Night Life

 札幌の繁華街、すすきの。
 その中心にひときわ大きなビアホールがある。連休の中日ということもあり、多くの客でにぎわっている。その中に、ひときわ盛り上がっている集団があった。この集団、創作と音楽を主体に活動し、様々なイベントに参加しているサークル『ザ・ハートランド』のメンバー達で、 この日は彼らが参加したイベントがコミュニティドームであったので、その打ち上げだったのである。
「佐野さん、もう一杯いかがです?」
「ああ。頼めるかな」
 佐野豊は、和田渚からビールをすすめられて素直に応じていた。和田は豊のジョッキに、なみなみとビールを注いでゆく。
「うわ! 和田、もういいよ!」
「佐野さん、ガンガン行っちゃってくださいよ!」
 豊の制止を無視して、和田はビールをギリギリまで注いだ。泡がたちまちジョッキから噴出する。
「ちょっとお兄ちゃん、早く早く!」
 豊の妹、咲羅(さくら)が慌てる。豊はそれ以上に慌ててジョッキを口に運んだ。
「くあー、やっぱりきついな。泡ばっかで苦いよ」
 豊はジョッキを口から離し、苦笑を浮かべた。
「和田君、ビールの注ぎ方下手だよ。泡が立たないようにやんないとおいしくないわよ」
 咲羅がやれやれ、という表情で言った。
「でも咲羅、あんたもあまり上手じゃないでしょ」
 そこに割って入ったのは豊と咲羅の姉、佳澄だった。顔は笑っている。
「お姉ちゃん、何も突っ込まなくたっていいじゃん!」
 咲羅は佳澄にくってかかる。だが、豊に押しとどめられた。
「咲羅、まあいいじゃないか。姉さんだって冗談半分なんだしさ」
 そう言って豊は、再びビールを口に運んだ。

 ザ・ハートランド。
 札幌を拠点にしている様々なサークルの中でも、規模は大きい部類にはいるサークルである。メンバーの人数は19人で、札幌市内の私立大学のとあるサークルの現役会員とOB、そして佐野一家から成り立っていた。会長を務めているのは佐野咲羅。彼女自身も 大学のサークルに所属していたので、会員やOB、そして豊たち兄妹に声をかけて立ち上げた。また、彼女はサークル内でバンド「クォーター」を結成し、同期の天川瞳、水沢あゆみ、後輩の姫川安奈、そして妹の佐野華蓮と共にオリジナル曲、また矢井田瞳や大黒摩季、 さらにマイナーなところで遊佐未森や鈴木祥子などの曲を演奏していた。
 一方、佐野豊はこの大学のサークルのOBで、妹の咲羅に誘われるままに加入している。彼は大学卒業後に札幌市役所に就職し、現在は中央区役所に勤務している。ハートランドでは後輩の長原進、古河隆太、西部吉明、小野塚清志、山田拓朗と共にバンド『ワイルドハーツ』 を組んでいた。豊はこのバンドでボーカルとギターを務め、オリジナル楽曲の作詩作曲も手がけていた。そのほか、『ワイルドハーツ』が演奏するのは佐野元春の曲で、ライブではオリジナルと元春の曲を織り交ぜて演奏していた。ちなみにバンド名は佐野元春の歌の名前で、 メンバー全員が元春ファンということもあって豊が名付けた。
 その他のメンバーには和田渚、上原隆行、鳥越美奈、播戸孝太、小関薫、そして豊の家族の佐野佳澄、佐野晴香、佐野亜理紗がいた。ちなみに佳澄は豊たちの姉であり、札幌市内の法律事務所に所属する弁護士である。職業が職業なもので、サークルの顧問弁護士にされてしまっていた。 だが、彼女自身もこの活動を楽しんでいた。ちなみに佳澄は熱狂的な佐野元春ファンで、豊を元春ファンに仕立て上げたのも彼女だった。

