Act.2 2月27日・鹿島鉄道放浪記

 2月27日。この日、目が覚めたのは朝6時半頃だった。前日、日付が変わる頃までカプセルの中でテレビを見ていたこともあって非常に眠かったのだが、そうも言ってはいられなかった。というのも、この日がメインイベントになるからである。 大急ぎで洗顔をして着替えてチェックアウトし、上野駅の中央口きっぷうりばで石岡までの特急券と乗車券をSuicaで購入し、改札を通ってからまずは駅ナカショッピングモール「ディラ上野」にある定食屋「ちゃぶぜん」へと向かった。朝食を食べるためである。 上野に宿泊した時はちゃぶぜんで飯を食う、というのがオレの決まりごとなのだ。ちゃぶぜんでオーダーしたのは、朝定食。席に着くとすぐに定食が運ばれてきた。これはありがたい。朝定食を平らげた後、特急乗り場である16番・17番ホームへ向かった。 ディラ側にも中間改札が設けられているので、特急券と乗車券を見せてホームに降りる。既に17番線には、高萩行き特急1005M「フレッシュひたち5号」がスタンバイしていた。オレが乗車したのは自由席喫煙車の5号車である。発車30秒前くらいにメロディーが 鳴り、7時半ジャストに発車した。

 「フレッシュひたち」は上野を発車してしばらくはポイント通過などでゆっくりと走る。加速しだすのは、日暮里を過ぎて三河島の大カーブを抜けたあたりからであった。この間にも、上野へ向かう普通列車とたくさんすれ違った。朝のラッシュ時で、どの列車もすし詰めだった。 北千住を過ぎたあたりから本格的にスピードを上げ、最初の停車駅・柏に到着。柏でも多くの乗客が乗ってきたが、おそらく松戸近辺の人たちも含まれていたと思う。柏を発車した後、北柏(緩行線の駅)、我孫子、天王台を瞬く間に通過し、利根川を渡って取手に到着。ここからは住宅街よりも 農地、森の割合が多くなる。そんな中を「フレッシュひたち」は北上する。オレはドリンクを飲み、タバコを吸いながら時刻表とにらめっこをしていた。石岡から鹿島鉄道に乗り換えるのだが、どうやったら効率よく回れるか作戦を練る必要があったからだ。 牛久、ひたち野うしく、土浦を過ぎると車窓は一層ひなびていった。そして8時27分、石岡到着。ここで一度改札を抜け、駅前の喫煙所で一服。その後、自動券売機で石岡南台までのきっぷを買い、鹿島鉄道ホームである5番線へ向かった。

