Act.1 2月26日・鶴見線と特急東海名残り乗車

 この旅を計画したのは、1月の下旬だった。それというのも、昨年9月に関東に行った際に鹿島鉄道を全線乗り通してしまったので全駅をゆっくり見ながら乗り納めをしたい、というのと昨年11月に公式サイトにSOSを出した 銚子電鉄を訪問したい、そして今年3月のダイヤ改正で準急時代から50年半の歴史に幕を閉じる特急「東海」に乗りたい、という3つの欲があったのだ(笑)。そこでオレは2月の勤務スケジュールが発表されてからすぐに2月26日から28日の月末3連休を 使って関東旅行を計画し、すぐさま航空券の手配を済ませた。日程の都合上、今回は航空機で札幌と東京の間を行き来することにした。

 2月26日。この日は朝6時半に起きた。オレはいつも仕事の時は6時20分に起きることにしているので、すんなり起きられた。朝食を済ませ、7時半に家を出発。バス停に着くと、横浜在住の友人・総持寺てつ君(HNです)からメールが来た。実はこの旅行で、総持寺君と 飯を食おうという約束をしていたのだ。麻生駅まではバスを使い、麻生から札幌駅までは地下鉄南北線というお決まりのルートでJR札幌駅に到着。いよいよ、2泊3日関東乗り鉄リターンズの始まりである。まずは新千歳空港まで、快速「エアポート82号」のお世話になる。オレは uシート券売機でuシートの指定券と乗車券を購入し、エアポートが主に発着する5番ホームに上がった。
 8時15分くらいだったろうか。5番線に「エアポート」用の車両が入線し、乗車開始。そして8時25分、「エアポート82号」は新千歳空港へと向けて出発した。途中、新札幌や北広島でも乗客があり、自由席の混雑は相当なものになっていただろう。9時1分、新千歳空港駅に到着。 JALカウンター方面へのエスカレーターに乗り、予約しているスカイマーク708便の搭乗手続きをしにスカイマークのカウンターへ向かった。カウンターで搭乗手続きをして搭乗券をゲットし、セキュリティチェックを受けて搭乗口へ。このセキュリティチェックの際、危うく搭乗券を忘れるところだった。 搭乗口側の待合ロビーには売店があるので、ここで総持寺君への土産とお茶、さらには空弁「ジンギスカン弁当」を購入した。スカイマークの場合ドリンクサービスがないので(機内販売はしている)、こうした方がいいかな、と思ったのだ。9時45分頃、ようやく搭乗開始。この日の708便は、ボーイング737‐800型機。 もっとも、スカイマークは札幌線にこの機材しか投入していないのだが……。

 オレは指定された通路側の席に座り、離陸を待った。そして10時過ぎ、708便は新千歳空港のボーディングブリッジを離れ、ゆっくりと滑走路へ向かいはじめた。オレはこの時、既に手に汗をかいていた。というのも、オレは離陸の瞬間が一番嫌なのだ。心臓の鼓動もどんどん早くなっていく。そして、滑走路に入るや否や 一気に助走を開始し、離陸。苫小牧側へ向かうのかと思いきや、窓から見た限りでは恵庭方面へ向けて飛び立ち、早来丘陵の方を旋回して東京へ向かう、という航路をとっているようだった。水平飛行に入るまでの間、オレはもう緊張しっぱなしだった。やがてシートベルトサインが消え、水平飛行に入った。オレはすぐさまトイレに立った(笑)。 その後オレは、機内で空弁を平らげ、後はガムをかみながら機内での時間を過ごしていた。時たま窓をちらちらと見たのだが、「一体、どこ飛んでるんだ?」という疑問ばっかり浮かんできた。やがて11時10分過ぎから徐々に高度を下げ始め、関東平野が窓越しに見えるようになった。が、窓を覗いてみると宅地よりも田畑の比率が圧倒的に多い(笑)。 やがて旋回し、高度を下げつつ羽田空港へのファイナルアプローチに入ったが、この時はっきりと見えたのは市原あたりの化学工場群だった。どうやら、房総半島上空を旋回して羽田へと向かっているようだった。そして11時半過ぎ頃だったろうか、羽田空港に着陸。この時はもう海に落ちるんじゃないか、というくらい怖かった(^^;)。