「そういえば和田、おまえ今日あちこちでカメラ写しまくってたろ。何撮ってたんだ?」
 上原隆行が和田に話を振った。彼が着ているのは読売ジャイアンツのレプリカユニホームである。ちなみに背番号は19。彼と同じ苗字の上原浩治投手の番号である。
「上原さん、ああいう場に行ったらコスプレ撮らなきゃ損じゃないですか!」
 和田が笑いながら言う。和田はハートランドナンバーワンの煩悩まみれで、自宅に女性ものの衣装を隠し持っていた。
「和田君、かなりきわどい衣装撮ったりしたの?」
 鳥越美奈がじと目で和田を見る。咲羅や佳澄、亜理紗など他の女性陣の目もいっせいに和田に集まる。
「当たり前だろ。きわどい衣装を見ることこそオレにとっちゃ幸せなひと時なんだよ」
 和田のこの発言に、女性人は一気に引いてしまった。
「怖い……」
 ポツリとつぶやいたのは豊の一番下の妹、亜理紗だった。彼女はこのサークル最年少の16歳で、札幌市内でも有数のお嬢様学校・聖修女学院に通っている。かなり臆病な性格で、人見知りもする。そのせいか、和田を見る目が少し怯えている。
「そうかなぁ。オレにとってはこれが当たり前なんだけどね」
 和田は亜理紗に微笑んだが、それは却って亜理紗の和田に対する警戒感をあおっただけだった。
「和田! 亜里沙ちゃん怯えてるじゃねェか!」
 長原進が和田を咎めた。長原は豊のバンド「ワイルドハーツ」のギタリストでもある。
「いいじゃないですか、長原さん! オレはこれが普通なんですよ。何でおびえるのかなぁ、亜里沙ちゃんは」
 和田はそう言って亜理紗に視線を向けた。亜里沙はそれに気付き、目をそむけた。
「和田君、もしかして君の好みのタイプって……」
 小野塚清志が和田に小声で尋ねる。彼は「ワイルドハーツ」のべーシストだ。
「そうですよ! 亜里沙ちゃんですよ! かわいいですもん!」
 和田の発言に、場が一気に凍りついた。と同時に、豊、佳澄、咲羅、華蓮、晴香の表情が一気に固まった。和田はさらに続ける。
「佐野さん、亜里沙ちゃんをオレにくださいよ!」
 和田は隣にいた豊に言い放ったのだ。
「和田……」
 豊は額に手をやった。
「晴香お姉ちゃん、和田さん怖いよ……」
 亜理紗は晴香に小声で言った。すっかり怯えてしまっている。
「ほんと、和田さんってどうしてああなるのかしら……」
 晴香も和田の狂態ぶりにあきれ、額に手をやった。だが。
「亜理紗ちゃん、何て言ったのかなー? オレとデートしよっかー?」
 和田は亜理紗の声が聞こえたらしく、亜理紗のところへ移動しようとした。だがそれを、上原と鳥越が押しとどめる。さらに和田の目の前には豊が仁王立ちになっていた。
「和田。おまえ、いい加減にしろよな」
豊は静かに言った。その目は厳しいものになっている。
「そうよ、和田君。すっかり怖がってるじゃない。少しは相手の事も考えなさいよ」
 畳み掛けるように佳澄が言った。だが、和田はひるまない。
「佐野さん、家族が全員美人なんてずるいですよ。オレにも幸せを分けてくださいよ!」
 その言葉に全員が呆れてしまった。ここにいる全員が普段の和田の行動を知っているので、そりゃ無理だろ、という空気が場に流れた。
「それを言うならね、まずあんた自身を何とかしなさいよ!」
 そう言ったのは咲羅だ。亜里沙はというと、晴香の陰に隠れて怯えていた。
「いいじゃないですか、咲羅さん。オレだってもてたいんですよ」
「だからそのためにも、おまえ自身を何とかしろっていってるんだよ! わかんねェのか!」
播戸孝太がとうとう切れてしまった。播戸と和田は同学年だが、性格は全く正反対である。和田が煩悩まみれなら、播戸はどちらかというと生真面目なタイプである。ゆえに、かなり言い争うことがあった。
「まあまあ。楽しい場で殺気立っても仕方ないじゃないか。和田君、あんまりちょっかい出さない方がいいんじゃないか?」
 そう言ったのは西部吉明である。「ワイルドハーツ」のキーボード担当である。
「はぁ……」
 和田はみんなから糾弾され、すっかり落ち込んでしまった。ちょっかいを出す相手が悪かった、というよりは相手の背後の存在を忘れていた、ということか。
「まあ、今日はこの辺で勘弁してあげる。でもね、何回もこういうこと繰り返してるのよ。今度やったらただじゃ置かないわよ」
 咲羅は和田を睨みながら言った。和田はハートランドだけでなく、大学のサークルの飲み会でもこういう真似を繰り返していたのである。ゆえに、女性陣受けはよくなかったのだが、これで佐野家受けも悪くなってしまったようだ。
「さて、また飲もうか!」
 豊が気を取り直すかのように言った。そして再びにぎやかな場が戻った。だが、和田はすっかり落ち込んでしまい、一人日本酒をちびちびと飲んでいた。
「そういえば、2次会ってどこだったっけ」
 そう言ったのは華蓮である。彼女は姉・咲羅とのバンド「クォーター」で、キーボードとボーカルを担当している。さらに家では豊たちの前でよくピアノを弾いているのだ。
「華蓮姉さん、確か『カフェ・ボヘミア』じゃなかったかしら」
 晴香が言った。彼女の格好は袴姿である。どういうわけか和装好みなのである。おまけに特技が剣道、弓道、薙刀。おそらく佐野家の中でいちばん強いだろう。
「ボヘミア、か。それならお兄ちゃん歌うかな?」
 華蓮が豊の方を見ながら言った。豊はこの日、愛用のアコースティックギター・ヤマハFG250をイベントに持ってきていた。咲羅もギターを持ってきていた。ちなみに、ライブで豊が使うギターはフェンダー・ストラトキャスター、咲羅はフェンダー・ジャズマスターである。
「咲羅お姉ちゃんも歌うんじゃないかな。私もフルートあるから、セッションできるよ。華蓮お姉ちゃん」
 落ち着きを取り戻した亜理紗が言った。彼女はクラリネットとフルート、バイオリンをやっている。サキソフォンも出来るのだが、アルトが限界だと彼女は言う。
「2次会、楽しみになってきたわね!」
 いつの間にか佳澄がやってきて3人に言った。その言葉に、3人の妹達はにっこり笑った。

