいして、かれらは、渾然と一体になっているものを乱暴にもひきさいたといって非難する反対論者は、経済学者なかまの反対論者であろうとそうでない反対論者であろうと、この経済学者と同じ地盤のうえに立っているか、さもなければかれら以下にあるものである。経済学者たちは、生産をあまりにもそれだけ切りはなして、自己目的として考えすぎるという非難ほど、ありふれた非難はない。分配もまた同じように重要だというのである。この非難の根底には、まさに、分配は生産とならんで独立の他に依存しない領域をしめるものだという、経済学的な考え方がある。あるいはまた、諸要因がそれらの統一において把握されていない《という非難がある》。まるでこのひきさきが、現実から教科書に侵入したものではなくて、むしろ反対に、教科書から現実に侵入したものでもあるかのように! そしてここで問題になることは、諸概念の弁証法的調整であって、現実の諸関係の分析ではないかのように!

 (a)生産は直接にまた消費でもある。主体的かつ客体的な二重の消費である、すなわち、生産することでその能力を発展させる個人は、また生産の行為でこの能力を支出し消耗するが、それは、自然的生殖が生命力の消費であるのとまったく同じことである。第二に、〔生産は、〕生産手段の消費であり、生産手段は使用され消耗されて、一部分は、(たとえば燃料のばあいのように)一般的な諸元素にふたたび分解される。同じように、〔生産は、〕原料の消費でもあり、原料はその自然の姿と性状とのままではいないで、むしろなくなってしまう。だから生産の行為そのものは、すべての要因でまた消費の行為でもある。しかしこのことは、経済学者たちもみとめている。消費と直接に同一のものとしての生産を、生産と直接に一致するものとしての消費を、かれらは生産的消費とよんでいる。生産と消費とのこの同一性は、スピノザの Determinatio est negatio《規定は否定である》という命題と結局同じことである。

 だが生産的消費というこの規定は、まさに生産と同一の消費を、むしろ生産の否定的な対立物として把握される本来の消費から分離するためにだけ、うち立てられたものである。そこでわれわれは、つぎに、本来の消費を考察しよう。

 消費は直接にまた生産でもあるが、それは、自然界において諸元素や化学的諸成分の消費が植物の生産であるのと同じである。たとえば消費の一形態である食物の摂取によって、人間が自分自身の肉体を生産することはあきらかである。しかもこのことは、なんらかのやり方で、人間を、なんらかの面から生産するものであれば、どんな種類のほかの消費についてもいえることである。消費的生産。しかしながら消費とこの生産は、第一の生産物の破壊から生ずる第二の生産である、と経済学はいう。第一の生産では、生産者が自分を物と化し、第二の生産では、かれによってつくられた物が人間となる。だからこの消費的生産は、――たとえそれが生産と消費との直接の統一であるとはいえ――本来の生産とは本質的にちがうものである。生産が消費と、消費が生産と一致する直接の統一は、それらのものの直接の二元性を存続させる。

 だから生産は直接に消費であり、消費は直接に生産である。おのおのは、直接にその対立物である。だがそれと同時に、両者のあいだにはひとつの媒介する運動がおこなわれる。生産は消費を媒介し、消費の材料は生産が創造する。生産がなければ、消費にはその対象がなくなる。けれども消費もまた生産を媒介する。つまりそれは、生産物にはじめて主体をつくりだすが、その主体にとってこそ、生産物は生産物なのである。生産物は、消費においてはじめて最後の finish《仕上げ》をうける。汽車のはしらない、したがって摩滅もせず、消費もされない鉄道は、ただ δυναμει 《可能的に》鉄道であるにすぎず、現実的には鉄道ではない。生産がなければ消費もない。しかしまた消費がなければ生産もない、というのは、そうなれば、生産には目的がないことになるであろうから。消費は生産を二重に生産する。つまり、(一)消費においてはじめて生産物は現実的な生産物になるのだから。たとえば衣服は、着るという行為によってはじめて実際に衣服になる、人の住まない家は、in fact《事実上》なんら実際の家ではない、だから生産物は、消費においてはじめて、単なる自然対象とちがう生産物として証明され、生産物となる。消費は、生産物を分解することによって、はじめて生産〔物〕に finishing stroke《最後の仕上げ》をくわえる。なぜなら生産物は、単に物となった活動として生産〔物〕なのではなく、ただ活動する主体にとっての対象としてのみ生産物なのであるから。《消費が生産を生産するのは、》(二)消費からこれをおしすすめる根拠を創造するからである。消費は、生産の衝動を創造する。またそれは、生産において目的を規定するものとして作用する対象をも創造する。生産が消費の対象を外側から提供することがあきらかであるとすれば、このことから、消費が生産の対象を創造する。欲望がなくては生産はない。しかも消費は、欲望を再生産するのである。

 生産のがわからこれに対応するのはつぎのことである。生産は、(一)生産は、材料、対象を供給する。対象のない消費は、消費ではない。こうしてこの面からみれば、生産は、消費を創造し、生産する。(二)しかし生産が消費のために創造するものは、ただその対象だけではない。生産はまた、消費に、その規定性、その性格、その finish《仕上げ》をもあたえる。消費が、生産物に生産物としての仕上げをあたえたのと同じように、生産は、消費にその仕上げをあたえる。〔消費の〕対象は、けっして対象一般ではなくて、ある一定の対象であり、しかもそれは、ある一定の、生産そのものによってふたたび媒介されるような仕方で、消費されなくてはならない。空腹は空腹であるが、料理された肉をフォークやナイフでたべてみたされる空腹は、手や爪や牙を使って生肉をむさぼりくらうような空腹とは、別のものである。だから消費の対象ばかりではなく、消費の仕方もまた、生産によって、客体的にはむろんのこと主体的にも、生産される。生産は、こうして消費者を創造する。(三)生産は、欲望に材料を提供するばかりでなく、材料に欲望をも提供する。消費がその最初の自然未開の状態や直接性から脱すれば、――そして消費がこういう状態にとどまっているのは、そのこと自身やはり生産が自然未開の状態にある結果であろう――消費そのものは、衝動として、対象によって媒介され、それが対象について感ずる欲望は、対象を知覚することによって創造される。芸術的対象は、――ほかのどんな生産物でも同じだが――芸術的センスと審美的能力とをもった公衆をつくりだす。だから生産は、主体にたいして対象を生産するだけでなく、対象にたいして主体を生産する。こうして生産は、(一)消費の材料を創造することによって、(二)消費の仕方を規定することによって、(三)まず生産によって、消費を生産する。したがって生産は、消費の対象、消費の仕方、消費の衝動を生産する。同じように、消費は、〔生産の〕目的を規定する欲望として生産者にうったえることによって、生産の計画を生産するのである。

