Vol.2 8月18日・上野国立博物館と靖国神社

 この日、目が覚めたのは8時半ごろだった。洗顔などをして、すぐさまチェックアウトして上野駅へ。中央改札を抜けてコインロッカーに荷物を預けて、改札内コンコースのモール街へ。その中の定食屋に入り、そこで朝定食を食べた。それから山手・京浜東北線ホーム側にある公園改札口から外に出た。目の前には既に上野恩賜公園(以下、上野公園)があった。 そう、この日向かう第1目的地、東京国立博物館は上野公園内にあるのだ。上野公園には有名な上野動物園もあり、多くの親子連れなどでにぎわう公園なのだが、この日はあいにく休園日だった。まずは西郷隆盛銅像を見に、公園内を散策。前日までの雨のせいか、風が木の葉を揺らすと水滴が落ちてくる。西郷さんの銅像は、公園の出口にあった。そこはどちらかというとJR上野駅よりは京成上野駅に 近いほうだった。そこに、東京を見守るように西郷隆盛の銅像は建っていた。西郷の墓は鹿児島にあるが、果たして今の腑抜けた日本をどのような思いで見ているのだろう、と想像してしまう。西郷の銅像を写真に収めた後、再び公園内を今度は国立博物館へ向けて歩を進めた。上野公園は意外と大きく、西郷銅像から国立博物館までゆうに500m以上はあったかもしれない。
 東京国立博物館は、上野公園大噴水の道路を挟んだ真正面にあった。入館券売り場は正門前にあるのだが、この日は特別展示をやっている、という大看板、ポスターが出ていた。その特別展というのが、「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展」というものだった。そういえば奈良の法隆寺なんかはヘレニズムの建築様式・エンタシスの影響を受けていたというらしいし、興味を引かれたのでこちらの方を見てみることにした。 だが、最初に券売機で通常展示分の入館券を買ってしまい、結局払い戻して特別展の入館券を買う羽目になってしまった。さて、この東京国立博物館なのだが、正門から入って右に東洋館、真正面の見るからに豪壮な和風の建物が本館、そして左奥に平成館、そして本館すぐ左に法隆寺宝物館、という4つの建物からなっている。これがまた馬鹿でかいんだよな。厚別にある北海道開拓記念館なんて見劣りしてしまうくらいだった。 まずは「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展」をやっている平成館へ。この平成館が国博では一番新しい建物のようで、もっぱら特別展の会場、そして考古学に関する常設展示の場として使われている。まず入って、入館券を提示し2階の会場へ。ここでは音声ガイドで案内をしているとのことでレンタル料500円を払って音声ガイドをレンタルしていざ中へ! いきなりアレクサンダー(管理人註:オレはアレクサンドロスという言い方があまり好きじゃないので、 「アレクサンダー」という言い方にさせていただきます)の頭部の像が。感嘆しましたよ。この展示、前半部から後半半ばにかけては古代ギリシア、ローマ時代の彫刻や工芸品が多く、日本・中国の方は一番最後になっていた。前半部分ではまずギリシアのヘレニズム時代の美術彫刻などがずらり。アレクサンダーの胸像、さらに絵がかかれているリュトンという器、ギリシア神話の神々の像。古代の文化の質の高さにただただ驚嘆。オレが印象に残っているのは アレクサンダーの肖像彫刻、ヘラクレスの一休みの像(正式名称:「憩うヘラクレス」)、彫像「眠るヘルマフロディテ」。特に「眠るヘルマフロディテ」という像、後ろから見ると女性が寝ている、という感じなのだが前を見て「!?」
ハイ、付いてましたよ! あれが! 敢えてここでは明かしません。で、古代ギリシアでも王の肖像を通貨に掘り込むということはやっていた、というのが印象に残った。既にギリシア古代文明では貨幣経済が発達していたのか、 とますます感じ入ってしまった。そして進み、最後は日本・中国に伝わったヘレニズムの痕跡を見学。「風雲雷神図屏風」が印象に残っている。
 この展示を見て知ったことなのだが、ギリシア神話の神はローマ神話と同一視され、それはペルシャ、インドを経て果ては極東アジアの中国や日本にまで伝わった、ということがある。遥か1000年以上かかって日本までやってきた、というわけである。そのスケールの大きさはとてもじゃないがただ感服するばかりだ。この特別展に圧倒されたオレは、すぐさま本館へ向かおうと思ったのだが、本館に向かう通路の途中で「考古学展示」の展示室に視線が行ったので、そこも入ってみることに。 中は縄文、弥生、古墳文化から江戸期までもうたくさんの出土品がこれまたずらりと並んでいた。感嘆しつつ、平成館から今度は本館へ。連絡通路から入るといきなり仏像彫刻のオンパレード! 阿弥陀如来像などが展示されていた。主に奈良、平安期の仏教美術が多く展示されていたように思う。さらに一周して本館内を見たが、基本的に伝統的工芸品の展示だった。その中に、アイヌに関する展示があったのがびっくり。アイヌの衣服、マキリという小刀、アイヌの織機、家の模型が展示されていた。 開拓記念館にあったっけ? なんてことを思いながら国博を出た。今回は東洋館は見なかった。というのも、次に行くところがあったからだ。でも、本館と平成館で思い切りおなか一杯になったな。