 一方の豊は。
 上原、播戸、咲羅、長原、小関薫、山田拓朗といった面々とスポーツ談義をしていた。
「上原、何で今年のホークス強いんだろうな」
「やっぱりピッチャーじゃないですか? 新垣、和田っていい新人が入ってきていますからね。打線でも城島、大道とかがいいですし」
 上原は豊の質問に的確に答えている。彼の趣味はスポーツ観戦で、またスポーツ雑誌もよく読んでいるので大体のことは分かるのだ。
「上原君、それを言ったら西武だってまだわかんないわよ。カブちゃんが頑張ってるしね」
 小関薫が上原に異を唱えた。彼女は西武ライオンズファンなのだ。ちなみに彼女が言ったカブちゃんとは、西武のバズーカ砲・カブレラ選手のことである。
「それにしても横浜、どうしちゃったんでしょうね。ビリ独走ですよ、全く!」
 「ワイルドハーツ」のサキソフォンを担当している山田拓朗が泣き真似をしながら言った。
「横浜なんて所詮その程度なんだよ。阪神だよ、今は」
 しばらくしょぼくれていた和田が復活したようだ。
「阪神強すぎだよ! もうセリーグちょっとも面白くねェ!」
 山田は応援している横浜ベイスターズの不甲斐なさを嘆くように叫んだ。播戸も頷く。
「セリーグ、もうつまらないですよね。Jリーグの方がまだいいですよ」
 播戸がサッカーの話題に変えようと、Jリーグの話題を持ってきた。だがその時である。
「えーと、宴もたけなわというところですが、2次会の場所に移動しますんでいったんお開きにしたいと思いまーす」
 咲羅のバンド「クォーター」のドラマー、水沢あゆみが締めの挨拶をしたのである。全員で乾杯をし、タクシーに分乗して2次会の会場である旭ヶ丘のライブバー、『カフェ・ボヘミア』へ移動することになった。