生産は、はあきらかにけずらなければならない。 ――編集者。

 こうして、消費と生産との同一性は三重にあらわれる。

 (一)直接の同一性。生産は消費であり、消費は生産である。消費的生産、生産的消費。経済学者たちは、この両者を生産的消費とよんでいる。しかし、なおひとつの区別をもうけている。第一のものは再生産として、第二のものは生産的消費として、えがきだしている。第一のものについてのすべての研究は、生産的労働または不生産的労働についての研究であり、第二のものについてのすべての研究は、生産的消費または非生産的消費についてのそれである。

 (二)それぞれ一方が、他方の手段としてあらわれ、他方によって媒介されるということ。これは両者の相互依存性として表現される。つまり、ひとつの運動であり、この運動をとおして、両者はたがいに関連させられ、たがいに欠くことのできないものとしてあらわれるが、しかもなお、たがいに外部にあるがままの状態をつづけるのである。生産は、消費のために、外的な対象として素材を創造する。消費は、生産のために、内的な対象として、目的として欲望をつくりだす。生産がなければ消費はなく、消費がなければ生産はない。このことは、経済学のなかでは多くの形でえがかれている。

 〔三〕生産は直接に消費であり、消費は直接に生産であるだけではない、また生産は消費の手段であり、消費は生産の目的であるだけではない、つまり、それぞれ一方が他方にその対象を、生産は消費の外的な対象を、消費は生産の表現された対象を提供するということだけではない、またそれらのおのおのが、直接に他方のものであるだけではなく、他方のものを媒介しているだけでもない。むしろ両者のおのおのが、自分を完成することによって他方のものをつくりだすのであり、自分を他方のものとしてつくりだすのである。消費は、生産物を生産物として完成することによって、生産物を分解し、その独立の物的形態をつかいつぶすことによって、つまり最初の生産行為で展開された才能を、反復しようとする欲望によって熟練の域にまでたかめることによって、はじめて生産行為を完成する。だから消費は、生産物を生産物にするしめくくりの行為であるばかりでなく、生産者を生産者にするしめくくりの行為でもある。他方では、生産は、一定の消費の仕方をつくりだすことによって、つぎには消費の刺戟を、消費力そのものを、欲望として創造することによって、消費を生産する。この最後の(三)で規定された同一性は、経済学ではしばしば、需要と供給との関係、対象と欲望との関係、社会によって創造される欲望と自然的な欲望との関係という形で説明されている。

 これによってみると、ヘーゲル学徒にとっては、生産と消費を同一にすることほど簡単なことはない。そしてこのことは、ただ社会主義的な美文家連中によっておこなわれているばかりではなく、たとえばセーのような散文的な経済学者によってさえ、一国民を考察すればその生産はその消費である、というような形でおこなわれている。あるいはまた、人類 in abstract《一般》についても同じである。シュトルヒは、せーのこのまちがいを指摘して、たとえば、一国民はその生産物を全部消費するのではなくて、固定資本等々の生産手段をも創造する云々、といっている。その上また、社会をひとつの単一の主体として考察することは、社会を、あやまって――思弁的に考察することである。ひとつの主体にあっては、生産と消費とは、ひとつの行為の要因としてあらわれる。ここではただ、もっとも重要な点が強調されているにすぎない。それは、生産と消費とをひとつの主体または個々人の活動として考察するならば、両者は、いずれにしても一つの過程の要因としてあらわれるが、その過程のなかでは、生産が実際の出発点であり、そのためにまた包括的な要因でもあるという点である。必需としての、欲望としての消費は、それ自身生産的活動の内的な一要因である、けれどもこの生産的活動は、実現の出発点であり、実現を包括する要因であり、全過程のくりかえしがおこなわれる行為である。個人は対象を生産し、それを消費することによってふたたび自分に戻る。しかも生産的な個人としての、自分を再生産する個人としての自分にもどるのである。こうして、消費は生産の要因としてあらわれる。

 だが社会では、生産者の生産物にたいする関連は、生産物が完成するとすぐ、外的なものとなるのであって、生産物の主体への復帰は、その主体の他の個々人にたいする連関に左右される。主体は、生産物を直接手にいれるのではない。また主体が社会で生産するばあい、生産物を直接占有することがかれの目的なのでもない。生産者と生産物とのあいだには、分配が介入し、それが、社会的諸法則をとおして、生産物の世界における生産者のわけまえを規定するのであり、そうすることによって、生産と消費とのあいだに介入するのである。

外的なもの、は ein äußerliches となっているが、あきらかに eine äußerliche か Aeußerliches とならなければならない。 ――編集者。

 では分配は、独立の領域として、生産とならんでその外部にあるのだろうか?

 (b)一、普通の経済学をみてまず目につくにちがいないことは、そこではすべてのものが二重におかれているということである。たとえば分配では、地代、労賃、利子および利潤がえがかれているのに、生産では、土地、労働、資本が生産の諸要素としてえがかれている。いま資本についていえば、はじめから明らかなことは、それが二重に、(1)生産要素として、(2)所得源泉として、つまり規定しながら規定された分配形態としておかれているということである。だから利子と利潤とは、それらが資本の増殖し成長するさいにとる形態であり、したがって資本の生産そのものの要因であるかぎりでは、生産でもやはりこうした二重の形態としてえがかれる。分配形態としての利子と利潤は、生産の要素としての資本を前提している。それらは、生産要素としての資本を前提にもつ分配様式である。同じようにそれらはまた、資本の再生産様式でもある。

 それと同様に、労賃は、ほかの項目のもとで考察された賃労働である、すなわち、労働がここで生産要素としてもつ規定性が、〔他方では〕分配規定としてあらわれるのである。たとえば奴隷制度のばあいのように、もしも労働が賃労働として規定されていないならば、労働が生産物のわけまえにあずかる仕方は、労賃としてはあらわれないであろう。最後に地代は、同じように土地所有が生産物のわけまえにあずかるばあいのもっとも発達した分配の形態をとるためには、生産要素としての大土地所有(厳密にいえば大農業)を前提するのであって、単に土地そのものを前提するのではない、それは給料が単に労働そのものを前提するものではないのと同様である。だから分配の諸関係と諸様式とは、ただ生産諸要素の裏面としてあらわれるにすぎない。賃労働の形態で生産に参加する個人は、労賃の形態で生産の結果である生産物のわけまえにあずかる。分配の仕組は、まったく生産のしくみによって規定されている。分配はそれ自身生産の産物である、ただ、対象の点からみて、生産の結果だけが分配されうるからそうであるというばかりでなく、形態の点からみても、生産にたいする一定の参加の仕方が特殊な分配の形態を、つまり分配にあずかるその形態を規定するという意味でそうなのである。生産のほうに土地をおき、分配のほうに地代をおくなどということは、まったく幻想である。

