Vol.1 Funky Monkey Man

 永禄3(1560)年1月のことである。尾張・清洲城では、城壁の修築工事が行われていた。前の年、永禄2(1559)年に織田信長がようやく尾張を統一するまで、戦争続きでなかなか工事にかかれなかったのである。
 その修築工事の様子を、鋭い眼差しで見つめる一人の青年がいた。この青年こそ清洲城主、織田信長であった。彼の周りには、側近の若手が数人いた。
「おい、山口! 何だこりゃ! 全然進んでねェじゃねェか!」
 信長は工事のありさまを見て、指揮官の山口左馬助(やまぐちさまのすけ)を一喝した。工事を開始してから20日経つというのに、ほんの少ししか進んでいないためだ。
「申し訳ございません! しかし、殿、それがしも一刻も早く完成させようと……」
 山口は全身に大汗をかきつつ言った。しかしそれは、信長の怒りを増幅させただけだった。
「一刻も早くって言うけどよ、普請始めてからどんだけ経ったと思ってんだ、この大バカ野郎! 20日でこれっぽっちじゃ、無駄に銭を使ってるだけじゃねェか! あぁ!?」
 信長の凄まじい剣幕に山口は震え上がり、何も言えなかった。信長は何故こんなにも苛立つのか。それは、今川の様子がきな臭いという情報が次々にもたらされているためだった。一刻も早く、城を修理して防備を完璧にしなければならない。そんな焦りもあった。その時だ。
「戦になったら、こりゃただじゃすまねェな」
 信長の後ろから、そんな呟きが洩れた。
「おい、猿。おめェ、何か言ったか?」
 信長は、猿の様な顔をした一人の青年に言った。彼の名は木下藤吉郎といい、顔つきから猿というあだ名をもらっていた。
「いや、戦になったときの事を考えたら、心配になっただけですよ」
 藤吉郎はあっけらかんと答えた。
「そうだよなぁ、20日でこれだけじゃ、心配にもなるよなー」
 側近の一人、丹羽長秀も相槌を打った。池田勝三郎も無言で頷いた。このありさまに、古参である山口のプライドが大いに傷ついたのは言うまでもない。
「ならば木下! 貴様にはわずかの間で出来るとでも言うのか!」
 山口はヒステリックな叫び声をあげた。藤吉郎は答えず、ニコニコと笑っているだけであった。
(こいつ、何か考えやがったな)
 藤吉郎の笑顔に、信長はこいつならやれる、という確信を持った。
「よっしゃ、猿! 明日からおめェがこの普請をやんな。期限は7日だ、いいな!」
「かしこまりました! 間に合わなかった場合はこの藤吉郎、死んでお詫びいたします!」
 藤吉郎の言葉に、信長は高笑いをあげた。
「おい、いいのか、藤吉郎?」
 長秀は心配のあまり藤吉郎に歩み寄った。
「大丈夫ですよ、長秀さん。オレには名案があります」
「名案?」
 藤吉郎の言葉に、長秀は首をひねった。勝三郎も同様である。その三人を、山口は刺すような視線で睨みつけていた。

 その夜。藤吉郎は工事に関わっている人夫を集め、酒宴を開いた。勝三郎、長秀も同席していた。
「皆の衆、今までの普請ご苦労さん。明日からは、この木下藤吉郎が指揮を務める。よろしくな!」
 そう言うと、藤吉郎は乾杯の音頭を取った。もともと、足軽武士とはいえほとんど農民と変わらない身分の出である藤吉郎だ。あっという間に、人夫たちに溶け込んでしまった。
「おい、藤吉郎。いいのか? こんなことやってよ。明日からどうやって普請を進めるんだ?」
 長秀が陽気に酒をあおる藤吉郎に小声で尋ねた。
「そうですよ、木下のだんな。オレ達、明日からどうやるんです?」
 人夫の一人が酔っ払いながら藤吉郎に尋ねた。他の人夫も口々に声をあげる。
「なに、簡単だ。一つ一つの区画を順番にやっていこうとするから時間と銭がかかっていただけなんだよ」
 藤吉郎はあっさりと言った。今までのやり方というのは、端から端を順番に工事してゆくというものであった。これでは、無駄に時間と予算を消費するだけだ。藤吉郎は信長と工事を見ている時に、そのことに着眼していたのだ。
「だからよ、明日からは皆を10組に分ける。そして、組ごとに区画を設定することにするよ。そうすりゃ、7日で普請は終わる、って訳さ」
 藤吉郎が発案したこの方法は、その場にいた者たち全てを驚嘆させた。
「そして、だ。一番早く終了した組には……」
 藤吉郎は袖から袋を取り出し、中身を開けた。
「この銭をやるぜ!」
 袋の中身は、ぎっしりと詰まった永楽通宝であった。それを見て、長秀と勝三郎は仰天した。
「おい、いいのか藤吉郎! この銭、おまえが仕官してからずーっと貯めてたんだろ!?」
 勝三郎が真っ青になって叫んだ。藤吉郎は、仕官してからというもの手当の一部を貯めていたのである。苦心して貯めた銭を手放すというのだ。長秀や勝三郎が仰天したのも無理がないことだった。
「勝三郎さん。銭なんて、使う時に使わなきゃ意味がないんですよ」
 藤吉郎はにっこり笑った。
「皆、オレに力を貸してくれるか?」
「だんな、任せてくださいよ! オレ達ゃ、死ぬ気でやったりますぜ!」
 藤吉郎の言葉に、人夫達は大歓声で答えた。そして、その夜はにぎやかに更けていった。