 カフェ・ボヘミア。
 藻岩山の麓にあるこの店は、札幌でも数少ないライブバーである。メインホールと小ホールと2つのホールがあり、メインホールのキャパシティはテーブルが並んだ状態で150人、オールスタンディングだと400人を収容する。小ホールはテーブルが並んだ状態で40人、スタンディングでは100人を収容する。 プロが演奏するということは少なく、主にジャズやロックのアマチュアバンドが集う店として有名である。豊たちザ・ハートランドも常連といってよかった。サークル主催のライブのほか、飲み会などの2次会で飛び入りライブをやることも多々ある。
 豊たちが店内に入ったとき、メインホールではジャズバンドのライブが行われていた。演奏を小耳に挟みつつ、予約席に座る。飲み放題コースを予約していたので、各々が思い思いのメニューをオーダーした。豊は定番カクテルのジントニックをオーダーした。
「えー、それでは2次会です。乾杯!」
 水沢の音頭で、全員がグラスを掲げた。そして、ムーディーなジャズが流れる中、2次会はスタートした。と、その時である。豊や佳澄、咲羅にとっては耳になじみのある曲が流れ始めた。
「あら、『カフェ・ボヘミアのテーマ』じゃない」
 佳澄がステージに目を向けながら言った。
「本当だ。この曲、CDでしか聴いた事ないんだよな」
 豊もステージに目をやりながらこぼした。ブラスパートがメインのジャジーなインストゥルメンタルが店内に響く。
「兄さん、この曲有名なの?」
 晴香が豊に訊いた。
「いや。これ、かなりマニアックな曲だよ。元春のアルバムのタイトル曲なんだけどね」
 豊は口にジントニックを運びながら説明した。ジャズバンドが演奏している『カフェ・ボヘミアのテーマ』だが、この曲は佐野元春の大ヒットアルバム『カフェ・ボヘミア』の表題曲なのである。ちなみにこの店のオーナーが大の元春ファンで、店名の『カフェ・ボヘミア』は佐野元春のアルバムからとったという話は 常連の間では有名である。
「そうなんだ。私、有名どころしか聴いてないから分からなかった」
 晴香は納得した笑みを浮かべた。
「でも佐野さん、オレは『スウィート16』がイイと思うんですよ、元春の作品は」
 兄妹の話に割り込んできたのは古河隆太だった。古河は豊のバンド「ワイルドハーツ」でドラマーをやっている。
「古河の場合、初めて聴いたのが『スウィート16』だからじゃないのか?」
 豊はそう言って笑った。古河はあっさりと頷く。
「やっぱりあのアルバムはかっこ良かったなぁ。日曜日は少しだけ涙をこらえてー、でしたっけ?疾走感あっていいですよね!」
 古河は徐々に興奮してきたのか、豊や晴香、亜理紗たちに『スウィート16』の魅力を語り始めた。
「始まったわね、古河君のスウィート16講座」
 佳澄は苦笑しながら、熱弁を振るう古河とそれを聞き流している豊たちを見ていた。と、その時である。店内が大きな拍手に包まれ始めた。バンドのライブが終了したのである。豊たちも思わず拍手をした。もっとも、演奏はほとんど聴いていないに等しかったが。
 やがてバンドが退場し、興奮が冷め遣らぬまま店内は再びにぎわい始めた。今度はジャズナンバーがBGMで流れ始めた。