 だから、生産だけしかみなかったといってもっとも多く非難されているリカアドのような経済学者たちが、もっぱら分配を経済学の対象として規定してきたのであって、それは、かれらが本能的に、分配諸形態を、あたえられた社会で生産諸要素が固定するもっとも明確な表現として把握していたからであった。

 個々の個人にたいしては、分配は、いうまでもなく、かれが生産をおこなっているその生産の内部でのかれの地位、したがって生産にさきだって彼がしめる地位を制約するひとつの社会的法則としてあらわれる。個人は、もともとは、なんらの資本も所有地ももってはいない。個人は、うまれながらに、社会的分配をつうじて、賃労働をたよりにしている。しかし、たよりにしていること自身が、資本と土地所有とが独立の生産要素として実在していること《の》結果なのである。

 社会全体を考察してみても、分配は、やはりある面では生産にさきだち生産を規定しているようにみえ、いわば anteökonomisches fact《経済以前の事実》としてみえる。征服民族は、土地を征服者のあいだに分配し、こうして土地所有のある一定の分配と形態とを imponiert《おしつけ》このことによって生産を規定する。あるいはまた征服民族は、征服されたものを奴隷とし、こうして奴隷労働を生産の基礎にする。あるいはまたある国民は、革命によって大土地所有を破壊して分割地とし、こうしてこの新しい分配によって生産にひとつの新しい性格をあたえる。あるいはまた立法が、ある家族の土地所有を永久化したり、または労働を世襲の特権として配分し、こうしてそれを身分位階的に固定させたりすることもある。これらすべてのばあいには、そしてこれらはすべて歴史的におこったことであるが、分配が生産によってではなく、むしろ逆に、生産が分配によって区分され、規定されているようにみえる。

 もっとも浅薄な理解では、分配は、生産物の分配としてあらわれ、生産とははるかにかけはなれたもの、生産にたいして quasi《ほとんど》自立したものとしてあらわれる。けれども分配は、生産物の分配であるまえに、(1)生産用具の分配であり、(2)同じ関係のよりたちいった規定ではあるが、さまざまな種類の生産への社会成員の分配である。(一定の生産関係のもとに個人を包括すること。)生産物の分配は、あきらかに、生産過程そのものの内部にふくまれていて生産の仕組を規定しているこういう分配の結果にすぎない。生産にふくまれているこの分配を無視して生産を考察することは、あきらかに空虚な抽象なのであるが、他面では逆に、生産物の分配は、もともと生産の一要因をなしているこの分配とともにおのずからあたえられているのである。近代的生産とその一定の社会的仕組において把握することを問題とした、そして par exellence《すぐれて》生産の経済学者であるリカアドは、まさにそのために、生産ではなく分配こそが、近代的経済学の本来のテーマであると言明しているのである。ここにもまた、生産を永遠の真理として展開する反面、歴史を分配の領域に封じこめる経済学者の愚劣さがともなうのである。

 生産そのものを規定するこの分配が生産にたいしてどんな関係をもっているかは、明らかに生産そのものの内部に属する問題である。もしこのばあい、生産は生産要素のある一定の分配から出発しなければならないから、少なくともこの意味での分配は、生産にさきだち、その前提をなしているのであるというひとがあるとすれば、これにたいしては、生産は事実上その諸条件と諸前提をもっており、これらが生産の要因をなしているのであると答えることができよう。これらのものは、一番はじめには自然発生的なものとしてあらわれるかもしれない。しかしそれらは、生産の過程そのものによって、自然発生的なものから歴史的なものに転化されるのである。そしてある時代にとっては生産の自然的な前提としてあらわれるとしても、ほかの時代にとっては生産の歴史的結果であった。それらは生産そのものの内部でたえず変化させられる。たとえば機械の使用は、生産用具と生産物との分配を変化させた。近代的大土地所有そのものは、近代的商業と近代的工業との結果であるとともに、近代的工業を農業に応用した結果である。

 以上提出した諸問題はすべて、結局、一般的な歴史的諸関係はどのように生産のなかにはたらきかけるかということ、および歴史の運動一般にたいする生産の関係はどうであるかということに帰する。この問題はあきらかに、生産そのものの解明と展開とに属するものである。

 だがこれらの問題は右に提出したような平凡な形でならば、やはり簡単にかたづけることができる。すべての征服には三つのばあいがありうる。征服民族が、征服された民族を征服民族自身の生産様式にしたがわせるか(たとえばこの世紀ではアイルランドでのイギリス人、部分的にはインドでのイギリス人)、または旧来の生産様式をそのまま存続させて貢納で満足するか(たとえばトルコ人およびローマ人)、または交互作用がおこり、それによってひとつの新しいものひとつの綜合ができあがるか(部分的にはゲルマン人の諸征服でみられる)である。それらすべてのばあい、生産様式は、それが征服民族のものであれ、征服された民族のものであれ、また両者の融合から生じたものであれ、そこにはじまる新しい分配にとっては決定的である。この分配は、新しい生産時代にとっては前提としてあらわれるとはいえ、こうしてそれ自身がまた、生産の、単に歴史的生産一般ではなくてある一定の歴史的生産の産物なのである。

 たとえば、ロシアで劫掠(ごうりゃく)をはたらいた蒙古人は、かれらの生産である牧畜に適応した行動をとったのであるが。この牧畜にとっては、広大な無人の境が主要条件であった。農奴をつかう農耕が伝来の生産であり、田園の孤立した生活が伝来の生活であったゲルマンの野蛮人は、ローマ諸州でみられた土地所有の集積が古い農業関係をすでにまったくくつがえしていたために、それだけたやすくこれらの諸州をそういう条件にしたがわせることができたのである。

 ある時代には掠奪だけで生活がおこなわれていたというのが伝統的な考えである。けれども掠奪ができるためにはなにか掠奪されるものが、つまり生産がそこになければならない。しかも掠奪の仕方は、それ自身さらに生産の仕方によって規定されている。たとえば stockjobbing nation《株式投機をする国民》が、牛飼いの国民と《同じ》ように掠奪されることはありえない。

 奴隷のばあいには、生産用具が直接に略奪されるのである。しかしこのばあい、奴隷を掠奪する国の生産が奴隷労働を可能にするように仕組まれているか、または(南アメリカなどでのように)奴隷に適応する生産様式がつくりだされなくてはならない。

