Vol.6 8月22日、23日、24日・さらば関東・いざ北へ!(横浜‐上野‐仙台‐札幌)

 8月22日。ついに帰る時がやってきた。朝起きたのは7時過ぎくらいだった。実を言うと、関東に来て以来寝苦しい夜ばかりであまり寝たという実感がなかった。顔を洗い、ベッドを整理してシーツと荷物を持ってフロントへ。フロントにYH会員証を預けていたので、それを返してもらう。これでチェックアウト完了であった。神奈川YHを出て、いったん近くの丼やさんで朝食。そして改めて桜木町駅へ向かった。 桜木町から横浜駅までは京浜東北線を使ったが、横浜で乗り換えた。というのも、オレはまだ東海道本線の普通電車に乗ったことがないのだ。そこで横浜‐東京は東海道本線を使うことにした。やってきたのは上がオレンジ、下が緑の113系という電車だ。しかも結構混んでいた。意を決して乗り込んだが、結局立つ羽目に。川崎でも乗客が増え、品川でかなり減るかと思ったのだがそうはいかず、結局余裕が出来たのは 東京の一歩手前・新橋だった。新橋‐東京でようやく座れ、東京で今度は山手線に乗り換えた。やってきたのは最新型のE231系電車。乗ってみてオレはびっくりした。車内の案内表示が液晶なのである。これにはたまげた。札幌近郊のJR731系ですら、電光式だというのに……。最新式の電車にびっくりしながら上野まで乗車し、上野駅のコインロッカーに荷物を 預け、何を血迷ったのかよせばいいのに秋葉原で時間をつぶすことにした。オレが乗る電車は上野11時50分発の高萩行普通列車371Mなので、時間が2時間程度あったのだ。以前なら神田の書店街へ足を向けたものだが、結局オレも感化されてしまったのだろうか? 秋葉原一帯は歩行喫煙禁止区域になっているので、タバコは吸えない。と思ったら、「スモーキングサロン」なるものを発見。その中に入り、タバコを吸う。 喫煙者のための施設があるのも、歩行喫煙が禁止されているからだろう。タバコを吸った後、よせばいいのに秋葉原の町を暑い中ほっつき歩き、再び上野駅へ。コインロッカーから荷物を出し、駅弁を買って高萩行き発車ホームの9番線へ。だが、常磐線はこの日松戸で車両故障があったとかで列車が遅れていた。高萩での乗り継ぎに支障がなけりゃいいんだけどな。オレはマジでそう思った。
 やがて高萩行きの電車が入ってきた。長いこと常磐線で活躍している415系という電車だ。オレが乗った車両はボックス座席だった。中には地下鉄並みのロングシート車もあるので、これは注意が必要だ。発車時間の11時50分になっても、列車は動かない。列車の遅れの影響で、先に取手行の快速を出してから発車する、とのこと。隣の12番ホームから、取手行のE231系常磐快速が発車し、それから間もなくオレの乗る 371Mも発車した。上野をだいたい5分遅れで出たところだろうか。上野からは日暮里、三河島、南千住、北千住と停まっていく。北千住から電車は加速し、千代田線・常磐各駅直通線の綾瀬・亀有・金町を横目に見て、やがて江戸川を渡って東京都とはお別れ。次の駅は松戸なのだ。千葉県最初の駅だ。ここでオレの乗った電車はいわき行き特急23M「スーパーひたち23号」を待避するためしばし停まる。すると、あっという間に「スーパーひたち」 が走り去っていき、こちらも後を追ってすぐに発車した。そして列車は、常磐緩行線が停まる北松戸、馬橋、新松戸、北小金、南柏をシカトして柏に到着。ここはすぐに発車した。そして北柏を過ぎ、我孫子に到着。ここは成田線との乗換駅で、いくらかの客が下車した。我孫子は茨城県との境に接している街で、天王台駅の先の利根川が境界になっている。で、オレの乗った列車はあっという間に利根川を渡り、茨城県に入った。橋を渡ってすぐに取手に到着。 ここで常磐快速線は終わりで、取手以北は約15分間隔の運転になる。取手を発車してしばらくした頃、一瞬電車の中の照明と冷房が消えた。取手‐藤代には交流・直流切り替えのデッドセクションというのがあり、それを通過した時にこういう現象になるのだ。