「そういえば、オレどこまで話しましたっけ?」
 古河が豊に訊いた。話を拍手の嵐によって中断され、酔いも手伝っているせいかどこまで話したかを忘れてしまったらしい。
「まあそんなのいいじゃんか。楽しく飲もうぜ!」
 そう言って現れたのは天川瞳である。咲羅の同級生で、「クォーター」のギタリストでもある。女子なのだが一人称が「僕」で、しかも男言葉である。で、なかなかの美人というギャップも手伝って「王子」というあだ名が付いていた。
「王子、そりゃないぜ! せっかくオレが『スウィート16』の魅力を語ってたのにさ!」
「古河、いいからいいから。とにかく1杯あけろって。僕がついでやるからさ」
 そう言って天川は古河のグラスにビールを注いでゆく。たちまちなみなみに注がれ、古河は慌ててそれを飲み干した。
「それでは一発芸、いきまーす!」
 その声に、豊をはじめとしたハートランドの面々は一斉にステージに目を向けた。そこには、バナナを手にした和田が立っていた。
「和田さん、一体何をするのかしら」
 晴香がポツリとつぶやいた。
「必殺の一発芸、行く気かな」
 播戸が息を呑む。そして、和田が始めたのは……。
 何とバナナを皮付きのまましゃぶり始めたのだ。店内は唖然とする客、爆笑する客の真っ二つに分かれた。そしてハートランドの面々は、やはり唖然とする者、爆笑する者に分かれていた。
「うわははははははは! ダメだ、わ、笑いが止まらない!」
 豊は腹を抱えて笑い出した。咲羅、小関、上原、播戸、佳澄、天川などは笑い転げていた。だが、晴香と亜理紗はあまりに刺激が強すぎたのか、呆然としていた。
「さすが和田君ですね。彼らしい芸ですわ」
 笑いをこらえながら言ったのは姫川安奈である。この和田の変態的一発芸は後にカフェ・ボヘミア常連の中で伝説になっていくのだ。そして芸を終えた和田は、ニコニコ顔で席に戻ってきたのである。
「皆さん、オレの一発芸どうでした?」
「最高! 笑わせてもらったぜ! さすがだ!」
 普段和田とは何かとぶつかり合うはずの播戸が大笑いしながら絶賛した。
「ありがとよ、播戸。ところで晴香ちゃんに亜理紗ちゃん、オレの芸どうかな?」
 和田は期待に胸を躍らせて呆然としている二人に声をかけた。だが。
「何て言ったらいいんでしょう……」
 晴香は言葉を濁すばかり。亜理紗はうつむいてるばかりだ。よほど刺激が強かったのだろう。
「和田、この子達には刺激が強かったみたいだ。もう少し考えた方が良かったかもな。でもまあ、面白かったよ」
 豊はそう言って、和田の肩を叩いた。
「ステージ、空いたわね。あたし、歌ってこようかな」
 咲羅はそう言うと、傍らのギターケースから愛用のアコースティックギターを取り出し、ステージに向かった。
「華蓮、亜理紗、行くよ!」
 咲羅の声で我に帰った亜里沙はフルートをケースから取り出し、華蓮に続いてステージに上がった。華蓮はキーボードセットの前に座った。
「飛び入りなんですけど、ちょっと歌わせてくださいね」
 咲羅はそう言うと、ギターを爪弾き始めた。それに合わせて華蓮もピアノを弾き始め、亜理紗もフルートを乗せる。そうしてスタートした曲は、クォーターのオリジナルソング「Gaze on me」という曲である。