ようにの um は草稿では als となっていた。 ――編集者。〔マルクス・レーニン主義叢書版では本文が直接 um になっていて、この註がない。〕


 法律は、ある生産用具、たとえば土地を、ある家族に永久に持たせることができる。こういう法律は、たとえばイギリスでのように、大土地所有が社会的生産と調和しているばあいにだけ経済的な意味をうる。フランスでは、大土地所有があったにもかかわらず、小規模農業がおこなわれており、そのためにまた大土地所有は革命によってうちくだかれた。それでは、たとえば法律によって土地分割を永久化することはどうか? この法律があっても、所有はふたたび集積する。法律が分配諸関係の維持におよぼす影響、またそれをとおして生産におよぼす作用は、別に規定されなければならない。

 (c) 一、最後に交換と流通

 流通そのものは、ただ交換のある一定の要因にすぎないか、あるいはまた、総体として考察された交換にすぎない。

 交換が、生産と、生産によって規定された分配ならびに消費とのあいだを媒介する要因にすぎないかぎりでは、しかも消費そのものが生産のひとつの要因としてあらわれるかぎりでは、交換もまた、あきらかに、生産のうちに要因としてふくまれる。

 第一に、生産そのもののなかでおこなわれる諸活動と諸能力の交換が、直接、生産に属し、本質的に生産を構成するものであるということはあきらかである。第二に、生産物の交換についても、その交換が直接の消費にあてられる予定の完成生産物の生産のための手段であるかぎり、同じことがいえる。そのかぎりでは、交換それ自身が生産にふくまれている行為である。第三に、いわゆる dealers と dealers《商売人相互間》の Exchange《交換》は、その組織からみて、まったく生産によって規定されているばかりでなく、それ自身もまた生産的な活動である。生産物が直接に消費のために交換される最後の段階においてだけ、交換は、生産とならんで独立し、生産と無関係にあらわれる。だが、(1)自然発生的なものであろうと、それ自身すでに歴史的な結果であろうと、分業がなければ交換はない、(2)私的交換は私的生産を前提する、(3)交換の密度は、そのひろがりやその仕方と同様に、生産の発展と仕組とによって規定される。たとえば都市と農村のあいだの交換、農村での交換、都市での交換等々。こうして交換は、そのすべての要因において、生産のうちに直接にふくまれてあらわれるか、または生産によって規定されてあらわれるのである。

 われわれが到達した結果は、生産、分配、交換、消費が同一だということではなくて、それらが一個の総体の全肢節(ぜんしせつ)を、ひとつの統一の内部での区別を、なしているということである。生産は、生産の対立的規定における自分を包摂しているのと同様に、ほかの諸要因をも包摂している。過程はつねに新しく生産からはじまる。交換と消費とが包摂者になることができないことは、おのずからあきらかである。生産物の分配としての分配についても同じことがいえる。しかし生産諸要素の分配としては、分配は、それ自身生産のひとつの要因である。だからある一定の生産は、一定の消費、分配、交換を、これらのさまざまな諸要因同志の一定の関係を規定する。もちろん生産もまた、その一面的形態においては、それとして、ほかの要因によって規定される。たとえば市場が拡張すると、つまり交換の範囲がひろがると、生産はその規模を増大し、またいっそう深く分化する。分配の変化とともに、生産は変化する、たとえば資本の集積、都市と農村への人口のさまざまな分配、等々につれて。最後に消費の欲望は生産を規定する。さまざまな要因のあいだに交互作用がおこる。こうしたことは、どんな有機的な全体についてもおこることなのである。


三 生産、消費、分配、交換(流通)

−p.311, l.11−

 あるあたえられた国を経済学的に考察するときには、われわれは、その国の人口、その人口の諸階級への、都市、農村、海洋への、さまざまな生産部門への配分、輸出と輸入、年々の生産と消費、商品価格等々からはじめる。

 現実的で具体的なものから、現実的前提からはじめること、したがってたとえば経済学では、社会的生産行為全体の基礎であり、主体である人口からはじめることは、正しいことのようにみえる。しかしこれは、もっとたちいって考察すると、まちがい《であること》がわかる。人口は、たとえばそれをなりたたせている諸階級をのぞいてしまえば、ひとつの抽象である。これらの階級もまた、その基礎となっている諸要素、たとえば賃労働、資本等々を知らなければ、やはり内容のないひとつの言葉である。賃労働、資本等々は、交換、分業、価格等々を前提する。たとえば資本は、賃労働がなければ、価値、貨幣、価格等々がなければ、なにものでもない。そこで、もしわたくしが人口からはじめるとすれば、それは全体の混沌とした表象なのであり、いっそうたちいって規定することによって、わたくしは分析的にだんだんとより単純な概念にたっするであろう、つまりわたくしは、表象された具体的なものからますます希薄な abstracta《一般的なもの》にすすんでいき、ついには、もっとも単純な諸規定に到達してしまうであろう。そこから、こんどは、ふたたび後方への旅がはじめられるはずで、ついにわたくしは、ふたたび人口に到達するであろう。しかしそれは、こんどは、全体の混沌とした表象としての人口ではなくて、多くの規定と関連とをもつ豊富な総体としての人口である。第一の道は、経済学がその成立の過程で歴史的にとった道である。たとえば一七世紀の経済学者たちは、いつも生きた全体、つまり人口、国民、国家、いくつかの国家等々からはじめた、しかしかれらは、いつも、分析によって二、三の規定的な抽象的一般的諸関連、たとえば分業、貨幣、価値等々をみつけだすことにおわった。これらの個々の要因が多かれ少なかれ固定され抽象されるとすぐに、労働、分業、欲望、交換価値のような単純なものから、国家、諸国民間の交換。世界市場にまでのぼっていく経済学の諸体系がはじまった。このあとの方法は、あきらかに科学的に正しい方法である。具体的なものが具体的であるのは、それが多くの規定の総括だからであり、したがって多様なものの統一だからである。だから思考においては、具体的なものは、総括の過程として、結果としてあらわれ、出発点としてはあらわれない。たとえそれが、実際の出発点であり、したがってまた直観と表象の出発点であるにしても、第一の道では、完全な表象が発散されて抽象的な規定となり、第二の道では、抽象的な諸規定が思考の道をへて具体的なものの再生産に導かれる。そこでヘーゲルは、実在的なものを、自分を自分のうちに総括し、自分を自分のうちに深化し、かつ自分自身から動きだす思考の結果であるとする幻想におちいったのであるが、しかし抽象的なものから具体的なものへ上向(じょうこう)する方法は、ただ、具体的なものを自分のものにするための、それを精神のうえで具体的なものとして再生産するための、思考にとっての仕方にすぎない。だがそれは、けっして、具体的なもの自身の成立過程ではない。たとえば、もっとも単純な経済学的カテゴリー、一例をあげれば交換価値は、人口を、一定の関係のもとで生産している人口を想定し、またある種の家族や共同体や国家等々を想定する。交換価値は、すでにあたえられている具体的な生きた全体の抽象的で一面的な関連としてのほかには、どうしても実在のしようがない。これに反して、カテゴリーとしては、交換価値はノアの洪水以前からある。だから意識にとっては、――しかも哲学的意識は、概念する思考が実際の人間であり、したがって概念された世界そのものこそがはじめて実際の世界である、というように規定されている、――諸カテゴリーの運動が実際の生産行為――残念ながらそれは刺戟だけは外部からうける――としてあらわれ、その結果が世界なのである、そしてこのことは、――これもまた同義反復ではあるが――具体的な総体が、思考された総体として、ひとつの思考された具体物として、in fact《事実上》思考の、概念作用の産物であるかぎりでは正しい、しかしそれは、けっして直観と表象とのそとで、あるいはまたそれらをこえて思考して自分自身をうみだす概念の産物ではなくて、直観と表象とを概念へ加工することの産物なのである。あたまのなかに思考された全体としてあらわれる全体は、思考するあたまの産物である、そしてこのあたまは自分だけにできる仕方で世界をわがものにするが、その仕方は、この世界を芸術的に、宗教的に、実践的・精神的にわがものにする仕方とはちがうもうひとつの仕方である。現実の主体は、いままでどおりあたまのそとがわに、その自立性をたもちつつ存在しつづける、つまり、あたまがただ思弁的にだけ、ただ理論的にだけふるまうかぎり、そうなるのである。だから理論的方法においてもまた、主体が、社会が、いつも前提として表象に浮かべられていなければならない。

