Vol.5 8月25日・函館のある場所と札幌到着(青森‐札幌)

 朝、目が覚めたのはだいたい8時くらいだったような気がする。洗顔を済ませ、着替えてホテルをチェックアウト。そのまま近くの郵便局へ向かった。散々金を使ったので、弁当代を確保するためである。軍資金を確保し、青森駅のコンビニ「ニューデイズ」で朝食の弁当を購入し、 函館行きの快速「海峡3号」に乗車。指定券をとっていなかったので、今度は自由席だ。この日の「海峡」は「はまなす」(青森‐札幌の急行)に使っている車両だったが、車体にはやはりドラえもんのペインティングが……。座席がびっちり埋まっていたので、カーペットカーに乗車。下段は埋まっていたものの、 上段が空いていたので席を確保。オレが席を確保した頃、「海峡」はゆっくりと青森駅のホームを離れた。青森から中小国までは津軽線を走る。やはり行きと同じく、揺れる。途中、奥内と蟹田に停車したが、9両編成なので車両の一部がホームを飛び越えてしまっていた。これだけの賑わいを見せている列車を 「車両が古くなったから」「八戸で新幹線と接続させるから」という理由で廃止するのは実にもったいないような気がするんだが……。せめて、青春18きっぷのシーズンだけでも運転して欲しいものだが。

 蟹田から車掌さんがJR東日本からJR北海道に変わる。そして、車内放送も車掌さんの放送とドラえもん、のび太の放送に変わるんだ。海峡線に入ると、「海峡」は一気にスピードを上げる。津軽今別で本州に別れを告げ、青函トンネルに突入。吉岡海底で見学客を乗せ、知内でついに北海道再上陸を果たした。 木古内からは江差線に入り、五稜郭まではノンストップ。函館に到着したのは12時近くだった。

 函館からは14時5分の長万部行きに乗る予定だったので、昼食をとり、駅前をちょっとふらふら。と、「土方歳三最期の地碑」という案内板があったので、行ってみることに。案内板に従って行くと、「函館総合福祉センター・あいくる21」に到着。土方歳三最期の地碑は、「あいくる21」正面の緑地の中にあった。 復元された一本木関門、そして「土方歳三最期の地」と書かれた石碑、そして土方副長の遺影。それらは、函館市内の喧騒の中でここだけが静寂をたたえているように思えた。線香があったので、線香をあげて合掌。函館戦争からもう133年が経っているが、最期まで自分の節義を貫いて死んでいった土方歳三は、 オレにとってやっぱりヒーローだ。ここで、オレはそのことを再確認した。オレが土方歳三にはまったのは、司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んでからだった。新選組に興味を持ったのも、それからだったような気がする。

 函館駅前で市電の写真を撮り、駅に戻る。改札を抜けると、既に長万部行きがホームにスタンバイしていた。3両編成で、一番後ろが七飯切り離し、真ん中が森切り離し、先頭だけが長万部へ向かう。オレが乗ったのは、一番前の長万部行きの車両だった。14時5分、函館を発車。これから札幌まで各駅停車の旅だ。 五稜郭に停まったあたりから、全く記憶がない。いつの間にか寝てしまっていたらしい。目が覚めたときには、列車は既に七飯を発車していた。七飯からは勾配のきつい区間を走るので、エンジンが悲鳴を上げる。しかし、その割にスピードが出ない。やはり、エンジンの馬力がないのと車体が重いせいなのだろうか? 勾配のきつい区間を過ぎると、大沼と小沼の間に出た。これを過ぎると大沼で、この駅から駒ケ岳を周回するようなルートを取る。こちらのルートは俗に「砂原線」と呼ばれていて、間欠泉の鹿部や渡島砂原を経由する。しかし、走っているのは貨物列車とローカル列車ばかりで、特急は全部大沼公園経由である。鹿部、渡島砂原などで 地元の人たちを降ろし、森に到着。ここで、2両目を切り離し、後は長万部まで1両で走る。森では先行の森行きに乗車していた旅人が大勢乗り込んできた。おかげで列車の中はほぼ満員。森から長万部までは、ほとんど旅人の貸切状態だった。いや、八雲とかでは地元の人の乗降もあったんだが。

 17時20分、長万部に到着。向かいのホームに、既に東室蘭行きと小樽行きが停車していた。東室蘭行きは2両、小樽行きは1両。しかし、小樽行きのほうが車両は新しい。車内に荷物を置いて、夕食の買出しに出た。行きは駅弁をたくさん食べていたが、帰りは財布の事情もあってコンビニ弁当が主だった。駅近くのローソンで弁当と お菓子、ドリンクを購入し、座席に戻る。17時41分、発車。打って変わって、今度は単線である。だが、加速はいい。急勾配も苦もなく飛ばしてゆく。黒松内で地元の人が降りると、後はほとんど旅人の貸切状態である。途中、目名あたりで日没を迎えた。蘭越、ニセコでも乗降はほとんどなく、倶知安で変動があるんじゃないかと思っていたが、 倶知安では地元の人が何人か乗ってきただけだった。だが、昼間は倶知安‐小樽に関してはかなり旅客需要があるらしい。確か、以前乗ったときも倶知安から大勢乗り込んできたような記憶がある。倶知安での停車中に、札幌からの列車がやってきた。6両編成だが、中はガラガラ。翌日の列車で折り返して行くのだろう。15分間停車した後、 倶知安を発車。途中、ほとんど旅客変動はなく、そのままの状態で小樽に到着。小樽からは電車だが、これがなんと通勤電車だった! 東北でいいだけ地獄を味わったのに、まさか最後の最後で通勤車に出会うとは……。こちらの電車は731系で、北海道車にしては車内の仕切りもなく、地下鉄並みのロングシート車である。完全に札幌都市圏の電車であった。 20時58分に小樽を発車。ここからはほとんど乗りなれている区間なので、途中の様子は割愛する。21時45分に札幌に到着。ここで学園都市線(札沼線)の列車に乗り換え、新琴似で降りた。新琴似からは近くの新琴似駅通バス停から中央バスの石狩庁舎行き麻08番に乗車し、自宅に着いた頃にはもう夜11時近くになっていた。

 今回の旅は、オレにとっては幕末史の探訪という目的があったのだが、その目的は果たせたと思う。会津の風土に触れ、会津人の心の故郷でその魂を教わったような気がする。一番心に残っているのは、

「ならぬことはならぬものです」
だな。また機会があれば、会津に行ってみたいと思う。その時は、今回以上にじっくりと見て回りたい。


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