 以後、佐貫、牛久、土浦でコンスタントに乗客を下ろし、水戸で結構な乗客の入れ替わりがあった。オレは水戸で乗り換えようと思っていたのだが、結局そのまま終点・高萩まで行くことにした。水戸の次は勝田で、ここには常磐線の電車を引き受ける勝田電車区がある。勝田では仙台行き特急27M「スーパーひたち27号」を待避するため6分停まる。上野を出た頃の遅れは、土浦での停車時間を切り詰めたために定刻運転にまで回復していた。やがて、 「スーパーひたち」がやってきた。30秒の停車ですぐ発車するはずが、なかなか動かない。ホームに出ていた煙草を吸っていたオレは、「何かあったんか?」と思いながらそのサマを見ていた。やがて「スーパーひたち」が発車し、オレの乗った371Mも定刻から3分くらい遅れて勝田を発車した。常磐線は一番乗車密度が高いのは上野‐水戸じゃないだろうか、と思う。なにせ、水戸から北は11両じゃ輸送力過多じゃないの? と思えるくらいだった。車内に余裕がありすぎるのだ。 日立製作所の工場が並ぶ日立を過ぎ、一気にがら空きになった列車は14時58分、定刻から2分遅れて高萩に到着した。ここでオレは後続の久ノ浜行き普通列車643Mに乗り換える。高萩は側線はやたらとあるが、ホームは島式ホームが1本あるだけの何ともチャチい駅だ。その高萩駅のホームで、ぼんやり久ノ浜行きを待つ。待つこと約20分で、久ノ浜行き普通列車がやってきた。今度は8両編成だ。だが、これでも輸送力過多らしく車内はがら空きであった。高萩から先はいよいよ 東北への道をたどる。大津港‐勿来の間が茨城・福島県境であり、関東と東北の境でもあるのだ。その境界をあっけなく過ぎ、勿来から福島県いわき市にはいる。夕方近くということもあるのか、制服姿の少年少女が乗ってくる。そこそこの混み具合になっていわきに到着。列車は3つ先の久ノ浜まで行くのだが、確実なのはいわき乗り換えという思いがあったのでここで降りた。さて、いわき駅からは午後4時44分発の仙台行普通列車263Mに乗るのだが、待ち時間が40分あるので構内のコンビニで 時間をつぶそうと思い、いったん改札を抜けた。だが、いわき駅には
駅コンビニ「ニューデイズ」がないのだ!どうも、ターミナル駅だからといってどこにでもあるわけじゃないらしい(T^T)。仕方なく、駅前の小さなコンビニで菓子を買い、再び駅に戻ってホームにスタンバイしていた仙台行きに乗り込んだ。今度の電車は仙台で担当している電車で、クリームホワイトに緑の帯が入った電車だった。この日の263Mは717系という電車の6両編成。717系は その昔上野‐仙台などの急行で活躍していた455系という電車の機器を流用して車体を新しく作ったという、いわゆる更新車である。オレが乗ったときは発車まで20分以上あったので、車内は思い切り空いていた。発車時間が近づくにつれ、乗客がぱらぱらと乗ってくる。そして午後4時44分、定刻どおりにいわき駅3番ホームから発車した。

 いわきを出てからは各駅に停まってゆくのだが、常磐線はいわきの2つ先の四ツ倉という駅から単線に変わる。常磐線というと東京と北関東・東北を結ぶ幹線ルートというイメージを持っていたオレは、四ツ倉から先の単線区間に入ったとたん思い切り面食らった。

「ええ(゜Д゜)!?」
 この落差は一体何なんだろう。時刻表を見ると、特急「スーパーひたち」もいわきから先は本数が激減している。大多数がいわき止まりで、その先の原ノ町・相馬・仙台へ向かうのはたった6往復で、うち2往復は原ノ町どまりなのだ。つまり、「スーパーひたち」本来の機能はいわきまで、ということになるのだ。実際、車窓の風景もいわきから南より遥かにローカル色が濃くなっていた。ただ、途中の駅は全て行違いが出来るようになっていた。常磐線も高速貨物列車が通る、ということもあるのだろう。 オレが乗った電車は最初は定刻どおり走っていたのだが、途中どこからか行違いの上り電車の遅れの影響をもろにかぶって遅れ始めたのだ。途中、乗客にまとまった動きがあったのは浪江、原ノ町、相馬程度だった。相馬を過ぎると夜の帳が降り始め、福嶋・宮城県境を超えた頃はもう真っ暗闇!どこを走っているのかさっぱり風景が分からなかった。電車は既に定刻から10分以上遅れていた。そういえば宮城県では5月、8月と大地震が頻発していたので、 その影響もあったのだろうか? 山下という駅から仙台近郊区間に入り、岩沼で東北本線に合流。ここからは乗ってくる客も増え、結局定刻から13分ほど遅れて仙台駅に着いた。改札口を抜け、駅のペストリアンデッキに出て家に電話。それから地下鉄仙台駅に向かったのだが、JR駅から地下鉄駅までの間にはえらい距離がある。500メートルくらいの長い連絡通路を歩いて、地下鉄乗り場に到着。この日の宿は国分町のカプセルホテル・リーブス。去年の会津旅行にも使ったことのある宿だ。地下鉄の泉中央行きに 乗車し、乗ること3分で国分町への入口・勾当台公園駅に到着した。