 だが、これらの単純カテゴリーはまた、いっそう具体的な諸カテゴリーにさきだって、独立の歴史的または自然的実在をもつのではなかろうか? Ça dépend《それは、こととしだいによる》。たとえばヘーゲルは、法哲学を、主体のもっとも単純な法的関連としての占有からはじめているが、これは正しい。けれどもどんな占有も、それよりはるかに具体的な関係である家族や支配隷属関係以前には、実在するものではない。これに反して、まだ占有するだけであって所有権をもたない家族や種族全体が実在する、というのならば、それは正しいであろう。こうして、この比較的単純なカテゴリーは、単純な家族共同体または種族共同体の財産に対応する関係としてあらわれる。それは、もっと高度な社会では、いっそう発展した有機体の比較的単純な関係としてあらわれる。しかし、その関連が占有という形であらわれるもっと具体的な基盤が、いつも前提されているのである。個々の野蛮人が物を占有すると考えることもできる。だがこのばあいその占有は、けっして法的関係ではない。占有が歴史的に家族に発展したとするのは、まちがいである。占有は、むしろつねに、この「より具体的な法的カテゴリー」を想定しているのである。それにしても、つぎのことだけは依然として変らない。すなわち、単純なカテゴリーは、未発展な具体物が、まだいっそう多面的な関連または《いっそう多面的な》関係――それは精神的にはより具体的なカテゴリーのうちに表現されている――をうみだしていないときに、自分を実現したかもしれないその諸関係の表現であるということ、他方また、より発展した具体物は、そうした単純な諸カテゴリーを、ひとつの従属的な関係としてもちつづけているということ、これである。貨幣は、資本が実在する以前、銀行が実在する以前、賃労働などが実在する以前に実在しうるし、また歴史的にも実在した。そこでこの方面からはつぎのようにいうことができる、すなわち、比較的単純なカテゴリーは、比較的未発達なひとつの全体の支配的諸関係または比較的発展したひとつの全体の従属的諸関係、――そうした諸関係は、その全体が、比較的具体的なカテゴリーで表現されているような方向へ発展するまえから歴史的にはすでに実在していたのであるが、――を表現することができるということ、これである。そのかぎりでは、もっとも単純なものから複雑なものへと上向していく抽象的な思考の歩みは、実際の歴史的過程に照応しているといえるだろう。他方では、つぎのようにいうことができる。すなわち、たとえば、ペルーのように、なんの貨幣も実在しないのに、たとえば協業や発展した分業等々のような経済の最高の諸形態が見られる、きわめて発展した、しかし歴史的には未成熟な社会諸形態がある、と。またスラヴの共同体でも、貨幣および貨幣の前提をなす交換は、個々の共同体の内部では、まったく、またはほとんどあらわれず、その境界で、他の共同体との交易のさいにあらわれたのであるが、これでわかるように、交換を本源的な構成要素として共同体のなかにおくことは、一般にあやまりである。交換は、むしろ最初には、ひとつの同じ共同体のなかの成員にたいする関連というよりも、異なった共同体相互の関連のうちに登場する。さらに、貨幣は、きわめて早くからしかも全面的にひとつの役割を演ずるものであるとはいえ、やはり古代においては、それが支配的要素として存在したということは、ただ一面的に規定された国民、つまり商業国民について指摘できるだけである。そしてもっとも開化した古代、つまりギリシャ人やローマ人のもとでさえ、近代ブルジョア社会で前提されているような貨幣の完全な発達は、ただその崩壊の時代にあらわれたにすぎない。こうしてこのまったく単純なカテゴリーは、歴史的には、社会のもっとも発展した状態にならなければ、集約的な形ではあらわれないのである。〔それは、〕けっして、すべての経済的諸関係のすみずみにまでいきわたっていたのではない。たとえばローマ帝国では、その最大の発展をとげたときにすら、現物税と現物給付とが依然として基礎となっていた。そこでは貨幣制度は、本来ただ軍隊のなかで完全に発展していたにすぎない。それはまた、けっして労働の全体をとらえてはいなかった。こうして、たとえ比較的単純なカテゴリーが比較的具体的なカテゴリーにさきだって歴史上実在していたとしても、それは、内包的にも外延的にも完全に発展した形では、なんといってもただ複雑な社会形態にしか属しえないものである。ところが、比較的具体的なカテゴリーのほうは、あまり発展していない社会形態でも単純なカテゴリーよりはずっと完全に発展していたのである。

