幕末の風雲は少しずつ、しかし確実にこの小さな島国を覆い、二人の兄弟をも巻き込もうとしていた。
安政五年(1858)、早春。
十郎太と鉄之進は父の源吾(げんご)に呼ばれた。この年、十郎太は十六歳、鉄之進は十四歳になっていた。
十郎太と鉄之進の兄弟の実家は、倉石(くらいし)家といい、父である倉石源吾は御家人だった。
とはいえ、倉石家は四十石二人扶持の貧乏御家人であり、さらに元を正せば武士ではなく、町人だった。
父・源吾から数えて三代前の嘉蔵(かぞう)の時、御家人の株を買って武士になったのである。江戸も中期以降になると、武士の生活が 大分困窮してきて、こういう売買は珍しくなかった。
倉石家もご多分に漏れず、当時一種の流行だったこの流れに乗って武士に「成り上がった」家だった。
父・源吾は江戸南町奉行所に勤める同心で、母・恵(けい)は下級御家人の娘だった。しかし、一家4人で四十石では到底暮らしていく のが困難で、家計は常に火の車だった。
それでも源吾は侍としての誇りだけは失わず、二人の子供に対し、武士の心得と生き方を教えた。
家は八丁堀の長屋であり、他の同心と隣り合わせに暮らしていた。
ともあれ、安政五年の早春のある日、二人は父から折り入って話したいことがあると言われた。
狭い長屋である。
仕事から帰った源吾は子供たちを自分の前に座らせた。囲炉裏端には母・恵の姿もあった。
源吾は四十前後の年の割には、皺が多く随分老けて見える。それは同心としての仕事の苦労の証拠だが、眼光だけは衰えず鋭い光を宿し ている。
「実はな、二人に折り入って頼みたいことがあるのだ」
妙に他人行儀に源吾は切り出した。
「はい」
二人が言葉を待っていると、父の口から意外な一言が発せられた。
「千葉道場に入ってくれんか」
と言うのである。
千葉道場、それは当時の江戸で最も賑わっていた剣術道場のことだ。流派は北辰一刀流で、道場は流祖千葉周作が建てた玄武館と、周作 の弟・定吉(さだきち)が建てた桶町(おけちょう)の道場の二つあった。
ペリーの黒船来航の前後から幕府や諸藩の武士の間ではにわかに剣術が流行し始めた。俗に江戸三大道場と呼ばれる北辰一刀流の玄武館 、神道無念流の練兵館、鏡新明智流の士学館は諸藩の藩士たちが門弟の大半を占めていた。
物騒な世相のため、最近は百姓や町人も入門しているという。
だが、父・源吾は二人にただ入れ、と言いたいのではなかった。
「内弟子(うちでし)になってくれんか」
と言ってきたのだ。
内弟子、つまり住み込みの門弟である。
わずか四十石二人扶持の倉石家は御家人とはいえ、それは名ばかりで、実際は百姓同然の貧しい生活を強いられている。
幼い頃からそのような現状を見てきた二人は、家の台所事情が苦しいことを知っていたから、二人ともすぐに了承した。
「頼む」
と頭を下げ懇願する父の姿を見ていられなかったせいもあった。
当時、武士でも家が貧しかったために子供を道場に内弟子として入れ、そこでの成長を期する例が少なくなかった。
後に有名になる新撰組の沖田総司も内弟子として試衛館に預けられている。
要するに体(てい)のいい養子のようなもので、これだけでも食い扶持を減らすことができるし、うまく成長すれば独立して道場主にな れるチャンスもあった。
十郎太と鉄之進は翌日、早速父から紹介状をもらい神田お玉が池にある北辰一刀流の玄武館道場に向かった。
ところが、どういった手違いかはわからないが、先方では入門するのは一人と聞いているらしかった。しかも間の悪いことに、入門予約 者が後に控え、空きがないという。
「鉄之進、お前が入れ」
十郎太は兄として、弟に道を譲った。
「しかし、それでは兄上は?」
「俺か。俺はいいよ。剣術なんて似合わないしな」
と十郎太は謙遜したが、実際彼は武道よりも学問の方が好きな性質だった。
「しかし兄上……」
困り果てた顔をする鉄之進を見て、取り次いだ千葉道場の高弟は、
