一方、絵堂を占領した諸隊は一月八日に本陣を大田の金麗社に移した。
一月十日。萩政府軍は撰鋒隊を主力として約八百名の兵で大木津に進撃してきた。
ここを守備していた奇兵隊は約七十名しかおらず、銃撃戦の末、持ちこたえられずに地雷を仕掛けて退却した。ところがこの地雷が不発
に終わる。
金麗社の本陣にいた狂介は予想以上に多勢の敵が迫っていることを知ると、奇兵隊の銃隊約四十名を自ら率いて側面の山に回り込み、
敵の左翼に向けて銃撃を開始。まもなく八幡隊と南園隊も駆けつけて銃撃に参加し、右翼を突いた。
挟撃された敵はたまらずに退却し、諸隊が勝利した。
さらに十四日、萩政府軍は再び大がかりな攻撃を仕掛けてきた。
萩政府軍は千三百人の軍勢で呑水(のみず)峠の北、長登(ながのぼり)に迫った。長登を守備していた膺懲隊は百名足らず。
火縄銃を所持している萩政府軍に対し、膺懲隊は性能のいいゲベール銃を所持していたが、十倍以上の敵にはかなわず、呑水峠まで
退いた。
呑水峠では八幡隊・南園隊と合流し、何とか防戦の構えを取ったが、諸隊側は完全に押されていた。
軍略の何たるかを知る晋作は、すぐにここが戦いの潮時だと判断した。
すぐさま遊撃隊三百名を率いて下関を進発し、呑水峠に向かった。
その日の夕刻、晋作が呑水峠に着くと、辺り一面は雪景色で、しかも雨混じりの強風が吹いていた。
「みんな、俺が来たからにはもう安心しろ。それに鴻城軍も後から援軍に来る。この戦、必ず勝つぞ!」
馬に乗って、自ら兵たちを鼓舞する晋作。
「高杉総督だ!」
「おお、高杉さんだ!」
「これで安心だ!」
晋作の姿を見ると、疲れきっていた兵士たちは奮い立った。
晋作はとうに奇兵隊の総督ではなくなっていたが、奇兵隊の創設者として、また初代総督として彼を慕う兵士は多い。
そのため、未だに晋作はあちこちで「高杉総督」と呼ばれることが多いのだ。
兵たちは疲れきっていた。萩政府軍は火縄銃が主力の旧式装備の軍とはいえ、千人以上の大軍で、また農民や町人を中心とする諸隊に
負けてなるものか、という武士としての意地もあり、戦意は旺盛だった。
その上、この日は朝から雨混じりの吹雪で戦いずらいこともあり、諸隊の士気は低下していた。
しかし、晋作が来て前線に立ち、直接指揮を取っただけで、士気は向上した。
晋作はすぐに地形を見た。戦いの基本はその戦場の地形をよく知ることだ。
呑水峠の中央では萩政府軍の精鋭、撰鋒隊と諸隊が銃撃戦を展開していた。
中央の道の左右は小高い山になっている。晋作はここに目をつけた。
「遊撃隊の三十人は俺に続け。奇兵隊は間道を抜けて敵の側面を突け。行くぞ!」
すばやく命じると、自らもゲベール銃を持ち遊撃隊の三十余名を率いてひそかに峠の東側の山を登り始めた。
やがて敵の側面に回り込むと、敵は前面の諸隊に集中していて、こちらには気づいていないことがわかった。
「よし、今だ。撃てっ!」
三十数挺のゲベール銃が一斉に火を噴いた。敵はばたばたと倒れる。
そのまま銃撃戦を続けていると、やがて峠の西側、敵軍の側面で喚声が上がった。
奇兵隊が間道を抜けて、敵の側面を突いたのだ。正面と左右という三方面から銃撃を食らった撰鋒隊は壊滅的な打撃を受け、たちまち
敗走して行った。
晋作の一瞬の判断と機転によって、この戦いも諸隊が勝利することになった。
闇夜の丘陵地を声を押し殺して兵士たちが進んでいた。足元から冷気が這い上がってきて、兵士たちを身震いさせる。
一月十六日、夜。
晋作は遊撃隊を率いて瀬戸崎街道を赤村に向かって進んでいた。
十四日に呑水峠の戦いで敗れた萩政府軍は赤村に撤退し、そのまま宿営した。晋作は敗れて疲弊している彼らにとどめを刺すべく、闇夜
の中の作戦を展開した。
晋作は自らこの決戦の作戦を立てた。彼の作戦は三隊に別れて夜襲をかけるというものだった。
つまり高杉晋作は遊撃隊約二百四十名を率いて中央の本道を進んだ。これにはおびただしい数の提灯を持たせ、大軍であると見せかけて
いる。
それに対し、奇兵隊と御盾隊を左右に分けて間道を進ませた。これには提灯を一切持たせず、完全な隠密行動を取らせた。
三隊が歩調を合わせるようにして赤村へ向かっていた。
攻撃開始の時刻は亥の刻(午後10時)だった。
やがて、赤村の宿営地を見下ろす台地に到着すると、晋作は敵軍の様子を窺った。
彼の予想通り、萩政府軍は連日の敗戦ですっかり意気消沈して眠り込んでいる。
晋作はただちに右手を上げる。
たちまち男たちが銃を構える。
「撃てっ!」
亥の刻、一斉に銃声が轟いた。
「続けっ!」
同時に晋作は馬を飛ばし、刀を振りかざして敵陣に向かって行く。その後ろからは無数の灯火を手にした兵士たちが続く。
「敵襲! 敵襲!」
「囲まれてるぞ!」
寝ぼけ眼(まなこ)で外に飛び出した萩政府軍の兵士たちは、おびただしい数の提灯を見て、すでに自分たちがすっかり包囲されている
と勘違いしてしまった。
