2003・3・23 待望の松本城の見学が実現する。どういうわけか日本の城が好きで、いままで行った城は青森の弘前城  愛媛の松山城  福島の鶴ヶ城  岡山の岡山城  宮城の青葉城跡  函館の五稜郭跡などなどである。
  
 新宿発10:00のスーパーあずさ5号に乗る。長距離電車に乗るのは何年ぶりだろう。ふだんの旅行は、航空機か車での移動なので新鮮な感じだ。最初はおのぼりさんよろしく車窓からの展望を楽しんでいたが、山また山の連続に飽きてしまい、あとは眠り込んでしまった。

 12:30 松本駅に到着。さっそくタクシーをとばして松本城へ。まずは、腹ごしらえと近くの蕎麦屋さんへ飛び込む。さすが本場の信州蕎麦は驚くほどおいしかった。腹ごしらえも済み、いよいよ松本城へ。

松本城を囲む掘割に到着する。ふと見ると真鯉・緋鯉・錦鯉が
たくさん泳いでいるではないか。大きいのはゆうに尺を越える
ものもいる。餌になるパンくずがあれば…と思ったがあいにく
持ち合わせがない。しかたなく浮かんでくるのを待って撮った
のが右の写真である。このような鯉が掘割のいたるところに悠
然として泳いでいるのは壮観であった。

 いよいよ松本城見学である。まず、外側からと思い、城の撮
影に取りかかる。平城のため町並みが画面に入らないようなア
ングルを取るのが難しい。あっちうろうろこっちうろうろと三
脚を担いでベストアングルを探す。何枚か撮影し、城の中へ…。

 



         



松本城は永正年代に作られた深志城が始まりで、徳川家康の家臣である石川数正が整備したものである。明治の初めに天守閣が傾き始め、修理をした。
 松本城は平城であり、城といっしょに城下町も同時に建設され、本丸を中心に三重の水堀をめぐらし、その外に町屋と寺社地帯を置いた。天守は五重六階の大天守を中心に、乾小天守を渡櫓で連結し、辰巳櫓を複合した「連結複合式」と呼ばれる構造で、独立天守の多いその当時のものとしては珍しいのだそうだ。

 城の中に入った。階段を上っていくのだが、その上りにくいこと。段差が一定でないほかに勾配が思い切り急で、お年寄りはたいへんだと思った。案の定、上に行くにしたがって階段の幅は狭くなり、交互通行の様子になってきた。下りの人がこわがって降りられないため、大渋滞となっていた。やっと最上階まで到達。さすがに眺めはすばらしく、松本市内が一望できた。写真はそのときのものである。



         


         



松本城をあとにして今夜の宿泊地「浅間温泉」に向かう。予約したホテルの名は「貴祥庵」。13種類の湯があるというので選んだホテルである。和風の中庭(写真参照)吹き抜けのロビーがすばらしい。それにロビーで待っている間にごちそうになった抹茶の美味しいこと。案内された部屋もすばらしい。夕食の懐石料理も上品ですごく美味しい。おまけに夜食付きであった。(これは満腹で口にできなかったが…)お風呂のはしごをし、その夜は熟睡する。朝の食事もすばらしかった。特にお粥が新鮮だった。お薦めのホテルである。



         


         



10時ホテル発。タクシーで旧開智学校へ向かう。開智学校は明治6年に開校し、校舎は明治9年に新築された。開智の校名は、 「学制序文」の「人々…其身ヲ修メキ才芸ヲ長スルハ学ニアラサレハ能ハスから命名されたといわれている。
 昭和36年3月23日、建築文化史上貴重な学校建築としてわが国で初めて重要文化財に指定された。写真の桟唐戸と
呼ばれる彫刻は、飛竜・波形の木彫が新築当時の面影をよくとどめている。



         


         



ここからまたタクシーで城山公園に向かう。ほんとうはもっといろいろなところを見たかったのだが、月曜日に休館しているところがほとんどで見学できなかったのである。城山公園の展望台からは、北アルプスが一望できるということでそこへ向かったのである。






追   記



よけいなことではあるが、松本駅前で昼食を取った。小さなカレーライス専門店で食べたのだがその美味しかったこと。有名ホテルのカレーライスに匹敵というくらいであった。夫婦2人での経営であったがほんとうに美味しかった。
 松本発18:31のスーパーあずさ14号で帰京の途につく。車中は熟睡、目が覚めたら八王子であった。    21:06新宿着。これで短い信州松本の旅は終わった。









ナスカ無料ホームページ無料オンラインストレージ