 さて、一度上野駅に戻って改札内コンコースの「サンディーヌエクスプレス」というカフェテリア形式のレストランで昼食を取り、今度は京浜東北線に乗車。データイムは京浜東北線は快速運転になるので、上野の次は秋葉原、そして東京駅に停車。御徒町と神田は通過だった。東京駅で今度は地下鉄丸の内線に乗換えだ。地下の丸の内中央口から抜けて丸の内線乗り場へ。丸の内線に乗ったのは東京‐大手町の一駅だけで、次は半蔵門線に乗換えだ。で、やってきたのは東急電鉄車両の中央林間行き。 半蔵門線は渋谷‐半蔵門‐九段下‐大手町‐水天宮前‐錦糸町‐押上というルートなのだが、渋谷から先は中央林間まで東急新玉川・田園都市線と、押上から先は南栗橋まで東武伊勢崎線と乗り入れをやっている。だから、営団車に必ずしも乗れるというわけではないのだ。そして九段下で半蔵門線を降りた。次の目的地は
靖国神社なのだ。九段下駅の出口から出て坂になっている靖国通りを少し歩くと、日本武道館の入口にもなっている 田安門交差点に着く。そこにでっかく「靖国神社」と書かれた石門が!
「これか!」
 思わず口をついて出た。そのまま境内に入り、真っ直ぐ拝殿へ向かう。拝殿前に賽銭箱があり、そこにお賽銭を入れて神道式の拝礼。この靖国神社、これまでに日本国を守るために戦って死んでいった人々の英霊を祀るための神社なのだ。参拝後、敷地内の「遊就館」という博物館へ。入ってびっくりした。
ゼロ戦とC56型蒸気機関車が並んで展示されていたのだ! 実を言うと、オレがゼロ戦の実物を見たのはこれが初めてなのだ。初めて見たゼロ戦の勇姿にもう感激。 そして入館券を購入し、展示室へ。中身は日本の明治維新以降の戦いの歴史を主に紹介しており、特に支那事変と大東亜戦争の展示については膨大な量の展示があった。オレがこの遊就館の展示で印象に残っているのは日露戦争と大東亜戦争に関する展示だった。特に日露戦争においては、映像(スライド?)による展示もあり、全身の血が逆流するかのような興奮を覚えた。「日本を守る」これにオレはしびれまくった。当時、日本にとって最大の脅威はロシアだったからな。それに勝って存亡の危機を脱したんだから、 感服するほかない。大東亜戦争関連の展示では、対米開戦前夜の対米譲歩案「甲・乙両案」の全文を初めて見た。あることは知っていたのだが、こうして実物を見ると当時の日本政府が何とかアメリカとの戦争は避けたい、という思いで一杯だったんだな、というのを感じ取ることが出来た。でも答えはあの悪名高い「ハルノート」だったんだもんな。これじゃ、もう耐え忍ぶことも限界に達しちゃうわな。大東亜戦争の展示のあと、大展示室へ。そこには、特攻潜水艦「回天」、さらに艦上爆撃機「彗星」、戦場収集品のほかに「大和」 「翔鶴」の模型が。「回天」、これも燃えた。で、「回天」搭乗員の遺書の全文と音声展示があったが、オレは遺書の分を読んだだけで泣きそうになったので音声の方を聞くのはやめた。「みんなと一緒に過ごしたい」といいながらも、「だが、僕の中の日本人の血が叫ぶ」という覚悟。今に生きる、オレ達現代の日本人の大多数に欠けているものじゃないのか? 特攻して命を散らした兵士達を悪し様に言う資格なんて、はっきり言って誰にも無い! オレはこの遺書を読みながら、本当にそう思ったよ。大展示室を出ると、次は大東亜戦争で 戦死した英霊の遺影が。そう。この靖国に、彼らはいるのだ。決して、死んで終わっているわけじゃないのだ。
 靖国神社に関して、中国などが首相参拝についてぎゃあすかぎゃあすか文句たれているが、オレに言わせると一国の元首が国を守るために亡くなった英霊達を慰霊するのは至極当たり前のことじゃないのか?という思いで腹がたってくるのだ。情け無いことに日本人の中にもそういう奴がいるのがもう本当に腹が立つ。国立の追悼施設をつくろうなんてことが福田官房長官を中心に討議されているらしいけど、そんなものは要らない、と言い切ってしまおう。この靖国に全てがあるのだ。だから、オレはもし何がしかの用事で東京や首都圏に 行くことがあったら、ぜひ靖国神社に参拝し、遊就館で目を覚まして欲しいと思う。今回、靖国に行って本当に良かった。オレは心からそう思っている。