 労働はひとつのまったく単純なカテゴリーのようにみえる。この一般性での――労働一般としての――その表象もまた、きわめて古いものである。それにもかかわらず、経済学上この単純性で把握された「労働」は、この単純な抽象をつくりだす諸関係と同じようにひとつの近代的なカテゴリーである。たとえば重金主義は、富をまだまったく客体的に、自分のそとにあって貨幣の姿をした物としておいた。製造業主義または商業主義は、富の源泉を対象から主体的な活動――商業労働と製造業労働《――》にうつしたが、それは、重金主義の立場にたいする一大進歩であった、しかしそれでもなおこの活動そのものは、かねをもうけるという限定された意味で把握されていたにすぎなかった。この主義にたいしてフィジオクラートは、労働のある一定の形態――農業――を、富を創造する労働としておき、そして客体そのものを、もはや貨幣の仮装でではなく、生産物一般として、労働の一般的結果として把握した。この生産物は、〔富をつくる〕活動がまだ限定されているのに対応して、やはりまだ自然に規定された生産物――農業生産物、par excellence《とりわけ》土地生産物――として把握されていた。

 富をうむ活動のどんな規定性をもすてさったのはアダム・スミスの巨大な進歩であった。――製造業労働でも商業労働でも農業労働でもないが、しかしそのどれでもあるような労働そのもの。富を創造する活動の抽象的一般性とともに、こんどはまた、富として規定される対象の一般性、生産物一般、もしくは、やはり労働一般ではあるがしかし過去の対象化された労働としての労働一般〔というカテゴリーが生じてきた〕。この移行がどれほどむずかしく大きいものであったかは、アダム・スミス自身がまだときどきフィジオクラートの考えに逆もどりしていることからも明らかである。ところでこうした移行だけでは、人間が――どんな社会形態においてであろうと――生産するものとして登場するもっとも単純でもっとも古い関連にとっての抽象的な表現がみつけだされたにすぎないように思われるかもしれない。これは一面からみれば正しい。ほかの面からみれば正しくない。労働の一定の種類にたいする無関心は、現実の各種の労働のうちのどれひとつとしてもはやすべてを支配する労働ではないというような、非常に発展した労働の総体を前提している。こうしてもっとも一般的な抽象がすべてのものに共通に成立するのは、がいしてただ、ひとつのものが多くのものに共通にあらわれるもっとも豊富な具体的発展においてだけである。そうなると、ただ特定の形態でしか考えられないということはなくなる。他方では、労働一般というこの抽象は、単に各種の労働の具体的な総体を精神で考えた結果であるばかりではない。一定の労働に無関心であることは、個人がたやすくひとつの労働からほかの労働にうつっていき、しかも一定種類の労働が、個人にとって偶然であり、したがって無関心であるようなひとつの社会形態に照応するものである。労働はここでは、ただカテゴリーにおいてだけではなく実際においても、手段としては富一般を創造するものとなっており、規定としてはある特定の個人と結びついたものではなくなっている。こういう状態は、ブルジョア社会のもっとも近代的な定在形態――アメリカ合衆国――でもっとも発展している。だからここでは、「労働」「労働一般」sans phrase《単なる》労働というカテゴリーの抽象が、近代の経済学の出発点が、はじめて実際にもまちがいではないということになる。こうしてもっとも単純な抽象は、近代の経済学がその一番はじめにかかげており、しかも、すべての社会形態にあてはまるきわめて古い関連を表現しているのではあるが、やはりこうした抽象としては、ただもっとも近代的なカテゴリーとしてだけしか、実際にも正しいものとしてはあらわれないのである。合衆国で歴史の産物としてあらわれるもの――一定の労働にたいする無関心――は、たとえばロシア人にあっては自然発生的な素質としてあらわれる、というひとがあるかもしれない。しかしながら、野蛮人がすべての労働にむく素質をもっているかどうかということと、文明人が自分ですべての労働をするかどうかということのあいだには、なんといっても大変な相違がある。しかもこのばあい、ロシア人についていえば、労働の規定性にたいするこの無関心に実際上照応するものは、かれらがまったく一定の労働に伝統的にしっかりとまたがっており、ただそとからの影響によってしかそこから投げだされることはないという事実である。

 労働のこの例が適切にしめしていることは、もっとも抽象的な諸カテゴリーでさえ――まさにその抽象性のために――すべての時代にたいしてあてはまるにもかかわらず、なおこういう抽象という規定性の点で、ただ歴史的な諸関係にたいしてだけであり、かつその内部においてだけだということである。

 ブルジョア社会は、もっとも発展した、しかももっとも多様な、生産の歴史的組織である。だからこの社会の諸関係を表現する諸カテゴリーは、この社会の仕組の理解は、同時にまた、すでに没落してしまったいっさいの社会形態の仕組と生産諸関係とを洞察することを可能にする、そして、こうした過去の社会形態の破片と諸要素とをもってブルジョア社会はきずかれているのであり、それらのうち、部分的にはなお克服されない遺物がこの社会でも余命をたもっているし、ただの前兆にすぎなかったものが完全な意義をもつものにまで発展している等々である。要するに、人間の解剖は猿の解剖にたいするひとつの鍵である。これに反して、低級な種類の動物にある、より高級な動物への暗示が理解されうるのは、この高級なものそのものがすでに知られているばあいだけである。こうしてブルジョア経済は、古代やそのほかの経済への鍵を提供する。だがそれはけっして、すべての歴史的な区別をなくしてしまい、すべての社会形態のなかにブルジョア的形態をみる経済学者たちのやり方によってそうなのではない。地代を知れば、貢納、一〇分の一税などを理解することができる。けれどもそれらを同一視してはならない。さらにブルジョア社会そのものは発展のひとつの対立的な形態にすぎないから、それ以前の諸形態の諸関係は、この社会では、ただまったく縮小された形でみいだされるにすぎないか、またはまるでおかしなものにかえられていることがしばしばある。たとえば共同体所有がそうである。だからブルジョア経済学の諸カテゴリーは、ほかのすべての社会形態にたいしてひとつの真実性をもつということがほんとうであるとしても、それはただ cum grano salis《気のきいた洒落(しゃれ)た意味で》理解されなければならない。これらのカテゴリーは、ほかのすべての社会形態を、発展させたり縮小したり戯画化したりなどして、内にふくむことはできるが、つねに本質的な差異をもっているのである。いわゆる歴史的発展は、一般に、最後の形態が過去の諸形態を自分自身にいたる段階だとみなすということにもとずいている。しかもこの最後の形態は、まれな、かつまったくかぎられた条件のもとでしか自分自身を批判することができないから――もちろんここではそれ自身でも崩壊期だと思われるような歴史的時代のことをいっているのではないが――、いつでも過去の諸形態を一面的に把握するのである。キリスト教は、その自己批判がある程度まで、いわば δυναμετ 《可能的に》できあがったときにはじめて、それ以前の神話の客観的理解を助けることができるようになった。こうしてブルジョア経済学も、ブルジョア社会の自己批判がはじまったときにはじめて、封建的、古代的、東洋的諸社会を理解するようになったのである。ブルジョア経済学が自分を過去のものと純粋に同一だというふうに神話化しないかぎりで、この経済学の、それ以前の《社会》、ことにそれがなお直接にたたかわなければならなかった封建社会にたいする批判は、キリスト教が異教にたいして、または新教が旧教にたいしておこなった批判に似ていたのである。