 勾当台公園駅から国分町までは歩いて5分程度。だが、重い荷物を持って歩くにはちょっとハードだった。疲れがたまっているせいかもしれないのだが。一番町のアーケード街(札幌で言うところの狸小路のようなもの)を通り過ぎ、国分町に入ったのだが、週末ということもあるのかやたらとクラブ、風俗の呼び込みがうるさい。その喧騒の中を通り、目指すリーブスに到着。チェックインして、自分のカプセルに移動。荷物を置き、夕食をとるためにとりあえず外に出た。横浜のてっちゃんから、牛タンのうまい店・「たすけ」が 一番町にある、という事を聞いていたのでその店で食おうと思い、一番町界隈をうろついた。だが、さっぱり見つからない。詳しい住所を聞かなかったのが致命的ミスだった! 結局諦め、ふらふらと一番町を歩いていたのだが、ここでネット喫茶を発見。早速入ったのだが、入会手続きをする羽目になった。札幌在住の人間が仙台のネットカフェの入会手続きをするのもなんだかこっけいなように思えたのだが。しばし後輩や知人のサイトを見て、ネットカフェを出て結局「なか卯」で夕食を済ませた。そしてリーブスに戻り、風呂に入って この日は寝た。

 8月23日。目が覚めたのは7時半ごろだった。そのままカプセルベッドの中でうだうだし、結局本格的に起きたのは8時半ごろだった。洗顔などを済ませてチェックアウト。がらんとした繁華街をてくてく歩いて勾当台公園駅から地下鉄で仙台駅へ移動。地下鉄駅はJR仙石線のあおば通駅とリンクしているので、あおば通から仙台までは仙石線を使った。去年と全く同じコースである。仙台駅のS-PALレストラン街で朝食を取ろうと思ったのだが、どこもまだ開いていなかった。結局、喫茶店でモーニングセットを頼む羽目になった。それから仙台駅近辺を しばしふらふら。こんなことをするくらいなら青葉城公園か東北歴史博物館へ行けばよかったか、と今になってちょっと悔やんでいる。だが、列車の時間を考えるとそうもいかなかった。仙台からは11時40分発の小牛田行き普通列車1537Mに乗ることにしていたのだ。駅に戻って駅弁「みちのく古川まなむすめ弁当」を購入し、昼食を確保した。小牛田行きは仙台地区用の719系電車4両編成だった。ボックス席を確保したが、ここでは相席に。小牛田までは46分かかったが、行にどんよりしていて見られなかった松島の海岸線を見ることが出来た。 小牛田で一ノ関行きの普通列車533Mに乗り換え。ここから再び、701系地獄のスタートである。データイムなので電車は2両のワンマンカーだった。行きに比べると、比較的余裕のある車内だった。東京に向かう時は殺人的ラッシュだったからなぁ(^▽^;)。一ノ関に着いたのは午後1時33分。ここで33分の待ち合わせで盛岡行き1541Mに乗り換える。一ノ関駅は1番ホームが仙台行き、2番ホームが盛岡方面、3番ホームが気仙沼・盛方面の大船渡線、そして11番・12番ホームが東北新幹線という形になっている。ホームで一服しながら盛岡行きの入線を待つ。 やがて、パープルの帯を窓下に締めた盛岡の701系電車がホームに入ってきた。今度もまた2両のワンマンカーである。今度の電車は岩手県南部と県都を結ぶ役割を担っているので、比較的利用している人が多かった。特に、水沢や北上からは乗客が増えていた。15時38分、盛岡駅に到着。ここでまた乗り換えである。次に乗るのはIGRの八戸行き快速105Mである。JRの改札を抜けてIGRの改札へ向かい、「北海道&東日本パス」を提示。ホームに入り、電車に乗り込んだが今度のはボックスシートがついていたので早速席を確保。続いておばあさんとおばさんが 席に座ったので結局相席になった。発車まで間があったので、改札でIGRの時刻表をもらい、さらにチョロQを購入し、電車に戻った。
 午後4時13分に電車は発車した。オレの向かいの席に座ったおばあさんと話をしたのだが、なんでも二戸の友人のところに行く、という。そのほかにも、最近の子育て事情についての話などが出た。オレはまだ独身だが、結婚して子供が生まれた時には参考になることばかりだった。さて、乗客が多かったのは二戸までで、岩手・青森県境に差し掛かった辺りからは一気に空いた。県境を越えて最初の停車駅・三戸でもそれほど乗ってこなかったので結局車内に余裕を残したまま終点・八戸に到着した。ここでは40分の待ち時間があり、改札を出て駅弁屋さんで「倉石牛弁当」 を購入。さらに駅そばを食べてしまった(笑)。次にオレが乗るのは八戸18時20分発の青森行普通列車579M。向かいのホームには青森経由の弘前行き特急19M「つがる19号」がスタンバイしていた。「つがる」は普通列車より5分先に発車した。そこそこ乗っていたように思う。一方、オレの乗った普通列車はがら空き。定刻どおりに発車したが、途中の陸奥市川、下田で乗客をそこそこ集めたが、三沢から先はガラガラ。おまけに真っ暗なので車窓の風景が分からなく、非常につまらない。野辺地でも乗客はなく、結局閑古鳥の鳴いた状態で午後7時54分、青森に到着した。