 Gaze on me 私がいつも見つめているのはあなただけ
 Gaze on me この思いは誰にも汚せないわ

「おおっ! いいぞー! 咲羅ー!」
 ステージ上で演奏する3人の妹の姿に、佳澄はたちまち興奮し始めた。店内の客も、咲羅のボーカルとギター、華蓮のピアノ、亜理紗のフルートによるメロディアスな調べに酔いしれ始め、先程の和田の一発芸の時とは違って静かに店内は熱を帯び始めた。 咲羅、華蓮、亜理紗は立て続けにオリジナル曲「虹の彼方」、そして矢井田瞳の「I'm Here Saying Nothing」、鈴木祥子の「水の冠」(華蓮のボーカル)を演奏し、店内を盛り上げた。
「お疲れ様! 最高でしたよ、咲羅さん!」
 ステージを降りてきた3人に真っ先に言ったのは姫川だった。佳澄も、
「お疲れ! あんたたちやるじゃない!」
と、興奮冷めやらぬ様子である。
「そう? 意外と緊張したよね、華蓮、亜理紗?」
 汗を拭いながら咲羅は華蓮と亜理紗に言った。
「やっぱり飛び入りでいきなりセッションって大変だね、咲羅お姉ちゃん」
 そう言って華蓮は笑った。亜理紗はニコニコしながらも、
「緊張しちゃった……」
と、はにかんでいた。
「ナイスだったよ、3人とも」
 豊はステージで演奏した3人の妹に優しく微笑んだ。
「ありがと。さ、次はお兄ちゃんの番よ」
 咲羅は豊ににっこり笑いながら言った。
「もうかい?」
「私たちも、兄さんの歌聴きたいのよ」
 晴香が追い討ちをかける。
「佐野さん、いきましょう! 叫んでくださいよ!」
 和田を始め、ハートランド全員が迫る。
「よし。そしたらちょっと歌うか!」
 豊はそう言って立ち上がり、傍らのギターケースからヤマハFG250を取り出し、ステージに立った。
「また飛び入りですみません。ちょっと歌いますんで、よろしければ聴いてください」
 豊は一言挨拶をすると、おもむろにギターを弾きだした。そのフレーズに、いちばん早く反応したのは佳澄だった。
「あれ? もしかしてこの曲……」
「お姉ちゃん?」
 佳澄が怪訝な表情をしたのを見た咲羅は、ステージ上の豊に視線を向けた。やがて、豊は歌い始めた。
「これ、『プリーズ・ドント・テル・ミー・ア・ライ』じゃない」
「佳澄お姉ちゃん、誰の曲なの?」
 佳澄の言葉に、亜理紗が尋ねた。
「この歌、佐野元春がデビューした頃の歌なのよ。結構マニアックな曲なんだけど、渋いところ突いてくるわね。あの子」
 亜理紗に答えつつ、佳澄はステージ上で『プリーズ・ドント・テル・ミー・ア・ライ』を熱唱する豊を見つめていた。古河や上原、その他のハートランドの仲間達も豊のボーカルに聞き入っている。豊の歌い方は、どこか言葉を放り投げるかのようなスタイルで、それはギターから放出される音とあいまって、 会場内を静かに、そして熱く包み込んでいった。
 やがて『プリーズ・ドント・テル・ミー・ア・ライ』を歌い終えた豊は一礼すると、すぐさまギターを弾き始めた。今度はワイルドハーツのオリジナルソング『青空の彼方-Beyond The Blue Sky-』である。

 僕達が見つめる青空の果てに
 何があるのかはまだ分からない
 でもここから歩き出してみよう
 探しているものを見つけるために

 『プリーズ・ドント・テル・ミー・ア・ライ』とは打って変わって、アコースティックギターの音色が激しく響く。それとあいまって、店内の雰囲気は一気に盛り上がった。この曲は豊たちの「ワイルドハーツ」のライブでの定番曲であり、店の客の中には一緒になって歌いだす者までいた。
「凄いな、佐野さん。ギターだけで盛り上げちまってる」
 和田がステージ上で熱唱する豊を見てつぶやいた。ハートランド全員はギターの音色に合わせて手拍子をしている。やがて豊は、
「Yeah!」
と叫び、『青空の彼方』を歌い終えた。
「それじゃ、僕の好きな曲をやって、終わりたいと思います。『ストレンジ・デイズ』!」
 豊の言葉に、店内が一気に盛り上がる。ギター1本だけとはいえ、異常な盛り上がりで歌いだすものさえいた。ステージ上の豊は、ギターを激しくかき鳴らして叫びまくった。やがて『ストレンジ・デイズ』を歌い終えた豊は、
「どうもありがとうございました!」
と頭を下げ、ステージを下りて席に戻った。
「豊、最高だったわよ!」
 佳澄が豊をねぎらうように言った。4人の妹達はもう感激して言葉も出ないようである。ハートランドの仲間達も興奮し、拍手で豊を迎えた。
「ありがとう、姉さん、みんな。さて、また飲むか?」
 豊の言葉に、全員が「賛成!」と声をそろえた。そして『カフェ・ボヘミア』の中に、19人の熱い若者達の陽気な笑い声と歌声が閉店まで響き渡った。

Fin.


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