「誠にすまなんだ。お詫びと言ってはなんだが、その方は定吉先生の道場へ行くがよい。わしが紹介状を書こう」
と言って懇意に手紙を書いてくれたのだった。
「同じ千葉の道場じゃ。それにこことも交流がある。どうじゃ?」
「わかりました」
こうして、兄・十郎太は紹介状を持って千葉定吉の道場へ向かった。
当時、俗に千葉周作の玄武館を「大千葉」、千葉定吉の道場を「小千葉」と言った。
同じ道を歩むはずの兄と弟が、流派は同じだが異なる道場へ入った。兄は小千葉、弟は大千葉へ。このたった一つの別れ道が皮肉にも 二人のその後の運命を決定づけてしまう。
千葉定吉の道場は京橋桶町にあった。十郎太は紹介状を持って道場に向かった。
堀に沿って塀が並び、やがて冠木門が姿を現す。
門札に「桶町千葉道場」と書いてある。
「御免!」
開かれた門の前で大きな声を出した十郎太に対し、しかし返ってきたのは竹刀を撃つ音と掛け声だけだった。
「御免!」
もう一度、今度は先程よりも大きな声で叫ぶと、しばらくしてから、
「はい」
と言って出てきた人がいる。
驚いたことに、それが道場には似つかわしくないほど可憐な女性だった。
綺麗な花柄の着物を着て、島田髷を結ったすらりとした細身の美人で、年の頃は二十歳前後。小麦色の肌が男っぽくも見えるが、健康的 な江戸美人である。
まだ女も知らない十六歳の純情な少年・十郎太にとっては、思わず見とれてしまうほど彼女は魅力的に映った。
「何か?」
見とれたまま言葉を失っている十郎太に彼女が問いかける。
はっと我に帰った十郎太がようやく用件を口にした。
「あの、こちらは千葉定吉先生の道場と承っておりますが、相違ございませんか?」
「はい」
十郎太は懐に手を入れ、紹介状を取り出すと、
「拙者、倉石十郎太と申す者にございますが、是非当流に入門いたしたく、ここに紹介状を持参いたしました」
と早口で言ってから紹介状を彼女に差し出した。
「拝見いたします」
丁寧に受け取ると、彼女は中身を改め始めた。
やがて文章を全て読み終えてから、
「確かにお預かりいたしました。どうぞこちらへ」
と言ってから十郎太を屋敷の中に招いた。
屋敷は母屋と離れ、そして道場に分かれていて、ごく一般的な武家屋敷だが、一つだけ違うのは広壮な道場を抱えていることだった。
縁側を通り、やがて屋敷の一角に着くと、彼女は足を止めた。
襖の前で足を止めた彼女が、
「お父様。入門希望者をお連れしました」
と言ったので、十郎太はぎょっとして娘に目をやった。
「お父様? するとあなたは……」
十郎太の言いたいことを察した娘が、慇懃に頭を下げた。
「申し遅れました。私、千葉定吉の娘にて佐那子(さなこ)と申します」
その名を聞いて、十郎太は再び面食らった。桶町千葉道場に女だてらに剣術をやり、しかも免許皆伝の腕を持つ剣術小町がいるという噂 を彼も聞いていたからだ。通称「鬼小町」と言われた女武芸者がこの千葉佐那子だった。
それが今、目の前にいる細身の娘だとはにわかには信じられなかった。
襖の向こうにいる人影はしばらく十郎太と佐那子のやり取りを見守っているようだったが、やがて、
「入りなさい」
という柔らかい声を出した。
佐那子が一礼して去り、十郎太は緊張した面持ちで、襖を開いた。
「失礼します」
座敷の上に正座をしている老人がいた。
齢は五十代後半から六十前後と思われ、短い髪に大分白いものが混じっている。が、それに反して背筋はぴんと伸びており、眼光も鋭い 。髭は生やしていないが、口の周りには皺が深く刻み込まれている。
彼こそが北辰一刀流を興した流祖・千葉周作の実弟で、技は兄に勝るとも言われた剣豪、千葉定吉だった。
十郎太は緊張した面持ちのまま、右手を差し出し、紹介状を手渡ししながら、
「倉石十郎太と申します。どうぞよしなに」
と父から教わった型通りの挨拶をした。