 一般にどの歴史的、社会的科学にもみられるように、経済学的諸カテゴリーの歩みについてもまた、つねにつぎのことが銘記されなければならない、すなわち、現実でと同じにあたまのなかでも、主体が、ここでは近代ブルジョア社会が、あたえられているということ、だからこれらのカテゴリーは、この一定の社会の、この主体の、定在諸形態を、定在諸規定を、しばしば単にその個々の側面にすぎないものを、表現しているということ、だからこれらのカテゴリーは科学のうえでもまた、それがそれ自体として問題となるところでまずはじまるものだとは、けっしていえないということ、これである。このことが銘記されされなければならないのは、それがただちに篇別について決定的な手がかりをあたえるからである。たとえば、地代から、土地所有からはじめることほど自然なことはないように思われる。なぜならば、それは、すべての生産とすべての定在との源泉である土地にむすびついており、また多少とも確立したすべての社会での最初の生産形態――農業――に結びついているからである。だが、これほどまちがったことはあるまい。すべての社会形態には、ある一定の生産があって、それがあらゆるほかの生産に、したがってまたその諸関係が、あらゆるほかの諸関係に順位をしめし、影響をあたえている。この生産はひとつの普遍的な照明であって、ほかのすべての色彩はこのなかにとけこんでおり、またこれによってそれぞれの特殊な色彩が変化をうける。それはひとつの特殊なエーテルであって、そのなかにあらわれるあらゆる定在の比重をさだめる。遊牧民族を例にとろう。(単なる狩猟民族や漁撈(ぎょろう)民族は、実際の発展のはじまる点のそとにある。)かれらにあっては、農耕の一形態である散在農耕形態があらわれる。土地所有はこれによって規定される。それは共同的土地所有であって、この形態は、たとえばスラヴ人の共同体所有のように、これらの民族がなおその伝統にどの程度まで固執しているかに応じて、多かれ少かれ維持されている。古代社会や封建社会でのように定住農耕が優勢であるような定住農耕諸民族にあっては――この定住がすでに大きな段階なのであるが――、工業とその組織、ならびに工業に照応する所有の諸形態までが、多かれ少かれ土地所有的な性格をおびており、古代ローマ人のばあいのようにまったく農耕に依存しているか、または中世にみられるように、都市とその諸関係においても農村の組織をまねている。中世においては、資本そのものが――それが純粋の貨幣資本でないかぎり――、伝統的な手工業用具等々としてこうした土地所有的性格をおびていた。ブルジョア社会ではそれが逆である。農業がますますただの一産業部門となり、まったく資本に支配されている。地代も同じである。土地所有が支配しているすべての形態では、自然的関連がまだ優勢である。資本が支配している諸形態では、社会的、歴史的に創造された要素が優勢である。地代は資本をぬきにしては理解できない。しかし、資本は地代をぬきにしてもじゅうぶん理解できる。資本はブルジョア社会のいっさいを支配する経済力である。それは、出発点をなし、かつ終点をなさなければならず、しかも土地所有よりまえに展開されなければならない。両者が別々に考察されたのち、その交互関連が考察されなくてはならない。

 だから経済学的諸カテゴリーを、歴史上それらが規定的なものであった順序にならばせることは、実行もできないしまたまちがいであろう。むしろそれらのカテゴリーの序列は、それらが近代ブルジョア社会のなかでおたがいにたいしてもつ関連によって規定されるのであるが、この関係たるや、それらのカテゴリーの自然的な関連としてあらわれるものの、または歴史的発展の順序に照応するものの、まさに逆である。ここで問題なのは、経済的諸関係がさまざまな社会形態の契機のうちに歴史的にしめる関係ではない。ましてや(歴史的運動のぼんやりした表象である)「理念における」(プルードン)その序列でもない。問題なのは、近代ブルジョア社会のなかにおける経済的諸関係の組立なのである。

 商業民族――フェニキア人、カルタゴ人――は、古代世界では純粋な形であらわれているが、その純粋さ(抽象的な規定性)は、まさに農業民族が優勢であったことそのことによってあたえられている。商業資本や貨幣資本としての資本は、資本がまだ社会の支配的な要素でないところでは、まさにこの抽象性であらわれる。ロンバルト人、ユダヤ人は、農業をいとなむ中世の諸社会にたいして同じ地位をしめている。同じカテゴリーがさまざまな社会諸段階でしめるさまざまな地位のなお別の例としては、ブルジョア社会の最後の形態のひとつである joint-stock-companies《株式会社》がある。だがこれもやはり、ブルジョア社会の初期には、独占権をあたえられた大特権商事会社の形であらわれている。

 国富という概念自体が一七世紀の経済学者のあたまにしのびこんだのは――この考えは部分的にはなお一八世紀の経済学者にもつづいてみられるのであるが――富はただ国家のためにだけ創造され、しかも国家の力はこの富に比例する、という形においてであった。これはまだ無意識のうちにごまかした形態であり、そこでは、富そのものと富の生産とが近代国家の目的だとされ、しかも近代国家は、まだ、富の生産のための手段にすぎないものとみなされていたのである。

 篇別は明らかにつぎのようになされなければならない。(一)一般的抽象的な諸規定、したがって多かれ少かれすべての社会形態に、ただし右に説明した意味で見られる諸規定。(二)ブルジョア社会の内部の仕組をなし、かつ基本的諸階級の基礎となっている諸カテゴリー。資本。賃労働。土地所有。それら相互の関連。都市と農村。三大社会階級。これらのあいだの交換。流通。(私的)信用制度。(三)ブルジョア社会の国家形態での総括。それ自身との関連で考察すること。「不生産的」諸階級。租税。国債。公信用。人口。植民地。移住。(四)生産の国際的関係。国際的分業。国際的交換。輸出入。為替相場。(五)世界市場と恐慌。


四 生産。生産手段と生産関係。生産関係と交易関係。
  生産関係および交易関係に対応する国家形態および
  意識形態。法的関係。家族関係。

−p.325, l.2−

 ここで述べなくてはならない、またわすれてはならない点についての Notabene《注意》。

 (一) 平和よりもずっと早くから発達していた戦争。戦争によって、また軍隊等々のなかでは、賃労働、機械等々のようなある経済的諸関係が、ブルジョア社会の内部でよりももっとはやくから発展しているが、どんなふうに発展したのかその仕方。生産力と交易諸関係との関係もまた、軍隊のなかではとくにはっきりしている。

