「玲哉、あなたはどうして智美を選んだの?」 冷蔵庫を開けながら私は聞いた。 「・・それは、智美があなたの娘だから・・」 玲哉が答える。 「ほんとにそれだけなのかしら。」 振り向いた私を玲哉の視線が捕らえた。その顔には涙の跡が見える。 「智美は私の娘だけど、私とはまったく違う。 私たちがあの夜、互いに分かり合えたと思ったのは、私たちが似てるせいよね。あなたも私も心に暗い穴を 持っている。 でも智美はそうじゃない。若いけどとても母性に溢れた女性だわ。こんな不安定な私が夫に死なれて、 心を壊しもせずにこうしてそれなりに暮らせているのは智美のおかげなの。」 玲哉は何か言いそうにしたが、結局黙った。 「あなたの寂しさの原因が私には分かる気がするのよね。 あなたはどんな綺麗な女性と恋愛しても、孤独感が増すばかりだって、あの時言ったけど、今もまだ寂しいの?」 「・・・・どうだろう。 僕はただあなたの側にいられると思って、とても嬉しかったから。」 「私は、そうじゃないと思うのよ。あなたは智美といることでだんだん自分を解放できるようになってきたのじゃ ないかしら。 智美の側にいると落ちつくわ。すごく楽でいられる。あの子、そういうところがあるのね。 あの子は相手の心の側にすっと立つの。そして自分の意思に関わらず、とりあえずそれを全部肯定してくれる。 だから、小さい時からどんなことでも話してきたわ。夫がいなくなって寂しいこと、実家の母親と考え方が違うこと・・ 仕事場でのいざこざもね。 子供なのに、大変だったと思う、今にして思えば。でも私が迷ったり落ち込んでる、って思えば、 とにかく一生懸命話を聞いてくれたの。それでどんなに私は救われたか・・ 私たちの関係は、智美が生まれた時から、彼女が母親で私が子供なの。そしてやっぱり今もそうだわ。」 「・・・そうかも知れません。智美は他の人とは違っていたから・・」 しばらく玲哉は遠い目をして考え込んでいた。そして、ゆっくりと話し始めた。 「僕は、ほんとに自分を持て余してる感じだったんです。本読んでも音楽聴いても、なんでか苦しくなってしまう。 いろんなことが未整理のまま積み重なって、気持ちの容量を越えてしまっていたような・・ その中に優梨子さんとのこともあったけど、そのことはやっぱり恋愛というよりもこの苦しさをわかってくれる人、 ということだったと思います。この気持ちだけは、なかなか人には説明しがたいし、わかってもらえそうにも なかったから。 優梨子さんにもう一度会いたくて、それで智美を見つけて、でもその時はこんな関係になるつもりはなかった。 僕は自分から女の子を誘うなんてこと全然得意じゃなくて、智美の時も、優梨子さんのことがなかったら、とても 声なんてかけられなかっただろうけど・・」 私は智美が「悲壮だった」という玲哉を想像して、小さく笑った。 「最初は智美の方が警戒してた。軽いオトコとか、タイプじゃないみたいだもんね。 でも僕の緊張振りが気に入ったとかで・・・」 玲哉に笑顔が戻ってきた。その声が明るくなっている。 「ほんと、考えたら智美って変わってるかも。今までそんな風に性格とか会話の内容とかで僕を好きになってくれた 人っていなかった。いつも外側ばっかり見て話しかけてきて、そして僕が話したいことはまったく聞いてくれなくて。 最初は智美と会っても大抵僕が一方的に話してばかりいたんだと思う。それが、まるで水が流れて行くみたいに 全然戸惑いも違和感もないまま、幾らでも言葉が出てきて、智美と逢った後は、胸に詰まっていた固いものが どんどん溶かされて行ったみたいに楽になっていた。 僕が一人で考え込んで、でも結論が出なくて行き詰ってることも、智美に話すだけでだんだん自分の本当の 気持ちが見えてきたことが何度もあった。 智美は自分からはあんまり話さなかったけど、僕の気持ちを上手にリードしてくれていたんだね。ほんとに 僕のことを分かってくれてたんだ。」 今度はしっかりと私を見た。初めて智美の存在に気がついたように。 「玲哉、今までのあなたは母親に捨てられたって思っていたかもしれない。大人には大人の事情があるのだけど、 自分に非があるからお母さんが出て行った、とそんな風に思い込んで、必要以上に自分を責めてきたのかも。 私も自分の両親となかなかうまく行かなかったから、あなたのそんなところ、普通の人よりは分かるつもりよ。」 「たぶんそうだと思います。ずっと自分が悪い子だから母さんがいなくなってしまった。いい子になったら 戻ってくる、って頑張っても頑張っても母さんは戻ってこなくて、ばあちゃんは『あんたの母さんは、もう あんたはいらないんだよ、早く忘れろ』って。」 玲哉は下を向き、また涙声になってしまった。 「そのことがあなたのせいじゃないって、今なら分かる?」 「・・・分かるから分からないか、分からないよ。」 「だから智美がいいのよ。」 私はこんどこど本当に笑顔で言った。 「あの子なら、きっとそれをあなたに分からせることができる。安心して、二人で暮らしなさい。」 私は立ったままの玲哉をしばらく見つめていた。 ほんとにこの子はまだまだ子供なんだと思う。一人前に仕事をして、妻を持とうという今になってさえ、母親の 背中を追いかけた小さかった頃の自分から抜け出せていない。私と同じように。 私たちは二人ともそんな子供の目をした大人だ、だから互いに惹かれあう。 「・・でも、僕が智美を連れて行ってしまったら、優梨子さん、一人きりになってしまうよ。また寂しくなってしまう。」 ほんとに困りきった子供の目をして玲哉が言った。 「あら、私は大丈夫よ。智美に20年も育てられて充分大人になりました。 これからはあなたが智美に育ててもらいなさい。私は親の手を離れて、自由に飛び回ることにするから。」 そして、有り合わせの材料で作った献立を玲哉の席になったテーブルの正面に置くと、言葉好少なにそれを 食べ始めた玲哉をやっぱり綺麗な子だとまた見てしまう。 いっそ玲哉を肴に、と晩酌の用意までしてしまった私ってヤツは、ほんとになんという・・・ 「ちょっと母さん!玲哉来てるの?!」
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