Vol.1 8月20日、21日 札幌‐仙台

この旅を計画したのは、実は出発の1週間前だった。オレの場合、まとまった休みが8月の21日からあったのだが、勤務指定の関係で終りが分からなかったのだ。で、26日までの休みとなったので、1週間前に行先を会津若松に決定し、 宿の手配、軍資金の調達などを済ませた。8月20日、仕事を終えて帰宅し、夕食、入浴の後普段使っているリュックに荷物を詰め込み、午後9時15分ごろ家を出た。家近くのバス停(屯田2条4丁目)から中央バス・麻08番麻生駅行きに乗車。麻生からは 地下鉄南北線に乗り換えてさっぽろで下車。ここまではオレが普段街へ行くコースだ。JR札幌駅に入ると、駅ビルの工事がいよいよ最終段階に入っていた。しかし完成後に北海道新幹線が乗り入れることになったら、どこにホームを作るんだろう?
 札幌駅北口のコンビニでインスタントカメラ、パン、お酒(チューハイ)、ポカリスエットを購入して駅に戻り、千歳までの切符を買ってホームに入った。青春18きっぷはあらかじめ買っていたんだが、札幌‐千歳41`のために1日分を使うのが非常にバカらしいのでこんな手段をとった。ちなみにこれ、18族の間では 当たり前なのだ。
 オレが乗る列車は23時35分発の函館行快速列車「ミッドナイト」。8年前に東京に行ったときにも乗った列車だが、当時は急行型の改造車が使われていた。急行型の引退で車両も変わったそうで、今度は特急車になっている。入線にはまだ時間があるので、めったに見ることのない夜行列車を撮影して過ごす。 「ミッドナイト」は札幌駅の7番ホームから出るが、その前に網走行特急「オホーツク9号」、稚内行特急「利尻」が同じホームから発車する。既にホームに「オホーツク」が入っていたので、早速撮影。22時25分に「オホーツク」は凄まじい爆音を轟かせて発車していった。そのあとに「利尻」と、オレが乗る「ミッドナイト」が 入ってくるわけだが、「ミッドナイト」の自由席の乗車位置にはもうとっくに行列ができていた。4両中、1両しか自由席がないからこうなるのも当たり前か。ちなみにオレは指定席である。次は「利尻」、それと同じ時間に発車する釧路行特急「まりも」の撮影。両列車の発車後、札幌駅のホームに静けさが戻ったような気がした。 特急車のエンジンって、凄まじくうるせェから。
 発車20分前、「ミッドナイト」が苗穂の方から7番ホームに入線してきた。車両を見てオレはびっくりした。
国鉄時代の特急車の色だった!!中はさすがにリニューアルされていたが、これは驚きだった。次にこの日乗った「ミッドナイト」の編成を記しておこう。
1号車・キハ183‐1(自由席)+2号車・キハ182‐2(指定席・オレ乗車)+3号車・キハ182‐1(指定席)+4号車・キハ183‐2(指定席・レディースカー)
 もう20年選手の車両である。撮影を終えて乗車し、指定券の自分の席に陣取る。オレが座った席は窓側だった。23時35分、凄まじい爆音を駅全体に轟かせて発車。白石、新札幌、北広島と札幌近郊の駅にこまめに停車して乗客を拾う。オレはその間、隣の席の人と酒を飲みながら色々話をしていた。 相席になった人は、現在栃木に住んでいて、小樽や札幌、道内をあちこち見てまわり、帰りは新潟の友人のところに寄って行くのだという。見ず知らずの人と気軽に会話し、情報交換もできるのが旅の醍醐味というやつだろう。
 千歳を過ぎると車内改札だ。青春18きっぷを用意し、車掌さんに検印を入れてもらう。やがて苫小牧。このへんから、記憶があいまいになる。知らぬ間に寝入っていたらしいが、東室蘭で一回目が覚めてしまった。どうも、オレは夜行列車に乗ると寝れなくなるらしい。東室蘭で45分も停車し、次は長万部。この間もオレは寝ていたが、 ほとんどうたた寝である。長万部で完璧に目が覚めてしまい、全く寝れなくなった。ちなみに長万部で空が白み始め、八雲に着いた頃には夜が完全に明けていたことを付け足しておく。
 6時30分、函館到着。ここで1時間半の待ち時間だ。次に乗るのは津軽海峡線の快速列車「海峡2号」。時間があるので駅の化粧室で洗顔を済ませ、食堂で朝食。だがこの後、オレは駅弁を購入し、函館発車直後に食べていた…。
「海峡」もおそらく自由席は混むだろうとふんで、窓口で指定券を購入。今度は禁煙車だった。7時40分頃ホームに入り、駅弁を買って「海峡」に乗車。ホームから自由席を覗いてみたが、ほとんど満席の状態だった。で、
車体には「ドラえもん」のペインティングが施されていた…。子供たちにとっては喜ばしいかもしれないが、 オレ的に言わせると「ちょっとこりゃねェんじゃねェの?」となってしまうんだが。今年の12月以降、「ドラえもん海底列車」はどうなってしまうんだろうな。