実際には諸隊側六百人に対し、萩政府軍側は千人を越えていたのだが、闇夜を利用した晋作のゲリラ戦術が功を奏していた。
勝敗はこの瞬間にほぼ決まっていた。
萩政府軍の兵士たちは戦意を失い、右往左往して逃げ惑うだけだった。
さらにそこへ闇の中から別働隊として奇兵隊と御盾隊が左右から一斉に銃撃を開始したのだ。
闇夜の中で挟撃された敵軍は、もはや訳もわからず、蜘蛛の子を散らすように四散していった。
完全に高杉晋作の作戦勝ちで、圧勝だった。敗走した敵軍は萩城下に逃げ込んだ。
赤村での勝利の後、晋作は諸隊の幹部を集めて作戦会議を開いた。
「一気に城下を攻めよう。鴻城軍も来たし、軍艦で城下を威圧しちょるから十分勝ち目はある」
はやる口調で晋作はそう主張したが、ここでもやはり慎重派の山県狂介に真っ先に反対された。
「兵は疲れちょります。それに敗れたとはいえ、城下で待ち構える萩軍と戦えば、犠牲が増えます。ここは一旦、山口に本陣を移し、様子
を見守るべきです」
相変わらずの狂介に対し、晋作は苛立たしげに言い放つ。
「今さら何を見守るんだ。この際、一気に攻め込んで蹴散らしてやろうじゃないか」
しかし、
「いや、高杉さん。ここは狂介の言う通り、萩を遠巻きにして、敵が折れるのを待っていた方がよいと思います」
これまで晋作には常に同調してきた伊藤俊輔までが反対してくるのだった。
「何故だ。お前ら、今さら臆したのか!」
たまらず叫び出す晋作だが、狂介も俊輔も晋作の暴走を何とか食い止めようとする。
「萩には藩主がおわします。藩主に弓を引くことになりますよ」
と狂介。
「藩主親子は寺に謹慎中というではないか。城におるのは俗論派だけだ」
「それでも藩主に弓を引くことに変わりはありません。それに攻城となれば犠牲も増えます」
「馬鹿野郎! だから俺が軍艦を回して威圧させちょるんだ。いざとなったら実弾を城の中に撃ち込ませて城ごと破壊しちゃる!」
だんだん過激なことを口走り始めた晋作に危険を感じたのか、石川小五郎が脇から止めに入った。
「高杉総督。はやる気持ちはわかりますが、我々はもう勝ったんです。後は余裕を持って情勢を見ておればいいんですよ」
そう言われ、晋作ははっと我に返った。
山県狂介、伊藤俊輔、石川小五郎をはじめ、諸隊の幹部の全てが晋作の総攻撃には反対だった。
晋作は彼らの自分を見る目を見て、
(もう俺の出番は終わったな。後は任せるか……)
そう思った。
高杉晋作という男はまさに戦乱の申し子で、乱世の風雲児だった。戦いにおいては勇猛果断な判断力と指揮能力を発揮するが、一度戦い
が終われば、周りからは必要とされなくなってしまう哀れな一面があった。
そういう意味では、常に戦乱渦巻いていた戦国時代こそ晋作が生まれるべき時代だったのかもしれない。
「わかった。後はお前らで好きにやれ」
半ば投げやりにそう言って、晋作は第一線から退いた。
その後、山県狂介を中心にして「諸隊会議所」と呼ばれるものが設置され、彼らの政治的判断によって、萩の俗論派との交渉が行われた
。
一方、萩では「鎮静会議員」と呼ばれる保守派の藩士が、政府の改造や諸隊追討の中止を訴え、また諸隊会議所との交渉も始めた。
ところが二月に入り、諸隊との会見が終わって萩に帰る途中、鎮静会議員が俗論派に襲われ、三人が死亡し、一人が重傷を負うという
事件が起こる。
下手人は俗論派の中心人物・椋梨藤太の次男、中井栄次郎らだった。
穏やかに事を進めようとしていた鎮静会の者はこの襲撃に激昂して、諸隊と連絡を取りつつ萩城を占領してしまった。
俗論派が兵を引き連れ、城に押し寄せる中、諸隊が出兵し、城下に突入した。同時に萩の沖からは軍艦癸亥丸が砲撃を開始する。
諸隊の襲撃と軍艦の砲撃を受けて、俗論派はすっかり戦闘意欲を失い、その多くが鎮静会側に立ち、あっさりと瓦解してしまった。
一方、椋梨藤太は二月十四日に船で萩を脱したが、海が荒れて津和野藩領に上陸したところを捕らえられ、長州藩に引き渡されて野山獄
に入れられ、やがて処刑された。
こうして長州藩の藩論は覆され、幕府に対する恭順の姿勢から解き放たれ、逆に討幕へと向かって行くのである。
その後、高杉晋作は病を押して第二次長州征伐に参加し、海軍総督として軍艦を率いて活躍、幕府軍を打ち破った。
だが、この戦いを最後に晋作は病床に伏し、慶応三年(1867)四月に弱冠二十九歳で病没してしまう。
その辞世の句は、
という有名な句であるが、上の句だけで下の句はない。
しかし、生涯に四百編以上もの詩を作った詩人でもある晋作が下の句を思い浮かばなかったとは考えにくいため、意図的に下の句を
つけなかったともいわれる。
明治維新後、初代内閣総理大臣となった伊藤博文は高杉晋作を評してこう言っている。
それは晋作にとって生涯最大の見せ場でもあった功山寺決起の時の彼の果断な行動を差しているのかもしれない。
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