 鹿島鉄道乗り場への5番線へは跨線橋が通じているのだが、JR上りホームへの階段を過ぎると一気に古さが露わになる。そしてホームはJRホームとは打って変わって、昭和の古きよき時代の面影を多分に残していた。そしてホームから見える石岡機関区。朝の輸送を終えた車両やこれから出番を待つ車両が たたずんでいた。車両には「ありがとうございました」というマークが貼られている。これを眼にすると、「この路線ももう終わりなんだな」ということを実感させられた。
 8時48分、常陸小川からの列車が到着。これがそのまま8時53分発の鉾田行き13列車になるのだ。一駅のみの乗車なので、ドア近くの座席に座る。前回乗った時は気にも留めなかったのだが、
車内を良く見るとデジタル式の運賃表示機がない。ドアそばに全駅・全区間の運賃表が貼ってあった。これにはびっくりした。 JR北海道やIGR、JR東日本だとワンマンカーはことごとくデジタル式の運賃表なのでこのアナログ式運賃表はある意味衝撃的だった。8時53分、ベルが鳴って発車。エンジンのうなりを上げて大きく左にカーブして新興住宅地域に入っていった。わずか3分ほどで石岡南台に到着。切符を運賃箱に入れ、オレは列車を降りた。まずは石岡南台駅を撮影。この駅は見た感じ新しい 駅で、駅の待合室もこぎれいな感じだった。ここからオレは国道355号線を歩くことにしていた。時刻表で見たところ、駅間距離が1キロ程度ずつで並んでいるので列車を待つよりは歩いた方が確実に回れるだろう、と事前に決めていたのだ。まずは石岡南台の次の東田中駅へ向かうことにした。住宅街の中を歩きながら、オレは家に電話を入れた。
 しばらくは線路沿いに歩いていたのだが、踏切を渡って国道へと向かったのだが、ここで道を間違えてしまい行き止まりの道に入ってしまった。来た道を戻って歩いていくと、やたら交通量が多い通りに出た。これが国道355号線で、ひっきりなしに大型トラックやダンプカーが行き交う霞ヶ浦北部湖畔の幹線道路である。国道を歩くこと約10分で踏切のある路地に入ると、その踏切そばに 東田中駅があった。この駅には待合室などなく、ホームだけというまるで北海道の仮乗降場のような駅である。この駅をカメラに収め、続いて向かったのは玉里。これまた歩いての訪問となった。再び国道355号線に出たのだが、交通量はハンパじゃなく多い。おまけにスピードもかなり速く、歩道を歩いていても「こっちに突っ込んでくるんじゃねェだろな」という恐怖感があった。 玉里駅は国道に看板が出ていたのでその通りに入るとあった。実はこの駅から既に石岡市から小美玉市(玉里村、小川町、美野里町の合併で誕生)になるのだが、表示が何もないので電柱の地名板で確かめるしかなかった。玉里駅は列車の行違いができる駅なのだが、駅舎と呼べるものはなく、ホームに待合室があるだけという簡素な駅だった。ここもデジカメに収め、続いて新高浜駅へ徒歩で向かった。 国道を歩いて気付いたのだが、「JA-SS」というガソリンスタンドをよく見かけた。関東ではJAが直接ガソリンスタンドをやっているらしい。北海道だと、これに該当するのはホクレンのガソリンスタンドという形になる。これもびっくりだった。さて、新高浜駅は思い切り国道沿いにあるのだが、この駅もどちらかというと北海道の仮乗降場に近い感じがした。四箇村駅も同様であった(^^;)。
 オレはここで徒歩をやめ、列車に乗る事にした。この駅まで歩くということにしてはいたのだが、さすがに4キロ歩くのはきつい(笑)。しかも知らない街である(笑)。やがて、石岡方から鉾田行き15列車がやってきた。15列車に乗ったオレは、常陸小川、小川高校下をパスして霞ヶ浦に一番近い駅である桃浦で降りた。周囲はのどかな農村、という感じだったのだが駅のホームから霞ヶ浦がはっきりと見えた。 オレは桃浦駅を撮ってから霞ヶ浦湖畔へ向かった。桃浦駅の構内踏切からも霞ヶ浦側へ行けるようになっていた(多分湖畔側の人が勝手に道をつけたんだろう)のだが、オレはそれはせずに駅舎側から路地に入り、踏切を渡って湖畔へ向かった。この途中、バキュームカーが民家の前に停まってトイレのし尿を抜き取る作業をしていたので、バキュームカーの横を通った時は息を止めた。あのにおいはさすがに嫌だ(笑)。 駅から歩くことわずか2,3分で霞ヶ浦湖畔に到着。

「すげェ!」
思わず、叫んでいた。この時散歩していた地元の人とも挨拶を交わしたのだが、「いいところでしょう」とにこやかに言っていたのが印象に残っている。
桃浦駅近くの湖畔から見た霞ヶ浦

 青い湖面、そして澄み切った空、空気。こんなところに住めたら最高だろうなぁ、とこの時思った。

 霞ヶ浦を見た後、オレは再び駅に戻り今度は石岡行きの16列車に乗り、小川高校下で下車した。この駅は田んぼの中にぽつんとある駅なのだが、駅の上屋には小川高校の線とが描いたと思われる絵が描かれていた。この駅のホームから常陸小川方向に目をやると、常陸小川駅がモロに見えた。そして、すぐに鉾田行き17列車がやってきた。この列車には玉造町まで乗車した。ちょうど小川高校下から浜までの間は、 霞ヶ浦に近いところを走る区間なので車窓はなかなかいい。ただ、八木蒔は切り通しの中にあるのでこの辺は風景が変わるのだが……。玉造町で17列車を降りたオレは、早速駅を撮影。その後、11時14分発の石岡行き18列車で常陸小川へ戻ることにしていた。この駅で長野出身だというおばあさんと話し込み、なりゆきで常陸小川まで一緒の席になった(笑)。おばあさんは車内でオレに、自分の生まれたところやこの茨城県に 来てからの苦労話などを聞かせてくれた。話を聞くうちに、常陸小川到着。オレはここでおばあさんと別れ、駅撮影に入った。常陸小川の駅前はどことなく由仁や白滝のような感じだったように思う。次の鉾田行きを待つ間、小川高校のOGの女の子と話をした。オレが札幌から来たことを知ってびっくりしていた(笑)。話を聞くと、お母さんが栗山町出身なんだとか。北海道に行った事はあるものの、冬の北海道は未体験だと言うので 雪まつりの時期に来るといいよと勧めた(笑)。彼女の描いた絵もホームのポスターになっているという。