 靖国神社の菊のご紋の門の前で記念撮影をしてもらい、今度は九段下駅から営団東西線に乗り、茅場町という駅で日比谷線に乗り換え、秋葉原へ。以前、高校の修学旅行で行った時は家電の街という印象があり、オレの中ではそれが完全に固定化されていた。後輩君たちの話では完全にオタクの町に変貌した、ということだったが、全然実感が持てず、行ってみることにしたのだ。実に12年振りである。秋葉原に着いて中心に行ってみると、なるほどまだ家電の街、という感じが残っていた。だが、メインストリートの中央通を歩いてくと、 ゲーム屋だの「とらのあな」だの、という看板が目に付く。これで納得してしまった。で、「とらのあな」という同人系のお店に入ってみたのだが、店内の雰囲気に唖然。ディープ系の奴らがたくさんいやがった。「何だこりゃ!」というのと、「これ、はまりそうで怖ェな」という恐怖感で逃げるように出て、京浜東北線で上野へ戻り、コインロッカーから旅行カバンを出してまた京浜東北線で東京へ。東京で今度は横須賀線に乗り換える必要があるのだ。この日の宿は鎌倉のユースホステルだからなのだ。地下の総武快速・横須賀線ホームに着くと、既に 午後4時41分発の逗子行き普通列車1561Sが入っていた。空席を見つけて座る。定刻に発車し、品川までは地下線を走る。品川からは東海道新幹線としばらく併走し、西大井という駅を過ぎて多摩川を越えた辺りで単独になる。で、新川崎を出てしばらくすると東海道本線、京浜東北線、京浜急行と並走する形になる。この並走状態は横浜まで続き、横浜からは東海道本線と大船まで並走する。ただ、こちらの方が駅が多い。東海道本線は横浜から次はいきなり戸塚なのだが、横須賀線はその間に保土ヶ谷、東戸塚という2つの駅を挟んでいる。 そして大船から鎌倉市域に入り、午後5時35分に鎌倉駅に到着した。ここで江ノ島電鉄(以下、江ノ電)という私鉄に乗換えだ。この日の宿は江ノ電・長谷駅から近い鎌倉はせユースホステルだ。江ノ電は12分間隔なので、電車が一度出るとちょっと待つ。次の電車の発車2分前になって藤沢行きの電車が到着。すぐさま折り返して発車。やたらと狭いところを走る。こすれやしねェか?とオレははらはらしっぱなしだった。鎌倉を出て3つ目の駅が長谷(はせ)。ここで江ノ電を降り、改札を抜けて踏切を渡り、藤沢方面への軌道の脇の道をたどり、道なりに行ったところに 鎌倉はせYHはあった。なんでも今年出来たばかりのユースだそうで、建物はこぎれいだ。玄関のチャイムを鳴らし、早速チェックイン。
 ペアレントの吉野さんから消灯時間、門限、入浴などの説明を受け、宿泊室に入室。2段ベッドが3つあり、ユースとしての宿泊室としてはオーソドックスなスタイルだ。で、このYH、全てが木で出来ているのが凄く味わい深いものがあった。木目の温もり、というのだろうか。付近の静寂もあいまって、非常に気持ちが和らいだ。夕食をとる前に風呂に入り、汗を落とした。そして夕食。おいしかった。アットホームな感じがしてこれも良かった。夕食後、吉野さん夫妻ともうひとりのお客さんとコーヒーを飲みながら旅話をした。鎌倉の見所の話をしたり、北海道の 今の状況を話したり、と盛り上がった。途中、大阪からの親子連れのお客さんのにぎやかな声に少しびっくりしたが。そして、午後11時就寝。案外寝れるかな、と思ったが寝れない。というのも、妙な音がしたからだ。

ゲコゲコ、ゲコゲコ
 蛙の鳴き声か?とオレは思った。だが、その正体が明らかになるのは次の日の朝のことになる(^▽^;)。

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