 (二) 従来の観念的な歴史記述の現実的な歴史記述にたいする関係ことにいわゆる文化史、古い宗教史と国家史。ついでにまた、従来の歴史記述のさまざまな仕方についてもいくらか述べることができる。いわゆる客観的なもの。主観的なもの。(道徳的なもの等々)。哲学的なもの。

 (三) 第二次的なものと第三次的なもの。一般的に派生的な外来的な、本源的でない生産諸関係。ここにおける国際的諸関係の影響。

 (四) こういう見解の唯物論にたいする非難自然主義的唯物論にたいする関係

 (五) 生産力生産手段および生産関係という概念の弁証法。その限界が規定されなければならず、また現実の区別を止揚しないひとつの弁証法

 (六) 物質的生産の発展のたとえば芸術的生産の発展にたいする不均等な関係。一般に、進歩という概念は普通の抽象で理解されてはならない。芸術等々のばあいには、この不均衡はまた、実際的社会的な諸関係そのものの内部での不均衡ほど、理解することが重要でも困難でもない。たとえば、United States《合衆国》のヨーロッパにたいする教育関係。けれどもここで論究されなければならない真に困難な点は、どのようにして生産諸関係は、法的諸関係として不均衡な発展をたどるのか、ということである。こうしてたとえば、ローマ私法(刑法と公法とにはこういうばあいが少ない)の近代的生産にたいする関係。

 (七) この見解は必然的発展としてあらわれる。しかし偶然をみとめること。雑多なもの。(自由とかそのほか)。交通通信手段の影響。世界史はかならずしも実在したわけではなく、世界史としての歴史は結果。

 (八) 出発点は当然に自然規定性をもつもの。主観的と客観的。種族。人種、等々。一、芸術にあってはよく知られているように、その一定の最盛期は社会の一般的発展に、したがってまた、いわば社会の組織のほねぐみである物質的基礎の一般的発展に比例するものではけっしてない。たとえば、近代人と比較したギリシャ人、あるいはまた、シェイクスピア。芸術のある形式、たとえば叙事詩についてはつぎのことさえみとめられる、すなわち叙事詩は、芸術生産がそのものとして登場するようになると、もはや世界史に時代を画するような古典的な姿では生産されることができなくなるということ、したがって芸術そのものの領域の内部では、そのある重要な形態は、芸術発展の未発展の段階でだけ可能だということこれである。もしこのようなことが芸術そのものの領域内部の各種の芸術の関係についてみられるとすれば、芸術の領域全体が社会の一般的発展にたいしてもつ関係についても同じことがみられるということは、もはやそれほど奇異なことではない。困難はただ、これらの矛盾を一般的に把握することにある。これらの矛盾が特殊化されるならば、そのときにはすでに、それは説明されているのである。

 たとえばギリシャ芸術の現代にたいする関係、さらにシェイクスピアの現代にたいする関係をとってみよう。よく知られているように、ギリシャ神話は、ギリシャ芸術の武器庫であったばかりでなくその土壌でもあった。ギリシャ人の空想の、したがってギリシャ《芸術》の根底をなしていた、自然にたいする考え方や社会的関係にたいする考え方は、Selfaktors《自動紡績機》や鉄道や機関車や電信とともにありうべきものであろうか。ヴァルカン〔鍛冶の神〕はロバーツ商会にたいして、ジュピターは避雷針にたいして、ヘルメス〔商業の神〕はクレディ・モビリエ〔動産銀行〕にたいして、どこに生き残るであろうか。すべての神話は、想像のなかで、また想像によって自然力を克服したり、支配したり形成したりする。だからそれらの神話は、自然力にたいする現実の支配とともに消えうせる。ファーマ〔風聞の女神〕は、印刷所街とならんでどうなるであろうか。ギリシャ芸術は、ギリシャ神話を、いいかえれば自然と社会的形態そのものが、すでに、民族の空想によって無意識のうちに芸術的な仕方で加工されていることを前提している。これがその材料である。神話でさえあれば、どんなものでもよいわけではない、つまり自然(ここではこの言葉のなかにすべての対象的なもの、したがってまた社会もふくまれている)を無意識のうちに芸術的に加工したものでさえあれば、どんなものでもよいわけではない。エジプトの神話は、けっして、ギリシャ芸術の土壌や母体になることはできなかった。だが、どちらにしてもおなじ神話である。こうして、自然にたいするいっさいの神話的関係や自然にたいしていっさいを神話化する関係を排除するような、したがって芸術家に神話から独立した空想を要求するような社会発展は、まったくみられないのである。

 これをまたほかの面からいえばこうである。すなわち、アキレスは火薬と弾丸とともにありうるであろうか? あるいはまた、一般にイリアードは、印刷道具や印刷機械とともにありうるであろうか。歌謡や伝説やミューズの神は、印刷機の締(し)め木の出現とともに必然的になくなり、したがって叙事詩の必須な条件は消滅するのではなかろうか。

草稿では、なくなりの aufhören が aushören となっていた。 ――編集者。

 けれども困難は、ギリシャの芸術や叙事詩がある社会的な発展形態とむすびついていることを理解する点にあるのではない。困難は、それらのものがわれわれにたいしてなお芸術的なたのしみをあたえ、しかもある点では、規範としての、到達できない模範としての意義をもっているということを理解する点にある。

 おとなはふたたび子供になることはできず、もしできるとすれば子供じみるくらいがおちである。しかし子供の無邪気さはかれを喜ばさないであろうか。そして自分の真実さをもう一度つくっていくために、もっと高い段階でみずからもう一度努力してはならないであろうか。子供のような性質のいいひとにはどんな年代においても、かれの本来の性格がその自然のままの真実さでよみがえらないだろうか? 人類がもっとも美しく花をひらいた歴史的な幼年期が、二度とかえらないひとつの段階として、なぜ永遠の魅力を発揮してはならないのだろうか? しつけの悪い子供もいれば、ませた子供もいる。古代民族の多くはこのカテゴリーにはいるのである。ギリシャ人は正常な子供であった。かれらの芸術がわれわれにたいしてもつ魅力は、その芸術が生い育った未発展な社会段階と矛盾するものではない。魅力は、むしろ、こういう社会段階の結果なのである。それは、むしろ、芸術がそのもとで成立し、そのもとでだけ成立することのできた未熟な社会的諸条件が、ふたたびかえることは絶対にありえないということと、かたくむすびついていて、きりはなせないのである。




 
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