 羽田についてからオレは、搭乗口側の喫煙所で一服しつつ家に羽田到着の一報を入れた。それから到着ロビーに降り、そのまま京浜急行の羽田空港駅へ向かった。最初の目的地は鶴見線なので、そのまま八丁畷へ向かうことにしたのだ。まずは印旛日本医大行き急行電車に乗り込み、京急蒲田へ向かった。横浜方面へは京急蒲田で乗り換える必要があるのだ。 羽田空港を出た電車は、途中天空橋、穴守稲荷、と各駅に停車して乗客を集めていく。空港連絡だけでなく、地域の足としての機能も果たしているのだ。しかし、オレが乗った急行は北総鉄道の車両である。京急の他、都営地下鉄や京成の車両までもが堂々と羽田までやってくるのが凄まじい。やがて列車は京急蒲田駅1番線に到着。京急蒲田駅は改良工事の真っ最中だった。 なんせ空港線ホームが1本しかなく、列車が入れ替わり立ち代りで入ってきて時には渋滞を引き起こし、空港連絡の面で最大のアキレス腱になっているためである。しかし、いつ完成するんだろう……。
 京急蒲田でオレは浦賀行きの各駅停車に乗り換え、そのまま八丁畷で下車した。ここでオレは、駅員に南武線に乗り換えるにはどうしたらいいのかを聞いてみた。駅員曰く、「一度改札を抜けてから乗車券を買うかSuicaを改札機にタッチする」形になるそうだ。オレはパスネットを改札機に通し、一服してからSuicaを改札機にタッチし、今度は跨線橋代わりにもなっているJR南武支線ホームへ向かった。 南武線ホームに上がってみると、ホームはえらく短い。尻手と浜川崎を結ぶこの南武支線、列車は2両のワンマンカーであるからこれで充分なのだろう。しかし、京急のホームとは違って首都圏とは思えないくらいまったりとした雰囲気が流れていた。空は快晴、眼下には川崎の下町の街並み、そして轟音をあげて通過する京急の列車……。南武支線ホームだけ、ゆったり時が流れるような感じがしていたように思う。

 午後12時38分、尻手発の普通列車1236Hが入線した。車両はかつて山手線で活躍していた205系という車両である。乗ってみると、ガラガラというほどでもないが結構あいていた。浜川崎までは所要わずか5分である。車窓に映るのは工場群ばかり。ちょうど、京浜工業地帯のど真ん中を走る臨海鉄道みたいな感じだった。浜川崎からは鶴見線に乗り換えである。この浜川崎駅、南武線ホームと鶴見線ホームは道路を挟んで向かい合う形になっているが 乗り換えの時にはSuicaをタッチする必要はないらしい。オレは八丁畷で乗った際、Suica残高が残り少なくなっていたのに気付いたのでこの駅の自動券売機でまずチャージをしてから鶴見線乗り場へ向かった。無人駅でも自動券売機がある点では札幌都市圏もそうなのだが、こちらはSuicaが普及しているためか改札もSuicaオンリーのようだ。さて、浜川崎の鶴見線ホームは道路を挟んで跨線橋を渡る形で到達する。で、こちらは跨線橋の中に自動券売機と簡易 Suica改札があった。
 オレは浜川崎12時55分発の扇町行き各駅停車1205列車に乗車した。今度の列車も205系電車なのだが、鶴見線用の3両編成だ。乗ったところ、がら空きであった。ちょうど昼間という時間帯のせいかも知れない。鶴見線はもともと臨港地域の通勤客が利用の主体ということもあるのだろう。12時55分、浜川崎発車。浜川崎から先の鶴見線は、何と単線。次の昭和駅まではわずか2分程度で着いてしまった。オレはここで電車を降り、駅を撮影。その後、扇町駅へ向けて 線路沿いの道路を歩いた。ひっきりなしにダンプや大型トラックが行き来しており、埃が舞い上がっていた。歩くことわずか6,7分程度で扇町駅到着。先ほど乗った電車が単線のホームでスタンバイしていた。オレが昭和まで乗った1205列車は、折り返し午後1時11分発の鶴見行き各駅停車1304列車になるのだ。まずは駅舎を撮影し、Suicaを簡易改札に通してホームに入り、乗車。当然がら空きであった。午後1時11分、定刻に発車。昭和、浜川崎、武蔵白石、安善と 各駅に停まって乗客を拾ってゆく。車窓に広がるのは当然、京浜工業地帯の工場群である。電車は工場群の中をゆったりとしたスピードで走ってゆく。電車は新しくとも、工場群の中をゆっくりと走る電車の旅もなかなかいいものである。札幌じゃ絶対、こんな体験はできない。
 午後1時20分、浅野到着。オレはここで降り、まずは駅を撮影。この鶴見線で、どうしても行っておきたい駅があったのだ。それは、
海芝浦駅である。なぜかというと、駅を出たらもうそこは東芝の工場の敷地内で、関係者以外は絶対立ち入りできず駅の中に閉じ込められた状態になる、という駅だ。そんなわけでオレは浅野駅の海芝浦方面ホーム・3番線に立った。この鶴見線・海芝浦支線は 浅野駅の手前で分岐して駅に入るため、ホームが凄まじくカーブしているのだ。午後1時27分、鶴見からの海芝浦行き1309列車が3番線に入線。ここから、海芝浦支線ミニトリップのスタートである。
 浅野を出た列車はわずか2分で新芝浦に到着した。ここまでは道路も並行しているのだが、この駅から先が海芝浦支線のハイライトだ。新芝浦から先は東芝京浜事業所の敷地内に入るのだ。反対側は海である。そして単線ホームの海芝浦駅到着。駅舎には「東芝京浜事業所」と書いてあり、注意書きもあった。つまり、東芝社員以外は駅構内から出られない駅なのである。オレは駅構内から入れる海芝公園という小さな公園でコーヒーを飲みながら時間を潰した。 列車は折り返しとなるので、そのままホームで待機である。オレは海芝公園のベンチから港の風景を見ていたのだが、目の前に巨大な吊り橋が見えていた。説明板によると、「鶴見つばさ橋」という橋で、横浜ベイブリッジともリンクしている橋らしい。高さも結構あるので、オレなら車での通過はできないな、と思った。
 発車5分前くらいにホームに戻ったオレはそのまま折り返しの鶴見行き各駅停車1308列車に乗車した。午後1時56分、発車。新芝浦、浅野からの乗車はそれ程でもなく、車内には午後のけだるさが広がっていた。混み始めるのは浅野の次の弁天橋からである。この辺は鶴見区の下町、という感じの住宅街で乗降客がぐっと増えるのだ。そして鶴見小野を過ぎると高架に上がり、国道15号線・第一京浜道路そばにある国道を経て鶴見駅3番線に到着した。実は国道駅については、 総持寺君から事前にメールで情報をもらっていたのだが、この時既に空腹がひどかったので今回はスルーしてしまったのだ。鶴見駅の自動券売機でSuicaのチャージをし、駅西口にあるというレストラン「ばーく」で昼飯を食おうとしたのだが既にランチタイムの営業は終了……。仕方がないので、松屋で牛飯大盛りととん汁のセットをオーダーして昼食とした。その後オレは鶴見駅を撮影し、旅行貯金をしようと鶴見郵便局へ向かった。が、月末の月曜日ということもあったのか窓口は 大混雑……。ここでの旅行貯金は諦め、鶴見駅に戻って京浜東北線に乗車し川崎で東海道線に乗り換えて東京駅へ向かった。この日の次の目的は、この3月で廃止される特急「東海」なのだ。東京駅に着き、一度改札を抜けて小田原までの乗車券と特急券をSuicaで購入。それから「東海」が発車する10番線に向かった。