 やがて次の鉾田行きの改札時間になったので巴川までのきっぷを購入してホームへ出た。続いて乗ったのは常陸小川11時46分発の鉾田行き19列車だ。霞ヶ浦沿いの田園地帯を列車はゆっくりと進む。そして玉造町、かつて航空自衛隊百里基地へのパイプラインがあった榎本、ちょっとした丘陵地帯にある借宿前をすぎて巴川到着。この駅、島式ホームの駅なのだが桃浦や榎本のような駅舎はなく、ただホームに待合所があるだけという 恐ろしく簡素な駅だった。北海道で言うならば列車の行違いができる簡易乗降場のようなもんだろう。ちょうど昼飯時だが、あいにく上野で駅弁を買っていなかった。が、鉾田方向を見るとセイコーマートがあるではないか。オレは迷うことなくセイコーマートへと足を向けていた。歩くこと約10分でセイコーマート到着。ここでおむすびと豚カルビ弁当を買い、巴川駅の待合室で腹の中に叩き込んだ。そういえば、巴川駅にカメラを携えたおばさんが来ていた。 オレは巴川から石岡行きの22列車に乗り、今度は榎本へ。榎本まで乗ったのは現在のところ日本最古の現役車両であるキハ600型だった。昨年も乗ったのだが、車体の軋みが凄い(笑)。老骨に鞭打って走っているという感じだった。榎本についてから即刻撮影をしたのだが、この駅でも巴川であったおばさんカメラマンと会った。向こうもびっくりしていたようだった(笑)。榎本は先述したとおりかつては航空自衛隊百里基地へのパイプラインが通じていたので駅の構内は広い。 基地への燃料輸送はかしてつの生命線のようなものだったのだが、パイプラインの老朽化などの関係で2001(平成13)年に終了。オレはパイプラインの跡地を見ながら、これさえあればまだ何とかなったんじゃないかと思わずに入られなかった。

 榎本からは午後1時11分発の鉾田行き21列車で鉾田の手前・坂戸へ向かい、ここでも駅を撮影。切り通しの中の駅で、周りはうっそうとした森だった。その後オレは21列車の折り返しである24列車で借宿前へ向かった。この借宿前が一番強烈だった。周囲は駅側の踏み切りのところに踏切があるだけで、あとは森と畑のオンパレードである。撮影を済ませてから、オレは何もない駅でタバコを吸ったり、渇いたのどを茶で潤しながら時間を潰した。この間、踏切付近の交差点で 車のすれ違いがあったのだが、うまいこと切り抜けていった。道路はあぜ道に毛が生えたような感じの道である。そのさまをみながら、「たいしたもんだなぁ」と感心してしまった。借宿前での時間は穏やかに過ぎ、午後2時17分、鉾田行き23列車が到着。オレはこれで終点の鉾田へ向かった。鉾田は去年も訪れているのだが、去年は駅を撮っただけだったので何か食べようかと思っていた。鉾田到着後、オレは立ちそば屋で天ぷらそばをオーダー。タイヤキも食べようかと思ったが、 そばを食って満足したのでやめにした。鉾田駅で全駅記念入場券セットを購入し、折り返しの午後2時52分発26列車に乗車。残っているのは八木蒔と浜の2駅のみである。既に八木蒔までのきっぷを買っていたので、八木蒔で下車。この駅は切り通しの林の中にある駅で、かしてつ線の中では借宿前と同じく秘境駅と言える駅ではなかろうか。それでも、小幌のあの雰囲気には敵わないと思う。八木蒔からは27列車に乗り、浜で下車。浜駅に降り立って気付いたのだが、この駅は アサザという植物の群生地の最寄り駅だということが案内板に記されていた。撮影してから群生地探しに向かったのだが、てんで見つからない。列車にも間に合わなくなるので、やむを得ず諦める事にした。この駅も霞ヶ浦湖畔そばなので、アサザ探しがてら湖畔に出たのだが、こちらの方が広々とした雰囲気だったように思う。
浜駅そばの湖畔から見た霞ヶ浦

 浜からは午後3時52分発の石岡行き28列車に乗り、東京へ戻ることにした。この途中、常陸小川で鹿島鉄道のスタッフが乗り込んで走行音をレコーディングしたりしていた。また車掌も乗ってきたので、浜からの整理券を見せてきっぷを購入。何とこのきっぷ、全駅名が載っている上に該当区間を鋏で穴あけして表示するというスタイルだった!!
鹿島鉄道車内で買った乗車券