 8時4分、函館駅を発車。五稜郭、上磯、木古内と停車し、こまめに乗客を拾う。ここまでは江差線で、木古内から海峡線に入る。車内放送で青函トンネルの説明をやっていたが、オレはもう既に知っていることだったので聞き流していた。だが車掌さんの放送の後、ドラえもんとのび太の放送まで入っていたのにはびっくり。さすが快速「ドラえもん海底列車・海峡」である。 知内を過ぎると、いよいよ青函トンネルだ。過去乗ったときには完全に爆睡した状態で通過していたのだが、今回は海底駅ごとに目が覚め、青森県到達時にはパッチリと起きていた。海峡線は中小国という駅で終り、ここからはJR東日本の津軽線に入る。ここからかなりゆれる。なんせそれまでローカル線に過ぎなかった路線が、津軽海峡線に組み込まれたために急遽改良工事をして 間に合わせた路線だ。風景もがらりと変わり、北海道にあったスノーダクト住宅なんてほとんどなくなり、家の屋根の形も平べったい正四角錐っぽい形に変わる。そして、家の真裏を走っているせいか、防音壁が目に付くようになり、これがまたうざい。まあ、環境対策だから仕方ないことなのだが。
 10時43分、青森に到着。ここからは延々各駅停車だ。1度改札を抜けて駅弁を購入。そして、駅前の市営バス案内所で青森市営バスの時刻表をゲットして駅に戻る。
 次は八戸行の普通列車。何故かディーゼルカーの4両編成だった。ボックス席が空いていたのを見つけて座る。11時22分に発車。4両と比較的長い編成だったせいか、終始座席に余裕があった。途中の野辺地で22分停車し、「スーパーはつかり」と貨物列車に道を譲った。スーパーはつかりの自由席に乗るお客さんで、ホームに行列ができていた。でも、12月からは八戸発着になるからあまり 新型車を入れた意味がなくなるかも。まったりとした時が流れ、14時1分に八戸到着。八戸の駅は新幹線がやってくるということで、大改装工事の真っ最中だった。以前寄ったときはまだ平屋建てだったんだが…。ここで1時間50分空きがあったので、八戸市内を見て回ることに。市内を走っている南部バスに乗車して小中野というところまで行ったが、途中渋滞に巻き込まれてはらはらしてしまった。小中野のバスセンターで下車し、ラピアというショッピングモールからバスで戻ることにし、本八戸駅経由の八戸市営バスに乗車。 これが間違いだった。本八戸駅の時刻表を見ると、列車が行った後。やむを得ず、タクシーで八戸駅に戻り、15時50分発の盛岡行きに乗る。空き時間があるといってもむやみに知らない町をのんきに歩くもんじゃない、と実感した。
 盛岡行きは電車2両編成。すでにほぼ満員の状態で、立つことに。ここからこの電車、701系との付き合いが始まるのだ。なんせ地下鉄風のロングシート車が時には盛岡‐青森を直通運転することもあるんだからたまらん。あくまでローカル用の電車、と考えれば納得いくけどさ。車内は地元の人半分、そしてオレのような青春18きっぷの旅人が半分という感じだった。県境を越えれば空くだろうという予想は ものの見事に外れ、岩手県に入っても乗客は減るどころか逆に増えて、結局盛岡まで立ちっ放しだった。しかも、立ちながら寝入ってしまい、カクン、カクンと足が揺れて目が覚めるありさまだった。たぶん、他のお客さんに笑われただろうな。盛岡からは一ノ関行きに乗車する。この電車もまた701系。今度は4両編成だ。時間的に帰宅ラッシュの最中で、発車間際にはすし詰めになっていた。混んでいたのは北上までで、ここから先は かなり余裕がある感じになった。終点の一ノ関に着いたときは、どちらかといえばオレのような旅人が多かったような気がする。
 一ノ関からは仙台行きに乗り換え。今度は6両編成だったが、またしても701系。この701系という電車、オレが初めて乗ったのは8年前の酒田から青森が最初だった。酒田‐秋田でへばり、秋田からの快速「しらかみ」で大館まで立っていたんで、あまりいい思い出のない電車だ。トイレが付いている、というのがせめてもの救いだが。19時54分、ガラガラの状態で一ノ関を発車。途中、あまり乗客は乗ってこなかった。6両じゃ輸送力過多のような感じがした。 21時30分、やっと仙台に到着。この日は仙台・国分町のカプセルホテルに予約を入れていた。実はオレ、カプセルホテルに泊まったことがなく、生まれて初めての体験だった。で、仙台駅で自宅に連絡を入れ、地下鉄でホテルの近くの勾当台公園駅へ向かう。下車して、さあ行くぞというところで道に迷った。出口からすぐ曲がるらしかったのだが、勘違いして大通を曲がる、と解釈してしまったのだ。結局さまよい続け、どうにかこうにかカプセルホテル「リーブス」に到着。 フロントで手続きを済ませ、カプセルルームへ。ロッカーにはガウンとタオル一式が入っていた。早速入浴し、腹が減っていたので外にでた。よく見てみると、この国分町というところは札幌で言うところのすすきののようなもんだ。やたらと飲み屋、風俗の呼び込みがうるさい。そいつらを無視して狸小路のようなアーケード街に出たが、もう閉まっていた。やむなく国分町に引き返し、「なか卯」で牛丼を食ってホテルに戻り、日記を書いて寝た。
 なか卯に入る前、クラブのホステスさんに声をかけられたが、札幌についての立ち話をしただけで店には行かなかった。基本的に、オレはクラブってあまり好きじゃないんだ。それにしても、国分町はすすきのよりも活気があるような気がした。


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