 東京駅の9番線と10番線は主に伊豆方面への特急「踊り子」の他、唯一の九州ブルトレ「富士・はやぶさ」、最後の東海道昼行特急「東海」、新型寝台電車特急「サンライズ瀬戸・出雲」、日本唯一の寝台急行「銀河」、とまあ主に優等列車が発着するホームである。新宿や上野と違うところは、専用改札がないところだろうか。夕方近いこのホームは、まばらな乗客でがらんとしていた。「踊り子」や快速「アクティー」が入っているときはそこそこ賑わうんだろうけど……。午後3時40分くらいだろうか。 新橋方向から、静岡行き特急33M「東海3号」がゆっくりと入線してきた。ドアが開くと同時に乗り込んだのだが、乗客の入りはすずめの涙ほどである……。これでは廃止されても仕方がない。オレは自由席喫煙車の5号車に席を取った。その後ホームに出て「東海」の撮影をし、コンビニ「ニューデイズミニ」で軽食を買って席に戻った。一方、キヨスクの方はシャッターが閉まっていたが、このホームのキヨスクは寝台特急入線時にオープンするらしい……。
東京駅10番線の静岡行き特急「東海3号」
東海の行先・種別表示
東京駅の「東海」発車案内
 午後4時。発車ベルがけたたましくなり、発車。車内はがら空きのままであった。発車と同時に車内検札が始まり、乗車券と特急券を車掌に見せた。東京を出て最初の停車駅は品川だが、ここでは数人が乗車。続いて川崎、横浜と停車して乗客を拾っていく。が、乗ってくる客はわずかであった。横浜を出てからは戸塚のあたりまで丘陵地帯が続くのだが、「東海」はその中を軽快に飛ばしてゆく。しかし、3年前にこの沿線を通過したときにも思ったのだが、よくもまあびっしりと家が立ち並んだものだ。 この住宅街一色の景色は茅ヶ崎の手前で相模川を渡ったところで一旦途切れる。そして再び住宅街、となるのだが横浜近辺と比べると、若干のんびりした感じに変わる。そんな中をわずかな乗客を乗せた「東海3号」は西へ向けてスパートしてゆく。平塚でも乗降があり、車内は東京発車時に比べてわずかではあるが増えたような気がした。午後5時3分、小田原到着。オレはここで「東海」を降りた。閑古鳥が鳴いている有様に衝撃を受けた乗車だった。オレは「東海」を降りてから小田原のホームを撮影し、改札口を抜けて駅舎を撮ってから大急ぎで 新幹線ホームへ向かった。というのも、午後6時半頃に川崎駅で総持寺君と待ち合わせをしていたからだ。大急ぎで新横浜までの乗車券と特急券を買い、ホームに駆け上がると既に東京行き東海道新幹線特急580A「こだま580号」が入っていた。退避のため停まっていたようで、大急ぎで駅名票とホームを撮って飛び乗った。午後5時17分、発車。瞬く間に加速し、えらい勢いで飛ばす。東海道新幹線に乗ったのは、高校の修学旅行以来で実に16年ぶりである。流れゆく景色、そしてすれ違ったときの凄まじい風圧。まさに時速270キロの世界を この時初めて体験した。午後5時34分、新横浜駅到着。新幹線ホームを撮った後、駅舎を撮影しようと外に出たのだが工事中でえらく雑然としていた。仕方がないので、駅入口だけ撮影して横浜線乗り場へ向かった。新幹線ホームが改装されて綺麗な感じだったのに対して、横浜線ホームである5番線・6番線は改装工事のあおりをモロに食らってえらくしょぼい感じだった。横浜線ホームに着くと、すぐに磯子行き各駅停車がやってきた。オレはこの列車に東神奈川まで乗り、東神奈川からは京浜東北線北行の各駅停車に乗車した。そして午後6時過ぎには 川崎駅改札口に到着した。