ちょうど下校時間帯でもあるためか車内はそこそこ混んでいた。午後4時25分、石岡到着。一度改札を抜け、ニューデイズでお菓子を買ったのち今度はSuicaを改札機にタッチして2番線へ。やがて、上野行き普通列車434Mが2番線に到着。この列車に乗っても上野に着けるのだが、総持寺君と待ち合わせをしている都合上土浦で特急に乗り換えることにした。午後4時52分、土浦到着。 オレはここで後続の上野行き特急46M「スーパーひたち46号」に乗り換えた。さすがに特急だけあって、上野まで凄い勢いで飛ばす。もっとも、三河島あたりではスピードを落としていたのだが……。午後5時38分、上野到着。総持寺君から「8時で」というメールが来ていたので、オレは少し秋葉原で時間を潰すことにした。秋葉原まで京浜東北線に乗車し、まずは秋葉原駅を撮影。その後、中央通りに出て秋葉原を散策。再開発が進む中、相変わらず電気店やホビーショップや同人系の 店も元気であった(笑)。秋葉原散策中に弟から電話があり、その後喫煙サロン「スモーカーズスタイル」を探して中央通をさまよったが見つからない。やむを得ず秋葉原駅へ戻ったのだが、ここでカフェのビラまきをしていたメイドさんと少し話しこんだ。とはいえ、秋葉原五案ないコースというものの説明を受けていただけなのだが。
(こういうのもあるんだなぁ)
オレは興味深々で話を聞いていたのだが、友達と横浜で待ち合わせしているので、ということで切り上げて駅へ戻った。次秋葉原に来た時は利用しようかな。

 オレは秋葉原駅に戻ったのだが、よく見ると自由通路ができていた。その通路をたどると、そこは新しくできたと思われる中央口が。そして、そのそばにスモーカーズスタイルは移転していたのである。ここで一服し、Suicaを改札にタッチして再び京浜東北線に乗車。浜松町を過ぎたあたりで総持寺君から電話が入り、品川で東海道本線に乗り換えることにした。京浜東北線よりも停まる駅が少ないので確かに速い。さて、横浜に着いたのだが、ここで予想していなかったアクシデントが起こった。
携帯の電池が切れてしまったのである。最初オレは南口から改札を出たので、どうしたらいいんだと半分パニックになりながら中央口へと向かった。秋葉原駅で確認したメールには、「中央口で」と書かれていたからだ。そして中央口付近に着いて充電器を探したものの、パニックになっていたため見つからなかった。最後の望みを託して携帯の電源をONにhしたところ、即座に総持寺君からの電話が来た。現在地を告げると、すぐに総持寺君がやってきた。 怒ってはなかったものの、最初は謝りまくった。総持寺君も連絡がないので少し不安になっていたらしい。話をしながらまずは横浜中央郵便局へ向かった。その後、横浜駅地下街を抜けてそごう10階のレストラン街へ。うろうろしながら店を探したが、なかなか決まらない。結局、釜飯屋「ほの家」で釜飯を食うことにした。総持寺君はおすすめメニューの中にあった釜飯、オレはすき焼き釜飯オーダー。飯を食いながらまた話に花を咲かせた。夕食の後、今度はヨドバシカメラマルチメディア横浜へ。横浜のヨドバシは 元の三越デパート横浜店の撤退後の店舗を使っているとのことで、札幌よりもフロアが充実しているような感じを受けた。まずは携帯電話充電コーナーでオレの携帯電話を充電することにし、待ち時間を利用して7階おもちゃコーナーに寄ったのだが、オレはここで103系ATC車のBトレインを衝動買いしてしまった。札幌じゃもう置いてないからである。総持寺君もミニカーコレクションを買っていた。その後、ガシャポンコーナーを見たのだが、そこに何と「のだめカンタービレ」のガシャポンがあった!! 迷うことなく買っていた……。傍らの総持寺君は大笑いしていた。 携帯の充電完了後、ヨドバシを出たオレ達は横浜駅へ向かい、ここでまたの再会を誓って別れた。オレは東海道本線の東京行きに乗り、東京駅からは山手線で上野へ向かい、前日と同じカプセルホテル&サウナ王城にチェックインした。ガウンに着替えてカプセルに入り、まずはひといき。それから風呂に入り、テレビを見つつ就寝したのだが、寝たのは日付を過ぎてからだった。そして最終日にはまたアクシデントに見舞われる羽目になった……。

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