一方、定吉老人は紹介状には軽く目を通しただけで、すぐに目を上げ、十郎太を真っ直ぐ見つめた。
「千葉定吉じゃ。ところでそなた、年はいくつじゃ?」
「十六にございます」
はきはきと元気よく答える十郎太を見て、老人は懐かしいものを見るように、微笑み、
「若いな。剣術の経験は?」
と尋ねてきた。
「いえ。父に型だけは教わりましたが、特定の師についたことはありません」
すると定吉は、眩しいものでも見るように十郎太を見て、
「そうか。だが、なかなかいい眼をしておる」
そう言ったので、十郎太としては悪い気分ではなかった。
定吉は何を思ったか、突然立ち上がると、
「倉石君と言ったな。早速だが道場に出てもらう。君の技量を確かめたい」
と言ったから驚いたのは十郎太だ。剣の心得もなく、無論心の準備もできていない彼がいきなり道場に出て試合をするのだから無理も ない。
が、定吉が言うには、本来、この桶町千葉道場では、他流で切紙(きりがみ)以上の位を得た者が入門したら、その者の処遇を決める
ために若先生と呼ばれる重太郎(じゅうたろう)が自ら立ち合うしきたりだという。
が、十郎太はほとんど未経験者だから、若先生の重太郎ではなく、高弟の一人が立ち合うという。
定吉に連れられて道場に上がった十郎太は周囲を見回した。
数十人ほどの門弟がいて、それらが定吉の一言で、あっという間に稽古を中断し、脇に退いた。
「これより新たに入門した倉石君のために試合を行う。龍(りょう)さん」
そう言った定吉は脇に退き、代わりに道場の中央に歩み出てきたのは大柄な男だった。
二人は面をつけて蹲踞し、対峙した。
面鉄(めんがね)に隠れて相手の顔までは確認できないが、十郎太はこの男に見覚えがあるような気がしていた。
が、いざ試合になると予想通りとはいえ、相手にもならなかった。
正眼に構えている十郎太に対し、相手の男は竹刀の先を小刻みに震わせつつ、一気に間合いを詰めて、面を打ってきた。
なす術もなく一本を取られた十郎太だが、続く二本目では、積極的に前に出て、小手狙いに振り下ろした。
が、またしても相手は打ってくる十郎太の出小手をしたたかに打ちつけた。
「小手あり」
早くも二本先取されていた。
(強い)
十郎太にとって、初めて対面する強敵だった。もっとも彼はまだ全然剣の腕のない素人だったが。
三本目もまた生き物のように自在に動く相手の切っ先に惑わされ、十郎太はあっという間に胴を打たれていた。
十郎太の完敗である。
ところが、試合が終わり、相手が面を取って素顔を見せてから、十郎太は驚愕した。
それが見たことのある顔だったからである。
目が細く、色が浅黒い男で、蓬髪が特徴的なこの男を彼は知っていた。
というより、十郎太の記憶の中で、今も色濃く残っている五年前の黒船騒動。その時の不思議な侍だとすぐにわかった。それが彼には あまりにも鮮烈な記憶だったからだ。
だが、逆に相手の方は五年前の一瞬の出逢いの記憶など脳中にはなかった。
それどころか、試合が終わるとこの男は、
「太刀筋が甘いのう。それに、動きにも無駄が多い」
と気さくにも話しかけてきた。
「恐れ入ります」
「いや。おんしはまだ若い。これから頑張れば、まだまだ伸びるぜよ」
とひどい土佐なまりで笑いながら言ってきた。
「わしは坂本龍馬。おまさんの名は?」
「倉石十郎太です。よろしくお願いします」
この「再会」で、十郎太はこの大男が坂本龍馬という名であることを知った。
この当時、すでに龍馬の名は、北辰一刀流の桶町道場の塾頭として江戸中に知れ渡っていた。無論、十郎太も龍馬という名を知っていた だけに、あの時の侍が今や塾頭になっているという現実に驚きを隠せなかった。
倉石十郎太十六歳、坂本龍馬二十四歳。幕末の激動はまだ遠く、二人はまだ浅い眠りの中にいた。
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