 翌朝。
 藤吉郎の指揮の下、工事は再開した。崩落した区画全てに骨組みが組まれ、どの区画も全員が血眼になって作業を行っていた。
「猿の奴、考えるじゃねェか」
 信長は工事の様子を見ながら、満足そうに言った。
「やっぱり、オレ達とは考える視点が違うなァ」
 長秀が苦笑を浮かべながら言った。
「長秀、勝三郎。おめェらもぐずぐずしてっと、あいつに追い越されるぜ」
 信長は2人を振り返り、にやりと笑った。
「オレ達も、負けられねェな」
 勝三郎が言った。藤吉郎は木槌を振るい、先頭に立って一心不乱に働いている。その姿に長秀と勝三郎は、
(今度はオレ達の番だ!)
という対抗意識を燃やし、また一方では凄い奴だと感嘆していたのだった。

 それから7日後。藤吉郎は見事に工事を完成させた。
「さすがだな、猿」
 信長は藤吉郎にねぎらいの言葉をかけた。
「殿、ありがとうございます! 今後も、一生懸命勤めます!」
 藤吉郎の言葉に、信長はまたしても高笑いをあげた。
「ははは、そうだ。その意気だぜ!」
 事実、藤吉郎はこれから凄まじい勢いで任務をこなし、出世街道を突き進んでいくことになる。

 それから数日後のことだ。
 清洲城では、評定が開かれていた。評定というのは国政についての会議で、現在の官庁で言うところの幹部会議、企業で言うところの取締役会のようなものである。
「殿、ここのところ新参者ばかり重用しておられるようでございまするが……」
 家老である林通勝(はやしみちかつ)が切り出した。通勝は山口から、役目を下ろされたことへの不満を打ち明けられていたのだ。
「それがどうしたってんだよ」
 信長はじろりと通勝を睨んだ。
「古来、役目は全て家門によって与えられてまいりました。仮にも身分の低い者、また下級武士を重職に就けるなど、ありえなかったことにござる。殿、今後は登用を改めるべきかと存じます」
 もう一人の家老、柴田勝家が進言した。この当時、人材登用はまだ実力よりも家柄によることが多かった。保守的な家臣にとっては、信長のやり方はあまりに斬新過ぎて、またあってはならないことのように思えたのだ。
「家柄が良くたってよ、その人間が無能だったらどうしようもねェだろうがよ。てめェら、オレに無能な奴を使えってのか?」
 信長の口調は苛立ちまぎれに変わっていた。信長は古臭いこと、また「昔から続いていることだから」というのを何よりも嫌う人間だった。だからこそ、斬新な発想を編み出して成果を収めた藤吉郎を重用してゆくことになるのだが。
「身分がどうであれだ、オレは使える奴を使う。人間の価値は家柄じゃねェ。そいつの実力と才能だ!」
 信長は重臣達に向かい、吐き捨てるように言った。
「しかし、殿、譜代の家臣の中には不満が渦巻いておりまする」
 勝家はなおも食い下がった。
「通勝、勝家。てめェら、オレにそんなこと言える立場かよ?」
 信長が発した一言に、その場が凍りついた。信長の顔には、明らかに怒り、そして憎悪が浮かんでいたからだった。
「てめェら、信行を立ててオレを討とうとした事、忘れちゃいねェだろうな。てめェらを許してやったのは誰だ?」
 信長の問いに、通勝と勝家は冷や汗をかいていた。彼らはかつて、信長の弟・信行を擁立して信長に反旗を翻したことがあった。
「あ、あれは、手前どもの不見識で……」
 通勝は震える声で言った。
「オレがてめェらを許したのはよ、てめェらが使える奴だからだよ。使えねェ奴だったらな、ぶっ殺して首を晒してるところだぜ! 分かってんのか!? あぁ!?」
 信長の剣幕に、もはや通勝と勝家は石化してしまっていた。あまりの殺気に、声すら出せなかった。そして、彼らは今だ信長に許されていないということを改めて思い知ったのだった。
「それとも、また謀反でもやるか? 今度は長益(ながます)を立ててよ」
 信長は皮肉っぽい笑みを浮かべた。長益というのは信長のはるか下の弟で、後の織田有楽斎のことである。
「い、いえ。我等、殿に生涯お仕えいたします!」
 通勝と勝家は声をそろえて平伏した。これは、絶対服従の宣言に他ならなかった。
「ならいい。今後、人材登用については、文句ぬかすんじゃねェぞ。文句ぬかす暇があったら、働けや! 文句ぬかしやがったら、その時点でてめェらをブッ殺す! 分かったか!」
 信長はそう叫ぶと、評定の場から去った。散々罵倒された通勝と勝家は、しばらく動けなかった。しかし、この後林通勝は内政面で、柴田勝家は軍事と内政で功績を挙げていくことになる。信長もなんだかんだ言いながら、彼らを重用していったのだった。


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