 川崎市はオレの記憶だと人口130万人くらいの街と思っていたのだが、札幌以上の人の多さにびっくり仰天してしまった。札幌駅でも、これほど多くはない。開いた口が塞がらなかった。改札口前の時計のところで総持寺君を待っていたのだが、不意に背中をぽんと叩かれた。振り返ると、そこに総持寺君がいた。実に3年半ぶりの再会である。再会を喜び合った後、晩飯を食うために川崎の街の中へ繰り出した。向かった先は繁華街・砂子にある「こげ家」というお好み・もんじゃ焼き屋である。が、場所が分からずオレ達は砂子界隈をふらふらすることになった(^▽^;)。 探すこと10分くらいでようやくこげ家を発見。飲み食い放題2980円のコースをオーダーし、まずはもんじゃ焼きから夕食会はスタートした。実はオレ、この時までもんじゃ焼きを食ったことがなかったのだ。総持寺君からもんじゃの食い方を簡単ながら教えてもらい、実際に自分でもやってみたがなかなかうまくいかない。それでもまあ、初めてのもんじゃは美味かった。その後はお好み焼きを食いながらお互いの近況や街の話題などを語り合った。オレはこの時、話をしながら上野のカプセルホテル北欧に何度も電話していたのだが、電話に誰も出ないため不安になっていた。
総持寺君「最悪の場合、オレに連絡頂戴。寮長に言えば何とかなるからさ」
総持寺君が助け舟を出してくれたのだが、なんか悪いような気がした。
 さて、さすがにお好み焼きを2個も食うと腹がふくれてしまい、9時過ぎにおあいそを済ませて店を出た。その後、総持寺君とオレは川崎の街を歩きまくった。 びっくりしたのは川崎駅の西口にできたという「ラゾーナ川崎」という巨大ショッピングモールである。総持寺君によると、再開発によって誕生したモールなんだそうだ。あまりの大きさにびっくりしてしまった。
オレ「サッポロファクトリーなんて目じゃねェな」
 しかも、サッポロファクトリーだと屋根がかかっているのに対してこちらは思い切り吹き抜けである。
総持寺君「こっち雪降らないしね。屋根つけなくても大丈夫なのさ」
 ラゾーナは、オレにとって衝撃だった。

 川崎駅で総持寺君と別れたオレは、東海道線で東京へ戻り、東京からは山手線で上野へ向かった。オレは早速、カプセルホテル北欧へ向かったのだが……。

「2月24日から28日まで、改装工事のため休業いたします。リニューアルオープンは3月1日です」
 脱力した。が、上野駅の向かいにもう1つカプセルホテルがあることを掴んでいたオレは、ためらうことなくそのホテルに向かった。そのホテルとは、「カプセルホテル&サウナ王城」である。チェックインを済ませ、指定のカプセルに向かった。ロッカーでガウンに着替え、その後「宿に着いたぞー!」と総持寺君と弟にメールを打った。その後、風呂に入って一息ついてからカプセルに入って爆睡した。

 この日は関東での行動は半日だけだったのだが、その割にはメチャクチャ動きまくったような気がする。次の日はもっと凄い動き方になるのだが……。

Act2・鹿島鉄道乗り納め編へ
ミッドナイト・エクスプレスへ戻る
ナスカ無料ホームページ無料オンラインストレージ