SWEET WIND2

4 同じ波長


 翌日の放課後、美術室で絵を描いていると、予想以上に早く昨日の彼女が現れた。

「こんちわーっす」

 男みたいなしゃべり方で、元気よく美術室に入ってきたのは、紛れもなく昨日の彼女だった。

 部員が一斉に彼女の方を見る。

 気づいた俺が立ち上がり、

「早かったな。部活はいいのか?」

 と声をかけると、

「あ、片倉。うん。今日は休んだ」

 と、すでに呼び捨てで友達みたいに答える。

「休んだ? 無理して休まなくてもいいんだぞ。ってそういえば何部だっけ?」

「いいんだよ。こっちの方が面白そうだしね。あ、ちなみに陸上部ね」

「ま、いいや。とりあえず適当にそこに座ってくれ」

「うん」

 彼女は言われるままに、美術室特有の丸くて座りにくい小さな椅子に腰掛けた。

 部員たちが興味深々といった瞳で彼女を遠巻きに見つめ、また俺に対しても、

「おい、片倉。あいつ、1組の奴じゃねえか。よく口説いたな」

 とか、

「いつの間にあんなに仲良くなってたんだ?」

 などと質問を浴びせるが、俺は軽くあしらう。

 俺はスケッチブックのページをめくり、彼女のデッサン専用のページを作り、再びイーゼルに架けた。

「それで、それで。どんなポーズすればいいの? セクシーポーズ?」

 興味本位でふざけて聞いてくる彼女に俺は、

「普通でいいんだよ、普通で。普通にして座ってろよ。ええと、龍……何だっけ?」

 と言いかけて、彼女の苗字を忘れていることに気づいた。

「龍造寺」

「ああ、そうそう。って呼びにくい名前だな、それ」

 そうポロリと本音が口に出た俺に対し、彼女は、

「だったら奈緒でいいよ。友達はみんなそう呼んでるし、その方が私も呼ばれ慣れてるから」

 と言ってきたので、むしろ俺の方がどぎまぎしていた。

「ああ。な、奈緒」

 女の子を下の名前で呼ぶのにはまだ抵抗があったので、ついどもってしまっていた。

 いよいよ彼女をモデルにしたデッサンが始まった。

 俺はまず奈緒の全身をくまなく眺め、その大まかな形を描いていく。

 見ていると、彼女はかなりの長身だとわかる。恐らく170cm以上はあるだろう。それに瞳が少し青みがかっていることにも気づいた 。

「奈緒。身長どのくらいあるんだ?」

 手を休ませずに聞いてみる。

「175センチだよ」

「175って、俺とほとんど変わんねえじゃん。道理でな」

 俺の身長が178cm。わずか3cmしか変わらないのだ。さすがに驚いた。すると、

「私、ドイツ人の血入ってるからね。その影響かも」

 などと驚くべき一言を奈緒がさらっと言ってきた。

「ドイツ人? お前、ハーフか?」

「ブブー。残念。惜しいけどハズレ。ハーフじゃなくてクォーターだよ」

「クォーター? ってアメフトのか?」

 俺が真顔でそう言うと、彼女は、

「それはクォーターバック。しかもそれじゃ意味わかんないって。そうじゃなくて私のおばあちゃんがドイツ人なの。んで、外交官だった 日本人のおじいちゃんと結婚したの。だから私の身体の血の4分の1はドイツ人の血なの。4分の1を英語で言うとクォーターでしょ?」