 青森ではなんと2時間51分の待ち時間。というのも、次に乗るのは午後10時45分発札幌行急行201列車「はまなす」なのだ。「北海道&東日本パス」を活用するつもりでいたので、指定席などとっていない。それがあったので、自由席の場所まで移動して待機開始、となった。その間、恐ろしく暇だった! で、ホームを観察してみると、1番・2番ホームと5番・6番ホームはホーム売店はキヨスク、3番・4番ホームは駅コンビニ「ニューデイズ・ミニ」だった。これは3番・4番線に津軽海峡線の特急が発着するからなのだろうか。待っている間、函館行き特急1021M「スーパー白鳥21号」が到着。JR北海道の HEAT789こと789系特急電車であった。6分停車で発車したが、発車ベルが首都圏そのものだった。

ちゃらららんらん、ちゃらららららら、ちゃらららんらん、ちゃららららら、ちゃらららんらん、ちゃらららんらん、ちゃらららら〜
 ちなみに、オレが肉眼で「スーパー白鳥」を見たのはこれが始めてである。マークはかつての現代版北前船・「白鳥」(大阪‐青森)に似ていた。しばらくして、オレが待っている4番ホームに八戸行き特急1042M「白鳥42号」が到着。これも青森での乗り換え客などを降ろして6分後に発車した。それから「はまなす」の入線まで、実に退屈な時間が続いた。大阪行きの寝台特急8002列車「トワイライトエクスプレス」が入線して機関車を換えて発車していったシーンを見ることができたが、夜の青森駅はもう閑散としていた。時間が経つのがものすごく遅く感じられた。待つこと約2時間20分後。 午後10時10分だったろうか、南のほうからオレが乗る「はなます」がディーゼル機関車に引かれて入線してきた。この日は所定の7両編成だった。ドアが開き、乗車。オレは窓側の席を確保した。発車10分前に通路側の席に一人座り、相席に。しかし、ぐわあーんという床下発電エンジンの音がやかましい。おまけに、座席も狭いしリクライニングがほんの少ししか倒れない! ここからオレの地獄が始まった。

 午後10時45分、「はまなす」は札幌へ向けて発車した。発車してすぐに車内放送がかかり、停車駅と到着時間の案内がされた。その後車内改札である。オレは「北海道&東日本パス」を提示し、検印を押してもらった。その後、隣の席の人としばし話をした。互いの就職のこと(といってもオレは勤め人なのだが)、旅のことなどを話した。その間、オレの頭の中がどんどんさえていったのは言うまでもない。結局、津軽海峡線、青函トンネル内で寝れるかと思ったのだが、全く眠れないまま函館に到着した。既に8月24日になっていた。そこから先も、オレは全く眠れなかった。東室蘭、登別、苫小牧、南千歳、千歳、 新札幌と停車してその都度乗り換え放送がされたこともはっきり覚えている。そして午前6時7分。「はまなす」は札幌駅5番ホームに到着した。この間、オレは一睡もしていなかったのだ。オレは8番線に移動し、6時18分発の札沼線(学園都市線)の1番列車・石狩当別行き529Dに乗り換えた。この列車は新琴似まで乗車し、新琴似駅から家まではさすがに歩くのは辛いのでタクシーを使った。家に着いて、オレは汚れ物などを洗濯籠に入れてすぐに寝てしまった。目が覚めたのは昼ごろだった。

 今回の旅行は、オレにとっては非常に有意義なものだった。特に、靖国神社と鎌倉、「三笠」はオレに先人達の思いを感じさせてくれた、と思う。また来年もこういう、先人達に思いを馳せる旅に出たいと思う。


前に戻る
ミッドナイト・エクスプレスへ

ナスカ無料ホームページ無料オンラインストレージ