 と俺のボケを笑いながら返してくれた。

 その後もデッサンは続いた。

 俺は真剣な表情で彼女を見つめ、鉛筆を動かしていく。が、当の彼女は、

「ちょっと片倉。あんまり見つめないでよね。何だか恥ずかしいじゃん」

 と言って顔を背けてしまう有様だ。

「コラ。モデルが勝手に動くな。我慢しろ」

 結局、俺がたしなめるしかなかった。

 しばらくはそうして大人しくしていた彼女だったが、どうにもじっとしていられない性格らしく、すぐに口を開き始めた。

「ねえねえ、片倉ってさ、何組?」

「2年4組」

「ふーん。いつから絵描き始めたの?」

「ガキの頃」

「それじゃわかんないって」

「……」

 俺は絵を描くことに集中したい。が、彼女はマイペースに語り出す。

「志望校とかもう決まった?」

「いや……」

「私もさー、なかなか決められなくてねー。ま、陸上やってるから推薦入学でもできればいいんだけどねー」

「……」

「片倉は行きたい大学とかやりたいこととかないの?」

「……」

「ねえ? 聞いてる?」

「……」

「ねえ!」

 さすがに我慢の限界を越え、頭に来た俺は、次の瞬間、軽くキレていた。

「だーっ。もううるさい! 絵に集中できねえだろうが。ったく少しは大人しくしてろ」

 普通ならこれで大人しくするのだが彼女は違った。

「何よ! あんたがモデルになってくれって言うから付き合ってやったんでしょ。もう帰るよ」

 返って怒り出してしまった。

「ああ。わかったわかった。俺が悪かったよ」

 諦めて俺の方が謝っていた。というよりも、ここで帰ってほしくはなかった。

(ったく逆ギレするなよ。子供っぽいな)

 と心の中では思っていたが。

 その後、次第に陽も暮れていった。やがて部員たちが俺を残して先に切り上げ、帰宅してしまった。

 暗くなり、電気のついた美術室には、俺と奈緒だけが残された。

 午後7時。チャイムが鳴った。これは生徒が学校にいられる時間が残り30分を示す最後通牒みたいなチャイムだ。

 うちの学校では生徒が校内にいられるのは、基本的に平日は午後7時半までと決まっており、正門も閉まってしまう。

 俺はようやく今日のデッサンを切り上げ、後片付けに入る。

「ふぅー。終わったか、じっとしてるのも結構疲れるね」

 俺が終わりを告げると、奈緒は立ち上がって大きく伸びをした。

「お疲れさん。悪かったな、こんな遅くまで付き合わせちまって」

「ううん。私も楽しかったから」

 後片付けを済まし、俺と奈緒は美術室を出た。

 他愛のない会話を交わしながら昇降口に向かい、靴を履き替え、昇降口を出る。

「送ってやるよ。一応お前も女だしな」

 そう言うと、彼女は、

「一応って何よ。失礼ね」

 とさすがに怒る。

 2人揃って正門を出る。その後、駅へと向かう彼女と一緒に歩いて行く。

 その間、俺たちは他愛のない会話に花を咲かせた。学校のこと、クラスのこと、部活のこと。

 そう、それはまさに普通の高校生が普通に友達とする会話だった。

 だが、それが彼女だと違和感がなく、全く普通にできたのだ。

 昨日初めて知り合ったばかりとは思えないほど俺たちの会話は弾んだ。

 まるでずっと昔から知り合いだったような、そんな不思議な感覚すら感じていた。

 きっとこういう間柄を「波長が合う」とでも言うのだろう。

 奈緒と一緒にいると、男同士の友人で会話をしている時と変わらないくらい自然でいられる。そんな感じがした。

 やがて東武東上線の成増駅に到着する。

 俺は彼女を自動販売機の前に連れて行き、120円を渡すと、

「ほら、好きなの買っていいぞ」

 と言った。

「えっ。いいよいいよ。何だか悪いから」

 軽く首を振って答える彼女。

「遠慮するな。今日のおわびだ」

「……うん。サンキュー」

 彼女が自動販売機のボタンを押す。

 改札の前で俺たちは向かい合った。

「じゃあな、奈緒。気をつけて帰れよ」

「うん。それじゃね、片倉」

 軽く手を振り、彼女は改札を抜けた。

 雑踏の中に消えて行く彼女を見送り、俺もまた帰途へ着いた。

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